第101話 管理
13:28
物件のエントランス前。
俺は腕時計を見た。
「あの人、また遅刻か?」
「先輩、その時計のイルカちゃん。可愛いですね」
葛城が腕を覗き込んできた。
「そうか? 桜藍からもらったんだ」
葛城の口の端が上がる。
「そうなんですか。先輩、もうすぐロリコン卒業ですね?」
「どういうこと? ってか最初からロリコンじゃないし」
「だって、桜藍ちゃん。今年で18歳ですよ?」
そうか。
桜藍ももうすぐ18歳か。
♦︎
「お待たせしました」
山田さんがやってきた。
額から汗を流している。
「いえいえ。汗かいてますけれど、大丈夫ですか?」
「走ってきたもので。じゃあ、管理人室に行きましょう」
管理人室には『巡回中』の文字。
しばらく待つと、紺色つなぎの男性がやってきた。
「すいません。◯◯不動産の山田と申します」
「あぁ、そういえば今日だったね」
管理人は名刺を受け取ると、グシャっと尻ポケットに突っ込んだ。
「5階△△号室について、教えて欲しいのですが。あ、こちらはオーナーの飯島エステートの方です」
管理人は俺らを一瞥すると、腰に手を置いた。
「で、何?」
「近隣の方から、こちらのマンションで飛び降り自殺があったと聞いたのですが……」
「あぁ、ちょっと待ってね」
管理人は管理人室の棚からノートを持ってきた。ページをめくりながら話を続ける。
「私もここはまだ3年目でね。その事故については直接はみてないんだよ。でも、引き継ぎノートには確か。あ、あったあった」
管理人は首から下げていたメガネを掛けた。
「ええとね。事故があったのは5年前」
山田さんの手がギュッと握られた。
管理人は続きを読んだ。
「女性の飛び降り自殺。『5階のどこかの部屋からの落下』とあるね」
「どこの部屋とか分からないんですか?」
俺は思わず声を出した。
「んー。なにせ私が来る前の話だしね。私から伝えられるのはそれだけかな」
「ありがとうございます。あ、これ。よければ」
俺の指示で、葛城は近隣挨拶用の菓子折りを渡した。
「いやぁ。悪いね。あ、そうそう。事件当時の住民説明も同じ内容になってるから。んじゃあ、巡回に戻ります」
そう言い残して管理人は去っていった。
「5年前か。重説に書かない訳にはいかないですね。あっ、山路さん。出し値は幾らになりました?」
山田さんは小声になった。
「6,980万円です」
すると山田さんは、目を閉じて腕を組んだ。
数秒の沈黙。
「うん。ロクキュッパね。重説には聞いたままを書くとして……うんうん。山路さん、専任専属媒介契約書を持ってきましたので、お願いします。今日中に発送できますか?」
山田さんは封筒から媒介契約書を出すと、価格欄に6,980万円と記入した。宅建業者欄には、すでに◯◯不動産のゴム印が押されている。
「はい。社内で押印してすぐに送り返します」
山田さんは笑顔になった。
「あっ。この返信封筒どうぞ。いやぁ、一億円とか言われたらどうしようかと思いましたよ〜」
「私も、事故がウチの部屋じゃなくて一安心しました」
「ですね。今はお客様の囲い込みもできないからね。イヤな時代になったもんです」
山田さんは手を振りながら帰っていった。
帰ろうとすると、袖を引っ張られた。
「先輩、なにが一安心なんですか? 自殺が判明しちゃって最悪じゃないですか」
葛城は首を傾げた。
「あぁ。部屋を特定されなかっただろ?」
「それも訳がわからないです。落ちた場所は分かるんだから、その真上のどこかの部屋からじゃないですか」
「だな。部屋が分からないってことは、同フロアの全部屋でリスクを分散するって意味なんだよ」
葛城は口を尖らせた。
「納得できないです。そしたら『事故現場の上の部屋のどこか』ってしたらいいじゃないですか」
「その場合、最上階から飛び降りたなら、その下の全部の部屋を横切って落ちたことになるよね」
「そうですけど」
「葛城ならさ。同じフロアの遠い部屋で自殺が起きたのと、自分の部屋の最上階から落ちたの、どっちが嫌?」
葛城は腕を組んで目を閉じる。
眉間に皺を寄せると、首を横に振った。
「そりゃあ、上の方が嫌に決まってます。落ちる時に目が合うかも知れないし、もしかしたらバルコニーの手すりに頭をぶつけたかも。ひぃぃ」
「だろ? だから管理人はああいう曖昧な言い方をしたんだよ」
「ふぅーん」
「事故時には警察も来てるのに、場所が分からないなんてあり得ないじゃん」
「……大人の思いやりってやつですね」
葛城はメモ帳を閉じた。




