表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

86/89

86 ヨパラの生い立ち2

ヨパラは、その本をすぐにめくり始めた。

ページを繰るたびに、幼い日々の記憶がよみがえってくる。

そして、その本に書かれていた──ドランザーク帝国の、あまりにも非道な所業に、怒りで手が震えていった。


同時に、母と共に生き抜いた、厳しい日々の記憶もよみがえってくる。


──王妃リュセリナと王子ミストファルは、薄暗い地下通路に立っていた。

そこへ、魔導によって造られた兵士が姿を現し、静かに声をかけてくる。

ヨパラの脳裏に、おぼろげながら当時の情景が戻ってきた。


「すぐにお逃げください。皇帝からの命です」


その言葉に従うように、地下通路を急ぐ母の姿が見えた。


「ミストファル、大丈夫です。この者たちが守ります」


ミストファルは、泣くのをこらえながら、母の手を強く握りしめて走っていた。


──リュセリナには、移転の魔法は使えなかった。

それでも、なんとか無事に宮殿の外へ出ると、振り返った先に、もはや王宮の姿はなかった。


リュセリナは、すべてを悟った。

「ここは危険です。別の国へ逃げましょう」

そう言うと、ミストファルを腕に抱き、浮遊魔法を使って、できるかぎり遠くへと飛び去っていった。


ようやく隣国の故郷にまで逃げのびたとき──

リュセリナの魔力は、すでに尽きかけていた。


彼女は、息子を安心させるように微笑んでみせた。

けれど、頬には静かに涙が流れていた。


「ミストファル、ごめんなさい。私にできることは、これしかないの……」


そう言いながら、リュセリナはミストファルの頭に手をそっと添えた。

「記憶を消して、魔力も封じて」

静かに、その魔法を唱える。


リュセリナは、ミストファルだけは守りたかった。

この子が大きくなったとき、父の仇を討つために命を投げ打つことを──何よりも恐れていた。

そして、たとえこの子が敵の手に落ちたとしても、王子であることが決して知られぬようにと。


──ドランザーク帝国は強大な軍事帝国であり、国土も広く、軍隊も強力であった。


魔力を使い果たしたリュセリナは、隣国であるハルパン王国へと歩いて逃げた。


「ヨパラ、まだ歩ける?」


ヨパラは不思議そうな顔をしながらも、気丈に答える。


「ぼく、まだ、あるける」


リュセリナは──

ミストファルの名も、自らの名も変えていた。

リリナと名乗り、過去を捨てるように。


そして、リリナは身を隠すようにして、ハルパン王国の片隅で暮らし始めた。

風の便りで、ドランザークがいまだ王子を探していると聞き、怯えながらの日々を送っていた。


魔法を使うことは一切なく、か細い腕でヨパラを育てていた。

身につけていた装飾品は、すべて売り払い──

泥まみれになって、身を隠すように働いていた。


それでも、教育だけは決して怠らなかった。

「自分ひとりでも、食べていけるように」と──そう願いながら。


けれども、ヨパラはその勉強にたびたび不満をこぼし、時には母を困らせていた。


リュセリナは厳しく、そして優しく。いつもヨパラを──心から愛していた。


──ヨパラが十六歳になったとき、母は亡くなった。


「ヨパラ……ごめんなさい……」


その言葉は、何度も聞かされていたものだった。


そしてヨパラは、母の願いではなく、冒険者となるという危険な道を選んだ。


本を読み終えたヨパラは、かつて母に強く言ってしまった言葉を思い出し、涙をこぼした。

父の悔しさと、ドランザーク帝国への憎しみで、胸の奥が焦げるような思いだった。


──そのとき、レイヴァンがいつものように足音高く近づいてきた。

少し顔を伏せているヨパラの様子がおかしいことに気づき、声をかけた。


「ヨパラさん……何か、ありましたか?」


ヨパラは、少し落ち着いた声で答えた。


「いや、大したことじゃない」


レイヴァンは、本のタイトルをちらりと見て、懐かしそうに言った。


「パルヨザードですか。街並みが美しい国でしたね」


ヨパラは、驚いたように言った。


「レイヴァンさん、知っているんですか?」


「はい。私は長く生きておりますから、この大陸のことはだいたい把握しています」


「私の趣味は、ふらりと気ままに旅することなんですよ」


「何か、その国について知りたいのですか?」


ヨパラは、これまでのいきさつをすべて話した。


レイヴァンは、特に驚く様子もなく、丁寧に応じた。


「それは、実に悲しい出来事ですね……」


「そういえば──忘れていました」


「インフィ様が、口には出しませんが……ヨパラさんがいなくて、寂しがっておられます」


「もしよろしければ、インフィ様と共に旅をしていただけないかと思い、訪ねてまいりました」


「その件についてインフィ様にお伝えすれば、きっと力を貸してくださると思います」


ヨパラは、落ち着いた声でレイヴァンに言った。


「すぐに連れて行ってくれ。そして、この国のことをもっと詳しく教えてくれ」


レイヴァンは、嬉しそうに微笑んだ。


「かしこまりました」


──そう言うと、二人の姿はその場から消えた。


図書室の磨かれた大理石の床には、

『パルヨザード魔法小国の繁栄と滅亡』という一冊の本だけが、そっと残されていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ