85 ヨパラの生い立ち
今から三十年ほど前の物語である。
王子ミストファルの五歳の誕生日。その祝いは、王国を挙げて盛大に執り行われていた。
ここは、パルヨザード魔法王国。
小さな国ではあったが、魔法の才に恵まれた者が多く、その力によって国は豊かに栄えていた。
この世界では、多くの子どもが五歳までに命を落とすことも珍しくなかった。
五歳を迎えれば、ようやく安心できるとされ、五歳の誕生日は国を挙げて祝うことが慣例となっていた。
今回は、国を導くべき一人息子の誕生とあって、例年にも増して盛大に催されていた。
王宮のロイヤルバルコニーに立つのは、ザルヴェリオス魔導王。
その声は魔法によって広げられ、宮廷に入れぬ民のもとにまで、はっきりと届いていた。
「我が魔法王国の民よ、皆よろこべ。我が王妃リュセリナのもとに、神より賜りし我が息子が、今日、五歳を迎えた!」
「これは、我らの善行に対する神の祝福にほかならぬ!」
「我が息子ミストファルが健やかに成長すれば、この国はさらに繁栄するであろう!」
「我が民よ、祝いの膳と酒はすでに整えてある。この佳き日を、心から楽しんでくれ!」
その宣言に呼応するように、王都の広場では「パルヨザード魔法王国万歳!」の声が湧き上がり、
笑いと歓声に包まれた街は、祝祭の熱気に染まっていった。
「ザルヴェリオス様とリュセリナ様のご子息だ。きっと立派な魔法使いに育つに違いないよ」
「この魔法王国も、さらに栄えていくだろうな」
街の人々は、祝いの酒に頬を赤らめ、誰もが笑みを交わし合っていた。
そのころ、ザルヴェリオスもまた、王妃リュセリナに向かって穏やかな声で労いの言葉をかけていた。
「リュセリナ、王子を無事に五歳まで育ててくれてありがとう。……本当に、君には感謝している」
リュセリナは、夫の言葉に微笑みながら、静かに応えた。
「この国があるのは、あなたのおかげです。……ミストファルが元気でいてくれる。それだけで、私はもう何も望みません」
ザルヴェリオスは、そばに立つ幼い息子に身を屈め、優しく語りかけた。
「ミストファル、お前ももう五歳だ。これからは、お前が母上を守るんだぞ」
ミストファルは顔を輝かせ、小さな拳を握って応えた。
「うん! ぼくが……おかあさま、まもるから!」
そのまっすぐな声に、リュセリナの目には、ふいに熱い涙が浮かんでいた。
そのときだった。
晴れやかだった王都の空に、突如として現れた巨大な魔法陣が、宮殿の真上に浮かび上がった。
淡く輝く紋様が幾重にも重なり、空気が震え、周囲に魔力の波動が走る。
誰のものかも知れぬその魔法陣は、ただ無言で、圧倒的な意志を空から示していた。
ザルヴェリオス魔導王は、即座に異変を察知した。
その眼が冷静に細められたとき、すでに彼は行動に移っていた。
王妃リュセリナと王子ミストファルの両手にそっと触れると、ほとんど呟くような声で転送魔法を発動する。
彼だけが知る、宮殿地下深くに設けられた緊急避難通路へと、二人の姿は瞬時にかき消えた。
次の瞬間、空に浮かぶ魔法陣が輝きを増し、全体が軋むように震えた。
……
その頃、隣国ドランザーク帝国の皇宮。
皇帝ザガルノスは、執務室の重厚な椅子に腰かけたまま、伝令の報告に耳を傾けていた。
「パルヨザードの魔法陣、発動しました」
その言葉を聞いた瞬間、皇帝ザガルノスの口元には冷淡な笑みが浮かんだ。
皇帝ザガルノスは、この日が来るのを何年も前から計画していた。
パルヨザード魔法王国は小国であり、たとえ領地を奪っても得られるものはわずかにすぎない。
両国は長年にわたり友好を築き、貿易によって共に繁栄してきた。
それにもかかわらず、成功の見込みすら定かでない巨大な魔法陣の構築を、他国であるパルヨザードの内部で密かに進めていたのだ。
その陰には、かつてザルヴェリオスに不正を暴かれ、没落に追いやられた貴族たちの存在があった。
ザガルノスは彼らに多額の資金を提供し、その手を通じて魔法陣の準備を着実に進めさせていたのである。
膨大な資金が投じられた目的は、領地の征服ではなかった。
──人を奪うためである。
魔法の才に恵まれた者たちを奴隷として捕らえ、その血を受け継ぐ子を増やすために。
そして、なによりもザガルノスが我慢ならなかったのは、自分よりも民に崇められている王が隣国に存在するという、その事実であった。
それだけの理由で──彼は、一つの国を滅ぼそうとしていた。
……
ザルヴェリオス魔導王は、それが宮殿を狙った大規模な魔法陣であることを即座に見抜いた。
構築を阻止すべく、彼は迎撃の魔法を打ち込む。
「我が名に命ず──砕け、天を!」
その声とともに、宮殿から天へ向けて巨大な光の渦が巻き上がり、空に浮かぶ魔法陣を飲み込むようにして消滅させていく。
「防衛魔法の発動を急げ!」
王は激を飛ばし、王都の防衛魔法機構を即座に作動させ光の渦の輝きが増す。
王都の民もまた、その光の渦にさらなる力を注ぐべく、自らの魔力を光の渦へと流し込んでいた。
魔法陣は、迎撃魔法に耐えきれず、ついには完全に消滅した。
街中には安堵の空気が広がり、人々は口々に声を漏らす。
「今のは……なんだったんだ?」
「帝国の魔法陣だ!」
「なぜ奴らが、こんなことを──」
だが、安堵したのも束の間。
王宮の上空には、さらに強力な第二の魔法陣が出現していた。
しかも、すでに発動の兆しを見せている。
「無理だ……」
「宮殿がやられる!」
「ザルヴェリオス様がいる……大丈夫だ、きっと──!」
宮殿内でも、二つ目の魔法陣を察知し、誰もが慌ただしく動いていた。
ザルヴェリオス魔導王は、即座に詠唱する。
「我が名に命ず──砕け、天を!」
再び、巨大な光の渦が宮殿から舞い上がる。
しかし、それを支えるはずの魔力が、なかなか加わらなかった。
「なんたることだ……防衛魔法の出力を上げろ!」
焦燥に満ちた声が、宮殿内に響き渡る。
「魔力の供給が……間に合いません!」
返ってきたのは、悲痛な叫びだった。
「やられたのか……帝国め……なぜだ……何が目的なのだ……なぜ、こんな……!」
周囲にいた多くの者たちは、宴の余韻に酔いしれ、顔を紅潮させていた。足取りもおぼつかず、誰もが気を抜いている。
強力な魔法使いであっても、油断を突かれれば対応は遅れる。ましてや、酒は魔力の流れを鈍らせるものだった。
そして──無情にも
第二の魔法陣が──発動されてしまった。
ザルヴェリオスは、その場に膝をついた。肩で息をし、呼吸は乱れている。
そして、もはや魔力は尽き果てていた。
「リュセリナ……すまない。俺は……死ぬ。ミストファルを、頼む……」
その言葉を最後に──
ザルヴェリオス魔導王と、その宮殿は、眩い閃光とともに、跡形もなく消え去った。
二重魔法陣であった。数か月にわたり構築しないと成し得ない高度な魔法陣である。
卑劣な敵は──最も警戒が緩み、酒を酌み交わし、人々が心から喜びに酔っているその瞬間を狙ったのだ。
ミストファル王子の「五歳の宴」に合わせて、大規模魔法陣が発動された。
人の所業とは思えぬ、あまりにも非道な手段であった。
ザルヴェリオス魔導王は、最後まで何ひとつ気づくことができなかった。
それは、もしかするとこの国に課せられた避けがたい運命だったのかもしれない。
彼自身もまた、その比類なき才に溺れていた。
長きにわたる友好関係に安んじ、隣国を疑おうとすらしなかったのである。
こうして──パルヨザード魔法王国は、わずかな記憶の断片だけを残し、世界の歴史から静かに姿を消していった。
……
ヨパラは、魔法学園の図書館に足を運んでいた。
その魔法の才はすでに開花しており、学園を去る日も近づいている。
何気なく歩いているうちに、「そういえば、しばらく図書館に来ていなかったな」と思い立ち、本棚を眺めながら面白そうな一冊を探していた。
そのとき、不意にある一冊の背表紙が目に留まった。
『パルヨザード魔法小国の繁栄と滅亡』──
古びた装丁に、その名が刻まれていた。
何気なくその本を手に取った、まさにその瞬間。
激しい頭痛が襲いかかり、思わずその場に膝をつきそうになった。
そして──
胸の奥深くから、忘れていたはずの記憶が込み上げてきた。
「……俺の国だ。俺の名前は──ミスト……」
泣きながら微笑んでいた母の姿。
「あなたは、すべて忘れた方がいいの……」
そう言って、記憶消去の魔法をかけようとした、その瞬間を──思い出した。
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