58 骸骨(がいこつ) その2
ヨパラがインフィのもとへ駆け寄ったその瞬間、巨大な山がうねるようにして二人の目前へ迫ってきた。
ヨパラは腰の剣に手を伸ばしかけたが、その悍ましい顔を見上げた瞬間、全身が震え、足がすくんで動けなくなった。
すると、巨大な山が小さくなる。いや、左足を立て、右足の膝を折り、右手の拳を地面に着け、左手を胸に当て、頭を垂れていた。それは騎士の最敬礼の姿勢だった。
小さなインフィの前で頭を垂れ、恭しい姿勢を取る巨大な物体。あまりに不釣り合いな光景だ。もし他の者に見られたなら、研究所送りになってもおかしくはない。
ヨパラは再びインフィを担ぎ上げ、全力で駆け出した。「カカカ」という唸り声と共に、地響きが背後から迫る。だが、インフィは脇をすり抜けて逃れ、巨体は膝を着く。これが三度繰り返された末に、ヨパラは観念して立ち止まった。
「前に……会ったことがある」
「ケケケ」と巨体が応えた。
「ケケケ」は「はい」か? 「ケケケ」とまた小さく言う。「カカカ」も「はい」か? 「カカカ」とも言う。では、「はい」が「ケケケ」、「いいえ」が「カカカ」で合っているか? 「ケケケ(はい)」。それ以外の言葉は話せるか? 「カカカ(いいえ)」。
インフィと巨大骸骨の間で、奇妙な会話が続いていた。ヨパラはぽかんとした顔で、その異様なやり取りを見守っていた。
まとめると、この骸骨は二年もの間、あの骨山にひっそりと隠れ、インフィが来るのを信じて待っていたという。最敬礼の姿勢を取ったのは、かつての主従関係を示してのことらしい。「インフィとの主従か?」と問えば、「カカカ(いいえ)」と「ケケケ(はい)」を両方口にした。何か含みがあるのだろう。
しかも、この骸骨はインフィに付き従うつもりで、どうしても譲らない。ヨパラが断ると、骸骨は仁王立ちになり、その悍ましい巨大な顔を、ヨパラの顔すれすれまで近づけて睨みつけてきた。実はヨパラ、ほんの少しだけ失禁してしまった。大の男でも恐怖の前ではそうなるものだ。
そんなやり取りの最中、ゾンビラーたちが集まってくる。すると骸骨は、岩のような拳で彼らを殴り飛ばし、岩のような足で踏み潰す。やがてインフィの前で膝を折り、「ケケケ(はい)」と笑った。
自分の力を誇示して、役立つ存在だとアピールしているのだろう。あの悍ましい見た目に似合わず、どこか健気さすら漂わせる魔物だった。
赤子のように離れようとしない巨大骸骨に、どうすることもできず、ヨパラはとうとう腹を括った。
「さて、どうするか……問題は山積みだな。まずは、この巨体をどうやって隠すかだ。……馬の着ぐるみでも着せるか?」
すると、またしても骸骨の顔がヨパラの目前にぐいっと迫り、「カカカ(いいえ)」と爆音のような声を響かせた。鼓膜が破れそうな轟音と風圧で、ヨパラの薄くなりかけた髪は、見事なざんばら髪と化した。
続いて、骸骨は自らの骨を外し始めた。目にも留まらぬ早さで器用に骨を取り外し、それを腹の空洞へと美しく収納していく。あっという間に、2メートルほどの大きさの骸骨へと縮んでしまった。あの悍ましい顔も、どこか愛嬌を帯びた表情に変わっている。……まあ、まだ十分に怖いが。
手櫛でざんばら髪を整えていたヨパラは、ぽかんとした顔のまま、しばらく固まっていた。
「大きさは解決したな。外見を隠すために、雨合羽でも着せるか」
背丈は縮んだが、見た目は完全に骸骨のままだ。どうやらこれ以上の変形は無理らしい。
「ケケケ(はい)」と骸骨が笑う。着ぐるみは嫌だが、変装は構わないということか。プライドが高い魔物なのだろう。
ヨパラはビー玉のような魔具に触れ、そこから取り出したポンチョ型の黒い雨合羽を頭からすっぽりと被せた。手には手袋を、足には長靴を履かせ、顔は布でぐるぐる巻きにした。
「おお、なんかいいじゃねえか。少し怪しいけど、こういう奴、どこにでもいるしな」
骸骨は自らの姿を見下ろし、「ケケケ(はい)」と満足そうに笑った。どうやら、見た目にこだわりがあるようだ。
「さて……最大の問題は、こいつが塔の外に出られるかどうかだな。消えてくれた方が、正直ありがたいが」
魔物は基本的に、魔塔の外には存在できない。もしも外へ持ち出そうとすれば、塔を出る直前に魔元素の霧となって消滅してしまう。そうなれば、ドロップも経験値も何も残らない。魔物だけでなく、植物や石といった存在も同様だ。
とはいえ、もし消えたとしても、それが骸骨自身の意志であるなら、それもまた運命というものだろう。
塔に入るときは冒険者かどうかの確認があるが、それも顔パスで通るような緩いもの。出るときは特に調べられることもない。中で死んだ者がいても、それは自己責任である。
出口が近づく。だが骸骨は、苦しそうな素振りも見せず、むしろインフィの背後を軽やかに付いてきている。丁度、夕食時で門番の姿もない。そのまま、三人は塔の外へ出た。
突然、雨合羽の内側から黒い煙が立ち上り、骸骨が苦悶の表情を浮かべ、合羽が地面へと落ちていく……こともなく、骸骨は力強い足取りでインフィたちの後に続いた。
「だいじょうぶ。苦しくない」
「ケケケ(はい)」
どうやら本当に平気らしい。
「おいおい……消えずに出て来やがったぞ。どうすんだこれ、とにかく宿に帰ろう……」
ちょうど夕刻、大通りは外食を楽しむ家族連れでごった返していた。あちこちから子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
インフィと同じくらいの年頃の男の子たちが数人、道端を駆け回っていた。鬼ごっこでもしているのだろう。そのうちの一人が、雨合羽の中から聞こえる「カラカラ……」という音が気になったらしく、近づいてくる。そして突然、子どもがよくやるスカートめくりのように、雨合羽をめくり上げた(※良い子は真似してはいけません)。
その子たちの目の前には、骨だけの身体が立っており、子供たちは誰ひとり声も出せずにその場で固まってしまった。
「きゃああああっ!」
叫んだのは、近くにいた母親だ。彼女は雨合羽の下からのぞく骸骨を指さし、金切り声を上げた。
騒ぎを聞きつけた通行人たちが一斉に注目し、大通りは一瞬で大混乱となった。間もなく、けたたましい笛の音と共に、警備兵たちが駆けつけてくる。
ヨパラとインフィの顔が真っ青になる。その横で、骸骨は「ケケケ(はい)」と、どこか楽しげに笑っていた。




