↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一部完】カエシヤ 〜神々の預け物〜  作者: 甕星 慶(ミカボシケイ)
第一部「賢き者の剣」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/35

第六話 割符狩り

 帝国の兵は、昼前には町じゅうに散っていた。

 鍛冶組合の広間の窓から、ナオはそれを見ていた。稲妻の槍を持った兵が、二人一組で通りを歩き、家々の戸を叩いていく。魚市場の屋台の下をのぞき、波止場の船倉に降り、子どもの顔を一人ずつ確かめていく。

「探してるのは、烏を連れた子ども」

 サリヤが、窓の反対側から言った。

「町の人は、まだ黙ってる。帝国の兵は嫌われてるから。でも、長くはもたない」


 広間の男たちは、もう言い合いをしていなかった。炉の前に固まって、低い声で何か話している。ときどき、ナオのほうを見る。

 その輪から、一人だけ、するりと抜けていく男がいた。

 顎ひげの、腕の太い鍛冶だった。継ぎ剣を、ただの鉄くずだと言っていた男だ。男は戸口で一度だけ振り返り、ナオと目が合うと、すぐにそらして出ていった。

 炭の少年が、ナオの袖を引いた。

「あいつ、帝国に写しを売ってる。槍の穂先を、こっそり打って」

 少年の声は、震えていた。

「親方たちは知ってて、黙ってる。銭になるから」


 しばらくして、通りの足音が変わった。

 ばらばらに散っていた足音が、一つの方向へ、まとまって流れてくる。広間のほうへ。

 サリヤが、窓から離れた。

「来る」


 ナオは、広間の中を見回した。

 戸口は一つ。窓は狭く、高い。裏は、崖に面した壁だ。

 足音が近づいてくる。

 ナオは、目を閉じた。

 炉の燃える音。男たちの息。外の足音。その下に、もう一つ、ずっと小さな音があった。

 水の音だった。

 床の下を、水が流れている。


 ナオは、膝をついた。

 炉の前の床に、鉄の格子がはめこまれていた。焼いた鉄を冷やす水を、捨てるための穴だ。格子のすきまに手をかざすと、冷たい風が、下から上がってきた。風には、海の匂いが混じっていた。

 水が流れる先は、必ずどこかへ出る。

 港の溝を、何年ものぞいてきた。失くし物は、いつも水の流れる先にあった。そして水の流れる先には、いつも、出口があった。


「この下、海へ出てる」

「どうして分かるの」

「風が、潮の匂いだ」

 サリヤは一瞬だけナオを見て、それから、炉の前の親方に向かって言った。

「格子を外して」

 親方は、動かなかった。

「早く」


 サリヤの声は、大きくなかった。けれど親方は、なぜか、その声に押されるように腰を上げた。炭の少年が、親方より先に格子に飛びついた。二人がかりで、重い鉄の格子が持ち上がった。

 下は、真っ暗な石の溝だった。人がひとり、這ってやっと通れるほどの。

 戸口で、拳が戸を叩いた。

「帝国の兵だ。開けろ」

 炭の少年が、ナオの手に、残りのパンを押しこんだ。

「行け。おれは、何も見てない」

 ナオは、背の包みを胸のほうへ回して抱え、溝へ足から滑りこんだ。サリヤが続いた。烏が、黙って、ナオの背中にしがみついた。

 頭の上で、格子が閉じる音がした。


    ◇


 溝は、長かった。

 冷たい水が、腹の下を流れていく。膝と肘で、石を這った。何度も、天井に頭をぶつけた。後ろで、サリヤが一度だけ小さく声をあげ、それきり黙った。

 途中で一度、頭の上が、細く明るくなった。

 通りの下を抜けているのだった。石の天井に、もう一つ、小さな格子がはまっていた。そのすきまから、灰色の空と、人の足が見えた。

 鉄を打った長靴だった。二足。格子の真上で、止まった。

「烏を連れた餓鬼だ。広間にはいなかった」

「裏の崖だろう。軍団長は、急がなくていいと言ってる。どうせ、この港からは出られん」


 ぱちっ、と音がして、青白い火花が一粒、格子のすきまから落ちてきた。火花はナオの鼻先をかすめ、溝の水に触れて、じゅっと消えた。

 ナオは、息を止めていた。背中の烏も、身じろぎひとつしなかった。嘘をつけない烏も、黙っていることはできるらしかった。

 長靴が、遠ざかっていった。

 どうせ、この港からは出られん、と男は言った。その言葉が、冷たい水よりも、ナオの腹の底を冷やした。

 どれくらい這ったか、分からなくなったころ、前が、ぼんやりと明るくなった。

 出口は、崖の根もとの、岩のすきまだった。目の前に、フィヨルドの群青の水が広がっていた。港は、崖の向こうに隠れて見えない。

 二人は、岩の上に這い出して、しばらく動けなかった。


「……あんた、どうして分かったの」

 サリヤが、濡れた髪をしぼりながら言った。

「水の音と、風の匂い。失くし物を探すとき、いつもそうしてる」

「失くし物」

「返し屋だから」

 サリヤは、何か言いかけて、やめた。帳面を鞄から出し、濡れていないかを確かめた。帳面は、油を引いた革に包まれていて、無事だった。

 サリヤは、その場で、何かを書きつけた。

 濡れた指で書いても、字は乱れていなかった。


「船は開かないの」

「開いたら、光る」

 ナオが言うと、背中の上で、烏がうなずいた。

「開けば、遠くからも見えます。帝国の船からも」

「じゃあ、歩く」


 サリヤは、崖の上の森を見上げた。

「スヴァルンの領は、ここから森の道を南西へ、歩いて五日。軍団の船も、同じところへ向かうはず」

「どうして分かる」

「会の帳を読めば、分かる」

 サリヤは、立ち上がった。


「帝国は、この百年で、預け物を十一も奪ってる。雷の槌も、その一つ。奪った物は返さない。使って、また奪う。次に狙うなら、曇ってて、手の弱い家の剣。スヴァルンは去年の秋に当主が死んで、跡継ぎはまだ若い」

「十一も集めて、何に使うんだ」

「さあ」

 サリヤは、肩をすくめた。

「戦でしょう。人と人の。それとも――」

 言いかけて、サリヤは一度、口をつぐんだ。

「神様が取り立てに降りてきたら、神様の武器で迎え撃つつもりかもね。会の長は、そう読んでる。私は、神なんか来ないと思ってるけど」


    ◇


 森の道は、雪に埋もれかけていた。

 黒い針の木々のあいだを、細い道が縫っていく。ところどころに、木を切り開いた小さな村があった。長い屋根の家が三つ、四つ。煙が上がり、犬が吠える。

 一つ目の村で、井戸の水をもらった。

 水をくれた女の人が、ナオの顔を見て言った。

「南へ行くのかい。なら、ついでにこれを」

 手紙だった。隣の村に嫁いだ娘に宛てたものだという。

「はい」


 ナオの口は、もう答えていた。

 二つ目の村では、干し魚を一束もらった。代わりに、峠の向こうの兄へ、小刀を届けてくれと頼まれた。

「はい」

 三つ目の村では、薬の包みを。四つ目の村では、木彫りの人形を。孫が待っているのだと、老人は涙ぐんだ。

「はい」

 断る、という言葉は、やはり、ナオの口から出てこなかった。

 手紙と、小刀と、薬と、人形。背中の船の包みと、胸の割符のあいだに、荷がどんどん挟まっていく。


 四つ目の村を出たところで、サリヤが立ち止まった。

「それ、全部届けるつもり?」

「頼まれたから」

「峠の向こうの兄って、どこの峠。道の反対側じゃない」

「……少し、回り道をすれば」

「少し、ね」


 サリヤは、ナオの背中の荷を、一つずつ指でさした。声は、低いままだった。

「手紙は隣の村。これはいい。小刀は峠の向こうで、半日。薬は川下の村で、一日。人形は、どこだっけ」

「北の、湖のほとり」

「スヴァルンと逆」

 サリヤは、指を下ろした。


「一年しかないって、烏は言ったんでしょう。九十九、返すんでしょう。あんた、一つ目の剣にたどり着く前に、北じゅうの荷物を配り終える気?」

 ナオは、何か言おうとした。

 口が開いた。

 けれど、出てきそうになった言葉は、「はい」だった。叱られても、はいと言いそうになる。ナオは、口を閉じた。

 それきり、何も言えなかった。

 サリヤは、ため息もつかなかった。黙って、ナオの背中から人形を取り、自分の鞄に入れた。


「これは、私が、北の会の者に頼んで送る。ほかは、道の上にあるのだけ。いい?」

「……うん」

 ナオは、うなずいた。

 それも、頼まれたから、うなずいたのだと、自分で分かった。


    ◇


 森の道に入って、五日目の夕暮れだった。

 森が深くなった。木々のあいだが、昼でも暗い。道の雪の上に、二人の足音だけが続いていく。

 烏が、ナオの背中で、ふいに首をもたげた。

「還し手殿」


 声が、いつもより低かった。

 ナオは、足を止めた。

 道の右の、木々の奥。

 暗がりの中に、何かがいた。

 目だった。


 二つ。四つ。六つ。低い位置に、並んでいる。獣の目なら、夕暮れの光を拾って、緑や金に光るはずだった。

 その目は、光らなかった。

 暗がりよりも、さらに暗かった。まわりの薄明かりを、目のほうが吸いこんでいるようだった。

 サリヤが、ナオの外套の袖を、強くつかんだ。


「影の狼」

 帳面を書くときと、同じ声だった。

 けれど、ナオの袖をつかんだ指は、白くなるほど力がこもっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。