第六話 割符狩り
帝国の兵は、昼前には町じゅうに散っていた。
鍛冶組合の広間の窓から、ナオはそれを見ていた。稲妻の槍を持った兵が、二人一組で通りを歩き、家々の戸を叩いていく。魚市場の屋台の下をのぞき、波止場の船倉に降り、子どもの顔を一人ずつ確かめていく。
「探してるのは、烏を連れた子ども」
サリヤが、窓の反対側から言った。
「町の人は、まだ黙ってる。帝国の兵は嫌われてるから。でも、長くはもたない」
広間の男たちは、もう言い合いをしていなかった。炉の前に固まって、低い声で何か話している。ときどき、ナオのほうを見る。
その輪から、一人だけ、するりと抜けていく男がいた。
顎ひげの、腕の太い鍛冶だった。継ぎ剣を、ただの鉄くずだと言っていた男だ。男は戸口で一度だけ振り返り、ナオと目が合うと、すぐにそらして出ていった。
炭の少年が、ナオの袖を引いた。
「あいつ、帝国に写しを売ってる。槍の穂先を、こっそり打って」
少年の声は、震えていた。
「親方たちは知ってて、黙ってる。銭になるから」
しばらくして、通りの足音が変わった。
ばらばらに散っていた足音が、一つの方向へ、まとまって流れてくる。広間のほうへ。
サリヤが、窓から離れた。
「来る」
ナオは、広間の中を見回した。
戸口は一つ。窓は狭く、高い。裏は、崖に面した壁だ。
足音が近づいてくる。
ナオは、目を閉じた。
炉の燃える音。男たちの息。外の足音。その下に、もう一つ、ずっと小さな音があった。
水の音だった。
床の下を、水が流れている。
ナオは、膝をついた。
炉の前の床に、鉄の格子がはめこまれていた。焼いた鉄を冷やす水を、捨てるための穴だ。格子のすきまに手をかざすと、冷たい風が、下から上がってきた。風には、海の匂いが混じっていた。
水が流れる先は、必ずどこかへ出る。
港の溝を、何年ものぞいてきた。失くし物は、いつも水の流れる先にあった。そして水の流れる先には、いつも、出口があった。
「この下、海へ出てる」
「どうして分かるの」
「風が、潮の匂いだ」
サリヤは一瞬だけナオを見て、それから、炉の前の親方に向かって言った。
「格子を外して」
親方は、動かなかった。
「早く」
サリヤの声は、大きくなかった。けれど親方は、なぜか、その声に押されるように腰を上げた。炭の少年が、親方より先に格子に飛びついた。二人がかりで、重い鉄の格子が持ち上がった。
下は、真っ暗な石の溝だった。人がひとり、這ってやっと通れるほどの。
戸口で、拳が戸を叩いた。
「帝国の兵だ。開けろ」
炭の少年が、ナオの手に、残りのパンを押しこんだ。
「行け。おれは、何も見てない」
ナオは、背の包みを胸のほうへ回して抱え、溝へ足から滑りこんだ。サリヤが続いた。烏が、黙って、ナオの背中にしがみついた。
頭の上で、格子が閉じる音がした。
◇
溝は、長かった。
冷たい水が、腹の下を流れていく。膝と肘で、石を這った。何度も、天井に頭をぶつけた。後ろで、サリヤが一度だけ小さく声をあげ、それきり黙った。
途中で一度、頭の上が、細く明るくなった。
通りの下を抜けているのだった。石の天井に、もう一つ、小さな格子がはまっていた。そのすきまから、灰色の空と、人の足が見えた。
鉄を打った長靴だった。二足。格子の真上で、止まった。
「烏を連れた餓鬼だ。広間にはいなかった」
「裏の崖だろう。軍団長は、急がなくていいと言ってる。どうせ、この港からは出られん」
ぱちっ、と音がして、青白い火花が一粒、格子のすきまから落ちてきた。火花はナオの鼻先をかすめ、溝の水に触れて、じゅっと消えた。
ナオは、息を止めていた。背中の烏も、身じろぎひとつしなかった。嘘をつけない烏も、黙っていることはできるらしかった。
長靴が、遠ざかっていった。
どうせ、この港からは出られん、と男は言った。その言葉が、冷たい水よりも、ナオの腹の底を冷やした。
どれくらい這ったか、分からなくなったころ、前が、ぼんやりと明るくなった。
出口は、崖の根もとの、岩のすきまだった。目の前に、フィヨルドの群青の水が広がっていた。港は、崖の向こうに隠れて見えない。
二人は、岩の上に這い出して、しばらく動けなかった。
「……あんた、どうして分かったの」
サリヤが、濡れた髪をしぼりながら言った。
「水の音と、風の匂い。失くし物を探すとき、いつもそうしてる」
「失くし物」
「返し屋だから」
サリヤは、何か言いかけて、やめた。帳面を鞄から出し、濡れていないかを確かめた。帳面は、油を引いた革に包まれていて、無事だった。
サリヤは、その場で、何かを書きつけた。
濡れた指で書いても、字は乱れていなかった。
「船は開かないの」
「開いたら、光る」
ナオが言うと、背中の上で、烏がうなずいた。
「開けば、遠くからも見えます。帝国の船からも」
「じゃあ、歩く」
サリヤは、崖の上の森を見上げた。
「スヴァルンの領は、ここから森の道を南西へ、歩いて五日。軍団の船も、同じところへ向かうはず」
「どうして分かる」
「会の帳を読めば、分かる」
サリヤは、立ち上がった。
「帝国は、この百年で、預け物を十一も奪ってる。雷の槌も、その一つ。奪った物は返さない。使って、また奪う。次に狙うなら、曇ってて、手の弱い家の剣。スヴァルンは去年の秋に当主が死んで、跡継ぎはまだ若い」
「十一も集めて、何に使うんだ」
「さあ」
サリヤは、肩をすくめた。
「戦でしょう。人と人の。それとも――」
言いかけて、サリヤは一度、口をつぐんだ。
「神様が取り立てに降りてきたら、神様の武器で迎え撃つつもりかもね。会の長は、そう読んでる。私は、神なんか来ないと思ってるけど」
◇
森の道は、雪に埋もれかけていた。
黒い針の木々のあいだを、細い道が縫っていく。ところどころに、木を切り開いた小さな村があった。長い屋根の家が三つ、四つ。煙が上がり、犬が吠える。
一つ目の村で、井戸の水をもらった。
水をくれた女の人が、ナオの顔を見て言った。
「南へ行くのかい。なら、ついでにこれを」
手紙だった。隣の村に嫁いだ娘に宛てたものだという。
「はい」
ナオの口は、もう答えていた。
二つ目の村では、干し魚を一束もらった。代わりに、峠の向こうの兄へ、小刀を届けてくれと頼まれた。
「はい」
三つ目の村では、薬の包みを。四つ目の村では、木彫りの人形を。孫が待っているのだと、老人は涙ぐんだ。
「はい」
断る、という言葉は、やはり、ナオの口から出てこなかった。
手紙と、小刀と、薬と、人形。背中の船の包みと、胸の割符のあいだに、荷がどんどん挟まっていく。
四つ目の村を出たところで、サリヤが立ち止まった。
「それ、全部届けるつもり?」
「頼まれたから」
「峠の向こうの兄って、どこの峠。道の反対側じゃない」
「……少し、回り道をすれば」
「少し、ね」
サリヤは、ナオの背中の荷を、一つずつ指でさした。声は、低いままだった。
「手紙は隣の村。これはいい。小刀は峠の向こうで、半日。薬は川下の村で、一日。人形は、どこだっけ」
「北の、湖のほとり」
「スヴァルンと逆」
サリヤは、指を下ろした。
「一年しかないって、烏は言ったんでしょう。九十九、返すんでしょう。あんた、一つ目の剣にたどり着く前に、北じゅうの荷物を配り終える気?」
ナオは、何か言おうとした。
口が開いた。
けれど、出てきそうになった言葉は、「はい」だった。叱られても、はいと言いそうになる。ナオは、口を閉じた。
それきり、何も言えなかった。
サリヤは、ため息もつかなかった。黙って、ナオの背中から人形を取り、自分の鞄に入れた。
「これは、私が、北の会の者に頼んで送る。ほかは、道の上にあるのだけ。いい?」
「……うん」
ナオは、うなずいた。
それも、頼まれたから、うなずいたのだと、自分で分かった。
◇
森の道に入って、五日目の夕暮れだった。
森が深くなった。木々のあいだが、昼でも暗い。道の雪の上に、二人の足音だけが続いていく。
烏が、ナオの背中で、ふいに首をもたげた。
「還し手殿」
声が、いつもより低かった。
ナオは、足を止めた。
道の右の、木々の奥。
暗がりの中に、何かがいた。
目だった。
二つ。四つ。六つ。低い位置に、並んでいる。獣の目なら、夕暮れの光を拾って、緑や金に光るはずだった。
その目は、光らなかった。
暗がりよりも、さらに暗かった。まわりの薄明かりを、目のほうが吸いこんでいるようだった。
サリヤが、ナオの外套の袖を、強くつかんだ。
「影の狼」
帳面を書くときと、同じ声だった。
けれど、ナオの袖をつかんだ指は、白くなるほど力がこもっていた。




