↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一部完】カエシヤ 〜神々の預け物〜  作者: 甕星 慶(ミカボシケイ)
第一部「賢き者の剣」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/35

第十話 写し

 五日目の朝、ナオは武具小屋で、剣に油を引いていた。

 家の兵たちの剣だった。十本あまり、壁の架に並んでいる。どれも、広間の賢き者の剣と同じ形をしていた。幅の広い刃。北の組紐を刻んだ柄。

 写しだ。

 ナオは布に油を含ませ、刃を一本ずつ拭っていった。頼まれた仕事だった。年寄りの兵が、腰が痛いと言うので、代わったのだ。

 拭いながら、ナオは、刃の光を見ていた。

 光は、あった。けれど、帝国の稲妻の槍とは比べものにならなかった。油を引いた刃の奥で、蝋燭(ろうそく)の燃えさしのような光が、かすかに揺れている。中には、ほとんど光っていないものもあった。


「暗いだろう」

 戸口で、年寄りの兵が言った。腰をさすっている。

「俺が若いころは、こいつら、夜道で松明の代わりになった。旦那さまのお父上のころまでは、まだましだった。旦那さまが亡くなって、若様が剣を継いでから、一日ごとに暗くなっていく」

「一日ごとに」

「ああ。昨日より今日、今日より明日だ。春の集いまでに、ただの鉄の棒になるかもしれねえ」

 兵は、架の剣を一本取って、光にかざした。

「写しってのは、本物から光を分けてもらうんだそうだ。本物が暗けりゃ、写しも暗い。広間のあれが、あのざまじゃな」

 兵は剣を架に戻し、黙った。言いすぎたと思ったのかもしれなかった。


 架のいちばん端に、一本だけ、ほかと違う剣が立てかけてあった。

 ヴァルテの剣だった。

 柄の革は黒ずみ、刃の背には、無数の細かな研ぎ跡が、雨の筋のように並んでいる。ほかの剣より、ひと回り細かった。研ぎ減ったのだと、ナオには分かった。

 その刃の光は、ほかの写しのように揺れていなかった。

 小さいけれど、ぶれない光だった。最初の夜、狼を押し返した光と同じだった。

 ナオが手を伸ばしかけたとき、後ろから声がした。

「そいつは、俺がやる」

 ヴァルテだった。


 ヴァルテは、左の腕を吊ったまま、右手で自分の剣を取った。

 腕の白さは、肘を越えて、二の腕のほうへ広がっていた。袖から見える指先が、蝋のように色を失っている。それでもヴァルテは、何でもないような顔をしていた。

「ほかのは暗くなるのに、それだけ、暗くならないんですね」

「なるさ。遅いだけだ」

 ヴァルテは、腰掛けに座り、膝の上に剣を横たえた。右手で、刃の背を、ゆっくりと撫でた。

「こいつは、二百年、うちの家が手入れしてきた」

「うちの……ヴァルテさんの家ですか」

「ああ。俺の親父も、その親父も、狩り頭だった。スヴァルンの家に仕えて、この写しを腰に下げて、狼を追った。毎晩研いで、毎晩油を引いた。二百年、一晩も欠かさずにな」


 ヴァルテは、刃の研ぎ跡を、指で一本ずつなぞった。

「研ぎ跡の一本一本が、誰かの晩だ。どれが誰のだか、もう分からねえがな」

 ナオは、その指を見ていた。

 包丁の柄の窪み。人差し指の腹が触れるところだけ、飴色に光っていた木。毎晩、同じ手が同じように握ったところだけが、ああなる。

「広間の剣も、家の人が手入れしてきたんですよね」

「若様の剣か」

 ヴァルテは、ナオのほうを見なかった。

「あれは、手入れはされてきた。飾り物としてな。架に掛けて、年に一度、油を引く。狩りには使わねえ。抜くのは、集いと、弔いのときだけだった」


 ヴァルテは、それ以上は言わなかった。

 代わりに、懐から砥石を出した。

「おい。押さえててくれ。片手じゃ、刃が逃げる。頼む」

「はい」


 ナオは、ヴァルテの前にしゃがみ、剣の柄を両手で握った。

 指が、勝手に収まった。

 柄の革の下に、浅い窪みがあった。親指の当たるところ。人差し指の腹が触れるところ。けれど、包丁のときとは違った。

 窪みは一つではなかった。少しずつずれて、いくつも重なっていた。大きな手の窪み。細い指の窪み。その上に、また別の手の窪み。

 何人もの手が、同じ柄を、少しずつ違う握り方で、何十年も握ってきたのだ。

 しゃっ、と、ヴァルテが刃を研いだ。柄を通して、ナオの手のひらに、その震えが伝わってきた。


「いい手だな、返し屋」

 ヴァルテが、研ぎながら言った。

「余計な力が入ってねえ。物に、握らせてもらってる手だ」

 ナオは、何と答えていいのか分からなかった。

 ただ、柄を握る手を、少しだけ緩めた。

 ナオは気づいた。ヴァルテは、あの剣を、一度も「家宝」と呼ばなかった。若様の剣。広間のあれ。いつも、そう呼んでいた。


    ◇


 その夜、ナオは、広間の炉へ薪を運んでいた。

 これも、頼まれた仕事だった。厨の女が、火の番の兵が風邪をひいたから代わりにと言ったのだ。

 炉のそばに、エイヴァルが座っていた。

 剣を振っていると思っていた。けれど、その夜のエイヴァルは、膝の上に小さな木切れを乗せて、刃の短い小刀を動かしていた。

 木を、彫っていた。


 ナオは、薪を下ろしながら、横目で見た。

 手のひらほどの白い木に、細い溝が刻まれていく。溝と溝が、交わり、くぐり、また交わる。組紐の模様だった。

 広間の剣の架に彫られているのと同じ、北の組紐。けれど、エイヴァルの手で彫られていく模様は、架のものより細かく、どこまでも途切れなかった。

 小刀の先が、迷わなかった。

 剣を振るときの、重さに体を持っていかれる手とは、まるで別の手だった。


「何を見てる」

 エイヴァルが、顔を上げずに言った。

「……すみません」

「謝れとは言ってない」


 エイヴァルは、小刀を止めなかった。

 ナオは、薪を一本ずつ、炉の脇に積んでいった。しばらく、木を削る小さな音と、炉の火のはぜる音だけがした。

 やがて、エイヴァルが言った。

「あの剣は、賢き者の手でなら、自分で戦うんだそうだ」

 ナオは、手を止めた。


「子どものころから、そう聞かされてきた。この家の当主は、代々、賢き者だから剣に選ばれる。だから、この家は北で一目置かれてきた」

 小刀が、木の上で止まった。

「親父は、選ばれなかった。俺も、選ばれない」

 エイヴァルは、炉の火を見ていた。

「賢き者って、何だ」

 問いだった。けれど、ナオに訊いたのではなかった。炉の火に、架の剣に、あるいは死んだ父に、投げた言葉だった。

 ナオは、黙っていた。

 話を、最後まで聞くつもりだった。けれど、エイヴァルは、それ以上、口を開かなかった。小刀を握ったまま、じっと炉を見ていた。


 ナオは、口を開いた。

 誰にも、頼まれていなかった。答えてくれと、エイヴァルは言わなかった。それでも、言葉が、喉もとまで上がってきていた。

 ヴァルテの研ぎ跡。包丁の柄の窪み。千年も手もとに置いてりゃ、誰だって自分の物だと思う、と言った祖母の声。

「……借り物だと知ってる手、かもしれない」

 エイヴァルの肩が、動いた。

「自分の物じゃないって、分かって持ってる手。そういう手のことを、剣は、賢いって……」

 小刀が、木に突き立った。

 木切れを貫いて、膝の上の革の前掛けにまで、刃が届いていた。エイヴァルは、それを抜こうともしなかった。


「黙れ」

 低い声だった。

「お前に、何が分かる」

 エイヴァルが、立ち上がった。木切れが、膝から落ちて、炉の灰の上に転がった。


「この剣のせいで、親父は死んだ。この剣のせいで、俺は笑われる。それでもこれは、この家の物だ。親父の物で、俺の物だ。それを、借り物だと?」

「……すみません」

「出ていけ」

 声が、短く、強くなっていた。

「広間から出ていけ。今すぐだ」


 ナオは、広間を出た。

 戸を閉める前に、一度だけ振り返った。エイヴァルは、炉の灰の上から、木切れを拾い上げていた。小刀の刺さった穴を、親指で撫でていた。

 組紐の模様は、そこで途切れていた。

 ナオは、戸を閉めた。

 頼まれていないことを、言った。言ってから、言わなければよかったと思った。それでも、言ったことは、取り消せなかった。

 胸の割符が、ぬくかった。


    ◇


 廊下の奥に、明かりがあった。

 広間の、もう一つの出入り口の脇。屋根を支える太い柱の前に、サリヤが立っていた。小さな油の灯を、柱に近づけている。

 柱の木肌には、古い文字が刻まれていた。煤と年月で黒ずんで、ほとんど木目と見分けがつかない。

 サリヤは、その文字を、指で一つずつなぞっていた。もう片方の手で、帳面に書き写している。

 筆が、ときどき止まった。

 止まって、また、指が文字をなぞる。


「何してるんだ」

 サリヤは、振り向かなかった。

「読んでる」

 灯の明かりの中で、サリヤの指が、柱のいちばん古い刻みの上で、止まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。