第八話 蛍
三ノ宮は懐に穂刈から受け取った呪符を忍ばせたまま、乙桐と横並びに簀子に座していた。
庭には晩夏の草花が忙しなく咲き誇り、昼と夜の境を彩っている。
都の暑気から逃れた露草がまだ瑞々しさを含み雫をたたえて、簀の足元には若紫色の河原撫子が優しく首を上げて咲いている。
七宝池を模した丸池は、宮がこだわった作りであった。
このように極楽の心地の中、隣にいる乙桐が幽鬼であるとは到底思えない。
その紅い瞳すら、慣れてしまえばこうして愛しく思えてくる。
宮は当初の目論見が想定とは違う向きに動いたことに不思議な心持ちでいた。
亜子姫の屍をただ取り戻したいと思っていたのに、寄り添う乙桐の心に、惹かれてしまったのである。
乙桐が瓶子を両手で持ち、空になった宮の杯に注ごうと体ごとこちらに向けた。
考え込む宮の顔を訝しむように尋ねる。
「なにをお考えておいでで……?」
「――私は一体、誰を愛しく思うているのだろう」
手元では杯に酒がトプ、トプ、と満たされる。
その水の踊る音が、迷い子のような心をそのまま表しているようだ。
「誰でも構いませぬ、けれど――」
注ぎ終えた瓶子を両手でぐっと握り込めながら、乙桐が床に目を逸らし呟く、
「亜子姫が羨ましい。
あなた様にこんなにも想われていたのですね」
悋気を帯びた虚ろな目に、宮は息が苦しくなり左腕を伸ばし乙桐の体を引き寄せる。
「そなたの優しい心根も、私には同じく愛しいのだよ」
「けれど、真実のわたくしは亜子姫のように美しい女子ではございません。
あなたはこの体だからわたくしを想うてくださるのですわ」
「そなたと出会い気づいたのだ。
体など、妄執を繋ぎとめる桎梏でしかないのだと。
そなたの心こそ、愛しいと思うのだよ」
「――ますます、亜子姫が恨めしい」
「私は、そなたを幽鬼にした男の影が憎くてたまらないよ。
すでに死していたとしても煉獄までも追って、
その罪を問うてやりたい」
「宮さま」
そう呼ばれるのを合図したように、宮は乙桐を引き寄せ、己を呼ぶ淡い二片に口づける。
そっと食むように軽い口づけを霞のように重ねていく。
さきほどまでしきりに鳴いていた邯鄲が、しめし合わせたように鳴き止む。
二人は無音の世界で、ただ頤を寄せ、刻を感じていた。
「宮さま、その懐に忍ばせているモノの気配を感じまする。
どうかその呪物を肌身離さずにいてください。
この身が、あなた様を傷つける前に、どうか冥府へ送ってくだされませ」
その時、池の周りをふいに現れた蛍が照り出し、庭を飾り立てていく。
俄に瞬きだした庭の様子を、二人は恍惚と眺めていた。
「蛍は番を探し光るのだそうだよ。
わたしもそなたとこのまま儚い命を終えられたらよいのに」
「――蛍になるのは、わたくしだけでございます。
この屍を失っても、あなた様のもとに留まれれば良いのに」
三ノ宮はその言葉に頷くことも否を告げることもできず、ただ蛍を見つめる乙桐の横顔を見つめるしか出来ないでいた。




