第七話 呪符
鳥の囀りに起こされるように微睡みから覚めると、見計らうように女房が細い声で来訪者を告げる。
「宮さま、何やら法師陰陽師なるものが来ております。
いかがいたしましょう。」
予想通り蘆屋穂刈がこの場所を調べ上げ、尋ねてきたのだろう。
しかし、一人で訪ねてくるとはやはり気の利く男のようだ。
三ノ宮は腕の中に抱いていた乙桐の頭を動かさないように、そっと腕をどけると衣を片手で丸め床との間に置いてやる。
乙桐は未だ深い微睡みに浸っているようである。
その面持ちに安堵し、音を立てぬようにそっと来訪者の元へ向かう。
***
「宮さま、何が起きたか聞くような野暮はいたしませぬ」
穂刈は相変わらず簡素な身なりを瀟洒に着込み、それに似つかわしくない鋭い眼差しで、宮の胸奥深くを覗くように見やる。
すべて見透かされたと悟った宮は、もはや開き直り、
「話してみればあの鬼は実に心根の善い者であったのだ。
できれば……あの姿のままこの世に留め置くことは出来ぬか」
そう、尋ねる。
「宮さま、いくらわたしのような流浪の法師陰陽師風情でも、
そのような人道に反することは致しかねまする。
それに今は人の成りを保っていても、幽鬼が他の屍に入れば
自ずと均衡が崩れ、意志を保てず悪鬼と化すのが定め。
そうなれば陰陽師に成敗され苦しみもがき消えるのみでござります。
ならばその前にあなた様の手で冥府への引導を渡し、
荼毘に伏してやるほうがよろしいかと」
鬼道の理を知り、そのような運命にあるあの乙桐が一層恋しく可哀そうに思えてならない。宮は致し方ないとは思いつつも伏し目がちに、再び心を通わせた人を失う悲しみを味わねばならぬ己の運命を嘆いていた。
「生きる者も死する者も、万物はやがて冥土へ向かわねばなりませぬ。
あの鬼は、宮さまに温かな気持ちで送られるのです。
なんと幸せなことでありましょうか」
「……一体どれほどの時が残されているのだ」
「今日か明日が限度でしょう。臨界に達すれば、
悪鬼と成り襲われまするぞ」
「取って啖われてしまうとでも?」
「まさしく、左様にござります」
まさかあの乙桐がそのような所業をするというのか。
にわかに戸惑っていると、穂刈は宮のその苦悩する姿を予見していたかのように懐から呪符をすっと取り出した。三寸ほどの細長い紙に梵字が所狭しと描かれており、一見しただけでも禍々しい陰気を放っている。
「ふむ。このように呪符をお渡しする流れも、
二度目でござりますなぁ。
しかし此度は宮さまもご安心できる代物でございますよ」
「これは、一体?」
「悪鬼だけを寄せ付けぬ代物です。
つまり『人獣を啖うものだけを除ける術』を込めました」
「そなた、かようなものまで作っておるのか」
「宮さまのように鬼道に迷い込むお方は珍しくはありますが、
しかしこの世に一人きりというわけではございませぬ。
かような代物はそのようなお方に、実に高値で買われるのですよ。
この穂刈、珍しき呪物を作るのには、ちと自信がござりますれば」
ふっ、と腹の底から零れた微笑を隠す様子もなく、実に生き生きと嗤う。
宮は不快に思いつつも、「いくらだ。言い値で買おう」そのように申し出た。
「いえいえ、高貴な親王さまから対価をいただこうとは思いませぬ。
この数日を安らかにお過ごしいただきたい一心でございます。
しかしながら――その代わりに今後も御贔屓にしていただけますれば
光栄でございます」
にやりと嗤う姿は、さながら生きる鬼のようである。
対価を払わぬ代物ほど、縁を縛り付けるものなどこの世に無いだろう。
高貴な育ちであってもそれくらいは心得ている。
しかしかの女人を思い浮かべれば、そのくらいの対価は払わねばならないと、そう思えてくる。
「わかった」
「何分、弟子も養っている身なれば大変ありがたきお言葉。
末永う、お頼み申しまする。」
このような怪しき者に弟子入りするとは、その者はよほど困った事情でもあるのだろうか。
今にして思えば、簡素な身なりをしていることも、こちらを油断させるための仕掛けであり、すべては穂刈の計略なのだろう。
そのように俗事の末端を垣間見、なにやら姿も知らぬその弟子の姿を思い浮かべ同情心すら湧いてくるのであった。
夢見で亜子姫からの告げがあったとするのも、もしや冥府でなんらかの呪術を用いたのでは無いかとすら思われる。
「しかし、万が一にも呪符が効かず、俄に悪鬼となったならばどうすればよいのだ」
「首根を切れば、それで終わりです」
穂刈は右手を刀に見立て、首のあたりで横に大きく一文字を書く。
あまりにも無感情に、あっさりと告げられたその言葉に三ノ宮は思わず、
「惨いことを……」そのように言葉が口から出てしまうのであった。




