Ⅷ〜今日はぶっ倒れるまで走るわよ〜
「明日は体育祭前日だから体を休めないとだし——今日はぶっ倒れるまでやるわよ! 山本くんもね!」
体育祭前々日の終礼後、風来委員長が前触れもなく言った。毎日放課後にもリレーの練習をしていた彼女なのだが、俺が同行するのはあくまで朝だけであった。彼女のハードスケジュールに巻き込まれず、安堵していたが、本番近くとなるとそうも言ってられないらしい。
しぶしぶ了承し、二人で教室を出ようというところで——
「私も一緒していいかしら? 正直、昨日のリレーでも足を引っ張ってしまった自負があるもので」
近づきそう言ったのはセミリアだった。彼女は小柄なのだ。技術でカバーできることなのだろうが、基本的に身長が低い人はそこまで足が速くない。
彼女が昔やっていた稽古にもおそらく走り込みはなかっただろうし、そもそもフィジカルを鍛えるようなことをしていたとは考えづらい。
委員長、おおらかな笑み。
「もちろんいいわよ! 一緒に倒れるまで走ろう!」
「流石にそこまではしないわ……」
彼女は基本的に穏やかだが、少々熱血な部分が見られる。松前先生に感化されたのかは知らないが、俺もたまに引くことがある。それは俺がそこまで熱いタイプじゃないというだけなのだが——。
ともかく。
俺たちはいつもランニングしている森林公園にやってきた。
到着してから、まずは柔軟体操を軽く済ませた。すると、風来はまるで先を見越していたかのように3人分の縄跳びを取り出す。
「背筋を伸ばして、まっすぐ跳ぶことを意識してね。しっかりとした姿勢で走れば、結果も出るよ!」
「……私、これを初めて見るのだけれど」
縄を持つと小首を傾げ、助けを求めるような目で俺を見てくる。
「それはなわとびっていうんだ。両方の持ち手を握って、縄を回すんだ。ほら、こんな感じで」
見せるのがわかりやすいだろう、俺は数回前跳びをして見せる。
「へえ、面白そうじゃない」
「ひとまず百回! フォームを崩さずに跳んでみよう!」
「え………………」
セミリアはわかりやすく絶望した。
百回くらいならまあ、できないこともないだろうが、彼女は確かに今、ひとまずと言った。こんなのは序の口でしかないということだろう。
ぶっ倒れるまでやる——マジで言ってたっぽい。
うわー。
いやだー。
すでに公園へ差し込む光は赤い夕の色へと変わっていた。できれば早く暗くなってほしい——と、俺は祈るばかりだった。セミリアもそうだったと思う。
時々ランニングしている俺ならまだしも、セミリアは速攻でダウンした。
ベンチで休む彼女のもとに、俺はスポーツドリンクを買ってくる。薄暗くなってきたが、委員長はまだ練習をやめる気はないようだった。倒れるほどの覚悟でやっている以上、俺たちが先に帰るわけにもいかなかった。
俺はセミリアの横に座る。
「すごい体力……と気力だよなぁ、あいつ。昨日の活躍で、もっと頑張らないと、とか思っちゃってるんかな」
なんとなしに俺は言った。
「そうなのかもしれないわね——」
セミリアは答える。肩で息をしながら、天を仰いだ。
「あまりいい状態とは、言えないわね。いい状態じゃない——というより、安全な状態じゃないと言った方が正しいかしら」
「安全な状態じゃない? どういう意味だ?」
「簡単なことよ。無理は禁物、それだけ。自分の限界を超えた努力をしたり、勝手に責任を背負い込んでしまうのは危険なのよ。昔の私もそんな状態に陥ったことがあって——」
想像以上にセミリアが深刻そうに語る。もしかしたら、前々からそんなことを思っていたのかもしれない。
「疲労発熱——まあ、心配しすぎなのかもしれないけれど」
「そ、そうだろ。委員長のことだし。それに、単純な疲労から熱が出ることって、珍しいって聞いたことがあるぞ?」
俺はそう言ってついつい茶化してしまう。
「まあ、あまりないわ。でも、過労や睡眠不足が続くと自律神経が乱れて発熱を起こしてしまう場合もあるし、疲労により免疫力が低下し感染症にかかりやすくなったりもするわ」
「……………………」
そう言われてみると、心配だった。朝はほとんど机に突っ伏している彼女である。とても十分な睡眠が摂れているとは思えない。ちょうど彼女は走り込みをしていて、体幹もしっかり保てているが、翌日いきなり体調を崩してしまう恐れもあるわけで。
俺はベンチから立ち上がる。
「おい! そろそろ終わりにして帰るぞ!!」
叫ぶようにしてそう言うと、風来はそこで足を止め、ゆっくりとこちらに歩いてきた。生まれたての子鹿のような足取りで、今にも倒れそうだった。
ベンチのもとにやってきた彼女は俺に体を預けた——倒れ込んだのである。
「……無理、疲れた……」
弱々しい声でそう言う委員長の姿を見て、心配ながらも体調に支障はなさそうだった。仕方がないので、俺は風来を背中におんぶして、家の方まで送ってやることにした。風来の家の最寄駅は、俺たちの城の最寄駅を少し過ぎた先の駅だったので、セミリアには先に帰ってもらった。
暗くなった住宅街を歩いていく。
胸の感触——ではなく、体育祭に備えてしっかりと鍛えた彼女の体は、それでもそこまで重くはなかった。強い力を持っていてもこんなに小さい器なのだ。
「今日はゆっくり寝て、明日のランニングはなしにしろよ。もう体がもたないだろ」
「……そうするつもりだわ。流石に今日は気合を入れすぎた。でも、これできっと私たちが一位ね。どれだけ差が開いていたとしても、私が全員追い抜かすわ」
「ああ、勝てるといいな」
「いや、絶対勝つのよ……」
「そうかよ」
肩をすくめて、俺は小さく笑った。
翌日、風来委員長は体調不良により欠席した。




