壱拾参幕〜人の家庭環境の話は苦手だ〜
あー、めちゃくちゃ勧誘された……。何もかもが嫌になって、山田を置いて一人逃げてきてしまった。
体育館に入り、ボールの跳ねる音が聞こえてきた途端に、胸を締め付けられるような感覚がしたのはなぜだろう……別に、部活にトラウマがあったわけではないのだが。
となると心当たりが見当たらない。
「相当メンタルにきてたのかなぁ……どうせ中学生だったんだし、部活なんてサボればよかったものを、真面目に取り組んじゃったわけだからな……」
中庭のベンチに腰掛け、もうかれこれ数十分はぼんやりと空を眺めていたわけだ。
するとそこに、見覚えのある影が二つ。
「あれ、山本くん? こんなところで何してるの? 山田くんは?」
梨本とセミリアだった。バッグを肩にかけ、並び歩いている。もう帰宅するようであった。
俺は立ち上がり、体を伸ばす。
「やっぱり部活なんて面倒だし、山田はバスケ部に置いてきた」
「あっそう。じゃ、一緒に帰ろ」
梨本は山田の扱いが雑だ――まあ、女子からしっかりとした扱いを受けるようなタイプじゃないからな山田は。
「そうだな。というか早いな、部活はもう決まったのか?」
尋ねると、セミリアは少し疲れていそうなため息をついた。
「私は入らなくていいわ。スポーツに対して、そこまでの情熱を持てる気がしなくて……」
「まあ、だよな。そんなもんでいいと思うぞ」
同感だったので、ついつい上機嫌に返してしまう。そんな俺に、梨本は呆れるような目をした。
うむ、仕方があるまい。実際、俺は学生としてかなり情けない部類だ。
「私は明日も見学行こうかなって思う。セミリアちゃんを連れ回すわけにもいかないから、今日は帰ろうと思ってさ」
入りたい部活がいっぱいあって困っちゃうなあ――と梨本は、目をきらめかせながら空を見上げる。
「いいよなぁ、やる気があるって」
俺は肩をすくめてつぶやいた。
梨本とは、学校の最寄駅にて別れる。
俺とセミリアは電車で数駅移動し、城までの道のりを歩いていた。
赤い夕日が、街全体を照らしていた。何気ない風景も、夕日が合わさればどこかドラマチックだ。
「……気持ちはわかるんだが、やっぱり部活には入らないのか? 運動関連じゃなくても、色々あるっぽいぞ」
何気なく、俺は言った。すると、セミリアは眉をひそめて、目線をそっと逸らした。
「それは――やっぱり」
少し言葉を溜めつつ、セミリアは微笑む。
「あなたや梨本さんと一緒に帰って、お話ししたり寄り道したりする時間を大切にしたいのよね」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん……」
寄り道は、多分昨日梨本としたんだろう。そのままご飯を城で食べていったと思えばしっくりくる。
「それに……私は……」
「それに?」
「いや、なんでもないわ」
「あ、そう」
なんでもないわけないだろ――と内心思ったが、追及することはできなかった。予感でしかないものの、セミリアの家庭環境に踏み込むような話になってしまう気がした。
人の家庭環境の話は苦手だ。俺がどうアドバイスをしたところで、蚊帳の外である立場からじゃ解決できないことがほとんどだからだ。
それが金持ちなら尚更である。
自分なんて、結局はちっぽけな存在で、思い上がると痛い目を見る羽目になる。
* * *
「入りますよ、お嬢様」
ドアの開く音が静かに響く。
お嬢は、来日してからというもの、自室で物憂げな表情を浮かべていることが多い。今日も例に漏れず、窓に映る黒い自分を眺めていた。
「明日も学校ですよ。もう床へついた方がいいかと」
「そのつもりよ。少し、考え事をしていたから――」
窓から離れると、お嬢は部屋の洗面所へと歩いて行った。
「シャワーを浴び忘れていたわ」
「背中、お流ししますよ」
「ええ。お願いするわ」
メイドは少し部屋を整理して、浴槽へと入る。
彫刻のような正しさを持つ肉体が、そこにはあった。背中を向け、座っていた。
シャンプーを取り、お嬢様の頭をワシワシと洗う。
「何を考えていらっしゃったんですか?」
メイドは尋ねた。主のメンタルケアも、彼女の仕事だった。
「……どうすれば、あそこへ帰らなくて済むのか、考えていたわ」
小さな声だが、浴槽の中にはよく響く。
「まだ登校して三日だし、確信があるわけじゃないのだけれど、あの高校は私にとってかけがえのない場所になるような気がしたから」
「そうなのですね。学校が楽しいなら、それ以上のことはありません」
やっとの思いで逃げ出した先なのだ。
メイドは頭をシャワーで洗い流し、ボディタオルにソープを垂らし泡立てる。
「この前に話してくれた作戦も、正直、あまり気が進むものでもないし」
「…………お嬢様、母上様は五月末ごろに来日するとのことです。その時にもう一度、じっくり話をしてみるつもりです。何度言ったかわからないほど口にしましたが、私はあなたのために命さえも捧げるつもりでいるのですよ」
数年前から、彼女にとってはお嬢が全てだった。メイドとは、そういうものであると自負している。
命をかけた行動をする機会がないほどに、現代社会は平和だ。
だけれど、メイドとして、本物の覚悟を持っていた。
守らなければならない――お嬢がいなくなるくらいなら、もう死んでしまった方がいい。
「……やっぱり、あなたの忠誠は重いわ」
お嬢はクスリと笑ってそう言った。




