第85話 災いの名《ロキ》
祭り十二日目。
十種族会議まで、あと一日。
朝から、街の熱気がおかしかった。
本物のサクラ様。
教団のサクラ様。
明日の会議でどちらが裁かれるのか。
どちらかが本物なのか。
誰が嘘をつかせているのか。
見物客同士が言い争っていた。
知識があるから長耳のサクラ様が本物だ。
実績があるから銀髪のサクラ様が真実だ。
擁護する人は宗教に被れている。
批判する人は夢を見すぎている。
屋台の前。
橋の上。
会議場へ続く通り。
宿の入口。
祭りの舞台裏。
そこかしこで口論が発生していた。
それもそのはず。
ここ数日。
長耳のサクラと教団のサクラは、
場所を変え、
時間を変え、
人々に主張して回っていた。
自分が正義で相手が悪だと。
そして民衆もそれに乗っかっていた。
見たかったからだ。
誰かが本物になるところを。
誰かが偽物になるところを。
誰かが裁かれるところを。
ただ、祭りの続きとして見たいだけ。
「……SNSじゃん」
つめは小さく呟いた。
足は止めない。
朝からずっと、金色の影を追っている。
草で編んだような髪。
木で作ったような長い耳。
白い衣。
模倣品のサクラ。
人前に出て。
騒がれて。
すぐに消える。
思い当たる名前はあった。
でも。
名前は出さない。
まだ、出せない。
証拠がない。
ただ、嫌なほど分かった。
あの距離の詰め方。
あの言葉の選び方。
私を知っている者の真似方。
似ている。
似せている。
昔の私を見ている。
だから、気持ち悪い。
「こっちで見たって!」
声がした。
私はそちらを見る。
細い通りの先。
白い衣が揺れた。
金色の髪。
いた。
そう思った瞬間。
笛が鳴った。
高い音だった。
鳥の声みたいに、空へ抜ける音。
続いて、
太鼓。
弦。
歌。
通りの端で、翼人族の一団が舞い始めた。
羽が落ちる。
白い羽。
青い羽。
金の粉を散らした羽。
人々が笑う。
足を止める。
手を叩く。
通りが、一瞬で舞台になった。
「……邪魔なんだけど」
進めない。
人が集まる。
肩がぶつかる。
子どもが前へ出る。
屋台の客まで振り返る。
その奥で、白い衣が消えた。
私は人混みを抜けようとする。
「ちょっと通して」
空いた隙間に人が雪崩れ込む。
「いや、どいてって」
立ち止まり人垣が出来ていく。
「ごめん、急いでるから!」
誰も悪くない。
だから余計に邪魔だった。
悪意がない。
敵意もない。
ただ、綺麗で。
楽しくて。
見たくなる。
だから人が止まる。
だから道が塞がる。
炎上なら分かる。
罵声なら拾える。
悪意なら、こっちへ向ければいい。
でも。
これは違う。
笑い声。
拍手。
羽。
歌。
演出。
殴る相手がいない。
舞台の中央で、翼人族の青年が笑う。
知らない顔だった。
けれど、その笑い方が引っかかった。
翼人族。
舞台。
(役を演じるのは嘘じゃない。)
ツヅリの言葉が、嫌な形で頭に戻ってくる。
あの子の顔が浮かぶ。
能面みたいな無表情。
静かな声。
舞台を支配する一言。
あの子なら、これができる。
そう思ってしまった。
思いたくないのに。
分からない。
分からないまま、白い羽だけが落ちてくる。
今日だけじゃない。
昨日も。
その前も。
追えば噂が消える。
近づけば人が集まる。
聞けば別の話に変わる。
やっと見つけたと思っても舞台が始まる。
ずっとそうだった。
私は、ずっと追っていた。
でも捕まえられない。
追い詰められそうになるたび、流れを変えられる。
誰かに。
いや。
誰かたちに。
「あー、もう」
私は髪をかき上げる。
観客は、楽しそうに笑っていた。
私は人混みの端に出た。
白い衣は、もう見えない。
代わりに、羽が一枚だけ石畳に落ちていた。
私はそれを拾う。
柔らかい。
綺麗。
だから腹が立つ。
夕方まで、同じことを繰り返した。
目撃情報を追う。
空振りする。
噂が撒かれる。
舞台が始まる。
羽が降る。
人が集まる。
捕まらない。
いや。
捕まえさせてもらえない。
あの少女は、逃げているだけじゃない。
出されている。
見つかりそうになるたびに隠されて。
隠れたと思った頃に、また人前へ出される。
本物のサクラ様として。
私は一度、会議場の方を見た。
大きな建物。
石造りの階段。
代表席へ続く通路。
明日、そこに十種族長が揃う。
そこに教団も来る。
偽サクラも来る。
本物と呼ばれている少女も来る。
そして、私も行く。
嫌でも。
「……帰りたい」
言ってから、無理だと思った。
帰る場所はある。
宿ならある。
でも、そこに戻っても明日は来る。
目をそらした先の明日が。
◇
夜。
宿に戻ると、食堂にまだ明かりが残っていた。
誰も大きな声を出していない。
それぞれが、明日の準備をしている。
リオンは時計を開いていた。
私が入ると、何でもない顔で蓋を閉じた。
「おかえり」
「ただいま」
それだけ。
レインは窓際に立っていた。
こちらを見た。
けれど、目が合う前に視線を逸らした。
銀色の髪に、黒色が混じっている。
前よりも、少しだけ夜に近い色だった。
フィオナの肩には、いつもの妖精がいなかった。
代わりに、髪の色が変わっていた。
気のせいかもしれない。
でも、フィオナはそこに手を置いていた。
ユイガは地図に線を引いていた。
線というより、波だった。
会議場。
入口。
出口。
人が集まる場所。
逃げる場所。
詰まる場所。
その全部を、黙ってなぞっている。
シエルは紙を読んでいた。
左目の色が変わっていた。
やや青みがかった白。
右目だけで、文字を追っている。
みんなに何があったのか。
聞けばいい。
聞けば、たぶん答えてくれる。
でも。
私は聞けなかった。
みんなの覚悟を見せられるのが怖かった。
私だけが覚悟不足みたいで。
私が中心人物であるはずなのに。
誰も説明しない。
私も聞かない。
それで、十分だった。
十分なはずだった。
それなのに。
胸の奥だけが、少しずつ沈んでいく。
何かを得た顔をしている。
何かを失った顔もしている。
私は。
今日も、あの少女を捕まえられなかった。
翼人族に邪魔されて。
ツヅリまで疑って。
証拠も掴めず。
何も持ち帰れず。
ただ、羽を一枚拾っただけ。
「カノ」
リオンが呼んだ。
私は顔を上げる。
「明日、無理すんなよ」
「それ、フラグだから」
リオンは笑った。
「なに言ってるかわかんねぇよ」
でも、いつもの軽さより少し薄かった。
「じゃあ、ほどほどに頑張れ」
「それならいい」
私は雑に返す。
誰も笑わなかった。
いや。
たぶん、笑えなかった。
「寝る」
私はそう言って席を立った。
誰も止めなかった。
それがありがたくて。
少しだけ嫌だった。
◇
眠れなかった。
当然だった。
布団に入って、目を閉じて。
目を開けて。
天井を見る。
祭りの音は遠い。
でも、完全には消えない。
明日。
十種族会議。
十種族の長達。
サクラ教団。
偽サクラ。
私の真似をするサクラ。
民衆。
全部が重なっている。
私は目を閉じた。
今度は、黒い部屋の中にいた。
椅子だけが2個置いてあった。
観測変換の内側。
嫌でも気付いた。
砕けた鏡が、散らばっている。
壁は黒い。
天井も黒い。
でも、鏡だけが嫌に明るい。
観測変換は、いつの間にか向かいに座っていた。
今日は女勇者でも、
サクラでも、
エルフの姿でもない。
私と同じ顔だった。
「気持ち悪い」
『開口一番それですか』
口調は女勇者の時のままだった。
「同じ顔で向かいに座らないで」
『鏡みたいで良いでしょう?』
「全然良くない」
観測変換は小さく笑った。
私と同じ顔で笑うな。
『疲れていますね』
「うるさい」
『追えませんでしたか』
「うるさい」
『何も得られていないと思っていますか』
私は黙った。
観測変換は、やっぱり私だった。
嫌なところを、ちゃんと刺してくる。
風の音がする。
黒い風の音。
この数日間無力感はずっと味わってきた。
私は膝を抱えた。
今は何か適当なことを話さなきゃと思った。
このまま観測変換に喋らせていたら、
私はきっと耐えられないだろう。
「好きなキャラがいてさ」
『はい』
意外にも観測変換は乗ってきた。
「神話か何かの話」
『珍しいですね』
「ちゃんとは覚えてないんだけど」
『はい』
「めちゃくちゃするの」
『あなたみたいですね』
「まだ説明してない」
『続けてください』
私は壁を見る。
昔、読んだ話。
正確かどうかは知らない。
ただ、妙に覚えている。
「神様の髪を勝手に切る」
『はい』
「大事な武器で騒ぎを起こす」
『はい』
「強そうな男神を花嫁にする」
『はい』
「自分も女の格好でついて行く」
『はい』
「魚にもなるし、馬にもなるし、何にでもなる」
『はい』
「大体ひどい結末を迎える」
『あなたみたいですね』
「だから早いって」
観測変換は黙った。
私は続ける。
「困らせる。
助ける。
笑わせる。
嫌われる。
めちゃくちゃする。
でも、最後には何とかする時もある。
いや、何とかしてない時もあるけど。
最悪なんだけど。
なんか、憎めなくて」
私は少し笑った。
「好きだったんだよね」
観測変換は、しばらく私を見ていた。
『あなたですね』
「だからさ」
『あなたです』
「せめて最後まで聞いてから言って」
『全部聞きました』
「聞いてない」
黒い風が流れる。
観測変換は、私と同じ顔で言う。
『その者は、誰かになれた』
「うん」
『何かにもなれた』
「そう」
『それなら、誰かに成り代わることもできる』
私は少し眉をひそめた。
「何が言いたいの?」
『わたしはあなたに会う時にいつも姿を変えていましたよね』
「嫌な予感がする」
『当たっています』
「……最悪」
観測変換は、壁に手を伸ばした。
黒い壁面に、割れた鏡が一枚浮かぶ。
そこには、様々な人物が映っていた。
『あなたが欲しかった強化イベントですよ』
「ゲームみたいに言うな」
『わたしとあなたは好きな姿になれる』
「そんな無茶な」
観測変換はにっこりと笑った。
『ただし、悪意を集めている対象だけです』
「なにそれ」
観測変換は、鏡を指で叩いた。
悪意は輪郭を荒くする。
悪意は認知を抽象化させる。
悪意は見たいものしか見ない。
だから模倣できる、と。
『そして、その役割が空かないといけません』
私は観測変換を見る。
風が止まった気がした。
「役割が空くって」
『対象が死ぬか舞台から退場した後ですね』
同じものが二つあったら人の悪意は分散しますから、と。
冗談ではない。
でも、冗談であってほしかった。
観測変換は淡々と言う。
『悪意が強ければ強いほどより本物に近付きます』
私は黙る。
嫌なほど分かってしまった。
民衆が見ている。
怒っている。
失望している。
救われたがっている。
裁きたがっている。
そこに、私が入る。
肉体ではない。
観測先を奪う。
視線の向きを変える。
祈りも。
怒りも。
失望も。
憎しみも。
全部、自分へ向けさせる。
「それ、乗っ取りじゃん」
『すぐBANされそうですね』
観測変換は笑った。
「なんでもっと使い勝手のいい能力じゃないんだか」
『あなた自身の今までのツケが今……』
「あーもうわかってるから!」
『あなた向きです』
「余計悪い」
黒い壁に、いくつもの鏡が浮かぶ。
民衆の顔。
怒り。
笑い。
好奇心。
正義。
憎悪。
期待。
全部が、まだ私を見ていない。
でも。
向ける方法がある。
私はそれを理解してしまった。
『あなたと私ならできます』
「最悪の信用」
『褒めています』
「言うと思った」
観測変換は、少しだけ笑った。
『あなたは、ずっと見られてきました』
「うん」
『嫌われることにも慣れています』
「慣れたくなかったけどね」
『悪名を押し付けられることにも』
「うん」
『今度は自分で被れます』
「汚名挽回ってこと?」
観測変換は静かに笑う。
私は、神話の男の最後を思い出していた。
ずっと、笑い話で済んでいた。
困らせても。
助けても。
裏切っても。
どこかで、許されていた。
でも。
光が死んだ時、もう笑い話では済まなくなった。
男は捕らえられた。
岩に縛られた。
頭上には蛇がいた。
毒が落ちた。
一滴。
また一滴。
隣には、それを受ける者がいた。
けれど、器が満ちれば離れなければならない。
その間だけ、毒は男に落ちる。
男が震える。
大地が揺れる。
世界はそれを、災いと呼んだ。
「……最悪な終わり方」
『でもそこで終わりじゃないですよね』
縛られて。
毒を受けて。
世界最後の日に解き放たれて。
戦って。
相討ちになって。
その後の世界に、彼の席はなかった。
私は笑った。
笑うしかなかった。
この祭りの先に、私の戻れる席はあるのだろうか。
黒い鏡の中で、誰かがサクラ様と呼ばれている。
その声は、まだ私に向いていない。
でも。
向ける方法だけは、
もう分かってしまった。




