第81話 黄金の呪い《ファフニール》
レイン視点――
竜人族の拠点は、祭りの音から離れていた。
熱。
砂。
爪痕。
飛び交う殺気。
地面には、いくつも黒い跡がある。
踏み砕かれた石。
削れた壁。
何度も殴られた柱。
訓練場。
そう呼ぶには、少し荒すぎる場所だった。
若い竜人族たちが、こちらを見ている。
角。
鱗。
太い尾。
硬そうな腕。
ギラギラとした目つき。
「あれが?」
「人族だろ」
「ラグナ様はなぜ?」
声は隠されていない。
竜人族は、たぶん隠す気がない。
レインは黙っていた。
言い返しても意味がない。
竜の息吹に関しても、自分ではよく分かっていない。
あの路地。
黒髪の少女。
殺気。
金色に染まった視界。
覚えているのは、それだけだった。
「来たか」
低い声がした。
ラグナだった。
竜人族代表。
傷だらけの身体。
重い足音。
そこにいるだけで、周りの空気が少しひりつく。
「呼ばれたから」
レインが答える。
ラグナは笑わなかった。
「今日の訓練はこいつを使う」
若い竜人族たちがざわつく。
こいつ。
レインは自分のことだと理解した。
「俺は竜の息吹を使いたい」
ラグナが言った。
ざわめきが少し大きくなる。
「お前らにも使わせたい」
若い竜人族たちの目が変わった。
欲しいものを見つけた反応だった。
「一段上の存在になるために」
ラグナはレインを見る。
「竜の息吹は、伝説の竜の血を身体に纏う術だ」
声が訓練場に落ちる。
「竜人族は、生まれた時に宿す竜が決まる。後から変わらねぇ」
ラグナ・“テュポン”・ドラグ
――テュポン
――世界を覆う腕。
――二股の大蛇の足。
――星に届く巨体。
――百頭の竜の肩。
――全てのドラゴンの祖。
若い竜人族たちは黙って聞いていた。
「血は選べない。血は変えられない。
だが、その力は絶大だ」
ラグナの視線が、レインに向いた。
「リスティアの嬢ちゃんは魔術で血を喚起する方法を考えてたらしい」
レインが言う。
「シエルらしい」
ラグナは続ける。
「魔術を呼び水に。眠ってる血を起こす。
だが。
そんな軟弱な方法は俺は好かん」
ラグナはからからと笑う。
周囲の竜人族も追従して笑った。
レインは合理的じゃないと思いつつ。
竜人の価値観ってそんなもんか、と思い直した。
「俺は?」
「お前はもう起きてる」
短い答えだった。
その声を聞いた若い竜人族達がざわめきだす。
「起きてる?」
「ああ」
ラグナが近づいてくる。
「金の眼」
その言葉で、若い竜人族たちの空気が変わった。
「それが発現する竜は、そう多くない」
ラグナはレインの目を見ながら続ける。
「黄金を抱えた竜」
一歩。
「呪いを抱えた竜」
一歩。
「欲に縛られ、欲を縛る竜」
さらに一歩。
「ファフニールだ」
ファフニール。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が少し冷えた。
「人族であるお前に宿ったのは必然かもな」
知らない名前ではない。
元は人であった竜。
黄金を抱え変貌した竜。
守るものに縛られて、朽ちていった竜。
「嫌な竜だね」
「竜の血に綺麗さを期待するな」
ラグナは言った。
「お前は、人族の血に混じってそれを持ってる。そして既に同調している」
「どうして」
「お前と相性が良すぎたのか。
命の危機だったからか。
詳しいことはわからん」
ラグナは答える。
「だが」
言葉が止まる。
レインは黙って続きを待った。
「お前の中にある強い執着が、引き金になったんだろう」
レインは何も言わなかった。
「ファフニールの血は、執着で強くなる」
ラグナの声は低かった。
「抱えるものがあるほど強くなる。
守りたいものがあるほど強くなる。
手放したくないものがあるほど強くなる」
レインは息をした。
少しだけ、呼吸がしづらかった。
「どうすればいい」
レインが聞く。
ラグナはようやく笑った。
「戦え」
「それだけ?」
「それだけだ」
「説明は?」
ラグナが顎で若い竜人族を示した。
「ラズル、やれ」
若い竜人族の一人が前に出る。
体格はレインより大きい。
腕も太い。
目がぎらついている。
「人族相手かよ」
こちらが構える前に踏み込んできた。
踏み込みが速い。
拳が来る。
レインは反応した。
けれど。
避けきれない。
肩に当たる。
身体が横へ流れる。
足が砂を噛む。
痛みが遅れてやってきた。
次が来る。
蹴り。
肘。
尾。
動きが重い。
けれど速い。
身体強化の魔術を使う。
レインは受ける。
流す。
下がる。
指を指す。
赤い魔法陣が素早く構築された。
中級の炎魔術が迸る。
しかし。
竜人族の皮膚に触れた途端に消滅した。
軽い焦げ跡が付いただけだった。
若い竜人族が笑う。
「軟弱な手品だな」
レインは答えない。
手を振る。
炎。
氷。
雷。
風。
光。
五属性の魔法陣が瞬時に構築された。
全方向からの攻撃。
着弾。
爆発。
轟音。
しかし。
ラズルと呼ばれた竜人はほぼ無傷だった。
「やっぱり人族は弱ぇな」
嘲るように竜人が笑う。
竜人族の皮膚。
その鱗は対魔術性能が高い。
生半可な魔術では傷一つつけられない。
更に普段の訓練により、頑強で打たれ強い。
まさに。
闘う者として生まれた種族だった。
レインは無意識に舌打ちをした。
魔術は通らない。
体術は分が悪い。
竜の息吹は自由に使えない。
まだ理解できていない。
レインは考える。
相手を倒すだけなら。
細く鋭い魔術の連激で鱗を砕く。
そこに貫通力の高い魔術をねじ込む。
合わせて内部から爆破を起こして、
破壊した後傷口を凍らせる。
けれど。
時間が掛かる。
相手の攻撃を躱し続けなければならない。
「……」
レインは思った。
竜人族の若手一人にすら苦戦しているようでは。
この先、カノ達と十種族会議に乗り込んでも何も成せない。
それでは。
自分のいる意味はあるのか。
カノの側にいることはできるのか。
目の奥が少し熱い。
嫌な熱だった。
若い竜人が迫ってくる。
一撃。
二撃。
躱す。返しで雷光を放つ。
避けられない速度。
相手はそれを避けずに蹴りを放つ。
左手で受ける。
衝撃を逃がしきれず骨が痺れた。
重すぎる一撃に意識が逸れる。
そこにもう一撃。
避けたつもりだった。
だが遅れた。
足が、顔の横を掠める。
衝撃で視界がぶれる。
次は、避けきれない。
そう思った瞬間。
身体が熱くなった。
目の奥にも熱が集まる。
血が混ざる。
人の血の中に、違うものが流れ込んでくる。
(――触れるな。
――この宝はすべて私のものだ。
――何人にも渡しはしない。)
視界が、金色に染まった。
身体中に、黒みがかった黄金色の粒子が舞う。
「……ほう」
ラグナが目を細める。
その腕は僅かに震えていた。
畏怖するように。
興奮するように。
レインは自分の身が自分の物でないように感じていた。
もっと大きく。
もっと強靭で。
もっと悍ましく。
どうしようもなく欲深い。
「……ファフニール」
レインの目が金色に染まる。
若い竜人はその変貌に恐怖を覚えた。
それを掻き消す様に腕を伸ばす。
「なんなんだよ!」
竜人の膂力が乗った一撃。
レインは見た。
金の眼で。
ただ見た。
それだけだった。
それだけで、動きが止まる。
若い竜人族の拳が途中で固まった。
顔が歪む。
叫びも。
怒りも。
嘲りも。
一瞬で、金色の恐怖に凍りつく。
レインの金眼に異形の兜が映る。
中心から8本のトゲが放射状に広がった。
雪の結晶のような幾何学模様。
――恐怖の兜
――世界の認知をねじ曲げ、相手の精神を呪縛する兜。
――『この者には絶対に勝てない』という因果を強制的に植え付ける呪い。
レインはただ見ていた。
「ひぃ!!」
若い竜人族が顔を押さえて後ずさる。
「くそ!!震えが止まらねぇ!!」
声が漏れる。
「あんな人族に!!」
息が荒くなる。
「……うわぁぁぁ!!」
若い竜人族は後ずさろうとした。
しかし、足が動かず尻餅をついた。
レインは何が起きているのかわからなかった。
身体に力が宿っているのはわかる。
目が燃えるように熱くなっている事も。
そして。
胸の奥で疼く欲望。
「……これは想像以上だな」
ラグナが呟いた。
その表情には好奇心と警戒心が混じっていた。
「目を伏せろ」
ラグナの声が飛んだ。
若い竜人族の息がさらに荒くなる。
今すぐにでもここから逃げ出したい。
そんな顔をしていた。
レインは金の眼で見続けていた。
その瞬間、ラグナが間に入った。
重い腕が、若い竜人族の胸を押さえる。
「下がれ」
若い竜人族は歯を食いしばった。
それでも、下がった。
ふと。
竜人族の長を倒したら。
カノは喜ぶ?
(――この宝はすべて私のものだ)
レインはラグナを見る。
欲が膨らむ。
執着が強くなる。
「俺とやろうってのか」
ラグナが拳を構える。
(――何人にも渡しはしない。)
レインの息が、黒く濁った。
毒ではない。
毒より悪い。
欲が腐る匂いがした。
――ファフニールの毒息
「おいそれは洒落になんねぇぞ」
ラグナの危機感が警鐘を鳴らしている。
レインは明らかに暴走していた。
その息に混ざった呪毒。
ここにいる竜人族全体へ致命的な影響を与える気がした。
ラグナは目を閉じた。
「……テュポン」
ラグナが低く呟いた。
赤い粒子が、肩口で弾ける。
形にはならない。
息吹には届かない。
それでも、訓練場の空気が押し潰された。
ラグナの見た目に変わりはない。
ただ、纏う存在感だけが大きく変貌していた。
「跪け」
ラグナの一喝が響いた。
世界を震撼させる声。
数多の猛獣や怪物が混じったような声。
その声は山々を鳴動させ、神々すらも震え上がらせる。
訓練場の地面が砕けた。
レインはその声に吹き飛ばされる。
その衝撃で一瞬意識が飛んだ。
レインは目を伏せる。
金色が薄れる。
呼吸が、少し戻った。
それを見て。
ラグナは息吹を解いた。
静寂。
半壊した訓練場は沈黙が支配していた。
ラグナはレインを見る。
「ファフニールの息吹は、呪いに近い」
ラグナが言った。
訓練場が静かになる。
「お前が何かに執着すればするほど、血は強くなる」
「……」
「そして、その力は周囲の欲を暴き、恐怖で萎縮させ、最終的には腐らせていく」
「……強くなるなら良いんじゃないの」
「違う」
ラグナは即答した。
「人間の血が薄くなる」
レインは顔を上げた。
「竜人なら寿命を削る」
ラグナは続ける。
「だが人間なら、神話に近づく。
言葉は綺麗だが。
要は、人間の身を捨てて現象になるって事だ」
神話。
その言葉は、思ったより重かった。
強くなる。
ただそれだけではない。
人から離れる。
「最後は怪物になる」
ラグナは言った。
「お前の場合はな」
若い竜人族たちは黙っていた。
先ほどまでの敵意が、少しだけ違うものに変わっている。
羨望。
恐怖。
警戒。
今は相手の欲が手に取るようにわかって、レインは目を伏せたままにした。
「お前の目は、相手の欲を暴く」
ラグナの声が続く。
「欲を暴かれた相手は、その欲に執着する」
「……」
「お前が執着する相手ほど、巻き込む」
レインの喉が動いた。
何も言わない。
ラグナは容赦しなかった。
「お前が執着するものがあるなら、それを見すぎるな」
レインの目が動いた。
たぶん、それだけで答えだった。
「お前が見れば、そいつの欲も暴く」
ラグナは言った。
「欲を持った存在と、欲を守る竜は相性が悪い」
胸の奥が冷えた。
カノ。
見られることを嫌がる。
見られないことも、たぶん嫌がる。
嫌われることに慣れている。
忘れられることには、慣れていない。
レインは、それを知っている。
自分の目が、それを暴く。
強くする。
呪いに巻き込む。
「一緒にいられなくなる」
レインは呟いた。
声は思ったより低かった。
「制御できなければな」
ラグナは答える。
レインは黙った。
それが一番怖かった。
(――人間じゃないんだ。)
黒髪の少女の声が、少しだけ戻る。
人間かどうかは、自分で決めることではないのかもしれない。
他人に決められることでもない。
ただ、この目を放っておけば。
自分で、自分を遠ざけることになる。
「血は決まっている。変わらねぇ」
ラグナは言った。
「だが、それをどう使うかはお前次第だ」
レインの目が変わる。
ラグナはそれを見て、少しだけ満足そうに笑った。
「明日も来い」
「何のために」
「お前の目を制御するため」
ラグナは少し笑う。
「それと、俺達が竜の息吹を盗むためだ」
レインは息を吐いた。
盗む。
その言い方が、少しだけ分かりやすかった。
「分かった」
レインは頷いた。
金色は、まだ目の奥に残っている。
見れば暴く。
見れば強める。
見れば巻き込む。
目を閉じていれば、守れるわけでもない。
レインは、ゆっくり目を開けた。
ラグナがそれを見る。
「そうだ」
低い声だった。
「閉じるな。閉じたままでは、何も守れねぇ」




