第78話 真贋のゆくえ
サクラ教団の拠点は、朝からざわついていた。
祈りの声ではない。
準備の音でもない。
駆け巡っていたのは、
噂だった。
「本物のサクラ様が出たらしい」
「教団のサクラ様は偽物だと」
「夏幻祭を知っていたそうです」
「草を編んだ金髪に、木の長耳だったと」
「野次馬が騒いでいます」
言葉が廊下を走る。
本物。
偽物。
夏幻祭。
サクラ様。
一つずつが軽い。
けれど。
軽いからこそ、止まらない。
誰も確認していない。
誰も責任を持たない。
ただ面白がって、次の誰かへ渡していく。
嘘が、祭りの中で足を持っていた。
カガリは、廊下の隅でそれを聞いていた。
表情は変えない。
いつも通り。
必要なものだけを見て。
必要なことだけを考える。
そのはずだった。
“封印した試作零号の開花装置がない”
その事実だけが、頭の中で何度も反響していた。
封印庫。
幾重にも鍵が掛けられていた。
幹部しか触れられないはずの黒い箱。
それが、空だった。
封印されていた開花装置が、消えていた。
知っているのは、カガリと一部の信徒だけ。
本当なら言うべきだった。
教団全体に。
司教に。
ここにいる者たちに。
けれど、言えなかった。
今言えば、教団はどう動く。
ただでさえ今は混乱している。
偽サクラを守ろうと。
失った威信を取り戻そうと。
本物のサクラ様という噂を潰そうと。
試作の開花装置の存在は全てを覆す一手になる。
だからこそ。
失くなった事が今発覚したら、
何が起こるかわからない。
そう思った瞬間。
声が出なくなった。
信じていた。
サクラ様を。
教団を。
開花を。
そのはずだった。
けれど今は、何を信じればいいのか分からなかった。
「カガリ様」
信徒が近づいてくる。
若い男だった。
顔色が悪い。
「試作零号の件はどうされますか」
「まだ言わないでください」
カガリは短く言った。
男が息を止める。
「ですが」
「まだです」
「司教様に報告を」
「まだです」
同じ言葉を繰り返す。
自分でも、弱いと思った。
理由になっていない。
命令にもなっていない。
ただ、時間を止めているだけだった。
信徒は何か言いたそうに口を開け、結局、頭を下げた。
「……承知しました」
その背中が離れていく。
カガリは目を閉じた。
承知させてはいけなかった。
そう思う。
それでも言えなかった。
銀髪の女は、部屋の中央に座っていた。
白い衣。
整えられた髪。
祈るように重ねた手。
顔は綺麗だった。
怖いくらいに。
作られた美しさ。
整えられた微笑。
人前に出るためだけに磨かれた姿。
偽サクラ。
教団は彼女をそう呼ばない。
新たなサクラ様。
祝福の器。
開花の中心。
そう呼ぶ。
銀髪の女も、そう呼ばれてきた。
「私は、サクラです」
彼女は小さく呟いた。
誰に向けた言葉でもない。
自分に向けた言葉だった。
「私は、サクラです」
もう一度。
声は綺麗だった。
よく通る。
揺れが少ない。
そう作られている。
部屋の扉が開いた。
サクラ教団の司教を任されている老人が入ってくる。
その後ろに、祭り運営からの使者がいた。
カガリも呼ばれ、壁際に立つ。
使者は深く礼をした。
「十種族会議での扱いについて、変更がございます」
司教の眉が動く。
「変更?」
「はい」
使者は淡々としていた。
「サクラ教団のサクラ様を歓迎する場ではなくなりました」
部屋の空気が硬くなる。
銀髪の女の指が、わずかに動いた。
使者は続ける。
「本物のサクラ様を名乗る者が現れた以上、各代表は確認を求めています」
「確認」
司教の声が低くなる。
「何を確認する」
「真贋です」
その言葉が落ちた。
真贋。
本物か。
偽物か。
銀髪の女が顔を上げる。
使者は彼女を見ない。
「十種族会議は、ヤマナギ五戒を遵守しています」
言葉は丁寧だった。
丁寧だからこそ、残酷だった。
「そのため、今回は真贋を見極める場になるでしょう」
沈黙。
外では祭りの音がしている。
この部屋だけが、冷たかった。
司教はゆっくり息を吐いた。
「問題はない」
声は静かだった。
「真贋など、場で示せばよい。民衆は強い光を本物と呼ぶ」
使者は何も言わない。
「十種族の代表も同じだ。力を見れば分かる」
「代表方は、力や民意のみで判断されるとは限りません」
使者が返す。
「ヤマナギは五戒に縛られた土地です」
司教の目が細くなる。
「ご忠告、感謝する」
感謝の声ではなかった。
使者はもう一度礼をし、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
その音が、妙に大きく響いた。
「見極める」
銀髪の女が呟いた。
誰もすぐには反応しなかった。
「誰が」
声はまだ綺麗だった。
「誰が、私を見極めるのですか」
司教が彼女を見る。
「落ち着きなさい」
「私は落ち着いています」
銀髪の女は微笑んだ。
いつもの微笑みだった。
優しく。
美しく。
慈悲深い。
その形だけが、顔に残っている。
「私は、サクラです」
「分かっている」
司教が言う。
「そのために教育した」
そのために。
銀髪の女の指が震えた。
「そうです」
彼女は頷く。
「私は、そのために育てられました」
声が少しずつ速くなる。
「私は綺麗にしました。
私は優しくしました。
私は祈りました。
私は笑いました。
私は救いました。
カガリは黙って見ていた。
その言葉は、祈りではなかった。
確認だった。
自分が作られた理由を、壊れないように並べている。
「私は間違えていません」
銀髪の女は言う。
「間違えたのは、民衆です」
部屋の隅で、信徒が息を呑んだ。
「民衆は、私を見ました。
私に祈りました。
私を、サクラ様と呼びました」
彼女は笑った。
綺麗な笑顔だった。
綺麗なまま、壊れていた。
「それなのに」
声が低くなる。
「草の髪と木の耳をつけた女が出ただけで、本物と呼ぶのですか」
カガリの胸の奥が冷えた。
「夏幻祭を知っているから?」
銀髪の女は首を傾げる。
「作り物の髪をつけているから?
木の耳をつけているから?
粗くて、汚くて、祈りもしないのに?」
指先が白くなる。
「どうして」
銀髪の女は顔を上げた。
「どうして、あんな未完成なものが本物なんですか」
誰も答えられない。
答えてはいけない空気だった。
司教が低く言った。
「本物かどうかは、我々が決める」
「いいえ」
銀髪の女が言った。
司教の目が動く。
「民衆が決めます」
その声には、奇妙な確信があった。
「民衆は、私を見ました。
私を求めました。
私に祈りました」
銀髪の女は立ち上がる。
「なら」
白い衣が揺れる。
「もう一度、呼ばせればいい」
カガリは、その言葉を聞いた瞬間、零号の空箱を思い出した。
空の封印庫。
外された札。
なくなった装置。
言わなければならない。
今こそ。
そう思った。
「……」
だけど。
声は出なかった。
信仰が喉を塞いでいるのか。
疑念が喉を塞いでいるのか。
分からなかった。
銀髪の女は笑っている。
慈悲深く。
優しく。
サクラ様らしく。
その目だけが、民衆を見ていなかった。
民衆に見られる自分だけを、見ていた。
「もう一度」
彼女は言った。
「私を、サクラ様と呼ばせます」




