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第76話 ホンモノのサクラ

宿に戻った時には、夕方になっていた。


祭りの音は、まだ外で鳴っている。

笑い声。

楽器。

屋台の呼び込み。


でも。

つめの胸の奥には、まだ広場の熱が残っていた。


サクラ様。

祈り。

祝福。


全部、気持ち悪い。


「戻ったよ」


リオンが先に声を出した。


食堂には、フィオナたちがいた。


フィオナ。

シエル。

ユイガ。


テーブルの上には、図書館から写してきたらしい紙束が置かれている。


「図書館は?」


つめが聞いた。


フィオナは首を横に振った。


「何も残っていなかったわ」


「何も?」


「妖精契約については、不自然なほど何も」


シエルが紙束を整える。


「種族間契約の記録はあります。古い誓約も、商業契約も。


 ですが。


 妖精契約だけが抜けています」


ユイガも頷く。


「保存されなかったのか、消されたのか。判断できません。


ただ、ヤマナギの図書館としては不自然です」


フィオナは黙っていた。


肩の近くで、契約妖精が小さく揺れている。


つめはそれ以上聞かなかった。


「そっちは?」


フィオナが聞いた。


つめは椅子に座った。


「最悪」


「短いわね」


リオンが向かいに座る。


つめとリオンは現地で別れたツヅリの姿を思い出していた。


神を演じた後。

別れ際にはいつもの軽い顔に戻っていた。


けれど。

目の奥だけが少し遠い感じがした。


神を模倣した代償に、

人間に戻るのに、時間がかかっている。


そんな感じだった。


「偽サクラがいた」


つめは言った。


部屋の空気が止まる。


「祈祷をしてた。綺麗な銀髪の女。声も姿も、いかにもサクラ様って感じ」


リオンが続ける。


「けどあれは作り物だな。


 立ち方も、声の出し方も、祈りの文句も。


 全部、観賞用の魔道具みたいだったぜ」


つめは黙った。


こんにちは、サクラです。


あの声を思い出すだけで、喉の奥が冷える。


「それで?」


フィオナが聞く。


「小さい暴走が起きた」


リオンが言った。


「観客の感情が増幅されてた。


 泣く、祈る、怒る、縋る。


 感情が少しずつ強くなる感じ」


「魔法?」


「たぶん魔道具。出力は低かったな」


「感情を増幅する魔道具ですか……」


シエルの声が低くなる。


皆は学園の護符事件を思い出していた。


威圧的な言動をする貴族。

演出過剰になった詠唱。


そして。

壊れていったクラスメイト。


リオンは頷いた。


「あの魔道具は笑えない」


つめは広場の人々を思い出した。


泣いた女。

膝をついた男。

祈り続ける人。


あれは一瞬だった。


でも。

あの人たちの中には、まだ残っている。

サクラ様に救われたいと思った感情が。


その時、扉が開いた。


レインが戻ってきた。


「遅い」


つめが言う。


「うん」


「うんじゃない」


レインは席に座らなかった。

立ったまま、少し黙っている。


その沈黙で分かる。


何かあった。


「カガリは?」


つめが聞いた。


レインは答えない。


食堂の空気が変わる。


「カガリは?」


もう一度聞く。


「見失った」


短い答えだった。


レインは話した。


カガリを追ったこと。

教団の男と話していたこと。

偽サクラの祈祷が盛り上がりすぎていること。

サクラ教団が十種族会議の場に呼ばれているらしいこと。


それから。

黒い髪の少女に会ったこと。


「黒い髪?」


「うん」


レインはつめを見た。


「カノに似てた」


部屋が静まり返る。


つめは少しだけ笑った。


「私に似てるやつなんている?」


軽く言ったつもりだった。


でも。

誰も笑わなかった。


レインは続ける。


「似てた。けど違った」


「何が?」


「話し方。表情。仕草」


少し目を伏せる。


「似せてた」


つめの胸の奥が冷える。


「その子、なんて名乗ったの」


「鷹乃つめ」


沈黙。


自分の名前が。

自分のいない場所で。

誰かの口から出る。


それだけで、気持ち悪かった。


「今はまだ違うって言ってた」


レインの声が低くなる。


「まだ、私だからって」


「何だそれ」


リオンが嫌そうに言った。


つめは答えなかった。


学園で見かけた、昔の自分と少し似た少女。

なんとなく。

セナという少女を思い出した。


(「……もう」


 「居場所ないのに」)


サクラ様。

鷹乃つめ。

模倣ばかりが増えていく。


祭り三日目。


カガリを探した。


宿。

裏通り。

教団の簡易詰所。

祈祷広場。

レインがセナと会った路地。


何もなかった。


なかった、というより。

綺麗に片付けられていた。


魔道具の臭いも。

白い布も。

祈りの鐘も。


昨日の熱だけが、嘘みたいに消えていた。


でも。

サクラ様の噂だけは、消えなかった。


「祈ると心が軽くなるらしい」


「また来ないかな」


「本当に救われた気がしたんだって」


増幅された感情を。

自分の感情だと思っている。


それが、一番気持ち悪い。


祭り四日目。


カガリは戻らなかった。


フィオナとシエルは、もう一度図書館へ行った。

妖精契約の記録は、やはり見つからない。


ユイガは代表関係の日程を確認した。

リオンは魔道具の痕跡を探した。

レインは黒髪の少女を探した。


何も見つからない。


黒髪の少女も。

銀髪のサクラ様も。

教団の装置も。


見つからないまま、祭りだけが進んでいく。


祭り五日目。


宿の食堂に、地図と紙束が広げられていた。


赤い印。

青い線。

消された丸。

増えた矢印。


情報が足りない証拠だった。


「今日で五日目」


シエルが言った。


「十種族会議は十二日目」


ユイガが頷く。


「はい。残り七日です」


七日。


あと七日で、十種族の代表が同じ場所に集まる。


人族。

耳長族。

獣人族。

海人族。

小人族。

竜人族。

翼人族。

森人族。

鉱人族。

妖精族。


そこに観客も集まる。

教団が開花させたい感情も、たぶん集まる。


「そこで開花装置を使うなら、最悪だな」


リオンが言った。


「代表も民衆も、まとめて巻き込める」


「やめて」


つめが言う。


「俺も嫌だよ」


リオンは額を押さえた。


「ただ、筋は通る」


その言葉を聞いて。

焦りだけが募っていく。


動いているのに、進まない。

探しているのに、見つからない。

分かっているのに、届かない。


それが一番削る。


その時だった。

外が騒がしくなった。


つめの胸の奥で、黒い靄がざわついた。


祭りの音ではない。

楽器でもない。

喧嘩でもない。

ただの歓声でもない。


もっと速い。

もっと軽い。

もっと広がる。


噂が走る音だった。


「出たぞ!」


誰かが叫んだ。


つめは顔を上げる。

食堂の中の全員が、窓の方を見る。


「本物のサクラ様が出た!」


空気が止まった。

次の声が、窓の外から飛び込んでくる。


「サクラ教団のサクラ様は偽物らしい!」

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