第67話 何人たりとも姿を偽る事なかれ。
朝。
船員の声で目が覚めた。
「港が見えたぞ!」
その一言で船内が騒がしくなる。
乗客達が甲板へ飛び出していく。
つめも寝癖のまま外へ出た。
潮風。
朝日。
そして。
港が見えた。
「でか……」
思わず声が漏れる。
ヤマナギ。
十種族が集う島国。
海の上へ広がる街だった。
橋がある。
船がある。
塔がある。
空には翼人が飛んでいる。
港には無数の人影。
祭りの旗が風に揺れていた。
「すごいな」
リオンが素直に感心している。
フィオナも目移りしている。
シエルは既に資料と実物を見比べていた。
ユイガだけが少し嬉しそうだった。
「ようこそ」
小さく笑う。
「ヤマナギへ」
つめ達は港に降り立つ。
人。
人。
人。
とにかく人だった。
荷車。
屋台。
商人。
観光客。
冒険者。
学生。
祭囃子まで聞こえる。
まだ会場にも着いていないのに祭りだった。
「多すぎない?」
つめが言う。
「多いですね」
ユイガも認めた。
「例年の倍近いです」
「倍?」
リオンが引いている。
「それ大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないから運営が大変なんです」
妙に実感のこもった声だった。
歩いている途中。
石碑が見えた。
港の入口。
大きな石碑。
刻まれた文字。
一つ、何人たりとも姿を偽る事なかれ。
一つ、他者の名を穢す事なかれ。
一つ、客人を辱める事なかれ。
一つ、誓いを軽んずる事なかれ。
一つ、死者を騒がせる事なかれ。
つめの足が止まる。
自然と視線が吸い寄せられた。
ユイガも立ち止まる。
「あれが?」
「はい」
ユイガは頷いた。
「ヤマナギの教えです」
「法律?」
「違います」
首を振る。
「ただの不文律です」
風が吹く。
祭りの旗が揺れる。
「だから重いんです」
つめはもう一度石碑を見る。
なんとなく。
心の奥がざわめいた。
千種族大祭、受付会場。
案の定。
大混乱だった。
「そっち違う!」
「列を作れ!」
「学生組はこちら!」
怒号。
書類。
走り回るスタッフ。
完全に修羅場だった。
「やばいな」
リオンが呟く。
その時。
少し離れた場所で。
灰桜色の髪をした女性がスタッフに囲まれていた。
薄い灰色に桜色を混ぜたような髪だった。
祭りの喧騒の中でも、
妙に目を引く。
書類を整理している。
指示を出している。
無駄が無い。
慣れている。
でも。
なんだろう。
すごく疲れている。
まるで三日くらい寝ていない人間みたいだった。
「そこじゃないです」
「こっちに」
「だから違います」
淡々としていた。
その女性が一瞬こちらを見る。
ユイガを見る。
学園組を見る。
そして。
少し考える。
「学園の方ですか」
それだけ言った。
ユイガが頷く。
「そうです」
「なるほど」
それだけだった。
また仕事へ戻る。
つめ達もそのまま通り過ぎた。
名前も知らない。
ただ。
妙に印象に残る人だった。
受付を終える頃には昼を過ぎていた。
「宿に案内しますね」
ユイガに連れられて歩く。
道中も人だらけだった。
祭りの準備。
荷運び。
屋台の設営。
どこを見ても忙しそうだ。
「本当に人多いな」
リオンが呟く。
「まだ増えると思います」
ユイガが答えた。
「嫌だなぁ」
「今更ですよ」
そんな話をしていると宿についた。
学生が止まるにしては上等な外観。
宿というより、
貴族の別荘みたいだった。
「学園って偉いんだ……」
思わず呟く。
「かなり期待されてますから」
ユイガが苦笑した。
宿に入る。
荷物を置く。
一息つく。
二週間の船旅が終わった。
やっと地面だった。
つめは本気で感動していた。
「揺れない」
「当たり前だろ」
リオンが笑う。
「揺れない……」
感動している。
フィオナが呆れた顔をした。
結局。
つめはしばらく床へ寝転がっていた。
地面だった。
揺れない。
素晴らしい。
「もう大丈夫そうね」
フィオナが言う。
「うん」
「なら少し出てみましょう」
「賛成」
リオンが立ち上がる。
せっかく来たのだ。
祭りの空気くらいは見ておきたい。
そうして。
夕方。
祭りの準備が進んでいた。
提灯。
屋台。
飾り付け。
賑やかだった。
つめは歩きながら周囲を見る。
知らない文化。
知らない人々。
面白い。
その時だった。
空から影が落ちた。
翼だった。
翼人族の少女が石畳へ軽やかに降り立つ。
「やあ」
声。
振り返る。
翼人族の少女が立っていた。
小柄だった。
柔らかな髪。
大きな翼。
年齢も近そうだった。
そして。
普通に可愛かった。
「ボクはツヅリ」
少女は笑った。
つめが固まる。
「僕っ娘だ」
「?」
首を傾げる。
「ぼくっこ?」
「希少種」
「へぇ」
よく分かっていないらしい。
でも。
楽しそうだった。
フィオナが呆れている。
「何言ってるの」
「大事だよ」
つめは真面目だった。
ツヅリは吹き出した。
「面白いね」
その笑顔は年相応だった。
「旅行?」
「まぁ」
「祭りは初めて?」
「初めて」
「じゃあ楽しんで」
それだけ言う。
妙に距離感が近い。
でも嫌な感じはしない。
ツヅリは手を振った。
翼が揺れる。
「またね」
人混みの中へ消えていった。
つめは見送る。
「変な子だった」
「お前が言うな」
リオンが言った。
夜。
宿へ戻る。
窓の外。
祭りの灯りが見える。
ヤマナギ。
十種族の国。
千種族大祭。
明日から本格的に始まる。
つめは窓の外を見る。
港で見た石碑を思い出した。
そして。
サクラ教団の目的を考える。
学園で起きた護符事件。
手記に残っていた断片的な言葉。
“旧焔耳教の悲願達成の為、世界を創成する”
“感情は最も純粋な魔力である”
“次の開花は千種族大祭にて”
とても嫌な予感がした。
薄く漏れ出た黒い靄が揺れる。
きっとこれから何かが起こるよ、とでも言うように。
風が吹く。
祭りの音が遠く聞こえる。
嫌な予感も。
少しだけ楽しみな気持ちも。
両方あった。
祭りはまだ始まっていない。
それでも。
何かはもう動き始めていた。




