第65話 鷹乃つめ
海は穏やかだった。
昨日まで青かった海は、朝日に照らされて銀色に光っている。
甲板にはまだ人が少ない。
潮風が吹く。
冷たい。
つめは手すりに肘をついた。
眠れていない。
昨日聞いた言葉が頭から離れなかった。
何人たりとも姿を偽る事なかれ。
ヤマナギ。
その不文律。
「早いね」
後ろから声がした。
振り返る。
レインだった。
寝癖が少し残っている。
珍しい。
「寝れなかった」
「ふーん」
レインは隣へ来た。
それ以上聞かない。
海を見る。
つめも海を見る。
波の音だけが続いた。
でも。
覚悟を決めなければならない。
朝食。
船内食堂。
焼き立てのパンの匂いがしていた。
客達の話し声。
食器の音。
船が揺れる度にランプが小さく揺れる。
つめは席についた。
皆がいる。
リオン。
フィオナ。
シエル。
レイン。
つめは深呼吸した。
「みんなに話がある」
パンを齧ろうとしていたリオンの手が止まる。
嫌な予感がしたらしい。
「重いやつ?」
「多分」
「聞きたくねぇな」
つめは無視した。
今更逃げられない。
「まず。カノって本名じゃない」
沈黙。
リオンの口からパンが落ちた。
「は?」
床へ落ちる。
乾いた音が響いた。
「本名は鷹乃つめ」
フィオナが瞬きをする。
シエルは静かに聞いていた。
レインだけは驚かない。
「あと二十六歳」
今度はリオンが本当に固まった。
数秒。
本当に止まった。
「二十六?」
「うん」
「カノが!?」
「うん」
「二十六!?」
「年齢を連呼しないで」
どこかで繰り返したやり取り。
それを思い出してレインが少し笑う。
フィオナが額を押さえた。
「そこなの?」
「いやだって」
リオンは本気で困惑していた。
「同い年だって思ってた」
「それは嬉しいけど」
「童顔って便利なんだな……」
少し空気が緩んだ。
でも。
つめはまだ終わっていなかった。
「あと」
言葉を探す。
上手く説明できない。
「……遠い所から来て」
リオンが頷く。
「うん」
「ギルドで問題起こして」
「うん?」
「半分追放されてて」
リオンが止まる。
「待て」
「その後劇団でも問題起こして」
「待て待て」
「学園でも」
「待てって」
「あとサクラ様とか」
「待てー!」
「炎上の魔女とか」
「待てーい!!」
「そういえば牢屋にも」
「いっかい待ってくれ!!」
食堂中に声が響いた。
つめは口を閉じた。
静かになる。
リオンは頭を抱えた。
「なんだよその情報量」
本気だった。
本気で意味が分からなかった。
フィオナはため息を吐く。
「順番に聞いたら三日は掛かるわね」
シエルも頷いた。
「恐らく足りません」
つめは少し意外に思った。
やや弛緩した空気。
つめとしては一世一代の気持ちで話した。
嫌われる事も覚悟していた。
なんで騙してたんだ。
なんで嘘ついていたんだ。
でも。
みんなあくまで日常です、というテンションだった。
つめが少し不思議に思っていると。
フィオナがフォークを置いた。
金属音が小さく鳴る。
「それを言うなら私もかしら」
風が窓を鳴らした。
皆が見る。
フィオナは少しだけ困った顔をする。
「私の髪」
指先で髪を摘む。
「昔は違う色だったの」
「え?」
「妖精契約の影響よ」
リオンが目を丸くする。
「妖精契約ってかなり珍しくないか」
フィオナは肩を竦めた。
「お伽噺の世界かと思ってた」
「そうね」
リオンは本気で驚いていた。
冗談を聞いた時の顔じゃない。
フィオナはそんな反応を見慣れているのか。
肩を竦めただけだった。
「伝説上の勇者が行ったとされていますね」
シエルのその説明につめが固まった。
すると。
今度はリオンだった。
「じゃあ俺もか」
窓の外を見る。
「あら、リオンも何かあったの」
リオンも少し照れ臭そうな顔をする。
「親父が小人族」
沈黙。
「しかも族長家系」
更に沈黙。
「は?」
つめの声だった。
「いやその反応やめろ」
リオンが苦笑する。
「クロックってあの世界時計の一族だったんですか」
シエルが驚く。
「まぁ、あくまで家系ってだけ」
「それでも驚きです」
「でもそのせいか魔法出力はからっきしなんだよな」
「そうなんだ」
「小人族自体があんま魔力と相性よくねぇんだ」
工具を振り回している姿は何度も見た。
でも。
その理由を聞いたのは初めてだった。
「なら私も」
シエルは資料を閉じた。
付箋だらけの資料だった。
「母が森人族です」
静かな声だった。
「だから森人族の集落にいた時期があります」
シエルは指先で資料の端をなぞった。
「だからでしょうか」
少しだけ。
考えるように。
「何人たりとも姿を偽る事なかれ、と言いますが」
静かな声だった。
「仲間を守る嘘は悪い事だと思いません」
森人族らしい答えだった。
最後に視線が集まる。
レイン。
レインは少し考えた。
そして。
「祖父が竜人族」
それだけ言った。
リオンが待つ。
続きがあると思った。
でも。
終わった。
「終わり?」
「終わり」
「短くね?」
「特に隠してないし」
そう言ってスープを飲む。
本当に興味が無さそうだった。
静かになった。
誰も喋らない。
船が揺れる。
窓の外では海が流れていく。
つめは皆を見る。
知らなかった。
本当に。
誰も知らなかった。
でも。
誰も騙していた訳じゃない。
ただ。
言う機会が無かっただけだった。
「私だけかと思ってた」
つめが呟く。
レインが顔を上げる。
「何が」
「隠してるの」
少しだけ笑う。
自嘲だった。
「カノとか。
サクラとか。
炎上の魔女とか」
レインはしばらく考えた。
窓から差し込む朝日が横顔を照らす。
そして。
首を傾げた。
「別に」
短い言葉だった。
つめが見る。
レインは言う。
「カノもつめだし」
つめが黙る。
レインは少しだけ首を傾げる。
「違うの?」
違わない。
たぶん。
ずっと。
同じだった。
サクラになっても。
カノになっても。
結局。
自分は自分だった。
窓の外。
海が光っていた。
ただ波の音だけが聞こえていた。




