外伝 レインお坊っちゃまの初恋
メイドは知っている。
レイン・アルヴェルトという主人が。
異常なほど優秀で。
異常なほど退屈していて。
異常なほど人に興味がないことを。
だから。
朝食の席で三十分も考え込んでいる姿を見た時。
本気で体調不良を疑った。
「坊ちゃま」
「なに」
「毒でも盛られました?」
レインが顔を上げる。
「なんで」
「朝から三十分も悩んでいるので」
レインは少し考える。
「確かに珍しいかも」
「認めるんですか」
そして。
レインは紅茶を一口飲んで言った。
「気になる人できた」
部屋にいたメイド全ての動きが止まった。
「「……は?」」
◇
レインは昔から人が苦手だった。
正確には。
人間がつまらなかった。
縁談相手。
貴族。
教師。
同級生。
会う前から分かる。
何を期待しているか。
何を求めているか。
どんな顔を見せたいのか。
だいたい外れない。
みんな。
相手を見ているようで見ていない。
自分の中の理想像を押し付けているだけだった。
だから。
レインも合わせた。
神童らしく。
貴族らしく。
期待される通りに。
そしてめんどくさくなった。
期待に応えても得るものは無い。
期待を裏切ると失うものが多すぎる。
なら、
適度に応えて適度に流せばいい。
そして、
自分に矛先が向く前に転がしてしまえばいい。
そう考えるようになった。
だから。
Eクラスを初めて見た日も。
最初は同じだった。
騒ぐDクラス。
怒るCクラス。
全部予想通り。
全部退屈。
けれど。
一人だけ違った。
赤茶の髪。
一番後ろ。
目立たない場所。
その女だけが。
怒らなかった。
代わりに。
警戒した。
まるで。
自分が見られている事に気付いたみたいに。
その時。
初めて。
レインは少し驚いた。
「ああ」
“こちらを見返してきてる。”って。
心の中で思った。
「面白いものも見つかったしね」
あの言葉は。
案外本音だった。
次に興味を持ったのは。
たまたま通りがかったEクラスに声を掛けた時。
チェスの駒の話をした。
「ポーンだけが好きな駒になれる」
リオンは意味が分かっていなかった。
フィオナも興味がなかった。
けれど。
カノだけは聞いてきた。
「……何が面白いの」
何が面白いのか。
レインは少し考えた。
フィオナは完成している。
シエルもそう。
クロードも。
リオンも。
大体予想できる。
でも。
カノだけは違う。
何になるか分からない。
本人ですら決まっていない。
まさにポーンみたいだった。
どこへでも行ける。
何にでもなれる。
だから面白い。
そして。
事件が起きた。
なんとなくいつか大事になる予感がしていた。
故意と作為の糸がいくつも引いてあったから。
そして。
護符を使用した生徒が暴走した。
ノクト教授が敵対した。
学園が壊れた。
その中で。
レインは見ていた。
ずっと。
見ていた。
一人の少女を。
怖がっていた。
震えていた。
逃げたそうだった。
なのに。
逃げない。
理解できなかった。
怖がっている。
逃げたがっている。
それは分かる。
でも。
本当に嫌なら、とっくに逃げているはずだった。
人前にも立たない。
炎上の中心にも行かない。
あんな顔をしながら、いつも一番面倒な場所へ行く。
そんな人間は、
初めてだった。
それに気付いた瞬間。
レインは目を離せなくなった。
後日
医務棟。
事件の後。
レインが壁にもたれていた。
沈黙。
しばらく。
どちらも喋らなかった。
「ねぇカノ」
「なに」
レインは少しだけ視線を逸らした。
「その」
珍しく歯切れが悪い。
「気になる人とかいるの」
カノが瞬きをした。
「……は?」
「いや」
あまりにレインらしくない話題に、
カノは変な顔をした。
「なに急に」
「別に」
全然別にの顔じゃない。
何かをずっと考えている顔だった。
「いないの」
「いるわけないでしょ」
即答だった。
レインの肩が少しだけ下がる。
その反応を見て。
カノは何かに気付いた。
気付いてしまった。
「あー」
頭を抱える。
「そういえば言ってなかったっけ」
「?」
「私26」
沈黙。
「26!?」
思わず大きな声が出てしまう。
8歳も歳上だった。
「26だけど悪い?」
「……26」
「あまり年齢連呼しないで」
レインは固まった。
人生で初めてだった。
予想が外れた。
完全に。
綺麗に。
外れた。
「もっと下だと思ってた」
「それも失礼」
つめは少し沈黙した。
「まあ夫いたし」
思考停止。
ここまでの衝撃を受けたのはいつ以来だろう。
「え?」
「ん?」
「……夫?」
「いた」
つめは思い出すように視線を飛ばした。
そして。
「今はいない」
寂しそうに言った。
「じゃ」
カノは立ち上がった。
去っていく。
レインだけが残された。
二分くらい。
動けなかった。
人生で初めて。
魔法より強い攻撃を受けた気がした。
◇
その日の夜。
魔道通信。
父へ。
レイン『気になる人できた』
父『結婚か』
レイン『違うと思う』
父『相手は』
レイン『平民』
父『ほう』
レイン『年上』
父『ほう?』
レイン『26歳』
父『……』
父『本当に26か』
レイン『本当』
レイン『夫もいたらしい』
父『……』
父『お前は何をしている』
レイン『分からない』
父『私も分からん』
通信が切れた。
◇
「坊ちゃま」
「なに」
「朝の気になる人のお話、本当ですか?」
少し考えてレインが答えた。
「多分」
その顔は心なしか楽しそうに見えた。
メイドは頭を抱えた。
「花とか贈ったらどうです」
「嫌そう」
「お食事に行くとか」
「警戒しそう」
「褒めてさしあげるとか」
「嫌そう」
「終わってますね」
レインは少し考えた。
「“でも“」
「はい」
「見てると安心する」
「はい」
「でも目を離すと不安」
「はい」
「死にそうだから」
メイドは少し考えてから言った。
「重症ですね」
「カノ?」
「坊ちゃまです」
◇
一週間後。
会議室。
代表団選定。
「行く」
カノは即答だった。
本来なら。
自分は行かない。
面倒だから。
危険だから。
興味がないから。
けれど。
思い出す。
サクラ教団。
そして。
一人でも行きそうな顔をしているカノ。
クロードの声が響く。
「同行者は?」
フィオナ。
シエル。
リオン。
沈黙。
ソファへ寝転がっていた身体を、
ゆっくり起こした。
「俺も行く」
リオンが顔をしかめる。
「お前めんどくさがってたじゃねえか」
少し考える。
「放っとくと危ないから」
リオンが吹き出した。
◇
その夜。
屋敷。
荷造りをする主人を見ながら。
メイドは頷く。
「坊ちゃま」
「なに」
「頑張ってください」
「なにを」
「恋です」
レインは少し考えた。
本当に少しだけ。
「これ恋なの?」
メイドは笑った。
「船旅は二週間あります」
窓の外。
海へ向かう風が吹く。
「こういうのは」
荷物を閉じる音。
「そこで心を掴むんですよ」
レインは首を傾げた。
意味が分かっていない顔だった。
メイドは確信する。
この恋は。
きっと。
とても面倒なことになる。
そして。
それを少しだけ楽しみにしていた。




