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『異世界でも、また私だけが叩かれるらしい』  作者: シェイプシフター
第六章 魔導学園・無許可聖具編
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第58話 鍵垢

ノクトが、赤黒い臓器みたいなそれを見下ろす。

まだ脈打っていた。


どくん。

どくん。


ミレイの呼吸に合わせるみたいに、赤い光が明滅する。


「……実証実験といこう」


ノクトが笑う。


指先で、それを静かに持ち上げた。

赤い靄が、嬉しそうに集まってくる。


まるで。

帰る場所を見つけたみたいに。


ノクトは躊躇わなかった。


果実でも齧るみたいに、それを口へ運ぶ。

ぶつり。


赤い光が、ノクトの喉奥へ沈んでいく。


飲み込んだ。

それだけだった。

なのに。


空気が変わる。


学園中へ散っていた赤い靄が、

一斉にノクトへ引き寄せられていく。


倒れていた暴走生徒達の身体からも、

赤い光が抜けていった。


ミレイが床で痙攣する。


「っ……ぁ……」


呼吸が浅い。

胸元には、抉り取られたみたいな赤黒い傷。


つめの頭が真っ白になる。


「ミレイ!!」


駆け出そうとした瞬間。

腕を掴まれた。


「離せ!!」


クロードだった。


聖剣デバイス。

白銀の装甲が腕を覆っている。


「死ぬぞ」


低い声。

つめが振り払おうとする。

でも。


その前へ、

シエルが光壁を展開した。


「今近づかないでください!!」


「でもミレイが――!!」


「だからです!!」


空気が張り詰める。


その横を。

ガルムだけが動いた。


低く。

獣みたいな踏み込み。


ノクトの視線がクロード達へ向いた一瞬で、ミレイの身体を抱え上げる。


「……まだ生きてる」


軽かった。

赤い靄は、もうほとんど残っていない。


あるのは。

血と。

壊れかけた呼吸だけ。


フィオナが振り返る。


「ガルム!!」


シエルが叫ぶ。


「その子を連れて下がってください!!」


「医務棟へ!!」


ガルムが顔をしかめる。


「だが――」


「今ここにいても死ぬだけです!!」


シエルの声が鋭く響いた。


「その子を助けられるのは今だけです!!」


ガルムが歯を食いしばる。

その時。


ミレイの唇が、小さく震えた。


「……カノ」


ガルムの顔が歪む。


「っ……」


そのまま、

ミレイを抱えて離脱した。


残された空間。


ノクトだけが、

静かに立っている。


赤い靄が、

嬉しそうにノクトへ集まっていく。


クロードが前へ出た。


「……何故だ」


「何故?」


ノクトは、

本当に不思議そうな顔をした。


「進化を止める理由が分からない」


シエルの顔色が変わる。


「護符を作ったのは……貴方ですか」


ノクトは否定しなかった。


「本来は副次的な観測のつもりだった」


赤い靄を見上げる。


「予想以上に発展した」


空気が凍る。


護符。

核。

暴走。


全部。

繋がった。


その時。

空で巨大な魔法陣が展開した。


風圧。

全員が反射的に見上げる。


レインだった。


制服を揺らしながら、

空中へ浮いている。


でも。

いつもの気怠げな顔じゃない。


「気絶してた子達は、ベアトリスの所に飛ばしといた」


ぼんやりした声。


でも。

瞳だけ冷たい。


「だから今は」


次の瞬間。


空が埋まった。


炎。

氷。

雷。

風。

光。

五属性の魔法陣が瞬時に浮かぶ。


何十。

何百。


空間そのものが、

色で染まる。


リオンが顔を引きつらせた。


「おいおい……」


フィオナですら息を呑む。

レインが手を下ろした。


全部、落ちる。


轟音。


ノクトへ向かって、

全属性魔法が同時着弾する。


爆発。

凍結。

雷鳴。

会場そのものが吹き飛びかける。


でも。

ノクトは動かなかった。


ただ。

指を少し動かす。


その瞬間。

空間が、ずれた。


「――は?」


レインの顔から、

初めて感情が抜け落ちる。


着弾したはずの魔法が、

全部、

ノクトの周囲を滑っていく。


届かない。


シエルが叫ぶ。


「空間偏位――!?」


クロードが踏み込む。


聖剣デバイス。

無属性魔力噴出。


白銀の残光。

速い。


でも。

ノクトは避けない。


空間そのものが、

斬撃を逸らした。


クロードの目が見開かれる。


「っ――!!」


シエル。

多重術式展開。


拘束。

圧縮。

追尾。

射出。


同時発動。

でも。


全部。

届く前に位置がずれる。


「ありえません……!空間偏位は、必要魔力量が大きすぎる……!」


シエルの声が震える。


「人間が常時維持出来る術式じゃない……!」


ノクトは、

少しだけ首を傾げた。


「何故そんな非効率な工程を?」


次の瞬間。

空間が軋んだ。


衝撃。

クロードが吹き飛ぶ。


壁へ激突。

床が砕ける。


「クロード!!」


フィオナが炎槍を展開。


リオンが魔道具を起動。


でも。

ノクトは面倒そうに呟いた。


「少し静かに」


その瞬間。

空気が沈んだ。


重い。

違う。

空間そのものが圧し潰してくる。


床が陥没した。


「っ、ァ――!!」


リオンが膝をつく。

フィオナの炎槍が砕ける。

シエルの結界に罅が入る。

レインの魔法陣が潰れる。


つめも壁へ叩きつけられる。

肺の空気が抜けた。


「っ、は……」


ノクトだけが、

何も変わらない。


つめが歯を食いしばる。


黒い靄。

黒腕。

噴き出す。


でも。

遅い。

鈍い。

ノクトへ届かない。


違う。


力が弱いんじゃない。

自分が、

迷っている。


つめの視線が揺れる。

壊れた観客席。


歓声の残響。


視線。

期待。

悪意。

全部、頭へ流れ込んでくる。


その時。

黒い靄が、

ゆらりと揺れた。


『いや今出るターンじゃなくない?』


声。

エルフ姿の鷹乃つめ。


鏡の中で笑っていた、

あの女。


つめの呼吸が止まる。


『今あいつとやると普通に死ぬって』


「……っ」


黒腕が、

舞台袖へ引っ張るみたいに揺れる。


逃げろ。

隠れろ。

今は見られるな。


そんな意思だけが、黒い靄から滲んでいた。


つめの背筋が冷える。


「……鍵かけて逃げろって?」


黒い靄が、嬉しそうに揺れた。


否定しない。


つめは、

壊れた観客席を見る。


自分を見ていた視線。


歓声。

野次。

期待。

恐怖。

全部。


ミレイと同じだった。

違うと思っていた。


でも。

自分も。

見られて。

騒がれて。

存在を感じていた。


そして。

以前は。


「ざまぁ」って。


見ていた側でもある。

見られていた側でもある。


ノクトが、

こちらを見る。


漂う黒い靄に興味を持ったみたいに。


「なるほど」


静かな声。


「君も、かなり適応している」


黒腕がざわつく。

隠れようとする。

逃げようとする。


でも。

つめの脳裏へ、

ミレイの声が浮かんだ。


(「ちゃんと、私見えてる?」)


呼吸が止まる。


つめが、

ゆっくり顔を上げた。


“でも。”


「……違う」


小さな声。


黒い靄が、動揺したみたいに、

初めて揺れた。

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