第54話 観測変換
眠れなかった。
寮の部屋。
天井を見上げたまま。
つめは、ずっと目を閉じられずにいた。
寮の談話室はまだ騒がしい。
「護符の力じゃないってマジかよ……」
「じゃあ何なんだよ、あの黒い腕」
「大会どうなるか、ちょっと気にならね?」
ざわめき。
好奇心。
期待。
壁越しに伝わってくる。
つめは布団を被った。
でも。
耳を塞いでも。
頭から離れない。
黒風。
黒炎。
黒腕。
あの感触。
自分の身体なのに。
自分じゃなかった。
「……やだ」
小さく呟く。
でも。
その瞬間。
背中がぞわりとした。
まるで。
まだ何かがいるみたいに。
つめは反射的に振り返る。
誰もいない。
なのに。
“見られてる”。
そんな感じだけが消えなかった。
◇
気付くと。
知らない場所に立っていた。
鏡。
鏡。
鏡。
どこまでも。
鏡だらけの部屋。
床も。
天井も。
全部。
つめを映している。
でも。
微妙に違った。
笑ってる自分。
泣いてる自分。
怒ってる自分。
妙に可愛く映ってる自分。
加工されたみたいな自分。
全部。
“誰かに見られた自分”だった。
つめの背筋が冷える。
「……なにここ」
返事はない。
でも。
声だけが聞こえた。
『ねぇ』
女の声。
近い。
でも。
どこから聞こえるのか分からない。
『なんでそんな嫌そうなの?』
つめが振り返る。
誰もいない。
『見られるの』
『嫌いじゃなかったでしょ?』
つめが眉を寄せる。
「……誰」
返事はない。
でも。
少しずつ。
違和感が大きくなる。
声。
喋り方。
間。
どこか。
自分に似ていた。
つめの顔から血の気が引く。
「……え」
その瞬間。
正面の鏡。
水面みたいに揺れた。
そこから。
女が現れる。
長い耳。
金髪。
露出多めのエルフ衣装。
前世。
イベントで着ていたコスプレ姿。
でも。
現実より綺麗だった。
理想化されたみたいに。
“見られるための鷹乃つめ”。
女は笑う。
つめと同じで、つめより綺麗な顔で。
「はじめまして」
ゆっくり。
一礼する。
「鷹乃つめです」
つめが後ろへ下がる。
「……は?」
理解が追いつかない。
でも。
目が離せなかった。
鏡の中の自分達が。
全員。
その女を見て笑っている。
鷹乃つめは楽しそうだった。
「そんな怖がんなくてもいいじゃん。
だって私、お前だよ?」
「違う」
即答だった。
「……そんな顔じゃない、そんな喋り方もしない」
「えー」
鷹乃つめが笑う。
「でも見られる時は、こういう方がウケたじゃん」
ぞわり、とした。
つめは黙る。
鷹乃つめは鏡へ腰掛ける。
「お前さ。
見られるの嫌って顔するけど。
本当は嫌いじゃなかったよね」
「違う」
「じゃあなんで舞台立ってたの?」
言葉が止まる。
鏡の中。
フラッシュ。
カメラ。
SNS。
バズ。
通知。
コメント。
炎上。
『加工すご』
『でも顔かわいい』
『承認欲求やばそう』
『また炎上してる』
頭が痛くなる。
鷹乃つめは笑ったまま。
「嫌だったよね」
「でも」
少し首を傾げる。
「気持ちよかったでしょ?」
つめが顔をしかめる。
否定したい。
でも。
出来なかった。
見られる。
反応される。
名前を呼ばれる。
良くも悪くも。
“自分がいる”って実感出来た。
「……やめて」
「なんで?」
鷹乃つめが笑う。
「今だってそうじゃん」
鏡が変わる。
学園。
観客席。
歓声。
野次。
『また見たい』
『もっとやれ』
『怖ぇ』
『気味悪ぃ』
好意も。
悪意も。
全部。
つめへ向いている。
「やめろって……!」
つめが耳を塞ぐ。
でも。
声は止まらない。
鷹乃つめが立ち上がる。
「観測変換」
つめが顔を上げる。
「……なに」
「私の名前」
鷹乃つめは笑う。
「いや。
お前の力か」
鏡の中の“つめ”達が笑う。
「私はね。
お前が観測された結果だよ。
皆が見たお前。
期待したお前。
面白がったお前。
消費したお前。
炎上したお前。
全部混ざって出来た」
つめの背筋が寒くなる。
「……違う」
「違わないよ」
観測変換は楽しそうだった。
「お前、自分を普通だと思いたがってるけど。
普通の人間は、あんな風に見られない。
普通の人間は、悪意に愛されない」
つめの呼吸が止まる。
「悪意……?」
「うん」
観測変換が笑う。
「あの黒いの。腕も炎も風も靄もぜーんぶ。
悪意だよ。
でも勘違いしないで」
鏡の景色が変わる。
笑顔。
歓声。
拍手。
SNS。
『次まだ?』
『もっと見たい』
『炎上してるw』
全部。
ぐちゃぐちゃに混ざる。
「悪意って」
「嫌いとか、殺したいとかだけじゃない。
面白がるのも。
消費するのも。
もっと見たいも。
全部、悪意」
つめは息を呑む。
観測変換は、つめへ近づく。
「お前。
もう気付いてるでしょ?
皆。
お前が壊れるのも期待して見てる」
ぞわり、とした。
つめが後ろへ下がる。
鏡の中。
無数の自分が笑っている。
「そんなの」
声が震える。
「そんなの、私じゃない」
観測変換が止まる。
それから。
少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあ」
静かに。
問いかける。
「なんでこっち側にきたの?」
言葉が出ない。
鏡。
歓声。
視線。
全部が重なる。
観測変換が微笑む。
「お前。
ちょっと分かっただろ?」
つめは耳を塞ぐ。
でも。
否定しきれない。
見られること。
怖い。
でも。
少しだけ。
気持ちいいと思ってしまった事がある。
その瞬間。
視界が揺れた。
◇
目が覚める。
汗で気持ち悪い。
呼吸が荒い。
「……はぁ……っ」
夢。
なのに。
妙に生々しかった。
つめはゆっくり顔を上げる。
部屋の鏡。
そこへ。
一瞬だけ。
エルフ姿の自分が映った。
笑っている。
瞬きをした瞬間。
消えた。
その時。
学園放送が響く。
『明日より、大会を再開する』
遠く。
歓声が聞こえる。
その瞬間。
自分の周囲に。
黒い靄が、するりと這い出る。
嬉しそうに。
ゆらり、と揺れた。
つめはそれを見て。
少しだけ。
理解してしまった。
だからこそ。
余計に怖かった。




