第52話 悪意の片鱗
学園の模擬戦闘室前。
観客席は、既に埋まり始めていた。
「検証試合なんだろ?」
「でもシエル先輩出るってマジ?」
「やっぱアイツ護符使ってたんだって!」
ざわめき。
期待。
好奇心。
全部。
昨日より露骨だった。
控室。
つめは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「帰りたい」
「無理よ」
フィオナが即答する。
少し離れた場所。
リオンが壁へ寄りかかっていた。
まだ包帯だらけだ。
「つーか、なんでこんな公開なんだよ……」
「隠した方が余計騒ぐからでしょ」
フィオナが吐き捨てる。
ガルムだけは黙っていた。
その視線が、一瞬だけミレイへ向く。
「……お前」
ミレイが首を傾げる。
「ん?」
ガルムは少し眉を寄せる。
でも。
結局、口を閉じた。
「……いや」
つめだけ。
少し引っかかった。
その時だった。
「時間です」
空気が変わる。
シエル。
その後ろにクロード。
観客席のざわめきが、一段大きくなる。
「シエル先輩だ」
「専用武装なし?」
「舐めプじゃね?」
シエルは気にしない。
ただ。
真っ直ぐ、つめを見る。
「始めましょう」
◇ シエル視点――
カノという少女を。
シエルは、まだ理解出来ていなかった。
壁際。
露骨に嫌そうな顔。
猫背。
気怠げ。
視線も落ち着かない。
なのに。
妙に目を引く。
意識している訳ではない。
むしろ逆。
目立つ事を嫌がっている。
だが。
周囲の視線を無意識に集めている。
立ち位置。
視線の流し方。
言葉を切る間。
全部。
“見られる側”の動きだった。
おそらく本人は自覚していない。
厄介だ、とシエルは思う。
自覚なく視線を誘導する人間は。
本人すら予測しない方向へ、周囲を熱狂させる。
昨日が、まさにそうだった。
青炎。
長詠唱。
観客。
熱狂。
あれは。
試合というより。
舞台に近い。
そして。
最も危険なのは。
本人が、その構造を理解していない事だった。
家名を持たない。
珍しくはない。
だが。
学園、それも魔導戦へ立つ人間としては異質だった。
所属。
血統。
系譜。
普通は、そこへ人格が紐づく。
だが。
カノには、それが薄い。
だからこそ。
周囲の視線が、そのまま流れ込む。
シエルは、“努力”でここまで来た。
魔力総量は並。
身体能力も普通。
だから。
積み上げるしかなかった。
術式速度。
制御。
展開数。
演算。
全て積み上げた。
隣には、いつもクロードがいた。
あれは違う。
最初から完成されている側。
剣を握れば勝つ。
前へ出れば流れを変える。
そういう人間だった。
だからシエルは考える。
理解することで勝つ。
それと同時に。
人を見る。
期待。
恐怖。
信頼。
失望。
他人が、自分をどう見ているか。
それが分かる。
だから。
相手に応じた振る舞いが出来た。
優しく見られれば優しく。
頼られれば強く。
恐れられれば冷静に。
“正しいシエル・アークライト”を演じ続けてきた。
だが。
カノは違う。
“見られ方”へ感覚ごと引っ張られている。
開始。
同時に三層展開。
右後方。 〇・五秒後に氷柱設置。
正面。 光弾圧。
左。 回避誘導。
普通なら終わる。
だが。
カノは止まった。
ほんの一瞬。
“見た”。
次の瞬間。
右後方。
未完成な氷柱が出現する。
形が歪。
制御も粗い。
だが。
シエルの氷柱へぶつかった。
相殺。
その隙間を光弾が射貫く。
「っ……!」
肩を掠める。
シエルは止まらない。
光壁展開。
移動制御。
そこへ氷槍。
カノもまた。
似た術式を展開する。
遅い。
粗い。
だが。
“噛み合わせ”だけは正確だった。
シエルの術式へ。
後出しで無理やり合わせている。
見てから。
無理やり合わせている。
「……不思議ですね」
光弾。
射出。
カノが似た光弾をぶつける。
相殺。
「あなた、“見られ方”を理解している」
カノが顔をしかめる。
「……何それ」
氷槍展開。
回避先へ配置。
カノも氷槍。
形だけ真似た粗い術式。
だが。
配置だけは正確だった。
互いの氷槍が空中で砕ける。
「無意識でしょうが」
シエルは淡々としていた。
「視線が止まる角度。
空気が変わる間。
どこで歓声が起きるか。
あなたは感覚で掴んでいる」
図星だった。
カノの目が少し揺れる。
シエルは続けた。
「でも。
あなたは、それを制御していない」
シエル自身は違う。
他人が自分へ何を求めるか。
全部理解出来る。
だから。
“正しいシエル”を演じられる。
だが。
カノは違う。
“見られ方”へ感覚ごと引っ張られている。
「あなたは演じているんじゃない。
観測へ、共鳴している」
観客席がざわつく。
その瞬間。
カノの魔力が跳ねた。
シエルの目が細くなる。
――また。
「また長詠唱やれよ!」
「護符なしじゃ普通じゃん!」
「そろそろ認めたら~?」
歓声。
野次。
期待。
全部がカノへ向く。
その瞬間。
魔力がまた増える。
理論に存在しない。
だが。
現実に起きている。
「だから」
シエルが魔法陣を重ねる。
「周囲が求めるほど、あなたは変質する」
カノの顔が歪む。
「……知らないって」
次。
光弾。
直撃コース。
カノは避けなかった。
終わらせる気だ。
シエルがそう判断した瞬間。
カノの背後から黒い腕が生えた。
観客席が静まる。
黒。
人の腕じゃない。
光弾を叩き落とす。
カノ自身が一番驚いていた。
「……え」
よろめく。
その身体を。
黒腕が無理やり立たせた。
シエルの背筋が冷える。
これは。
護符ではない。
もっと別。
もっと近い。
“意思”。
2本になった黒腕が伸びる。
黒風が撃ち出される。
シエルは即座に障壁展開。
爆音。
観客席がどよめく。
「おい……」
「なんだあれ……」
カノが後退しようとする。
黒腕が肩を掴む。
止める。
前へ押す。
まるで。
“まだ見せろ”と言うみたいに。
◇ つめ視点――
「……なに、これ」
怖い。
初めて。
心の底から。
怖かった。
黒腕が。黒い魔力が。
自分の意思と関係なく動いている。
いや。
兆候はあった。
サクラ様の時。
観客の頭を押さえつけるみたいに。
舞台へ張り付かせていた黒腕。
皆、笑っていた。
熱狂していた。
でも。
あれも。
今思えば、おかしかった。
黒腕が。
また、つめの肩を掴む。
逃がさない。
後ろへ下がろうとすると。
無理やり前へ押される。
観客席がざわめく。
歓声。
期待。
全部。
まだ向いている。
まるで。
“もっと見せろ”と。
黒風が揺れる。
4本になった黒腕がまた伸びる。
つめは息を呑んだ。
黒腕が。
勝手に動く。
シエルが距離を取る。
でも。
黒腕が追った。
つめの身体ごと。
無理やり引っ張る。
「っ、ま……」
床を滑る。
黒い靄を纏った風が放たれた。
鋭い。
カマイタチみたいに空間を裂く。
シエルが即座に障壁展開。
でも。
黒風は障壁を削りながら進む。
観客席が悲鳴を上げた。
「おいっ!」
「シエル様やばいって!」
つめは咄嗟に自分の腕を押さえる。
でも。
止まらない。
「え、なにこれ……」
声が震える。
黒腕がまた伸びる。
今度は。
黒い炎。
あの青い炎とは違う。
もっと濁っていた。
揺らめく度。
周囲の魔力を吸うみたいに脈動している。
シエルの目が細くなる。
光壁。
氷柱。
多重展開。
黒炎がぶつかる。
轟音。
つめは後ろへ下がろうとする。
でも。
黒腕が肩を掴む。
逃がさない。
「っ……!」
怖い。
意味が分からない。
観客席が沸くほど。
黒腕が強くなる。
歓声。
悲鳴。
期待。
全部。
餌みたいだった。
シエルが後方へ跳ぶ。
次の瞬間。
黒腕が伸びた。
速い。
空間を裂くみたいに。
シエルの身体を掴む。
「……くっ!」
観客席が静まる。
ぎり、と。
黒腕が締め上げる。
つめの顔から血の気が引いた。
「あ……」
黒風が集まる。
周囲の歓声まで吸い込むみたいに。
止めを刺す。
誰の目にもそう見えた。
その瞬間。
ぴたり、と。
黒腕が止まった。
静寂。
黒風が揺れる。
まるで。
首を傾げているみたいに。
それから。
ゆっくり。
興味を失ったみたいに。
シエルを放した。
どさり、と。
シエルが着地する。
観客席がざわつく。
「……は?」
「なんで止まった?」
黒腕が揺れる。
まるで。
“これ以上は面白くない”
そう言うみたいに。
つめは息を詰まらせた。
理解したくなかった。
でも。
確かに。
あれには。
意思がある。
◇ シエル視点――
シエルは静かに呼吸を整えた。
腕が痺れている。
障壁越しですら。
異常な圧力だった。
だが。
理解した。
これは。
護符ではない。
少なくとも。
エルトの暴走と同系統ではない。
むしろ逆だ。
護符は。
感情へ飲まれていた。
だが。
これは。
感情を利用している。
観客席を見る。
歓声。
恐怖。
期待。
全てカノへ吸われていた。
しかし、無関係では無いと直感的に思った。
シエルはゆっくり口を開く。
「……検証は終了です」
空気が少し止まる。
クロードが眉を寄せた。
「シエル」
「カノは護符型ではありません」
断言だった。
「少なくとも」
「現在確認されている護符暴走とは、構造が違う」
観客席がざわつく。
カノだけ。
呆然としていた。
黒腕は。
もう消えていた。
でも。
まだ。
背中に何かいる感覚だけが残っていた。
◇ ノクト視点――
観客席は、まだ静まっていなかった。
ざわめき。
歓声。
恐怖。
熱狂。
全部が、まだ渦巻いている。
その中心。
どこか怯えた様子で立つ少女を。
ノクトは静かに見つめていた。
「……素晴らしい」
小さく呟く。
悪意。
期待。
歓声。
観測――
普通の人間なら、壊れる。
だが。
あれは違う。
向けられるほど。
反応する。
変質する。
増幅する。
ノクトは口元を緩めた。
「これ程、観測される事に適した個体もいない」
黒い靄が揺れる。
まるで。
観客席そのものを喰っているみたいだった。
「だが」
ノクトは目を細める。
「今のままでは、あまりにも相対的すぎる」
観測次第で揺れる。
周囲次第で変質する。
不安定。
未完成。
「中身の不安定さと、周囲の不安定さが共鳴しているのか」
カノの周囲で黒い風が蠢く。
歓声が大きくなる。
比例するように。
風も強くなる。
ノクトはそこで、小さく笑った。
「……なら」
少しだけ。
考えるように間を置く。
「中身は必要ないか」
視線は。
カノの胸元。
その奥。
もっと深い場所を見るみたいだった。
「核だけあれば十分だ」
その瞬間。
隣のローブ姿の女の纏う空気が変わった。
ぴり、と。
殺気。
ノクトが少し目を向ける。
ローブの奥。
女の瞳だけが、冷たくノクトを見ていた。
敵意だった。
けれど。
ノクトは笑うだけだった。
「おや」
観客席の歓声が、また大きくなる。
その中心で。
カノだけが、何かに怯えるみたいに立っていた。




