外伝 鷹乃つめをサクラにした男
つめを最初に見た時。
ジードは、「あ、売れる」と思った。
雨上がりの街道だった。
黒髪の女が、道端の石壁へ背中を預けて座っている。
荷物は少ない。
顔色は悪い。
服もぼろい。
けれど。
妙に目を引いた。
通行人が、ちらちらと視線を向けていく。
別に美人というわけじゃない。
むしろ疲れている。
ただ。
“見てしまう顔”をしていた。
「一人旅か?」
声をかける。
女は露骨に嫌そうな顔をした。
「……そう見える?」
「見えるな」
「じゃあそう」
刺々しい返事。
ただ。
本当に危ない奴特有の、“帰れ”を言わない感じがあった。
ジードは昔、そういう人間を何人か見てきた。
「金は?」
「ない」
「即答か」
「うるさい」
思わず笑う。
その時だった。
「おいジード!夏幻祭に遅れるぞ!」
後ろから団員の声が飛ぶ。
その瞬間。
女の足が止まった。
「……夏幻祭?」
反応が早い。
ジードは少し笑う。
「祭りだよ。でかい祭り」
女の視線がこちらへ向く。
「見世物の街だ」
その言葉を聞いた瞬間。
女の目が、ほんの少しだけ揺れた。
見逃さなかった。
ああ。
そういうタイプか。
「劇団、道化、仮装、大道芸。人に見られて稼ぐ場所だ」
女はしばらく黙っていた。
それから。
「……見世物」
嫌そうに呟く。
けれど。
完全には拒絶していなかった。
ジードは女を見る。
黒髪。
目つきが悪い。
妙に攻撃的。
ただ。
舞台へ上げたら、客が勝手に視線を向けそうな顔をしていた。
「元は耳長役か?」
その瞬間。
女の顔が止まる。
地雷だったかと思った。
けれど返ってきたのは。
「……エルフ役?」
掠れた声。
「ああ。人気あるんだよ。綺麗で、少し高慢そうな役は」
女は何も言わない。
ただ。
否定もしなかった。
そこで確信する。
こいつ。
“演じる側”だ。
しかも、かなり深いところまで。
「うち、ちょうど耳長役が飛んでな」
「逃げたの?」
「祭り前は揉めるんだよ」
人気が出る。
客が付く。
金が動く。
そういう場所は、だいたい人間関係が壊れる。
女は嫌そうな顔をした。
「……最悪じゃん」
「けど稼げる」
その瞬間だけ、女が黙る。
分かりやすい。
金が無いんだな、と察した。
「飯は出るぞ」
「宿は?」
「雑魚寝」
「雑魚寝……」
「嫌なら野宿だな」
数秒後。
「雑魚寝で」
思わず吹き出した。
「笑うな」
「いや、分かりやすすぎるだろ」
女は荷車へ乗った。
かなり警戒したまま。
けれど、逃げようとはしない。
一座の連中が、珍しそうに女を見る。
その視線を。
女は全部気にしていた。
見られることへ慣れている。
そこでまた思う。
ああ。
売れるな。
「名前は?」
「たかのつめ」
変な名前だった。
ただ。
妙に耳へ残る。
「俺はジード」
「劇団長?」
「雑用係だ。金勘定と、揉め事の尻拭い担当」
つめは少しだけ笑った。
初めてだった。
ただ。
どこか無理してる笑い方だった。
祭りの街が見えた時。
つめは完全に目を奪われていた。
歓声。
灯り。
大道芸。
仮装。
大量の人。
大量の視線。
横目で見る。
つめは息を呑んでいた。
怖そうなのに。
少し嬉しそうだった。
嫌な予感がした。
たぶん。
こいつ。
見られるのが好きだ。
かなり危ない形で。
「見られる仕事」
つめが小さく呟く。
ジードは肩を竦めた。
「そうだ。見られてなんぼだ」
その瞬間。
つめの顔が少し変わった。
後になって思う。
たぶん。
あの時だった。
“鷹乃つめ”が、“サクラ”へ近づき始めたのは。
最初は商売だった。
耳を削る。
草を編む。
衣装を縫う。
その姿を見て。
歩き方を教える。
視線を教える。
けれど。
つめは異常だった。
吸収が早すぎる。
「そこ、半拍遅く振り返れ」
翌日。
完璧。
「……化け物かよ」
つめは肩を竦める。
「コスプレと同じだし」
意味はよく分からなかった。
ただ。
“別人になる”ことだけは、異様に上手かった。
領主がつめを欲しがった時。
ジードは断った。
「一晩貸せ」
酒臭い声だった。
笑ったまま返す。
「うちの商品なんで」
半分本音。
半分嘘。
本当は。
ああいう場所へつめを出したら、戻ってこない気がした。
壊れる。
もっと、取り返しのつかない形で。
だから断った。
あとでつめが聞いてきた。
「なんで断ったの」
「商品だから」
「最低」
「あと、お前向いてねえよ」
つめは少し黙る。
それから。
「……なんでそこだけまともなの」
ジードは煙草へ火をつけた。
「孤児院へ金送ってる」
「は?」
「ガキが飢えると後味悪い」
つめは変な顔をした。
その顔だけ、妙に年相応だった。
夏幻祭が始まってから。
全部おかしくなった。
客が増える。
熱狂する。
サクラ護符が出る。
喧嘩が起きる。
泣く奴が出る。
怒鳴る奴が出る。
ただ。
一番まずかったのは。
つめ本人が、見られるほど嬉しそうになっていったことだった。
ジードは初めて理解した。
舞台中央。
炎。
歓声。
黒い腕。
誰も目を逸らせない。
そして。
つめが笑っていた。
泣きそうな顔で。
なのに。
気持ちよさそうだった。
そこでやっと分かった。
ああ。
こいつ。
もう戻れねえ。
そして。
つめは舞台から降りられなかった。
「……やだ」
子供みたいな声だった。
けれど。
歓声は止まらない。
炎が揺れる。
黒い腕が増える。
観客が狂っていく。
だから。
ジードは腕を掴んだ。
「行くぞ」
つめは笑う。
「まだ見てるし」
その瞬間。
理解した。
“サクラ”は、もう消えない。
みんなが見た。
みんなが燃やした。
だから。
もう。
ただのたかのつめには戻れない。
ジードは低く言った。
「……“たかのつめ”を、 俺が殺してやるよ」
歓声の向こう。
つめが、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
数ヶ月後。
雨の学園都市。
ジードは、一人の女とすれ違う。
痩せている。
ぼろぼろ。
目だけが危ない。
何かへ縋るような目だった。
つめとは違う。
けれど。
どこか似ていた。
女は学園の方へ歩いていく。
ジードは煙を吐く。
「……またかよ」
雨の向こう。
学園都市の灯りだけが、 ぼんやり揺れていた。




