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第31話 新天地へ

翌朝。


つめは、一人で街道を歩いていた。

荷物は少ない。


安宿で貰った硬いパン。

水袋。

くたびれた外套。

そして、ギルドから渡された最低限の路銀。


それだけ。


「……少な」


財布の中を覗いて、つめは顔をしかめる。


金がない。

本当にない。


宿代を払って、食べて、少し休んだら終わるくらいしかない。


「半追放って、生活保障とかないわけ?」


ない。

当たり前だ。


別に正式に追放されたわけじゃない。

ただ、ギルド内で待機するな。

他の冒険者と揉めるな。

しばらく距離を置け。


そう言われただけ。

つまり。


「自分でなんとかしろってことじゃん……」


つめは小さく舌打ちした。

背後には、もうあの街はない。


ガルドも。

ルカも。

ミリも。

セナも。


いない。


振り返らないと決めたのに、何度か振り返りそうになった。

特に、セナの声はまだ耳に残っている。


『もう居場所ないのに』


「……知らないし」


つめは誰もいない街道で呟いた。


知らない。

知らないことにする。

そうしないと、足が止まる。


草原の道は広かった。

空も広い。

異世界の空は、腹立つくらい綺麗だった。


電線もない。

ビルもない。

広告もない。

通知もない。


なのに。

頭の中だけは、ずっと騒がしい。


『炎上の魔女』


あの呼び名。


黒い風。

怯えた顔。

ギルドマスターの声。


『お前は危険だ』


「……危険って」


つめは顔をしかめる。


危険。

自分が。

笑える。

いや、笑えない。


確かに、人が倒れた。

一般人も怯えた。

セナは居場所を失った。

ガルド達も離れた。

全部、事実だった。


「……最悪」


ぽつりと漏らす。


その時。

少し先の道端から、陽気な音が聞こえた。


笛。

太鼓。

笑い声。


つめは顔を上げる。


荷車が数台、道の端で休んでいた。

布で飾られた車。

派手な旗。

木箱。

楽器。

仮面。


旅芸人の一団らしい。


「お」


荷車の横に座っていた男が、つめに気づいた。


派手な紫の上着。

片耳に金色の飾り。

人懐っこそうな笑顔。

でも目だけは妙に鋭い。


「一人旅か?」


「……そう見える?」


「そう見えるな」


「じゃあそう」


つめは素っ気なく返す。

男は笑った。


「行き先は?」


「決めてない」


「危ないなぁ」


「知ってる」


「金は?」


「ない」


「正直だな」


「うるさい」


つめは歩き去ろうとした。

その時、荷車の奥から別の男の声がした。


「おいジード!そろそろ行くぞ!夏幻祭に遅れる!」


夏幻祭。

その言葉に、つめの足が止まった。


「……なにそれ」


紫の上着の男――ジードが、にやっと笑う。


「知らないのか?」


「知らない」


「祭りだよ。でっかい祭り。劇団、大道芸、仮装、屋台、見世物。人が山ほど集まる」


人が山ほど。

つめの胸が、少し嫌な感じに鳴った。

どくん。


「……見世物」


「そう。見世物。人に見られて稼ぐ場所だ」


ジードはつめを上から下まで見る。

その視線に、つめは少し眉をひそめた。


「なに」


「いや、面白い格好だと思ってな」


「喧嘩売ってる?」


「褒めてる」


「嘘くさ」


ジードは笑う。


「黒髪。目つき悪い。妙に舞台映えしそうな顔。あと、その服」


つめは自分の服を見る。

もう、最初のエルフ衣装はほとんど残っていない。


ガルド達に貰った現地服。

補修された布。

動きやすい黒いズボン。

革のベスト。


でも。

青白い布の切れ端。

ほつれた装飾。

どこかに残った“衣装”の名残。


完全に普通の冒険者ではなかった。


「元は耳長役か?」


「……は?」


「エルフ役。祭りだと人気なんだよ。神秘的で綺麗で、少し高慢で、客が喜ぶ」


つめは固まった。

エルフ。

その単語が、嫌な場所を突いてくる。


最初に異世界へ来た時。

金髪ウィッグ。

尖った耳。

青いローブ。

緑のケープ。


本物のエルフと勘違いされて、王族扱いされた。

その後、耳を外して牢獄行き。

最悪の始まり。


「……エルフ役」


つめは小さく呟く。

ジードは頷く。


「できる奴は稼げるぞ。今、うちの一座も一人逃げたところでな」


「逃げた?」


「祭り前は揉めるんだよ。客も多いし、稼ぎも大きいし、嫉妬も出る。まあ、人が集まる場所なんてそんなもんだ」


人が集まる場所。


揉める。

嫉妬。

見られる。

つめは少しだけ嫌な顔をした。


「……最悪じゃん」


「そうか?」


「そうでしょ」


「でも稼げる」


その言葉に、つめは黙った。


金。

かなり大事。


食べるため。

寝るため。

生きるため。


ギルドにいられないなら、別の仕事を探すしかない。


戦闘はまだ怖い。

採取も得意じゃない。

荷運びは嫌。

料理はできない。

火起こしも怪しい。


特技。


つめの脳裏に、ギルド登録の時の会話が浮かんだ。


『特技は?』


『……変身?』


別人になるのは得意。

あの時は笑われた。


でも。


「……コスプレで、食える?」


思わず口から漏れた。

ジードが首を傾げる。


「こすぷれ?」


「あー……仮装。役作り。そういうの」


「ああ」


ジードはにやりとした。


「食える。上手ければな」


つめは黙る。

胸の奥が少しざわついた。

嫌な感じではない。

懐かしい感じだった。


衣装を作る前の夜。

ウィッグを整える時間。

鏡の前で表情を作る瞬間。

イベント会場へ向かう足取り。


写真を撮られている時だけは、嫌なことを忘れられた。


見られている時だけ、自分が少しマシなものになった気がした。


「……」


つめは唇を噛む。

駄目だ。

そういうのは、もう危ない。

分かっている。


見られると駄目になる。

嫌われると強くなる。

演じると黒い風が出る。


なのに。


「金は?」


「日払いだ。飯も出る」


「宿は?」


「雑魚寝なら」


「雑魚寝……」


「嫌なら野宿だな」


「雑魚寝で」


即答だった。

ジードが吹き出す。


「決まりか?」


「まだ決めてない」


「じゃあ一緒に来い。祭りの街を見るだけでもいい」


つめは少し迷った。

怪しい。

めちゃくちゃ怪しい。


旅芸人。

派手な男。

人を見る目がやたら鋭い。

普通なら避ける。


でも今の自分に、選べるほど余裕はなかった。


「……変なことしたら燃やすから」


言ってから、つめは自分で固まった。

燃やす。

その言葉が、妙に重い。


ジードは一瞬だけ目を細めた。

それから笑う。


「怖いな。お前、火の芸でもできるのか?」


「できない」


「じゃあ何ができる?」


つめは少し考える。

口から出たのは、昔と同じ答えだった。


「別人になること」


ジードの笑みが深くなった。


「いいね」


その一言に、つめは少しだけ嫌な予感がした。


一座の荷車に乗せてもらい、道を進む。

車輪ががたがた揺れる。

周囲では芸人達が準備をしていた。


仮面を磨く男。

羽飾りを直す女。

小さな子供へ玉乗りを教える老人。

笛を吹く少年。


空気が明るい。

ギルドとは違う。


殺気もない。

説教もない。

責める声もない。


ただ、祭りへ向かう高揚感だけがある。


つめは荷台の端で膝を抱えながら、その様子を見ていた。


「……変な集団」


「お前も大概だぞ」


ジードが横から言う。


「うるさい」


「名前は?」


「鷹乃つめ」


「タカノツメ?」


「そう」


「強そうな名前だな」


「よく言われる」


嘘だ。

あまり言われない。

ジードは少し笑う。


「俺はジード。一座のまとめ役だ」


「劇団長?」


「そんな立派なもんじゃない。金勘定して、客呼んで、揉め事の尻拭いをする係」


「それ団長じゃん」


「そうとも言う」


ジードは前方を指差した。


「見えてきたぞ」


つめは顔を上げる。


道の向こう。

丘の先に、街が見えた。


高い壁。

色とりどりの旗。

空へ伸びる飾り。

巨大な幕。

遠くからでも分かる人の熱。


風に乗って、音が届く。


笛。

太鼓。

歓声。

呼び込み。


つめは思わず息を呑んだ。


「……うわ」


夏幻祭の街。

そこは、今まで見たどの街とも違っていた。

門の前からすでに、人が多い。


旅人。

商人。

芸人。

冒険者。

子供。

仮面をつけた女。

角のある男。

羽根飾りの老人。


種族も服装もばらばら。

みんな、少し浮かれている。


門には大きな垂れ幕。


『夏幻祭』


読めた。

なぜかこの世界の文字は、頭に入ってくる。

女神の雑な補正だろう。


街へ入った瞬間、つめは圧倒された。


屋台の匂い。

焼き肉。

果物。

甘い菓子。

酒。


道の両側には飾り布。

空中には紙灯籠みたいなものが揺れている。

広場では大道芸師が火の輪をくぐり、子供達が歓声を上げていた。


別の場所では、仮面をつけた踊り子達が輪になって踊っている。


さらに奥。

大きな劇場。

木造なのに、やたら派手。

入口には看板が並ぶ。


『白銀の森の姫君』

『竜殺しの道化』

『千年樹の誓い』


「……完全にイベント会場じゃん」


つめは呟いた。

胸がざわつく。


懐かしい。

怖い。

楽しい。

嫌だ。

全部混ざる。


「どうした?」


ジードが聞く。


「別に」


つめは顔を逸らす。

人が多い。

誰も自分を知らない。

まだ、誰も。


『炎上の魔女』とは呼ばない。

そのことに、少し安心する。

同時に、少しだけ寂しい。


「……」


自分で思って、つめは嫌になる。

何を寂しがってるんだ。


見られない方がいい。

怖がられない方がいい。

嫌われない方がいい。

普通に生きればいい。


セナにもそう言った。

普通に生きなよ、と。

なのに。


広場の中央で、仮装した役者が観客の拍手を浴びていた。


胸を張って。

笑って。

大げさに手を広げて。


観客が笑う。

拍手する。

名前を呼ぶ。

つめは目を離せなかった。


「見られる仕事」


ぽつりと漏れる。

ジードが隣で言った。


「そうだ。見られてなんぼだ」


その言葉が、妙に胸へ刺さった。

見られてなんぼ。


嫌な言葉。

好きな言葉。


つめは無意識に、自分の髪へ触れた。

黒い短髪。

もう金髪のウィッグはない。

エルフ耳もない。

あの頃の自分は、ほとんど残っていない。


それでも。

エルフ役。

できるかもしれない。

いや、できる。

昔の自分なら絶対にやった。


ウィッグも耳も衣装もなくても、今から作る。足りなければ姿勢で誤魔化す。

目線で作る。

声で作る。

役へ入る。


鏡の前で何度も練習した。


“そう見える”ために。


「……」


つめは小さく息を吐いた。

その時、近くの子供がつめを見上げた。


「お姉ちゃんも役者?」


「違うけど」


即答。

子供は首を傾げる。


「でも、なんか役者っぽいよ」


「どこが」


「顔」


「顔?」


「なんか、悪い魔女みたい」


つめは固まった。

ジードが吹き出した。


「見る目あるな、その子」


「笑うな」


子供は無邪気に言う。


「魔女役やるの?」


「やらない」


「似合いそう!」


「やらないって」


子供は笑って走っていった。

つめはしばらく黙っていた。

魔女。

またそれ。

この街では、まだ誰も知らないはずなのに。

なぜか、どこへ行っても同じ言葉へ寄っていく。


「……最悪」


そう呟く。


でも。

どくん。

胸の奥が鳴った。

つめはその感覚に気づかないふりをした。


ジードが軽く手を叩く。


「さて。まずはうちの仮小屋へ行くぞ。耳長役の衣装、まだ残ってるはずだ」


「……ほんとにやる流れ?」


「金がないんだろ?」


「あるし」


「さっきないって言った」


「記憶力いいな」


「商売人だからな」


つめは舌打ちする。

それから、祭りの街をもう一度見た。


笑い声。

音楽。

拍手。

呼び声。

大量の人。

大量の視線。


ここには、ギルドのような敵意はまだない。


ただ、見たい人達がいる。

見られたい人達がいる。

見られるために、笑う人達がいる。


「……コスプレで食える世界か」


つめは小さく呟いた。

その響きは、少しだけ馬鹿みたいで。

少しだけ、救いみたいだった。


ジードが先へ歩く。

つめは一歩遅れてついていく。


祭りの熱が、足元からじわじわと上がってくる。


まだ始まっていない。

まだ誰も、つめを知らない。

まだ。

そのはずなのに。

どこかで誰かが笑った。


「今年は荒れそうだな」


その言葉が、妙に耳に残った。

挿絵(By みてみん)

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