外伝 セナは「いい子」
セナの村は小さかった。
畑と森しかないような場所で、毎日同じことの繰り返しだった。
子供の頃から、セナは「いい子」でいた。
怒られないように。
空気を悪くしないように。
ちゃんと笑う。
ちゃんと謝る。
母親はよく言っていた。
「セナは手が掛からなくて偉いね」
その言葉が嬉しくて、ずっとそうしていた。
だから冒険者になった時、少しだけ期待した。
変われるかもしれないって。
最初の依頼は薬草採取だった。
成功した。
受付嬢に、
「初依頼お疲れ様」
と言われただけで嬉しくて、その日は眠れなかった。
街のご飯も美味しかった。
初めて自分で稼いだお金で、少し高いパンを買った。
冒険者ってすごい。
本気でそう思った。
失敗するまでは。
最初の失敗は薬草採取。
役に立ちたくて、危険区域へ入り込みすぎた。
結果、全員へ迷惑をかけた。
「なんで勝手に動いたの!?」
怒鳴られて、何も言えなかった。
二回目は討伐依頼。
仲間が前へ出た時、セナは動けなかった。
指示を待ってしまった。
そのせいで一人が怪我をした。
「お前、判断遅ぇよ」
その言葉が頭から離れなかった。
三回目は護衛依頼。
荷馬車を守るだけの、簡単な仕事だった。
途中で魔物が出た。
叫び声。
血。
怖かった。
身体が動かなかった。
依頼主の子供が泣いていた。
セナは剣を握ったまま、立ち尽くしていた。
帰り道。
パーティはずっと無言だった。
最後に一人が、聞こえるように言った。
「……冒険者無理じゃね?」
セナは笑った。
「ですよねー……」
そう返すしかなかった。
空気を悪くしないために。
その日から、依頼へ誘われなくなった。
ギルドで話しかけても、少し空気が止まる。
「あー、ごめん」
「もう人数埋まってて」
みんな普通だった。
だから、嫌われているのが分かった。
あの日。
セナは受付前で頭を下げていた。
「だからぁ、三回連続失敗はちょっとねぇ」
受付嬢が困った顔をしている。
横にいた冒険者が笑った。
「向いてないんじゃね?」
周囲もくすくす笑う。
セナは俯いた。
帰りたかった。
消えたかった。
その時。
「おい」
空気が変わった。
セナは顔を上げる。
黒髪の女が立っていた。
ボロボロの服。
空気の悪そうな顔。
でも、真っ直ぐこっちを見ていた。
「失敗したら笑っていいルールあんの?」
しん。
周囲が静まる。
男冒険者が顔をしかめた。
「は?」
「いや普通に感じ悪いなって」
つめは止まらない。
「新人なんでしょ?」
セナは小さく頷く。
「最初から完璧な奴いる?」
「……」
「失敗した奴囲んでニヤニヤしてる方がダサくない?」
ざわっ、と空気が荒れた。
セナには、その瞬間だけ周囲の声が聞こえなかった。
初めてだった。
失敗してもいいみたいに、言ってくれた人。
初めてだった。
自分側に立ってくれた人。
その時から。
セナは鷹乃つめを目で追うようになった。
また揉めてる。
また怒られてる。
また空気悪くしてる。
困ってる人を見ると止まれない。
嫌われても前へ出る。
怖いはずなのに、止まらない。
セナには、それがすごく自由に見えた。
次の日。
ギルドへ入った瞬間、つめは若い冒険者達へ囲まれていた。
笑い声。
視線。
興味。
セナは少し離れた場所から、その光景を見ていた。
少しだけ、眩しかった。
「つめさん!!」
気づいたら、自分から声を掛けていた。
つめは露骨に嫌そうな顔をする。
「……誰」
「ひどっ!?」
周囲が吹き出した。
その空気すら、セナには少し嬉しかった。
「昨日助けてもらったじゃないですか!」
「あー……」
「セナです!」
「聞いてない」
本当に変な人だった。
怖くなかった。
「でも昨日ほんとかっこよかったです!」
「は?」
「ズバズバ言ってて!」
周囲の若い冒険者達も笑う。
「分かる」
「スカッとした」
つめは困ったような顔をしていた。
でも少しだけ、嬉しそうにも見えた。
それから少しずつ、セナはつめの近くへ行くようになった。
つめの隣にいると安心した。
嫌われてもいい気がした。
だから真似した。
「失敗した人を囲んで責めても意味ないですよね!?」
そう言った瞬間。
空気が凍った。
若手冒険者達が苦笑する。
「最近セナ怖い」
「つめさんの真似してるよね」
「なんか痛い」
依頼へ誘われなくなる。
話しかけても、目を逸らされる。
それでも。
つめだけは普通に接してくれた。
だから、もっと近づきたかった。
ギルド前。
黒い風が吹いた日。
全員が、つめを見ていた。
怖かった。
呼吸が苦しくて、脚が震えた。
それなのに。
綺麗だった。
誰より嫌われて。
誰より見られて。
世界の中心に立っていた。
あの日から、セナの頭の中は、つめでいっぱいになった。
追放の話を聞いた時、身体が勝手に動いていた。
「つめさんについていきます!」
本気だった。
迷惑でもよかった。
嫌われてもよかった。
だって。
もう他に居場所がなかったから。
“でも。”
『普通に生きなよ』
拒絶された。
『私に近づくと、そうなるから』
セナは何も言えなかった。
つめはきっと、優しさで言っている。
それくらい分かった。
だから苦しかった。
その夜。
安宿。
狭い部屋。
静かだった。
セナは一人で鏡を見ていた。
つめみたいに、少し顎を上げる。
笑ってみる。
全然上手くいかない。
途中で涙が落ちた。
「……なんで」
喉が痛い。
胸が苦しい。
頭の中につめの声が残っている。
『普通に生きなよ』
無理だった。
もう普通が分からない。
ギルドでも浮いてる。
依頼にも呼ばれない。
みんな少し怖そうに自分を見る。
つめを見た後で、元の場所へなんて戻れなかった。
セナは鏡へ額を押し当てた。
「……私、どうしたらいいの」
答える人はいない。
静かな部屋。
涙だけが落ちる。
それでも。
頭から離れない。
黒い風。
視線。
炎上の魔女。
セナは震える声で呟いた。
「……何かしなきゃ」
その瞬間だけ。
鏡の中の自分が、少しだけ笑った気がした。




