第28話 異世界でも炎上するらしい
翌日。
安宿を出た瞬間から、妙に視線を感じた。
「……増えてない?」
つめが顔をしかめる。
通りを歩く冒険者達が、ちらちらこちらを見ていた。
ひそひそ声。
「炎上か」
「また揉めたらしい」
「例の黒髪」
どくん。
身体が少し軽くなる。
嫌だった。
嫌なのに。
少しだけ、呼吸がしやすい。
「顔死んでるわよ」
隣でガルドが呆れた。
「朝から疲れる……」
昨日のセナの顔が、まだ頭に残っていた。
『つめさんは間違ってないです』
あれは。
あまり良くない。
つめはなんとなくそう思っていた。
ギルドへ入る。
途端。
ざわっ。
空気が揺れた。
視線。
笑い。
期待。
「来た」
「炎上だ」
「またなんか起こるぞ」
完全に見世物だった。
「……最悪」
そう呟きながら、つめは少しだけ顎を上げる。
どくん。
その瞬間。
ふわっ、と黒髪が揺れた。
周囲の紙がかすかに浮く。
「……え?」
つめ自身が固まる。
でも。
誰もまだ気づいていない。
ミリだけがじっとこちらを見ていた。
「つめさん!」
セナが手を振る。
でも今日は、少し様子がおかしかった。
若手達の笑い方が違う。
前みたいな“仲間”じゃない。
もっと。
面白がる感じ。
「今日は何燃やすんですか?」
「だから燃やしてないって」
笑い。
周囲もつられて笑う。
どくん。
身体が軽い。
声が通る。
視線が集まる。
その時。
依頼掲示板前で怒鳴り声が響いた。
「だから無茶すんなって言っただろ!」
若手冒険者と中年冒険者が揉めていた。
周囲がざわつく。
また始まった。
そんな空気。
「……」
つめは少し嫌な予感がした。
そして。
「そんな言い方しなくてもよくないですか!?」
セナが飛び出した。
「あーあ……」
誰かが笑う。
完全に、始まる前提の空気だった。
中年冒険者がセナを睨む。
「またお前か」
「だ、だって!」
セナは震えながらも前へ出る。
「失敗した人をみんなで囲んで責めても意味ないですよね!?」
ざわっ。
野次馬が増える。
若手達が笑う。
「出た」
「つめさんならこう言います!だろ?」
周囲が吹き出した。
セナの顔が赤くなる。
でも。
「つ、つめさんなら絶対そう言います!」
しん。
空気が止まった。
若手側まで少し引く。
つめは固まる。
うわ。
痛い。
その感覚が真っ先に来た。
周囲も同じ顔をしていた。
“本人は面白いけど、真似する奴はキツい”
そんな空気。
セナは気づいていない。
「空気読んで黙ってるだけなら――」
「セナ」
つめが口を開く。
セナがぱっと振り向いた。
嬉しそうな顔。
それが余計につらかった。
「……もういい」
「え?」
「それ以上やると普通に嫌われるから」
しん。
セナが固まる。
周囲も少し静かになる。
「でも……」
「私は慣れてるだけだから」
つめは頭を掻いた。
本当に。
それだけだった。
昔から見られて、叩かれて、笑われて。
何度も燃える側にいた。
だから少し麻痺しているだけ。
セナは違う。
普通の子だ。
だから。
「真似しない方がいい」
セナは俯いた。
少しだけ、傷ついた顔。
その瞬間。
ざわっ。
周囲がまた動く。
「お」
「なんかベテランっぽい」
「さすが師匠だなぁー」
笑い。
視線。
期待。
どくん。
つめの身体が熱を持つ。
「……っ」
空気が変わる。
黒い靄が、じわりと足元へ滲んだ。
ぶわっ、と風が吹く。
酒場の紙が舞う。
椅子が軋む。
周囲の冒険者達が息を呑んだ。
「な、なんだ……?」
つめは自分でも止められなかった。
全員が見ている。
期待している。
“何か”を。
だから。
つめは無意識に笑った。
少しだけ。
悪女みたいに。
「……だから炎上って言ってるでしょ」
どくん。
黒風が爆ぜた。
空気が震える。
灯りが揺れる。
喉を掴まれたみたいな圧迫感。
「がっ……!?」
若い冒険者の一人が膝をついた。
別の男が顔を青くする。
「息……っ」
セナが怯えた顔で後ずさる。
ミリが目を見開いた。
「つめ!!」
ガルドの怒鳴り声。
その瞬間。
ばちんっ!!
ガルドがつめの頭を叩いた。
黒い靄がぶれる。
風が止む。
つめははっと我に返った。
「……え」
静まり返ったギルド。
倒れ込んで咳き込む冒険者。
怯えた顔。
恐怖。
全部が、こっちを見ていた。
誰かが震えた声で呟く。
「……魔女だ」
しん。
別の誰かが言う。
「炎みたいに……広がる」
「炎上……」
その言葉が、 空気を伝う。
そして。
「炎上の魔女だ……」
つめは息を呑んだ。
ガルドが強引に腕を掴む。
「行くわよ」
「ま、待っ――」
「今すぐ」
引きずられるように、ギルドを出る。
背後ではまだ、ざわめきが続いていた。
その夜。
安宿。
静かだった。
窓の外だけ、 遠くで酒場の声が聞こえる。
つめは一人、小さな鏡を見ていた。
「……最悪」
ぽつりと漏れる。
セナの顔。
怯えた冒険者。
“炎上の魔女”。
全部が頭から離れない。
「ハルなら絶対止めてたな……」
脳裏に浮かぶ。
呆れた顔。
『また変なスイッチ入ってる』
昔よく言われた。
つめは少し笑う。
(今、どうしてるんだろう……)
気になる。
でも。
鏡を見る。
その事よりも今日の自分を思い出す。
全員が黙った瞬間。
視線。
恐怖。
中心だった感覚。
どくん。
胸が熱くなる。
つめは無意識に立ち上がった。
鏡の前。
少し顎を上げる。
口元を歪める。
昼間みたいに。
「……だから炎上って言ってるでしょ」
どくん。
黒い靄。
ぶわっ、と風が吹く。
髪が揺れる。
机の紙が舞い上がる。
灯りがばちばち明滅した。
つめは固まる。
今。
自分でやった。
演じた瞬間。
魔法が反応した。
「……え」
鏡の中の自分を見る。
少しだけ。
本当に少しだけ。
楽しそうに笑っていた。
つめはその顔に、ぞっとした。




