第七章 遠い声
雪の帳が、旅人たちの前に厚い壁のように立ちはだかっていた。
風は唸っていた。
まるで、山肌の闇のどこかで、生き物が呻いているかのようだった。
それは顔を打ち、フードの隙間へ入り込み、氷の粒となって手や首を叩いた。
案内人の右手にあるランタンの光は、吹雪の中でかろうじて数歩先の道を照らしているだけだった。
「この山には、光の気配さえありません」
案内人は振り返らずに言った。
「一日中、夜です。雲があまりにも厚くて、空そのものが消えてしまったみたいに見えるんです」
彼女はランタンを反対の手に持ち替え、凍えた手を上着の内側へ入れた。
「それに、ここの天気はほとんど落ち着きません。永遠の吹雪、と言ってもいいくらいです」
女の名は、リー・ファン。
彼女は先頭を歩いていた。
ゆっくりと。
確かに。
長年の顔なじみでありながら、決して気を許してはならない相手――その山の癖を、彼女は知り尽くしているようだった。
その後ろを、十人の観光客が必死についていく。
「峰のほうを見てください」
リー・ファンはそう言って、温めていた手を外へ出し、どこかを指差した。
白い闇が、その仕草をすぐに呑み込んだ。
「もちろん、ほとんど見えません。でも、あのどれかの頂に宝が隠されている、という噂があります」
一行の中でいちばん年上の男が、軽く笑った。
装備も動きも、他の者よりずっと慣れているように見える。
「リーさん、それは子ども向けの昔話でしょう」
リー・ファンは肩をすくめただけだった。
「どんな伝説も、最初は昔話に見えるものです」
彼女はまた歩き出した。
足元で雪が軋む。
その音は、吹雪の唸りの中でさえ、妙に大きく聞こえた。
リー・ファンは眉をひそめる。
出発してから、すべてがあまりにも順調だった。
良い、のではない。
順調すぎる。
この山にしては、静かすぎた。
「変ね」
彼女は小さく呟いた。
「いつもなら、風だけで足を持っていかれるのに……何もかも変だわ」
「何か言いました?」
すぐ後ろを歩いていた若い女が尋ねた。
リー・ファンはすぐに黙った。
冷たい汗が額に浮かび、瞬く間に肌の上で冷えていく。
胸の奥に、嫌なものがゆっくりと広がっていた。
彼女は胸元のポケットを開け、小さな布を取り出して汗を拭った。
「いいえ。気のせいよ」
心の中では、別のことを考えていた。
――良くない。
――何もかも、嫌なほうへ重なっている。
――下り口まで、何事もなく着ければいいけれど。
若い女は、不安そうに彼女を見た。
リー・ファンの顔はフードに隠れていたが、その動きだけで、案内人が緊張していることは分かった。
それでも、この土地ではいつものことにすぎない吹雪と真っ暗な空を除けば、一行は何事もなく目的地までたどり着いた。
二日間の道のりは、思ったよりも早く過ぎた。
尾根の反対側へ出たところで、疲れきった観光客たちは、リー・ファンに休憩を頼み込んだ。
彼らは野営地を作り、大きなテントを立てた。
中には、全員が入っても十分な余裕があった。
一行が荷物を広げている間、リー・ファンは前室に腰を下ろし、小さな固形燃料のコンロを置いて夕食の準備を始めた。
鍋の中では、すでに雪が溶け始めている。
そばには野菜が並んでいた。
ずっと彼女の後ろを歩いていた若い女は、どうにも好奇心を抑えきれない様子だった。
入口の布を少し開けた瞬間、リー・ファンの苛立った視線を受けて、そこで固まる。
「そっちから閉めるか、こっちへ出てくるか、どちらかにして」
リー・ファンは乾いた声で言った。
「暖気を逃がさないで」
若い女は慌てて前室へ入り、丁寧に布を閉じた。
リー・ファンはまた野菜を剥き始める。
ナイフは速く、正確で、ほとんど音を立てなかった。
若い女は隣に立ったまま、明らかに何かを言いたそうにしている。
リー・ファンは息を吐いた。
「メアリー。聞きたいことがあるなら聞いて」
メアリーはびくりと肩を震わせた。
まるで、現行犯で見つかったような顔だった。
「すみません……」
彼女はさらに赤くなった。
案内人の硬い口調に、すっかり考えが飛んでしまったらしい。
それでも小さく拳を握り、勇気を振り絞り、ようやく言葉を絞り出した。
「あの……リーさん。フルネームを、教えていただいてもいいですか?」
リー・ファンは眉を上げた。
「出発前に言わなかったかしら」
メアリーは勢いよく首を横に振った。
それから唾を飲み込み、会話を始められたこと自体に少し嬉しそうな顔をした。
リー・ファンは彼女を少しだけ見つめた。
「そう。なら、ごめんなさい。失礼だったわね。私の名前は、リー・ファン」
メアリーは小さく手を叩いた。
その顔の喜びがあまりにも素直で、リー・ファンは一瞬、戸惑った。
メアリーは幼い頃から、謎めいた旅人のニュースを追い続けていた。
ひとりで最も危険な道を歩く女。
記事は少なく、写真はほとんどなく、名前も誰も知らない。
ただ一度だけ、しつこい記者の記事から、姓が「リー」だと漏れたことがあった。
メアリーにとって、それはほとんど個人的な敗北だった。
彼女は、自分が最初にその名を知りたかった。
年月が過ぎた。
憧れの人は、いつしか案内人としてツアーを受け持つようになった。
けれど、次にどの道を選ぶのかは、誰にも事前には分からなかった。
それでも、彼女の信条だけは誰もが知っていた。
「戻る道はない。ただ前へ」
大人になったメアリーは、彼女の一行に加わる機会を探し始めた。
そして今、長い年月をかけて知りたかった名を持つ女性が、目の前に座っている。
「メアリー、あなた、いくつ?」
リー・ファンは鍋から目を離さずに尋ねた。
メアリーは我に返り、不思議そうに瞬きをした。
「私ですか? 二十七です。すみません、どうしてですか?」
リー・ファンはすぐには答えなかった。
スープはもうすぐ仕上がる。
彼女は刻んだ香草を入れ、鍋を整えてから、ようやく顔を上げた。
「私は、あなたより十二歳若い頃に旅を始めたわ」
メアリーは固まり、頭の中で計算しようとした。
リー・ファンはその顔を見て、ふと遠い昔の誰かを思い出した。
とても大切だった人。
ほとんど忘れかけていたのに、まだ胸の奥で生きている誰かを。
「メアリー? 聞いてる?」
メアリーはびくりとして、顔を赤くした。
「すみません。少し考えていました」
まっすぐな視線に耐えられず、彼女は目を伏せた。
「リー・ファンさん……年齢を聞いてもいいですか?」
案内人は息を吐いた。
「何かあったのかと思ったわ」
記憶を少し探って、リー・ファンは自分が年齢を公の場で言ったことがないと気づいた。
「その前に、一つ決めましょう。私のことをそんなに固く呼ばなくていいわ。そこまで年寄りじゃない」
彼女は食事の支度を終え、帽子を脱いだ。
肩まで届く短い束ね髪が現れる。
そして襟元を少しだけ緩めた。
「四十五よ」
メアリーは固まった。
リー・ファンが若すぎるはずがないことは分かっていた。
幼い頃から、ずっと追いかけてきた人なのだから。
それでも、声に出して聞くと不思議だった。
目の前にいる女性は、とても四十五には見えなかった。
メアリーも帽子を取った。
肩に、鮮やかな赤毛の巻き髪がふわりと落ちる。
リー・ファンは小さく笑った。
「緑の目に、赤い髪」
その声には、ごくわずかな皮肉が混じっていた。
「すみません。でも、本当にそんな年齢には見えません」
その言葉は、リー・ファンを喜ばせなかった。
彼女はただ苦く笑い、黙った。
メアリーはすぐに、何か痛いところに触れてしまったのだと悟った。
観光客たちが一人ずつ、食事を取りに前室へ出てきた。
リー・ファンはスープを配ったが、心はもうそこにいないようだった。
彼女は一点を見つめていた。
目の前を、これまでの人生が通り過ぎていく。
すべての道。
すべての山。
すべての砂漠。
すべての氷河。
名声のためでも、記録のためでもなく歩いてきた、死と隣り合わせの道。
それはすべて、探し続けるためだった。
一つの、果てしない探索だった。
もうほとんど届かないと諦めかけていた目的を。
リー・ファンは急に、自分の頬を両手で軽く叩いた。
「だめね。思い出に沈んでいる暇はないわ」
自分の分のスープを皿いっぱいに入れ、メアリーを見た。
「そんな顔で見ないで。あなたのせいじゃない。食べ物を持って中へ入りなさい。早く寝たほうがいい。明日の朝には町へ下りるわ」
それだけを早口に言うと、彼女はテントの中へ入っていった。
メアリーは前室に残り、皿を手にしたまま立ち尽くしていた。
翌朝、一行は手早くテントと荷物をまとめた。
装備の簡単な確認を終えると、山の麓の町へ向けて出発する。
道中、メアリーはずっと黙っていた。
罪悪感が消えず、リー・ファンにもう一度話しかける勇気が出なかった。
夕方、彼らは集合地点へ到着した。
大半の参加者はすぐに宿へ向かった。
メアリーだけが、案内人のそばに残っている。
どうすればいいのか分からない、という顔だった。
リー・ファンは彼女を見て、疲れたように笑った。
「そんなに思い詰めないで。私たちの縁は、そう簡単には切れないわ」
短い間。
「もう私の連絡先もあるし」
メアリーは目を見開いた。
慌ててスマートフォンを取り出し、連絡先を探し始める。
「リー・ファン」という名前を見つけた瞬間、彼女はその場で固まった。
「リーさん……いつの間に?」
その直後、メッセージが届いた。
『あなたが寝ている間に、私の番号を入れておいたわ』
メアリーが顔を上げる。
リー・ファンはもうスマートフォンをポケットへ戻していた。
命の瀬戸際を何度も越えた者の動きは、判断も手も速い。
メアリーはその場に立ち尽くした。
信じられなかった。
夢見ていたことが、すべて叶ってしまった。
名前を知った。
連絡先を得た。
そして、この旅は、ほとんどあり得ない贈り物で終わろうとしている。
目に涙が浮かんだ。
彼女は一歩前に出て、リー・ファンを抱きしめた。
「本当に、ありがとうございます」
リー・ファンは最初こそ身体を強ばらせたが、やがて柔らかくメアリーの背を叩いた。
「それと、もう一つお願いがあります」
メアリーは慌ててリュックを下ろし、前もって用意していたマーカーを取り出して、背中を向けた。
「私の上着に、サインしてください」
リー・ファンは黙ってマーカーを受け取った。
「私が最初ですよね?」
メアリーは期待に満ちた声で聞いた。
リー・ファンは一瞬だけ笑った。
そして布の上に、丁寧に、ほとんど書道のような字で書いた。
『メアリー・ブルーフィールドへ――いつも走り続ける者より』
最後に美しい飾りをいくつか加え、マーカーを返す。
「心配しなくていいわ。ここでも、あなたが最初よ」
メアリーはマーカーを胸に抱いた。
まるで宝物のように。
リー・ファンは彼女の肩を軽く叩いた。
「また会いましょう」
そして、珍しく穏やかな気持ちで、宿へ向かって歩き出した。
頭の中では、すでに次の道の候補をいくつも並べている。
交差点で、リー・ファンは歩みを速めた。
信号機のタイマーは終わりに近づいていた。
もうすぐ青に変わるはずだった。
「リー・ファン」
歩道の端で、彼女は足を止めた。
知っている声だった。
あまりにも知っている声だった。
女はゆっくりと振り返る。
夕闇の向こう、道の反対側に、一人の女が立っていた。
遠目にはメアリーに似ていた。
同じような体つき。
街灯の下で、赤みを帯びて見える髪。
だが、何かが違った。
リー・ファンは目を細める。
その時、一台の車がゆっくりと通り過ぎ、視界を一瞬だけ遮った。
もう一度そちらを見た時、そこに人影はなかった。
リー・ファンは眉をひそめた。
「気のせい……かしら」
肩をすくめ、道路のほうへ向き直る。
それでも思考は、今見たものに絡みついていた。
声。
気配。
過去が、一瞬だけすぐそばまで近づいたような感覚。
彼女は一歩、前へ出た。
そして、光が消えた。
最初にあったのは、静寂だった。
やがて、遠くに光が現れる。
近づきも、遠ざかりもしない。
ただ前方に浮かんでいた。
細く。
淡く。
ほとんどあり得ない光だった。
リー・ファンには、自分の身体が感じられなかった。
――私は、死んだのね。
そう思った。
不思議なことに、その考えに恐怖はなかった。
ただ、疲れだけがあった。
――あれだけ長い間、刃の上を歩いてきたんだもの。
――とうとう道が終わったのね。
静寂を破ったのは、男たちの声だった。
二人いる。
最初、言葉は水の中から響くように鈍かった。
やがて、少しずつはっきりしてくる。
「息子よ。お前は少し衝動的すぎる。もう少し落ち着け」
沈黙。
誰かの息。
足音。
誰かが彼女へ近づいてくる。
「父さん、僕はもう、とっくに子どもじゃない」
もう一つの声が答えた。
思っていたより低い声だった。
深く、大人の声。
けれど、その中にある何かが、リー・ファンの心臓を痛いほど締めつけた。
「どうして一緒に来たの? 結局、父さんの助けがなくても僕は何とかできた」
もう一人の男が重く息を吐いた。
その声には、年齢と疲労、そして作り物ではない深い経験が滲んでいた。
「いいだろう。よくやった。トラックの男も、女も、誰も傷つかなかった」
リー・ファンの心臓が跳ねた。
――じゃあ、私は生きている?
彼女は目を開けようとした。
できなかった。
手を動かそうとした。
身体は答えなかった。
――なら、この人たちは誰?
死を受け入れていたはずの心が、一瞬で不安に変わった。
希望は、終わりよりも恐ろしかった。
若いほうの声が、すぐそばまで来る。
――綺麗な声。
ふと、そんな思いが浮かんだ。
――それに、知っている気がする。
――違う。こんな低い声の知り合いなんていない。
――四十を少し過ぎたくらいかしら。私と、そう変わらない。
彼が彼女の首に触れた。
指は温かかった。
「脈はある。でも、ほとんど触れない。たぶん、驚いて意識を失ったんだ」
リー・ファンの内側で何かが震えた。
疑問はさらに増えた。
それでも、目は開かない。
身体も動かない。
彼女にできることは、聞くことだけだった。
男が離れたのを、彼女はなぜか感じ取った。
足音は、ほとんど聞こえなかった。
「息子よ」
年老いた声が言った。
「お前が残りたい気持ちは分かる。だが、もう済んだ。何事にも、その時がある」
その言葉のあと、リー・ファンの心臓は、胸を突き破ろうとするほど強く鳴った。
――誰なの?
――目を開けさせて。
――ただ、見たいだけなのに。
「分かってる」
若い声が静かに答えた。
「でも、父さん……僕は、本当に長く待ったんだ」
その声には、苦さがあった。
そして、悲しみがあった。
あまりにも懐かしい悲しみで、リー・ファンは痛みを覚えた。
「もういい、リチャード。行くぞ」
彼女の内側で、世界が砕けた。
――リチャード?
思考が混ざり合う。
長い間、道と氷と風と孤独の底へ沈めてきた古い名前が、あまりにも急に浮かび上がった。
息が詰まる。
――まさか。
喉の奥に、熱いものが込み上げた。
再び静寂が訪れる。
次の瞬間、鋭い痛みが走った。
まるで、暗い水の底から胸ぐらを掴まれて引き上げられたようだった。
眩しい光が目を刺す。
「リチャードは、ここにいるの!?」
彼女は、戻ったばかりの声を振り絞って叫んだ。
視界が少しずつ光に慣れていく。
リー・ファンが見たのは、救急車の白い天井だった。
上から二人の女性救急隊員が覗き込んでいる。
前方には、仕切りの向こうに運転手が座っていた。
それだけだった。
深い声の男もいない。
年上の男がリチャードと呼んだ誰かもいない。
痕跡さえ、どこにもなかった。
「リチャード……」
リー・ファンは呟いた。
無力感と絶望が押し寄せる。
あれがすべて夢だったかもしれないという考えに、胸が潰れそうになる。
そして彼女は、再び意識を失った。
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