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無限の影  作者: Nick Occam


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第二十八章 風雲急を告げる

夜通し歩いた。草原は暗く静まり返り、草を揺らす風の音と、ときおり夜鳥の鋭い声が響くだけだった。熊の姿のマトゥンが先を進み、その背では縛られた頭目が、意識の戻らないまま規則正しく揺れていた。カグツチの杖は主のそばを草の穂先すれすれに漂い、杖頭の結晶が茎に淡い青の光を落としていた。


夜明け前、リックは何者かの視線を感じた。遠くから。ずっと遠く、草原の果ての向こうから見つめ、一瞬たりとも離そうとしない。リックは振り返らなかった。ただ、拳の中で鳴っていた徽章の紐が、ふっと音を止めた。


朝日が差しはじめた頃、カグツチもそれに気づいた。眼窩の炭がぱっと燃え上がる。彼は肩越しに振り返り、山々を残してきた灰青の靄の向こうを、長いあいだ見据えていた。隠れようともしない、不躾な視線だった。炎の魔術師は、不快そうに肩を揺すった。


一行が南の街道に出ると、道連れが現れた。陽光に紛れてほとんど見えないほどの高空を鳥たちが旋回し、一行がどこへ曲がろうと、その上を離れない。道端の草むらでは、灰色の小さな背がしきりにちらついた。小さな獣たちは草むらから草むらへと駆け、ひょいと後ろ足で立って一行を見送っては、また草へ潜る。そうして道の両側を、遅れることも先走ることもなく、ついてきた。


リックはマトゥンに並び、その首筋に掌を置いた。


「見張られてるな、兄弟。頭目を運んでいるのも見られた。クロイツフルトには守りが要る。俺たちは、しばらく手が離せなくなるから」


マトゥンは歩みを緩めずに頷いた。それから鼻先を道端へ向け、小さな獣たちに短く唸った。獣たちは一斉に散った。草がざわめき、静まり、草原には踏み分けられた細い筋が四方へ走っていった。


日が傾きかけた頃、前方に川がきらめき、継ぎはぎだらけのクロイツフルトの屋根が見えてきた。そのとき、あたりの草原が息を吹き返した。草むらから、窪地から、遠い林から、獣たちが現れた。狼、山猫、猪、鹿、熊。彼らは声もなく、肩を寄せ合ってぎっしりと進み、やがて道の両側に、ふたつの巨大な生きた壁がそびえた。幾千もの足の下で大地が低く唸り、その上を鳥たちが旋回していた。


右の壁から、マトゥンよりわずかに小さいだけの熊が一頭進み出て、マトゥンの脇にぴたりと身を寄せた。低く長く唸り、重い頭をマトゥンの前に垂れる。マトゥンは短い唸りで応えた。熊はすぐさま身を翻して急ぎ足で戻り、獣の群れ全体がクロイツフルトのまわりへ散りはじめた。浅瀬へ向かう者、家々の裏の畑へ向かう者、高い草むらに伏せて姿を消す者。


村長は、遠くから彼らに気づいた。髭を押さえて道へ出ると、村のまわりの草むらにちらつく獣の背に何度も目をやりながら、急ぎ足で迎えに来た。


「リチャード様、これはいったい……」


息を切らせながら、村長は不安げに尋ねた。


リックは村長を見て、何事もなかったかのように穏やかに答えた。


「パンクラツさん、皆を集めてください。緊急の集まりです」


老人は年の許すかぎり急いで引き返し、やがて村じゅうを人々が駆けまわり、家々の向こうで犬が不安げに吠えた。


一行が村の中央に着いたときには、もう皆が集まっていた。人々は身を寄せ合って立ち、母親たちは子どもを抱き寄せ、後ろの者たちは熊の背の縛られた男を見ようと首を伸ばしていた。リックは前へ出て、よく通る声で、迷いなく言った。


「皆さん、これから乱れた時が来ます。できるだけ家に閉じこもって、決して村の外へは出ないでください」


人々のあいだにざわめきが走った。後ろのほうで、誰かが手を挙げた。


「旦那様、いったい何が起こるんです?」


リックは口ごもった。こちらへ向けられた顔を見渡す。疲れて、風に焼けて、不安でいっぱいの顔。どう伝えるべきか、彼は考えた。


(全部、はっきり言ってしまうべきか……)


拳の中で、徽章の紐が小さく鳴った。


(どのみち、避けられないことだ……)


「俺たちは盗賊の頭目を捕らえて、報告のためにギルドへ連れていくところです。おそらく大きな災いが来ます。守りなしでは、どうにもならない。それに……あいつが子どもたちの失踪について何か知っているかもしれないと、俺たちは疑っています」


その言葉のあと、広場は静まり返った。人々は呆然として、ひと言も出なかった。浅瀬のほうで、川だけが低く鳴っていた。やがて村長が一歩進み出て、リチャードの手を取った。老人の指は震えていた。


「リチャード様……本当に、あの男が知っているとお思いですか」


リックは、むやみに期待を持たせないよう、肩をすくめた。


「疑いはあります。俺の仲間の魔術師が、あいつの記憶を読めたんです」


彼はカグツチを手で示した。


「そこに、何かがあったんです」


カグツチは問うようにリチャードを見た。眼窩の炭が一瞬揺らいだ。だが何も言わず、ただ黙って頭を下げた。


リックは心配そうに村長を見て、それから静まり返った人々を見た。


「急いでください。もし爆発の音が聞こえたら、俺たちのために祈ってください」


村人たちは顔を見合わせた。皆の表情が曇り、誰かが子どもをいっそう強く抱き寄せた。それでも、異を唱える者はいなかった。


「サファイア級のお方がそうおっしゃるなら、それなりのわけがあるのでしょう」


パンクラツはゆっくりとリチャードの手を離した。


「ありがとうございます、リチャード様」


老人は村人たちへ振り返り、年に似合わぬ張りのある声で叫んだ。


「リチャード様のお言葉を聞いたな? さあ、急げ!」


人々がざわめき、散りはじめた。そのときリックは老人に顔を寄せ、囁いた。


「町から、皆さんのための荷を送ります。中に珠が入っています。床に置くだけでいい。大きいのは、敵が戸口まで来たときだけ出してください」


老人は頷き、行きかけて、ふいに足を止めると懐を探った。髭の下から、くしゃくしゃの封筒を取り出す。


「申し訳ありません、すっかり忘れておりました。健一様からのお手紙です」


手紙を渡すと、老人は皆のあとを追って急いだ。やがて村じゅうで扉と鎧戸の閉まる音が続き、どこかで犬が怯えたように一声鳴いて黙った。クロイツフルトは静かになった。夕空へ煙突の煙が立ちのぼり、浅瀬で川が鳴るばかりだった。


一行が村を出ると、背後で獣たちが村をぎっしりと取り囲んだ。狼は道沿いに伏せ、熊は浅瀬に立ち、両側の草むらでは獣の目がときおり光っては消えた。


リックは手紙の封を切った。文字はあちこちへ跳ね、ところどころインクが滲んでいる。膝の上で、急いで書いたらしかった。


『兄貴、すぐホーエンブルンへ戻ってくれ。商人ギルドで待ってる。

追伸 王様への手紙は、もう出した』


リックが手紙を握り潰すと、それはふいに右手の中で燃え上がった。紙は一瞬で灰になって崩れ、掌の上には拳ほどの火の玉が浮かんだ。炎は低く唸り、一行の顔に橙の光を投げた。リックはそれを少しずつ小さくしていった。押し縮めるたびに炎は濃く、明るくなり、やがて砂粒ほどの小さな白い点だけが残った。掌の上で、空気が揺らいでいた。


リックは、己の感覚に耳を澄ませた。あの視線は消えておらず、東のどこかから、変わらず背を押さえつけていた。


「覗き見の連中に、これをくれてやる……」


彼は東の山並みへ手を向けた。掌から、かろうじて見えるほどの光の筋が放たれた。


「最初の警告では、足りなかったようだな……」


押し縮められた炎は、一瞬で的に届いた。閃光も轟音もない。ただ道沿いの草の上を、短く温かな風が駆け抜けた。そして夜からずっと離れなかったあの視線が、ぷつりと途切れた。


「これでいい……」


カグツチの眼窩の炭が燃え上がり、丸く見開かれた。火の神は、リックの空になった掌と、地平の暗い山並みとを、長いこと見比べていた。


「兄貴、洞窟でのは、気のせいだと思ってた……」


リックはホーエンブルンのほうへ目を移し、首を振った。


「気のせいじゃない……」


彼はいたずらっぽく笑い、一行は町へ向かって歩き出した。


* * *


前は丸一日かかった道を、彼らはひと晩で歩き抜いた。クロイツフルトを出るとすぐ道は上りになって低地を離れ、背後の川の音は少しずつ遠ざかった。星があまりに多く、白い道が地平まで闇に浮かんでいた。マトゥンが先を行き、背の頭目はときおり低く呻いたが、目を覚ましはしなかった。


カグツチはリックのそばを離れなかった。杖がその横を漂い、杖頭の結晶が穏やかな青い光を放っている。炎の魔術師は何度も兄の右手を盗み見た。いくたびか口を開きかけ、何かを尋ねたそうにしたが、結局なにも言わなかった。


真夜中近く、道を横切る小川に出た。マトゥンは今度は水を飲まず、歩みを緩めずにそれを渡った。足もとから飛沫が散っただけだった。畑は林に変わり、林はまた畑に変わる。道端の草ではキリギリスが鳴き、頭上を夜鳥が音もなくかすめて、南へ、クロイツフルトのほうへ消えていった。


リックは黙って歩いた。拳の中で徽章の紐が、歩みに合わせてまた鳴っていた。顔は穏やかなままで、ただときおり東を振り返った。丘の向こうに山並みが消えていくあたりを。もう、そこから見つめる者はいなかった。


明け方、東の空が白み、畑の向こうにホーエンブルンの塔が浮かび上がった。町が近づくにつれ、道には袋や樽を積んだ荷車が増えていった。だが、どれも進んでいない。道端に長い列をなして止まり、馬はうなだれて草を食み、御者たちは御者台に座ったまま、陰気に前を見ていた。背に人を乗せた熊を見ると、馬たちは鼻を鳴らして後ずさり、人々は目を丸くして一行を見送った。


日が城壁の上に昇った頃、一行は門の前に着いた。扉は固く閉ざされていた。城壁の上には弓兵が立ち、門の前では商人や旅人が足踏みしていたが、衛兵は荷車も徒歩の者も、誰ひとり通そうとしない。罵る者も、頼みこむ者もいたが、通用口の衛兵はただ首を横に振るばかりだった。


それから、衛兵は彼らに気づいた。視線が巨大な熊に、その背の縛られた男に滑り、リックの胸の霜鱗騎士団の徽章で止まった。衛兵は背筋を伸ばして頷き、自ら通用口を開け放った。


「ようやく、戻ってこられたのですね……」


衛兵の声は、震えていた。


一行が中へ入ると、背後で衛兵が城壁の上へ声を張った。閂が軋み、重い門扉がゆっくりと左右に開いていく。道端の荷車の列が動き出し、町へと吸い込まれていった。


ホーエンブルンは、見る影もなかった。前に来たときは荷車が轟き、商人たちが呼び交わしていた通りが、がらんとしていた。鎧戸はすべて閉じられ、扉には鍵がかかり、石畳の上を藁屑が風に転がっているだけだった。鍛冶の槌の音も、もう聞こえなかった。


辻ごとに衛兵が立っていた。そのほとんどが傷を負っていた。軽い者も、重い者もいる。腕を吊った者、頭の包帯に血の滲む者、槍にすがり、持ち場を移るたびにひどく足を引きずる者。通りでは冒険者の組が二人、三人と武器を構えて巡回し、一行を見ると足を止め、目で追った。


その先、広場の端では、別の冒険者たちが死体を一か所へ引きずっていた。死体は列ごとに積み上げられ、倒れた盗賊のひとりひとりの胸に、同じ徽章が光っていた。交差した刃に、蛇が巻きついている。リックは思わず拳を握り、同じ徽章を通した紐が手の中で鳴った。マトゥンが低く唸り、カグツチの眼窩の炭が弱まった。


遠くからリックを見つけたのは、ライムントだった。ギルドマスターは積み上げられた死体のそばで冒険者たちに何か言っていたが、一行に気づくとすぐに話を切り、急ぎ足でやって来た。最後に会ったときより、目に見えてやつれていた。目の下に影が落ち、ほとんど白い髪は、長いこと眠っていないかのように乱れている。近づいた彼は、熊の背の縛られた頭目を、それからリックの手の徽章の束を見て、一瞬、動きを止めた。


「リチャード殿……どうやら、依頼を果たしただけではないようですね」


リックは頷いて応えた。


「では、商人ギルドへ急ぎましょう。国王陛下と、健一殿がお待ちです」


ライムントが自ら先に立った。一行は足早に、ほとんど言葉を交わさずに進んだ。広場から大通りへ曲がると、閉まった店の上に消えた看板が並んでいた。ツィルヴェスターの店も鎧戸を閉ざし、魔法の看板は、長い年月のなかで初めて灯っていなかった。一行の足音が家々のあいだに虚ろに響き、マトゥンの重い足取りは、何本も先の通りまで聞こえていそうだった。


辻を通るたびに、衛兵たちはライムントを見て背筋を伸ばし、それから熊と、その背の荷へと目を移した。背後で囁く者もいれば、黙って見送る者もいた。ある窓で鎧戸が揺れ、隙間に子どもの顔がのぞいた。だがすぐに誰かの手がその子を引き戻し、鎧戸はぴしゃりと閉じた。


ライムントは一度も振り返らなかった。ただ一度、冒険者ギルドの前を通るとき、ほんの一瞬だけ足を緩め、閉ざされた扉を見た。リックもそちらを見た。空っぽのカウンターがある窓を。そして、何も言わなかった。


ようやく前方に、大きな石造りの商人ギルドが見えてきた。扉の前には磨き上げた鎧の護衛が詰めていて、辻にいた傷だらけの衛兵たちとはまるで違っていた。ライムントを見ると、彼らは黙って道を空けた。


中へ入ると、熱気と息苦しさが顔を打った。暖炉で火が唸り、そのそばで国王がゴットフリートと低く話していた。少し離れたところに、健一とヴェンデリン・ハラーがいた。二人は手足を縛られたバルタザール・ケスラーを囲み、その胸には白い徽章が載っていた。さらに離れた壁際には、殺された盗賊の死体がいくつか転がり、どの首にも小さなナイフが突き立っていた。健一の袖の隠しポケットは開いたままで、その手には血の跡がこびりついていた。


扉の軋みと戸口の足音に、皆が振り返った。国王はまず、熊の背で呻く、意識のない頭目に目をやった。それからハラルトは入ってきた者たちに頷き、彼らは深く頭を下げた。


「リチャード、どうやら時間を無駄にはしなかったようだな」


国王は目でギルドマスターを示し、話すよう促した。ライムントが進み出た。


「娘が消え、皆様が依頼へ発たれたあと、健一殿は情報を集めはじめ、誘拐犯の足取りをつかまれました」


彼は息を整えた。声が低くなった。


「そのひとりを捕らえ、厳しく問い詰めた末に、この件にバルタザールが関わっていたと突き止めたのです」


リックは縛られた男に目を凝らした。バルタザールの顔は擦り傷と痣で埋まり、手の指は折れ、爪は剥がされ、裂けた服の隙間からは刺し傷がいくつも見えていた。商人ギルドの副長は力なくテーブルの脚にもたれ、頭を胸に垂れていた。まれにひゅうと鳴る息だけが、まだ生きていることを告げていた。


健一がリチャードのもとへ歩み出て、長い襟を緩めた。その顔には擦り傷がいくつかあるだけだった。リックがしっかりと手を握ると、健一は満足げな笑みをこらえきれなかった。


「兄貴、伊達に飯を食ってるわけじゃないだろ?」


リックは軽い身のこなしでマトゥンの背から頭目を下ろし、縛られたバルタザールのほうへ放った。頭目は鈍い音を立てて床に落ち、呻き声が大きくなった。バルタザールは、ぴくりともしなかった。リックは徽章の通った紐を掲げて鳴らしてみせ、それから盗賊の上着で作った袋を広げた。中は同じ徽章でいっぱいだった。いくつかがこぼれ、床板の上を音を立てて転がった。


「陛下、クロイツフルトから一日の距離にあった奴らの根城は、すべて片づけました」


リックは頭目へ目を移した。


「そして、貴重な情報を持つ頭目を連れてまいりました」


国王は近づき、頭目を検めた。擦り傷ひとつ、殴られた跡ひとつない。ハラルトの眉が上がった。


「尋問もせずに、聞き出したのか?」


リックは頷き、落ち着いて言い添えた。


「陛下、私はどんな情報でも引き出せます。本人が忘れてしまったことさえも」


ハラルトの顔に、偽りのない興味が浮かんだ。


「見事だ」


彼はリックを見つめたまま、少し黙った。


「その情報を、ほかの者に伝えることはできるか?」


リックは肩をすくめた。声には迷いがあった。


「お許しください、陛下。ですが、陛下はそれに耐えられないかもしれません。もうお若くはない」


その言葉に、ハラルトはかえって奮い立ったようだった。背筋が伸び、顔が厳しくなった。


「余は、お前の何だ?」


国王はリチャードの目の前まで歩み寄った。リチャードは静かに彼を見ていた。


「命じる」


リックは頷いて従い、大きな両の掌を国王の両耳にぴたりと当てた。ハラルトは目を逸らさず、にやりと笑って言い添えた。


「もし余が死んだら、罰として、お前が次の王だ」


リックは、表情ひとつ動かさずに答えた。


「申し訳ありませんが、そのお申し出は辞退いたします」


彼は手首にわずかに力を込めた。


「始めます」


ほとんど同時に、ハラルトの体が弓なりに反った。足が床から浮き、立っているというより宙に浮いていて、リチャードの両手だけが彼を支えているように見えた。暖炉の火が、一斉に身を伏せた。国王の目は白く濁りはじめ、髪はすっかり銀色に変わってきらめき、体はひからびていくようで、頬骨の上の皮膚が張りつめた。ゴットフリートが一歩踏み出しかけたが、カグツチが黙って手を上げ、彼を止めた。


かすれた息とともに、恐怖を顔に浮かべて、国王はかろうじて言葉を絞り出した。


「ああ、神よ……」


国王は自分の手を、リチャードの手に重ねた。


「すべて見た……もういい……」


リチャードは、国王をそっと床に下ろした。ハラルトに力と元の姿が少しずつ戻ってきたが、顔の恐怖と目の中の動揺は消えなかった。国王は両手で頭を抱えた。その指は震えていた。


ライムントとゴットフリートが歩み寄り、恐る恐るその手を取って、暖炉のそばの椅子に座らせた。


「陛下、何をご覧になったのですか?」


ハラルトは顔を上げたが、その目は彼らを素通りして、どこか遠くを見ていた。唇が声もなく動いている。ここにいる誰にも見えないものを、もう一度たどり直しているかのようだった。


「子どもたち……それが、理由だった……」


やがて、その目がライムントを捉えた。国王は言葉に詰まり、続けるのをためらうように黙った。


「リーゼルは足取りをつかんで……捕まった。囚われている。モルヴェンナに」


ライムントは、指の関節が白くなるほど拳を握りしめた。国王は続けた。


「いちばんひどいのは、子どもたちのことだ」


彼は長いあいだ黙りこんだ。見たものの中を探り、どうしてもつかめずにいるようだった。


「儀式……何かの儀式のために、連れていかれた……アルギロポリス帝国へ、おそらく……」


長い沈黙が落ちた。暖炉の火がはぜ、誰もが国王の続きを待っていた。


「西と東……竜を倒したほかの二人が、どちらもこの組織についている……どちらも、サファイア級だ……」


記憶を渡された反動に国王の体がねじれ、彼は肘掛けにしがみついて、くぐもった声で呻いた。発作が引くと、ようやく息をついた。


「そして、使徒……その上に……」


ハラルトはゆっくりと天井へ目を上げ、言葉を切った。唇がもう一度、声もなく動いた。そばにいた者は皆、思わず息を詰めた。


頭が横へ傾きはじめ、意識を手放しながら、国王はほとんど囁くように言った。


「なぜ、我らにこんなことが……」


リックは自分の仲間を見渡した。マトゥンが重く息を吐き、カグツチの眼窩の炭が静かに燃え上がった。


「健一、俺と西へ行く。兄弟、お前はカグツチと東へ向かってくれ。俺たちがリーゼルを救い出すまで、儀式を食い止めるんだ」


ふいに、ライムントが口を開いた。


「リチャード殿、私も行きます。娘のために」


リチャードは彼を見た。


「冒険者だった頃のランクは、何でしたか?」


ライムントは背筋を伸ばし、懐から擦り切れた冒険者カードを取り出して、リックに差し出した。カードには、五つの星が刻まれていた。


「隠しランクの九です」


彼はそう言い添えた。


健一が口笛を吹いた。リックは重く息をつき、ライムントの目をまっすぐに見た。


「どうなるか、わかっていますか」


ライムントの目は決意に満ちていた。彼は頷いた。


「死は怖くありません。娘を救えれば、それでいい」


彼は少し言い淀んだ。


「もし私が戻らなければ、あなたが次の一族の長になる。結婚には、私が同意します」


リックの目が、わずかに丸くなった。部屋はしんと静まり返り、バルタザールのかすれた息の音さえ聞こえるほどだった。


「同意、ですか……ふむ。その日まで、生き延びなきゃいけませんね」


その言葉を最後に、ふたつの組はそれぞれの方角へ別れた。ゴットフリートは、気を失った国王が身を預けている椅子のそばに残り、ハラーは床に散らばった徽章を黙って拾い集めていた。


* * *


途中、ライムントが装備を取りに立ち寄り、リックと健一は戸口で待った。星銀の重ね鎧を、彼は羽根のように羽織り、健一があたりを見回す間もないほどの速さで着替えを終えた。動くたびに鎧の板がやわらかく光り、ほとんど音を立てなかった。腰には片手の曲刀が二振り、背には盾とアダマンタイトの両手剣。そして肩には熊の毛皮を掛けた。寒さの中を行くと、わかっていたからだ。


健一は彼を頭から足まで眺め、感心したように鼻を鳴らした。リックは何も言わず、ただ頷いた。


町を出る前に、彼らは商店の並ぶ通りへ回った。店はどこも閉まっていたが、ライムントが乾物屋の鎧戸を叩くと、やがて扉の向こうで閂が鳴った。前掛けを慌てて引っかけた青ざめた店主は、完全武装のギルドマスターを見ると、黙って彼らを中へ入れた。リックは棚にあるほとんどすべてを買い占めた。小麦粉と穀物の袋、燻製肉の束、丸いチーズ、塩漬け肉の小樽。健一は苦しげな顔で、硬貨を一枚、また一枚と数えて払った。


食料が店の真ん中に山と積まれると、リックはそこに掌を置いた。山は一瞬で消え、その手には、薄闇の中でかすかに瞬く小さな珠がいくつか残った。それから彼はゆっくりと、大事そうに指を寄せた。すると珠のそばに、もうひとつ、ほかよりひとまわり大きな珠が現れた。リックはそれを、ほかのどれよりも長く掌にのせていた。


彼は拳を握った。指を開いたとき、掌は空っぽだった。


店主は目をこすり、壁際まで後ずさった。ライムントはリックの空の手を長いあいだ見つめていたが、何も尋ねなかった。健一はただ肩をすくめた。こうなることは、わかっていたとでもいうように。それから彼らは通りへ出て、門へ向かった。


町は、黙って彼らを見送った。辻ごとに衛兵たちは銀の鎧のギルドマスターを見て背筋を伸ばし、門では、あの衛兵がまた通用口を開け放って、いつまでも彼らの背中を見送っていた。


あの、とても通り抜けられそうにない森には、すぐに着いた。木々の天蓋の下には湿った冷気が淀み、足もとでは根が絡み合い、梢のどこかで姿の見えない鳥たちが呼び交わしていた。リックはこのあたりの道をすべて知っているかのように先を歩き、ライムントは鎧と武器の重さをものともせず、遅れなかった。ほとんど休まずに進み、一日で抜けただけでも奇跡と言われるこの森を、彼らは日が暮れるずっと前に後にした。


森を出ると、リックは山々を、かつて健一と下ってきたあたりを見上げた。峰々には重い灰色の雲がかかり、ここからでも斜面を舞う雪煙が見えた。


「古い知り合いに、挨拶していこうか」


ライムントは何も尋ねず、ただ後に続いた。健一は、それが誰のことか察しがついたらしく、ぶるりと身を縮めた。


彼らは雪の斜面を登りはじめた。一歩ごとに寒さが増し、風が強まり、やがて足もとの雪は硬い雪殻に変わって、顔に尖った氷の粒が吹きつけはじめた。ライムントは熊の毛皮をきつく掻き合わせた。そしてついに、吹雪の唸りのほか、ほとんど何も聞こえない場所に出た。


ライムントが立ち止まった。その顔は、真っ白になっていた。


「死の風の峠……」


第二十八章をお読みいただき、ありがとうございます。


風雲急を告げる。

一頭の母熊から始まった小さな出来事が、少しずつ転がりはじめました。


村を囲む獣たち。

閉ざされた町と、傷だらけの衛兵。

そして、記憶を受け取った王が、最後まで口にできなかったもの。


リックの掌の白い火は、洞窟のあの夜を覚えている方なら、二度目に見るはずです。


次回、死の風の峠で、古い知り合いと再会します。


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ニック・オッカム

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