第二十章 人の口に戸は立てられぬ
リーゼルが全員に徽章と冒険者カードを配り終えると、マイヤーは一行のほうへ向き直った。
「陛下はいま、王都におられない」
そう言って、何かを勘定するように口をつぐむ。
「だから、霜鱗騎士団の長として正式に就任するのは、まだ先になる」
彼は踵から爪先へと体を揺らし、出口へ向かった。戸口で振り返る。
「さあ、皆さん、行きましょう。どこかに宿を取らねばならんでしょう。まさか野宿というわけにもいかない」
異を唱える者はいなかった。
ギルドにいるあいだに、街はすっかり夕暮れに沈んでいた。路地からは、かまどの煙と炒めた玉ねぎの匂いが流れてくる。通りにはもう街灯がともり、夜更けまで店を開けている商店の看板が光っていた。
戸口の上には、魔法の文字が宙に浮かんでいた。色とりどりの光にきらめき、不思議にふるえながら、店の名になったり、値段になったりする。
何にでも興味のある健一が、商人に追いついた。
「マイヤーさん……」
「あなた方のパーティーにとって、私はもう、ただのマイヤーだ」
マイヤーが遮った。
元密偵は頷いた。
「わかりました。マイヤー、この道沿いの店のこと、教えてもらえませんか」
マイヤーは、どうやらその質問を待っていたらしい。
「喜んで」
彼は、魔法の光でできた看板が瞬く一軒の店を指さした。
「ツィルヴェスターの魔法道具店だ」
声に、ぬくもりが混じる。
「あの爺さんは、もう半世紀以上この店を切り盛りしている。そして、誰も信用しない」
マイヤーは笑った。ひどく満足げな顔だった。
「信じられますか? 女房にも、息子にも、ですよ」
一同は窓をのぞき込んだ。
棚が天井まで続き、小瓶や巻物や小箱がぎっしり並んでいる。そのあいだを、腰の曲がった小柄な老人が床すれすれに浮かびながら、のんびりと品物を棚に収めていた。
老人が振り返った。通りから、客になりそうな者たちが店をのぞいているのに気づいたらしい。
袖をまくり上げ、ぱちんと指を鳴らす。
看板がひときわ明るく燃え上がった。そして、どこからともなく、年配の男の朗々とした声が響いた。
『お客様、そして通りすがりの皆様! ツィルヴェスター・ヴァイスハウプトの店へようこそ。お好みに合う品を、必ずお探しいたします。たとえ、何も買うつもりがなくとも……ごほん、ごほん。いまの、口に出しておったか?』
リックと健一は吹き出した。元密偵は首を振る。
「ずいぶん押しの強い宣伝ですね。咳のあとまで記録に残ってるのは、誰も気にしないんですか」
マイヤーは顔をほころばせた。
「あの録音は、もう三十年ほど前のものだ。私がまだ子どもだった頃のね」
二、三歩進んでから、付け加える。
「あれ以来、爺さんの店は客が途切れない。咳を聞きに来た連中が、袋をいっぱいにして帰っていくのさ」
彼は足を止め、数歩うしろに遠ざかった窓を、もう一度振り返った。
「この街いちばんの商人だよ。私なんぞ、あの人にはあの頂ほども遠く及ばない」
そう言って、遠くを指さす。
リックはその手の先を追った。屋根の向こうに、自分たちが越えてきた山が黒々とそびえていた。
マイヤーは胸いっぱいに息を吸い、例の転がるような足取りで歩き出した。
道すがら、この通りの名所を片っ端から語っていく。どこの店のパンがいちばんうまいか。どこで鞍を直してもらえるか。そして、どこの主人とは値段で言い争わないほうがいいか。
ゆったりと歩きながら、楽しげに口笛を吹く。この散歩が、どうにも嬉しくてたまらないらしかった。
とある辻で、マイヤーは右へ折れ、街の奥へ入った。そのまま身軽に細い路地へ潜り込んでいく。
ここは街灯が少なく、足元の石畳も古く、でこぼこしていた。
野良猫の前を、マイヤーは素通りできなかった。一匹ごとに立ち止まり、ポケットから餌を取り出して食べさせる。餌はひとりでにポケットに湧いてくるかのようだった。猫たちのほうも、どうやら彼の顔を覚えているらしい。
前方に街灯の明るい光がちらつくと、マイヤーは足を速めた。
やがて、ほとんど駆け出す。毬のように弾みながら。
路地が尽き、目の前に広々とした並木道が開けた。
人影はない。
その真ん中に、堂々たる樫の木がそびえていた。家々の屋根に届くほど高く、五人がかりでも抱えきれないほど太い。
マイヤーは木に歩み寄り、幹に身を預けて、数秒、目を閉じた。
それから一歩離れ、指先で静かに涙をぬぐった。
誰も、何も訊かなかった。
樫の木から少し離れたところに、記念像が立っていた。
明るい灰色の一枚岩に、光る青い金属が点々と混じっている。かたどられているのは、がっしりとした小柄な男だった。背丈はマイヤーより少し高いくらい。
リックが近づいてみると、石の男は、彼の肩にも届かなかった。
職人は男を、長衣と帽子の姿で彫り上げていた。鼻には大きな眼鏡。手にした杖は、本人の背丈より頭ひとつ分も高い。
その杖頭には、五つの結晶がはめ込まれていた。
リックは、すぐにそれに目を留めた。
マイヤーは石の男の肩に手を置いた。顔を上げ、台座に刻まれた言葉を誇らしげに口にする。
文字には、一度も目をやらなかった。
「最初の……唯一の……最も気高き者」
彼はポケットからハンカチを取り出し、石の顔についた汚れを、そっと拭った。
それから一行に向き直り、満面の笑みを浮かべた。
「これが、私のひいひい……おじいさんだ」
意味ありげに、間を置く。
「この街の、そしてこの王国の、最初の竜殺しです」
マイヤーは急に声を落とした。一言も聞き漏らすまいと、全員が黙り込む。マトゥンは後ろ足で座り込み、じっと彼を見つめて耳を傾けていた。
「生きていたのは、千年ほど前。この地を魔族の王家が治めていた頃です」
皆、すっかり聞き入って、気づけばまわりのベンチに腰を下ろしていた。
マイヤーは身ぶり手ぶりを交え、祖先の武勲を熱っぽく語った。
「この街の歴史で、陛下から城伯の位を賜った最高位の大魔導師は、後にも先にもおじいさんただ一人です」
マイヤーは、何か大事なことを思い出そうとするように考え込んだ。
「こんな言い伝えがあるんです……」
彼は杖を、いや、結晶を指さした。まずは小ぶりなほうを。
「この三つは、おじいさんが年老いた古竜から取り出したものだ。成竜の何倍も生きる、筋金入りの竜からね。色は、たしか濃い薔薇色に、赤がさしていたとか」
それから二本の指で、残る二つを示す。
「こっちの二つは、よくわからんのです……」
マイヤーは頭を抱え、記憶を探った。
「昔、どこかの年寄りが話してくれたんですよ。一つは、めったにない赤紫色の石だったと。そしてもう一つは、竜のものですらなかった、と」
「だが、ギルドのそばで聞いた話では、赤が限界だと」
健一とリックは、驚いて振り返った。
声の主は、口数の少ない仲間だった。身を乗り出して聞き入り、杖から目を離さずにいる。
「そういう結晶は、めったに出ないんです」
マイヤーは答えた。
「だから、我々が知っていることは、図書館に残る年代記からの推測にすぎない」
彼は、もう一つの大きな結晶に目を移した。そして急に、真顔になった。
「うちの家では、代々こう言い伝えられています。この石は、青みがかった深い緑色だった。そして、魔族の将軍の結晶だった、と」
全員が、問いかけるように彼を見た。
マイヤーは、肩をすくめただけだった。
「ただの言い伝えですよ……」
もう一度、その石を指でつつく。例の「緑の」石を。
「おじいさんが、街を襲った傷だらけの古竜を討ち取ったとき、その腹から、半ば溶けた魔族の亡骸が出てきたんです。鎧ごと。そして、その魔族の胸の奥、心臓のすぐそばに、竜と同じ腺があった。結晶は、その中にあったそうです」
「で、ご先祖はどうなった? 石は?」
カグツチが、こらえきれずに尋ねた。
またしても、うずうずしてたまらない様子だった。リックは、こいつはよほど強大な存在の話が好きなのだろう、と思った。
マトゥンは腹ばいになり、前足に顎をのせた。
マイヤーの顔に、また誇らしげな笑みが広がった。息が荒くなり、目が潤む。
「おじいさんがもう老境に入っていた頃、この国は、死の風の峠から攻め込まれました」
マイヤーは両手で戦いの様子を描いてみせた。小さな子どものように、心底楽しそうに。
「年代記にはこうあります。魔王は、あちこちの群れの古竜を従え、人間に差し向けた。ひとり残らず滅ぼすために。おじいさんは、たったひとりで、青い古竜を三頭倒した。この結晶は、その三頭から取ったものです」
彼は、小ぶりな三つの石に顎をしゃくった。
「それから数か月、静かな日が続いた。そして、あの傷ついた竜が襲ってきた。傷を負っていてもなお恐ろしく強く、おじいさんは三つの結晶の力を使っても、やっとのことで倒したそうです」
マイヤーは声を落とした。
「のちに学者たちが突き止めたんですが、古竜というのは、群れの長の直系の子らしい。そして長は、自分の子の死を感じ取る。だからこそ、ほかの群れの長たちを従えて、復讐に飛んできたんでしょう」
息を継ぐ。
「おじいさんは二日間、休みなく、押し寄せた竜すべてと戦った。ひとりで。残された記録によれば、五つの結晶を得たおじいさんの力は、圧倒的だったそうです」
マイヤーは興奮のあまり、すっかり息を切らしていた。少し呼吸を整え、ずり落ちた帽子をかぶり直し、指輪を回して元の位置に戻してから、続けた。
「天から隕石を降らせた。街ほどもある氷の破片を生み出し、行く手のすべてを薙ぎ払う嵐を起こした。長たちの攻撃にも耐える障壁を張った。そして左腕と引き換えに、すべての群れを追い払ったんです」
一拍、置く。
「ただ、青い群れだけは別だった。仲間を一頭、また一頭と失いながらも、意地でも退かなかった」
マイヤーは口を閉ざした。
沈黙が降りた。樫の枝のどこかで、夜の鳥がかすかに身じろぎした。
「……それで、終わり?」
健一とカグツチの声が重なった。
熊は寝そべったまま、気だるげに不満を漏らした。
商人は空を見上げ、考え込んだ。
「ここから先は、噂しか残っていません……。力尽きた青い竜たちを傷ついた長ともども追い立てながら、おじいさんは腕の傷口を炎で焼いて塞ぎ、彼らを追って山へ飛んだ」
しばし、黙る。
「そこで、最後の戦いがあった。これもまた、噂ですが……おじいさんは長を、群れごと、竜の背骨山脈の奥深くに封じた。そして自らも、その傷がもとで亡くなった」
リックは、何も言わなかった。
あたりは、すっかり暗くなっていた。像のまわりには、相変わらず彼らのほかに誰もいない。
マイヤーはぽんと手を打つと、またハンカチを取り出し、今度は像を丸ごと拭き上げた。帽子のてっぺんから台座まで。
「さあ、そろそろ行きましょう、皆さん」
それから半時ほど、彼は一行を連れて路地をめぐり、ようやく表通りへ戻った。健一はとっくに、曲がり角の数を数えるのをあきらめていた。
「ちょうどいい……この店は、きっと皆さんの役に立ちますよ」
へとへとの健一は、熊にもたれかかって息を整えていた。顔を上げると、二軒の建物の前に立っていた。
マイヤーは左手で、それを示した。
「私の友人たちの店です」
まずは、針の紋章が掛かった壁に顎をしゃくる。
「エメリヒ・ツァイドラーの仕立屋」
それから少し向きを変え、右手で隣の店を示した。花模様の鍛鉄で飾られた扉の店を。
「ルドルフ・アイゼングルーバーの鍛冶工房」
リックが一歩近づいた。
「どうしてここに? てっきり、宿屋に案内してもらえるものだと」
マイヤーは一行を見回し、笑い出した。
「皆さん、あなた方はもう王家にお仕えする身なんですよ。まだ非公式とはいえ」
彼は上着の裾を引いて整え、口調を改めた。
「商人ギルドも、皆さんと契約を結びました。一方的に、ですがね。それに、あなた方は二つの大きなことを成し遂げた。我々の兄弟や父親たちを連れ帰ってくれた。そして……」
笑みを浮かべてリックに歩み寄り、その肩をぽんぽんと叩きながら、仕立屋の入口へ押しやっていく。
「……この街の人々に、誇りを取り戻してくれた。あなた方は、ほかでもないこの街に現れた。五百年あまりぶりに竜が倒され、霜鱗騎士団にふたたび長が立った。そしてあなた方は、最初にして唯一の、サファイア級の冒険者パーティーだ」
商人はリックの逞しい背中に両手をつき、渾身の力で店へ押し込もうとした。
リックは、髪一本ぶんも動かなかった。
「さあさあ、リチャード、お礼をさせてください」
マイヤーは息を切らしながらも、あきらめなかった。
「街じゅうがもう、あなた方のことを知っています。我々が像の前にいたあいだに、商人ギルドが皆に知らせたんです。だから、お断りは受け付けません。断られたら、我々はひどく傷つきますよ」
この人たちが心から自分たちのためを思ってくれていることは、リックにもわかっていた。
彼は折れた。
「わかった、わかりました。抵抗しませんよ。行きます」
そして仲間たちに、ついて来るよう頷いた。
扉の上で、鈴がちりんと鳴った。
マイヤーに導かれて入ると、そこは広々とした広間だった。蜜蝋と、真新しい布と、ラベンダーの香り。壁ぎわの木製の人台には上着や外套が掛けられ、奥には注文を受ける受付台があった。
その向こうで、背の高い、すらりとしたエルフが待っていた。
マイヤーと、その後ろに続く一行を見るなり、エルフは奥へ声をかけた。
奥の部屋から、エルフの女性と三人の子どもが出てきた。年頃の少女が二人と、まだ五つほどに見える小さな男の子。
「ようこそ、いらっしゃいました!」
エルフは深々と頭を下げた。妻と子どもたちも、それにならう。
「エメリヒと申します。こちらは妻のメヒティルト。そして子どもたち、エルフリーデ、アルヴィーナ、アルフレートです」
幼いアルフレートは誰よりも長くお辞儀をしていた。どうやら、頭を上げる頃合いを忘れてしまったらしい。
リックは居心地が悪くなった。また、頭を下げられている。
「そんな……頭を下げないでください」
「これほどの偉大なお方に、敬意を表さずにはいられません。先代の竜殺しがこの街に暮らしていた頃、私も妻もまだ子どもでした。そしていま、我が子たちが、自らの目で恩人を拝めるとは。次の方が現れる日が来るなど、もう望んでもいなかったのです」
仕立屋の一家は、リックと二人の仲間をさらうようにして工房へ連れていった。マイヤーとマトゥンは、広間で待つことになった。
工房には反物があちこちに積まれ、長い作業台の上で鋏や針が光っていた。
夫と子どもたちは、目にもとまらぬ速さで寸法を測っていく。リックの肩に手を届かせるため、少女たちは踏み台によじ登らなければならなかった。
そのあいだに、メヒティルトが尋ねた。
「恐れ入りますが、皆さまの戦い方を教えていただけますか。どういうものがお得意なのでしょう」
リックは仲間たちをちらりと見回し、真っ先に答えた。
「俺は簡単です。見てのとおり」
自分のランニングシャツとズボン、そして裸足を示す。
「上も下も、ゆったりしたものを。靴は、ないほうがいい。俺はパーティーの頭で、いつも先頭に立って、攻撃を引き受けます。武器は、素手です」
メヒティルトは眉を上げた。だが、手にしたペンは止まらなかった。
リックは健一に顎をしゃくった。
「密偵で、会計係。得意なのは隠密行動です」
健一は愛想よく微笑み、異を唱えなかった。
火の神が一歩進み出て、自ら名乗った。
「カグツチ。火の、か……」
リックが横目でにらむ。
「……魔法使いです。炎の魔法を専門としています」
メヒティルトは三枚の書きつけをまとめ、夫と子どもたちが測った寸法を添えると、マイヤーと熊が待つ広間へ出ていった。
書きつけをそっとマイヤーに手渡し、工房へ戻ってくる。
そして、男たちをせかすように手を打ち鳴らした。
「さあ、ここからは私たちの仕事です。明日のお昼に、皆さんそろっていらしてください。いまは隣の店へ、急いで。今日はドワーフたちの機嫌がよすぎるんです。酔いつぶれる前に、間に合わせないと」
そして、たったひとりで、手際よく全員を戸口から押し出した。ついでにマイヤーも連れ出して。
熊は、それを見て自分から出ていった。
鈴が、背後でちりんと鳴った。
一行は、急いで鍛冶屋へ向かった。
鍛鉄の扉は、低く軋みながら、重たげに開いた。中は鉄と炭の匂いがして、炉から吹きつける熱に、健一は思わず腕で顔をかばった。どこか奥のほうで、槌が規則正しく鳴っている。
戸口をくぐるなり、ずんぐりとした男たちが出迎えた。豊かな顎ひげに、口ひげ。背丈は、リックの胸に届くかどうかだった。
ドワーフたちが順に進み出ると、マイヤーが主を紹介した。
「私の古い友人、いや、兄弟も同然の男です。その名は王国の外にまで知られている。ルドルフ・アイゼングルーバー」
ルドルフは、もう若くはなかった。誰よりも図体が大きく、赤い顎ひげは膝まで垂れ、革の前掛けはあちこちが焼け焦げていた。
弟子たちと一緒に、彼はリックを頭のてっぺんから足の先まで眺め回した。これほどの階級のパーティーからの注文など、一生に一度あるかないか。それが、全員の目に表れていた。
ルドルフは、工房じゅうに響く声で叫んだ。
「野郎ども……我らが一族の名を汚すなよ!」
「おう!」
ほかの者たちが、こだまのように応える。
「今日という日が、我らの名を王国じゅうに轟かせる!」
鍛冶屋は、巨大な拳で自分の胸を叩いた。
「世界じゅうが、我らの名を知ることになる! 鍛冶屋、ルドルフ!」
そして全員が、順番に自分の名を叫び始めた。
「ベルンヴァルト」
最年長の者が、低く応じた。
「トビアス!」
槌を手にした、若く頑丈なドワーフが叫ぶ。
そして三人の若いドワーフが、ほとんど声をそろえて。
「ヨルク! ディートマー! ハルトムート!」
一行も敬意を込めて頭を下げ、名乗った。だが、聞き取れたのはリックの声だけだった。
「リチャードです。よろしく」
鍛冶屋たちの目は燃えていた。これほどの意気込みがあれば、鉄からも奇跡が生まれる。彼らは、準備万端だった。
「なあ、坊主。お前さんは何で戦う? 剣か? 戦斧か? それとも槌か?」
リックは、ばつが悪そうに笑った。素手で戦うと言って、この鍛冶屋をがっかりさせたくはなかった。
「すみません。身につけているもの……」
彼は自分の体を手で示した。
「これで、そのまま戦いに出ます」
工房が、しんと静まり返った。奥の槌の音さえ、止まった。
ドワーフは感嘆の目で、武器にも竜にも素手で立ち向かう男を見上げた。
「つまり坊主、体の動きを何ひとつ邪魔されたくないってわけだな!」
彼は豪快に笑った。
「話は全部、聞いとるよ」
ルドルフは親指を立て、残りの二人に向き直った。
「密偵と、魔法使いか……」
目を細める。
「密偵のほうは、まだ何か考えようがある。だが、魔法使いとなると……ふむ……」
そこでリックは、もう一つあったことを思い出した。
見回すと、工房には十分な広さがありそうだった。カグツチに手を差し出すと、カグツチは何も言わずに、竜の入った珠を手渡した。
鍛冶屋たちが声を上げた。その珠から放たれる力を、誰もが肌で感じ取っていた。
「坊主……それが、リーゼルとギルド長のゴットフリートが話してた、例の珠か?」
そばにいたマイヤーが、頷いた。
ドワーフたちが、声をそろえて囁いた。
「……二頭目の竜」
ルドルフは、いちばん若いハルトムートに向き直り、真剣な顔で言った。
「すぐにリーゼルを呼んでこい。リチャード様が竜を見せるときは必ず呼んでくれと、泣きつかれとるんだ」
ハルトムートは一言も言わずに前掛けをむしり取り、駆け出していった。
その間に、鍛冶屋は健一から、好みの得物を聞き出していた。
「つまり、短くて細い刃が二本。なんと言ったか……」
ルドルフは一音ずつ、懸命に発音した。
「ワ、キ、ザ、シ」
そして、また満足げに親指を立てた。
最後に、カグツチのほうを向く。
「ひとつ、考えがある。だが、まずは待とう」
それから熊を見やり、寂しげに手を振った。
「こういう獣には、何もいらんな。こいつ自身が、武器みたいなもんだ」
マトゥンは、どうやらそれを褒め言葉と受け取ったらしい。
ルドルフが一行との話を終えたちょうどそのとき、リーゼルとハルトムートが戸口から飛び込んできた。
「おじさま……」
リーゼルはすっかり息を切らし、咳き込んだ。
それから頬をふくらませてリックに歩み寄り、その腕をぐいぐい引っ張った。
「リチャード様、どうして、わたしにはなんにも答えてくれなかったんですか? ねえ?」
リックは気まずく笑って、黙っているしかなかった。
そこでリーゼルは、彼の手の中の珠に気づいた。
目が、金貨二枚のように丸くなる。わあ、と声を上げ、手を叩いて跳びはねた。
「早く見せてください! わたし、ずっと竜を見てみたかったんです!」
リックは工房の広さをもう一度見積もり、ルドルフに尋ねた。
「もっと広い場所はありますか」
ルドルフは、わかっているという目で彼を見た。
「つまり、縦百肘、横五十肘の広間じゃあ、手狭だと」
そして黙って、重い扉の向こうの倉庫へと皆を導いた。
敷居をまたいだ途端、倉庫がみるみる広がり始めた。
壁はどんどん遠のき、天井は上へと伸びていく。足音のこだまが返ってくるのが、だんだん遅くなっていった。
一行の驚いた顔を見て、ルドルフは自分の胸をどんと叩いた。
「伊達に、うちが王国一の鍛冶屋になったわけじゃない。マイヤーが皆さんをここへ案内しとるあいだに、ツィルヴェスター爺さんの店から魔術師を百人雇って、倉庫の中を広げさせたんだ。工房の蓄えはほとんど使い果たした。自腹も切ったがな」
マイヤーが、かすかに口の端を上げた。どうやらツィルヴェスターは、今日一日で一年分の売り上げを手にしたらしい。
倉庫は、なおも広がり続けた。もう、果てが見えない。
「おじさま、どうしてそんなに広くするんですか?」
リーゼルが声を上げた。
ドワーフは大笑いした。
「サファイア級のパーティーと仕事をする鍛冶屋にはな、最高の素材を置く場所がたっぷり要るんだよ。故郷の東の山々にも、もう手紙を出した。手伝いが要るからな。そのうち、工房そのものも広げにゃならん。でなきゃ、この量はさばききれん」
彼はリックに向き直り、手を振った。
「見せてみろ」
リックは珠をそっと遠くへ転がし、カグツチに頷いた。カグツチはもったいぶって両手を掲げ、何やらぶつぶつと唱え始めた。
珠が、ぱきりと割れた。
その中から、青い竜が現れ始めた。
まず、頭。
次に、首。
それから、どこまでも終わらない背中。
マイヤーは悲鳴を上げ、仰向けにひっくり返った。
「こ、これは……私が買い取ったやつの、二十倍はある……」
リーゼルは声も出さなかった。両手で口を押さえたまま、まばたきひとつしない。
マイヤーは怯えた顔で、リックを振り向いた。
「これがどれほどの問題か、わかっておいでですか」
リックは、落ち着いて答えた。
「でも、こいつは年寄りで、弱っていたし……」
「なら、最初のものより、桁違いに価値のある結晶を持っているはずです」
マイヤーは、大きく息を吐いた。
「それに陛下が、あなた方の力について報告を求めるかもしれない。最初の一頭だけでは、もう力の証明には足りません」
リックは頭を抱えた。
(なんでこうなる……また、こんなに目立って……)
彼はマイヤーに向き直った。
「こいつは、俺がひとりで倒しました。最初のやつも」
ドワーフたちも、商人も、リーゼルも、真っ青になった。
マイヤーは、どうにか気を取り直した。
「せめて、お力の一端だけでも見せてください。そうすれば、王家の前ですべてをさらさずに済むかもしれない」
次の瞬間、リックはもう竜の背の上に立っていた。
どうやってそこへ移ったのか、誰にもわからなかった。
「結晶は、どこにあるはずですか?」
彼は下へ向かって叫んだ。
マイヤーは両手を口に当てた。
「中です! 頭蓋の付け根の!」
「なるほど……わかりました」
リックは背骨づたいに後頭部へ歩いた。
鋭く、しなるような一撃で、竜の頭に腕を突き入れる。そして即座に、結晶を引き抜いた。
次の瞬間には、もう結晶を手にして下に立っていた。
「マイヤー、色が変じゃないですか? どうして薔薇色に、青みがさしてるんだろう。言い伝えでは、赤紫色でしたよね」
石は、彼の手のひらで柔らかく光っていた。
皆がわあと声を上げ、この珍品に指一本でも触れようと手を伸ばした。だが、結晶から放たれる力に、誰もが震えた。
ルドルフを除いて。
「古竜か……」
鍛冶屋が、低くつぶやいた。
「つまり坊主、その結晶を、お前さんとこの魔法使いにやろうってわけだな……筋は通っとる」
リックは、ただ微笑んだ。
竜の亡骸は、新しい珠に収めた。もちろん、カグツチの「おかげで」。
ルドルフは一行を送り出すと、袖をまくり上げた。
「野郎ども……金に糸目はつけん。払うのは王家と商人ギルドだ。伝説に語り継がれるほどの装備を、こしらえてやろうじゃないか」
「おう!」
ドワーフたちが声をそろえた。
一行の背後で、ふいごがうなりを上げた。最初の槌の音が、工房に響きわたった。
もう、ずいぶん遅かった。マイヤーは皆を宿屋へ送り届けると、自分はその足で商人ギルドへ向かった。知らせを携えて。
リックの一行と、一緒に残ったリーゼルは、朝を待った。
*
その夜、商人ギルドの灯りは、遅くまで消えなかった。
ゴットフリート・リントナーは、一度も口を挟まずに、マイヤーの話を聞き終えた。
「ひとりで?」
それだけを、尋ねた。
「ひとりで。二頭とも」
ゴットフリートは、暖炉の火を見つめたまま、長いこと黙っていた。
やがて、白紙を一枚引き寄せ、ペンをインクに浸した。
手紙は、短いものになった。ゴットフリートはそれを二度読み返し、折りたたんで、封蝋を垂らした。
封蝋の紋は、王冠だった。
真夜中を待たずに、街の門から一騎の騎手が駆け出していった。
馬を労わる様子は、なかった。
第二十章をお読みいただき、ありがとうございます。
千年前、ひとりで竜の群れに立ち向かった男の伝説。
仕立屋のエルフ一家と、気のいいドワーフの鍛冶屋たち。
そして、二頭目の竜。
「目立つな」という父の言葉は、今回もあまり守れませんでした。
人の口に戸は立てられぬ。
その夜のうちに、一通の手紙が街を出ていきます。
面白いと感じていただけたら、ブックマークや☆での評価をいただけると、とても励みになります。
感想も、ひと言でも大歓迎です。
ニック・オッカム




