第十九章 嚢中の錐
多かった。
三十人か、それ以上か。
男たちは木々の陰から音もなく現れ、肩を並べて道を塞いだ。顔は目の下まで布で覆われている。
護衛たちが武器を構えた。馬が鼻を鳴らし、引き綱を張って後ずさる。
ジョセフが最前列へ進み出た。
兜の面頬を下ろす。その金属音が、道の端まで転がっていった。
両手剣の柄を、強く握り直す。
空気が、弓の弦のように張りつめた。
マイヤーは道に溢れた男たちを一瞥すると、くるりと背を向けた。
転がるような独特の足取りで、自分の護衛たちの脇を悠然と抜け、馬車へ向かう。
乗り込む間際、彼は最後にもう一度だけ、この騒ぎに目をやった。
そこには、不安のかけらもなかった。窓の外の雨を眺めるような目だった。
覆面の一人が、彼に声をかけた。
商人は振り返りもしなかった。
馬車の扉が、静かに閉まった。
健一は、覆面の一団を鋭い目でなぞった。
そして、すぐに肝心なものに気づいた。
護衛たちが見ていないものに。
彼はリックに歩み寄り、唇をほとんど動かさずに囁いた。
「兄貴、気づいてますよね?」
目だけで、男たちの手元を示す。
三つ叉。殻竿。長すぎる柄にすげ替えた薪割り斧。中には、先を尖らせただけの杭もある。
そして、それをまるで鋤のように握っていた。両手で、柄のいちばん端を。指の節が白くなるほど力を込めて。
リチャードは頷いた。顔は真剣なままだった。
「ほとんど、最初からな」
同じように低く、短く答える。
そのあいだにも、護衛たちは覆面の男たちへ詰め寄っていた。
一歩。
また一歩。
もう、数歩の間合いしかない。
「でも、兄貴……」
健一はすでに身を乗り出していた。自分で飛び込んでいきかねない勢いだった。
「止めないと。全員」
リックはその肩を押さえ、ジョセフのほうへ向かった。
ちょうど、剣が振り上げられたところだった。
幅広の刃が、陽の光をはじく。
リックはそれを、振りかぶった頂点で受け止めた。
ただ、刃に指をかけて握っただけだった。他人の手から棒切れを取り上げるように。
「待て」
ジョセフが剣を引いた。
刃は、髪一本ぶんも動かなかった。
「俺の剣に触るとは、何様のつもりだ!」
面頬の奥から、くぐもった怒声が漏れる。ジョセフは首を巡らせ、部下たちを探した。
「そいつをやれ! 何を突っ立ってる、馬鹿どもが!」
怒りに息を詰まらせながら、彼は柄を引き続けた。何度も、何度も。土埃に足を踏ん張って。
「殺せ!」
誰も、動かなかった。
動けなかったのだ。
誰を相手にしろと言われているのか、彼らは痛いほど分かっていた。道端の竜の亡骸が、どんな言葉よりも雄弁にそれを語っていた。
リチャードは刃を握ったまま、護衛隊長に向き直った。そして、気負いのない笑みを浮かべた。
「ジョセフ、落ち着け」
声には、脅しの色はひとかけらもなかった。
「あいつらが手に何を持ってるか、よく見てみろ」
言葉は、耳を素通りしていった。
愚かさが、理性の声を門口にさえ立たせなかった。
リックはジョセフの真正面に立った。
面頬の細い隙間を覗き込む。その奥で、目が泳いでいた。
「あいつらと戦いたいのか?」
覆面の男たちへ顎をしゃくる。
「あの武器の持ち方を見ろ」
少しだけ声を張った。どうにか届かせようとして。
ジョセフは両手剣を手放した。
腰の短剣を引き抜き、リックに斬りかかる。
振りかぶるより早く、部下たちがその上にのしかかっていた。
剣をもぎ取り、腕をねじ上げ、顔から土埃に押し倒す。誰かがもう縄を引き出していた。
あっという間に、護衛隊長は手も足も縛り上げられた。
鎧を鳴らして地面を転げ回りながら、彼は誰彼かまわず呪いの言葉を吐き散らしていた。
リックはようやく息をつき、先頭の馬車へ目をやった。
「マイヤーさん。最初から気づいてたんでしょう? ただの農民だって」
短い間。
それから、カーテンの向こうから、静かで素っ気ない声がした。
「わしの知ったことではない。好きにするがいい」
リックはジョセフのそばにしゃがみ込んだ。
縛られた男は、捕まった蛇のように身をくねらせ、縄から抜け出そうともがいていた。
「聞こえたか、お前の主人の言葉が」
どんな忍耐にも、限りはある。
リックは手刀で、兜を軽く叩いた。
兜が、こもった音を立てる。ジョセフは白目をむき、ぐったりと動かなくなった。
「いい加減にしろ」
晴れ晴れとした気分で立ち上がり、膝の土を払う。そして小声でぼやきながら戻っていった。
「救いようのない馬鹿だな……」
静まり返った護衛たちの前で、彼は足を止め、一人ずつ見回した。
「お前たちも、隊長と同じ目に遭いたいか?」
護衛たちは黙って武器を下ろし、道を開けた。
彼らが退くと、覆面の一団の中から、小柄な老人がリックのほうへ進み出てきた。
足がうまく動かないらしい。一歩ごとに、力を振り絞っている。
立ち止まり、頭を下げる。
そして、震える、ひび割れた声で言った。
「わしは、コンラートと申します」
老人はさらに近づき、手を差し出した。乾いて筋張り、皮膚のひびに土が染みついた手だった。
「許してくだされ、若いの。わしらは、盗賊ではないのです」
「はじめまして、コンラートさん」
リックはその手を握り、敬意を込めてもう片方の手を重ねた。
心からの笑みを浮かべる。
「どうして、こんなことをしなければならなかったのか。聞かせてもらえますか」
老人は面食らった。
「とんでもない。悪さをしようなどとは、これっぽっちも」
その声が、誰の胸にも伝わるほど重く沈んだ。目に、涙が光った。
「子どもたちが、いなくなったのです……」
老人は皺だらけの手で目を覆った。
それでも涙は指の隙間からこぼれ、頬を伝って、白い無精髭へ落ちていった。肩が小刻みに震えている。
「誰も、助けてくれんのです」
リックは身をかがめ、老人を抱きしめた。
薪の束のように、軽かった。
「王様にもお願いしました」
老人は涙ながらに続けた。
「冒険者ギルドにも」
深いため息をつき、袖で頬をぬぐう。
「どこへ行っても、追い払われるばかりで。あらゆる戸口を叩きました」
コンラートが手を振った。
背後の男たちが、覆面の布を引き下ろした。
その下から現れたのは、年齢もまちまちな男たちだった。
髭も生えそろわぬ若者。日に焼けた顔の、一家の父親たち。老人たち。
誰の顔にも、同じ刻印が押されていた。
もう、どこにも行き場のない者の刻印が。
多くの者が、しきりに目をこすっていた。
その目は赤かった。道の埃のせいでは、なかった。
「竜の亡骸を見せてくださったとき……」
老人の目に、小さな火がともった。
「わしらは、もう助けなど見つからんと諦めかけておりました。けれど、あなたの言葉が、希望に火をつけてくれたのです」
リックは老人の両肩に手を置き、微笑んだ。
「信じてもらえないかもしれませんが、コンラートさん」
老人の体がこわばった。
リックは、少しでも力が抜けるようにと、その肩を軽く叩いた。
「俺たちがここへ来たのも、あなた方と同じ理由なんです」
道の上に、沈黙が落ちた。
どこかで馬が一頭、蹄を踏み替えた。
リックは小さく鼻を鳴らした。
「運命の悪戯、ってやつですかね」
老人は、痛みに満ちた目で彼を見上げた。
「しかし、若いの……」
リックの肩越しに、その不思議な連れたちを見やる。
「あんた方は、いったいどこの国から来なすった?」
(……たしかに、どこからだろうな)
その問いは、肋骨の奥のどこかに刺さった。
故郷への思いが、不意に込み上げてきた。言葉では説明できないほど、遠い故郷への。
目の奥がつんとする。
誰にも気づかれないうちに、リックはひと粒の涙を払った。
「海を越えて、山を越えてきました。何か手がかりがないかと」
重いため息をつき、両手を広げる。
「見つかったのは、切れ端ばかりです」
首を振り、少し黙る。
「子どもたちは消えていく。それなのに、誰ひとり、ひとかけらのことも知らない」
農民たちは、目を見開いて彼を見つめていた。
耳にしていることが、信じられなかった。
男の一人が、三つ叉を放り出した。
鈍い音を立てて、それが地面に落ちる。
男はリックのもとへ駆け寄り、崩れるように膝をつくと、そのぼろぼろのズボンにしがみついた。
「あんた方は、竜を二頭も倒したんだ……」
マトゥン、健一、カグツチが、そばへ歩み寄った。
男は膝をついたまま、深くうなだれていた。
四十にも届かないだろう。それなのに、頭はすっかり白くなっていた。
「子どもたちが、みんないなくなった……女房も……」
男は吠えるように泣いた。
悲しみと、自分自身への怒りとで。
「女房は、自分で命を絶っちまった……」
誰も、何も言わなかった。
リックは男の両肘を取り、ゆっくりと、そっと立ち上がらせた。
「期待させるようなことは言えません。でも、俺たちにできることは、全部やります」
農民たちが、リックと仲間たちを取り囲んだ。
肩に、袖に、服の端に、手が伸びてくる。
ただ、触れたいだけなのだ。
そうすれば、希望が本物になるとでもいうように。
コンラートが涙をぬぐった。
さっきとは、違う涙だった。
「断らなかったのは、あんた方だけだ」
老人はリックの手を、両手で包んだ。
「わしらは、あんた方を信じとります」
リックは頷き、人垣のあいだを縫うようにして先頭の馬車へ向かった。
彫刻の施された扉を、指の節で叩く。
「出発できます、マイヤーさん」
カーテンが揺れた。
窓から、指輪をずらりとはめたふくよかな手が現れ、気だるげに前へ振られた。
護衛たちは慌てて気絶した隊長を担ぎ上げ、後ろの馬車へ運び込んだ。
車輪が軋んだ。
隊商は、農民たちを連れて森の中へ進み始めた。
***
森の奥。
道が細くなり、梢の影が切れ目のない天蓋になるあたりで、リックは護衛たちの気がそれるのを待ち、するりと商人の馬車へ滑り込んだ。
中は、蜜蝋と革と香辛料の匂いがした。
マイヤーは、ひとりだった。荷包みと、鉄で縁取られた箱に囲まれて。
彼は落ち着いた目でリックを見上げ、空いている椅子を手で示した。
「座るがいい。冒険者……殿」
最後の言葉の前の間は、ほとんど分からないほどだった。
だが、確かにあった。
リックは眉を上げた。
この抜け目のない商人には、すべてお見通しらしい。
「子どもらのことを聞きに来たのだろう?」
(図星、か)
リックは肩をすくめ、腰を下ろした。
「マイヤーさん」
少しだけ、間を置く。
「あれがただの農民だってこと、知ってたんですよね?」
商人は窓のほうへ顔をそむけた。
木の葉越しに夕陽が射し込み、その顔の上を、赤い斑がゆっくりと這っていく。
「顔を隠していようが、わしには全員分かった」
ため息をつき、横目でリックを見る。
それから、自分の手に目を落とした。
指輪をひとつ回し、もうひとつ回し――三つ目を抜き取る。
「着いたら、ギルドでこの指輪を見せるがいい」
彼はまた、窓のほうへ顔を向けた。
「推薦状の代わりにはなるだろう」
リックは指輪を受け取った。
重い。まだ、他人の手のぬくもりが残っている。
印章には、袋の横に座る犬が彫られていた。
商人はそれを親指にはめていた。リックの小指には、どうにか収まった。
マイヤーは、何かを言わずにいる。
リックは、肌でそれを感じていた。
だが、商人の座り方――背を向けたまま、微動だにしない背中――を見れば分かった。
今は、そっとしておいたほうがいい。
車輪が、木の根を規則正しく越えていった。
***
夜明け近く、隊商は森を抜けた。
前方、灰色の薄明かりの中に、城壁がそびえていた。
高く、切り石を積み上げ、上には狭間、黒々とした矢狭間が並んでいる。
門はまだ閉ざされていた。そのそばに番兵が立ち、火鉢から細い煙が立ちのぼっている。
リチャードと仲間たちは、隠しようもない驚きとともに城壁を見上げた。
マイヤーは馬車から降り、書類を改めていた番兵のもとへ行くと、何やらひそひそと話し始めた。
数分後、彼はリックを手招きした。
リックが仲間たちと近づくと、こんな声が聞こえた。
「こちらです、旦那。お話しした一行は」
番兵が、こちらへ目を向けた。
鉄のように動じない目だった。
背が高く、肩幅の広い、五十がらみの男。
使い込んだ革鎧を着て、到着者の名簿を手にしている。
頭はつるりと禿げ上がり、顔はきれいに剃られている。ただ鼻の下にだけ、三人分はありそうな見事な口髭がたくわえられていた。
「お前たちが、竜の背骨山脈を越えてきたってのか」
熊も含めて、全員が頷いた。
「しかも竜を仕留めて、一頭は皮まで剥いだと」
疑いの色をたっぷりと浮かべて、男は彼らを眺めた。
「おまけに、死の風の峠を抜けて森へ出てきたときた」
ごつい眉の下から、射抜くような目が彼らを見据えた。
ゆっくりと、一人ずつ。
頭のてっぺんから爪先まで、手で探るように。
そして、不意に。
その厳めしさが、すっかり消えた。
番兵は大声で笑い出し、リックをがばりと抱きすくめた。
「俺はオットーだ! 甥っ子から全部聞いたぞ」
そう言って、顎でマイヤーを示す。
羽根の詰まった袋のようにリックを放り上げ、同じように軽々と受け止めると、地面に下ろして背中をばんばん叩いた。
「お前のことを、そりゃあもう褒めちぎってたぞ」
そう言いながら、ポケットから竜の牙を取り出す。
リックがただ同然で商人に譲った、あの牙だった。太い指で、それをくるりと回す。
「抜けられねえはずの森を、一日で、かすり傷ひとつなく抜けてきた。これが奇跡じゃなけりゃ、何だってんだ」
オットーはまた真顔に戻り、一人ひとりと握手を交わした。熊には、満足げに頷いてみせる。
熊も、頷き返した。
それからオットーは、門のほうへ向き直った。
声の調子が変わった。
「開門!」
閂が音を立てて外された。重い門扉が軋みながら、左右へ動きだす。
オットーは道の脇へ退き、もう一度叫んだ。今度は、いつもの太い声で。こだまが城壁にぶつかって返ってくるほどに。
「兄弟たちが、父親たちが帰ってきたぞ! もう会えんと思っていた方々が、連れ帰ってくださったんだ!」
一行がアーチの下をくぐるとき、オットーはリックにだけ聞こえる声で言った。
「ありがとうよ、兄弟。ようこそ、ホーエンブルンへ」
***
町が、目を覚まそうとしていた。
鎧戸が開く音。焼きたてのパンと、竈の煙の匂い。
どこかで鐘が鳴り、朝の祈りへ人々を呼んでいる。
農民たちは、それぞれの家へ散っていった。
あちこちの開け放たれた戸口から、もう女たちが飛び出してくる。通りの上に、泣き声と笑い声が入り混じって舞い上がった。
マイヤーは、自分の店――看板を掲げた三階建ての独立した建物――の前で隊商の荷を下ろさせると、自らリックの一行を冒険者ギルドへ案内した。
一行は、石畳の広い通りを歩いていった。
道行く人々が足を止める。振り返る。
籠を取り落とす者がいる。子どもをスカートの陰に隠す者もいる。
商人は笑った。
「あんた方は、このあたりの人間とはまるで違うからな。とくに、あんたの連れは」
ひらひらと手を振る。
「気にせんでいい。ここは都じゃない。人はみな、気がいい」
いくつかの区画を過ぎたところで、一行は大きな建物の前で足を止めた。
明るい色の石造り。マイヤーの店の何倍もある。
入口には円柱。幅の広い石段。扉の上には、石の天秤。
健一は、口をぽかんと開けたまま固まった。
「ここで待っていてくれ」
マイヤーは高価な上着を整え、指輪を整え、ついでに顔つきまで整えたように見えた。
「商人ギルドに寄ってくる。すぐ戻る」
彼は石段を上り始めた。一段ごとに、ふうふうと息を吐きながら。
どうにかこうにか自分の体を玄関まで運び上げると、ハンカチで額を押さえ、豪奢な青銅の扉の向こうへ消えていった。
待たされた。
長いこと、待たされた。
そのうちに、近くで遊んでいた五歳くらいの子どもたちが、熊のまわりに集まってきた。
最初は遠巻きに見ているだけだった。
それから、少しずつ近づいてきた。
やがて一番度胸のある子――つむじの立った、膝小僧をすりむいた男の子――が、思い切ってリックの袖を引いた。
「おじちゃん、これ、おじちゃんの獣? 乗ってもいい?」
目がきらきらと輝いている。
子どもたちが、いっせいに声を合わせた。
「そうそう! 乗せて! おねがい!」
リックは声を上げて笑った。
「獣じゃないよ。俺の大事な友だちだ」
子どもたちは、きょとんと顔を見合わせた。
「ともだち?」
「今、聞いてみるな」
リックはマトゥンのそばへ行き、笑顔で尋ねた。
「兄弟、構わないか?」
熊は何事かうなり、大きなため息をついて、腹ばいになった。
石畳が、かすかに揺れたような気がした。
「いいってさ」
「やったあ!」
子どもたちは毛皮にしがみついてよじ登ろうとした。
だが熊はあまりに大きく、どうしても力が足りない。しがみつき、ずり落ち、またしがみつく。
そこでリックは、一人ずつ脇の下から抱え上げて、背中に乗せてやった。
そうして、十二人全員を乗せた。
熊がゆっくりと立ち上がる。
子どもたちが、いっせいに歓声を上げた。
そしてマトゥンは、悠々と、堂々と、通りを散歩し始めた。
子どもたちが毛むくじゃらの友だちの背中ではしゃいでいるあいだに、青銅の扉が開いた。
マイヤーが、三人の年配の男を伴って出てきた。
三人の身なりは、彼よりはるかに豪華だった。毛皮で縁取られた重いマント。胸には金の鎖。
彼らは連れ立って、リックのもとへ下りてきた。
先頭の男がマントの裾を払い、手を差し出した。あとの二人もそれにならう。
リックは快く、一人ひとりと握手した。
「あなたが、リチャード殿ですな」
冷たく、計算高い目が、彼を頭から爪先まで値踏みした。
品物を見定める目だった。
「ギルド長の、ゴットフリート・リントナーです」
男は連れのほうを振り返った。
「副長のバルタザール・ケスラー。そして首席顧問の、ヴェンデリン・ハラー」
三人とも、興味深げにこちらを見ていた。
そして、顎をつんと上げていた。ギルドの高い階段の上から世の中を見下ろすように。
「リチャード・オッカムです。お会いできて光栄です」
「オッカム殿。我らが敬愛する友、マイヤー・プフェッファーマン殿にお売りになった品を、見本として拝見しました」
マイヤーがポケットから布袋を取り出し、中身を手のひらに広げた。
青い竜の皮のひと切れ。牙がいくつか。そして、鶉の卵ほどの、薔薇色の結晶。
結晶を見て、リックは驚いたように首を振った。
「どれも興味深い品ばかりですが」
ゴットフリートが、結晶を指さした。
「とりわけ、これです。どうやら、この価値をご存じないようですな」
リチャードは肩をすくめた。
「ええ。どこから取れるものなのかも、知りません」
三人は、呆気にとられて彼を見つめた。
ゴットフリートは結晶を手に取り、手のひらの上で軽く転がした。
石が朝の光を受け、内側から柔らかな薔薇色の火を灯した。
「言い伝えによれば、竜の頭の中には特別な腺があるといいます。そこに魔力が蓄えられ、結晶となる。竜が魔法を使えば使うほど、その色は変わっていく。淡い薔薇色から、血のような紅へと」
リックにとって、そんな結晶に使い道はなかった。
(……いや、待てよ)
彼は、カグツチに目をやった。
「さて、オッカム殿」
ゴットフリートは、結晶をのせた手のひらを差し出した。
「マイヤー殿は、これの本当の価値をお話ししませんでしたか」
「いいえ、聞いていません」
リックは首を振った。
「若い竜を倒せる人間は、世界じゅう探しても十人とおりません。成熟した竜となれば、数えるほど。そして我が王国には、ひとりもいない」
彼は眼鏡を直し、長い顎鬚をゆっくりと撫でた。
「結晶は、成熟した竜にしか生まれません。値のつけようがないのです」
あとの二人が、もっともらしい顔で頷いた。
「これを除けば、王国にあるのはわずか二つ。ひとつは陛下の王冠に。もうひとつは、宮廷に仕える大魔導師の手に」
彼は息を継ぎ、うっとりと続けた。石から、輝く目を離さないまま。
「どちらも、代々受け継がれてきたものです」
「何がおっしゃりたいんです?」
リックは三人を見た。
三人はひそひそと言葉を交わした。
もじもじと譲り合い、結局、ハラーが前へ押し出された。
彼は咳払いをした。
「冒険者ギルドの依頼だけでなく、我々の依頼も引き受けていただきたいのです」
ハラーはマントの下に手を入れ、ずしりと重そうな袋を取り出した。
古い革は黒ずみ、ひび割れていた。口を縛る紐には、封蝋が押されている。
封蝋の紋は、王冠だった。
「我々のものだとは思わないでください」
そう言いながら、彼は封蝋を割った。乾いた音を立てて、それは粉々に崩れ落ちた。
「ギルドは、預かっているだけです。王家の備えです。いつかホーエンブルンに結晶が持ち込まれたときのために、ここに置かれていたのです」
紐をほどき、袋の口を開く。
中には、青い硬貨が詰まっていた。
かすかに光っている。むらのある光だった。強くなり、弱くなり。
まるで、息をしているように。
「天貨、千枚。結晶の代金と、我がギルドとの契約金です」
健一がリックに近づいた。
こういう方々に、兄貴を飛び越えて直接口をきくなど、彼の流儀ではなかった。
ただ、囁いただけだった。
「金貨でいくらになるか、聞いてください」
リックはハラーに向き直った。
「すみません、その硬貨は金貨でいくらになるんでしょう。俺の生まれたところには、こういうものがなくて」
「もちろん、お答えしましょう」
ハラーは迷いもせずに答えた。
「ヒンメル一枚で、金貨百枚です」
健一の目が、まん丸になった。唇がひとりでに動き、ゼロの数を数え始める。
ギルド長が、その喜びに急いで水を差した。
「申し訳ないが、こうした結晶はヒンメルでしか買い取らない決まりなのです。王家がギルドから金貨で結晶を買い上げ、その価値の二割を、手に入れた者がヒンメルで受け取る」
健一がまた何かリックに囁いた。リックが尋ねる。
「何か、裏があるんですか」
「裏などありません。ただ、ヒンメルを受け取った時点で、あなたは領主の身分となり、宮廷に仕えることになる。霜鱗騎士団の長として。この騎士団は、めったに結成されないものでしてね」
リックは、深くため息をついた。
(自由は、なしか。父さんは、たぶんこれも見越してたんだろうな)
彼は三人を見た。
「めったに、というと?」
副長が、台帳でも読み上げるように淡々と答えた。
「最後に竜が倒されたのは、五百年以上前のことです。それ以来、騎士団は存在しておりません。お察しのとおり」
「じゃあ、使えもしない硬貨が、何のためにあるんです?」
男たちは考え込んだ。
用意してあった巻物を取り出す。黄ばんで、端のすり切れた巻物を。
一本、また一本と広げていく。
指で行をたどる。眉をひそめる。互いに回し合う。
答えは、どこにもなかった。
三人は顔を見合わせた。
巻物が、かさりと音を立てて丸まった。
「それを知っているのは、国王陛下だけです」
***
商人ギルドでの用が済んだころには、子どもたちもすっかり乗り飽きていた。
マトゥンがそっと腹ばいになり、リックが一人ずつ石畳へ下ろしてやる。
最後の一人――あのつむじの立った子――は、なかなか帰ろうとしなかった。角を曲がるまで、ずっと熊に手を振っていた。
マイヤーは一行を連れて、今度こそ冒険者ギルドへ向かった。
ヒンメルの袋は、健一が持つことになった。
カグツチが、その肩をぽんと叩いた。
「弟分、今日からお前がうちの会計係だ」
元密偵の顔に浮かんだかすかな笑みが、多くを物語っていた。
「俺はただの密偵じゃない。ボスの金回りは、全部俺が仕切ってたんだ」
健一は、自分の胸を手のひらで叩いた。
すこぶる上機嫌で、リックが頷いた。
「じゃあ、決まりだな」
道は、町の反対の端まで続いていた。
通りはだんだん細く、曲がりくねっていく。家々は低く、肩を寄せ合い、看板は素朴になっていく。
もう、パンの匂いはしない。漂ってくるのは、革と、タールと、酸っぱいエールの匂いだった。
数時間後、一行は冒険者ギルドの入口に立っていた。
時を経て黒ずんだ、赤煉瓦の二階建て。煤で曇った、古いステンドグラスの窓。
入口の扉は黒く染まった樫で、鉄の棘がびっしりと打ちつけられている。まるで、針鼠だった。
その奥に、もうひとつの扉があった。
鉄の扉。厚さは、肘から先ほどもある。
リックは広間に入り、あたりを見回した。
扉だけではなかった。
部屋全体が、分厚い金属で覆われている。まるで地下壕だ。
壁際にぐるりと埋め込まれた魔石が、静かな光を放ち、壁を押し広げていた。中の広間は、外から見た建物よりはるかに大きく感じられる。
壁沿いには、長椅子つきの卓が並んでいた。
そこに座っているのは、雑多きわまりない連中だった。鎖帷子を着込んだ髭面の男たち。頭巾をかぶった、痩せた無口な者たち。賽子に興じて騒いでいる一団。
焼いた肉と、汗と、武具の油の匂いがした。
入ってきた一行に、目を向ける者はいなかった。
リックには、それが何よりありがたかった。
広間の奥に、受付台があった。
その脇には、ほかの部屋へ続く扉がいくつか。そして、下へ降りるための、鉄で補強された揚げ蓋。
受付台の向こうに、ひどく若い娘が座っていた。
見たところ、二十歳にもなっていない。小柄で、ほっそりとしていて、髪は初雪のように白かった。
彼女は、近づいてきた一行に顔を上げた。
一瞬、固まる。
それから勢いよく立ち上がり、台の向こうから飛び出してきて、リックの前で何度も頭を下げた。
「いらっしゃいませ! ありがとうございます! あなたのおかげで、父が家に帰ってこられました」
興奮で息を弾ませながら、彼女は目を輝かせて客を見つめた。
それから、その隣の大きな熊を。
ほかの三人には、まるで目もくれなかった。
「たしか、リチャードさん、でしたよね。わたし、リーゼルっていいます」
リックは、その出迎えに少し胸を打たれた。
(まだ、ほんの子どもだな)
「よろしく、リーゼル」
娘は、ほとんど体がくっつくほどの距離に立っていた。
「わたしこそ、よろしくです!」
くすっと笑う。
「父から聞きました。竜の背骨山脈を越えて、高原を抜けてきたって……」
彼女はきょろきょろとあたりを見回した。つま先立ちになり、リックの背後を覗き込む。
何かを探しているのに、見つからないようだった。
健一は、それに気づいた。
自分とカグツチが、まるでいないもののように扱われているのが癪にさわった。
「何を探してるんだ、お嬢ちゃん」
リーゼルは横目でちらりと彼を見ると、またリックのほうへ向き直った。
「もう一頭の竜は、どこですか? 倒したっていう」
そこで、マイヤーがしびれを切らした。
「リーゼル、すまんが、冒険者カードを四枚。それと、サファイアの階級章を四つ、用意してくれ」
娘の目が、まん丸になった。
奥の卓で鳴っていた賽子の音が、ぴたりと止んだ。誰かが飲みかけの杯を置いた。
広間じゅうが一斉に静まり返り、こちらを振り向いた。
「マイヤーさん、いらしてたんですか?」
リーゼルは、ぽかんと瞬きした。
「あの、この方々には、証明になるものがおありで? 一番下から五つ星までを飛ばして、いきなり最上位なんて……そんなこと、今まで一度もなかったんです」
小さな拳を口元に当てて咳払いし、リックに意味ありげな視線を送る。
「この国で、最初で、たったひと組の方々になりますよ。わたしの知るかぎり、そういう方がいるのは、ずっと山の向こうだけです。それも、ほんの何人か……」
リーゼルは受付台の内側へ戻ると、背筋を伸ばし、今度は真剣そのものの顔で尋ねた。
「その位にふさわしい証明は、お持ちですか?」
健一が黙って、袋をマイヤーに渡した。
マイヤーは紐をほどき、青い光が受付台に落ちるように口を広げた。
そして、広間じゅうに響く声で告げた。
「ヒンメル、千枚」
リーゼルは、危うく椅子から転げ落ちるところだった。
広間に、ざわめきが広がっていった。
まず手前の卓から。それから、その向こうへ、さらに向こうへ。入口の扉まで。
「じゃあ、こいつら、成熟した竜を……」
一部始終を眺めながら、リックの額に、ひと粒の汗がにじんだ。
(目立つなって、父さんに言われてたんだけどな)
「たいへん失礼いたしました、リチャードさま。すぐにご用意します」
リーゼルは揚げ蓋を開け、下へ降りていった。
戻ってきたとき、その手には、分厚く埃をかぶった小箱があった。
受付台の上に置き、埃を吹き払う――そして、むせた。
それから蓋に手のひらを当て、短い呪文を唱える。
魔法の錠が、かちりと鳴った。
蓋が、ひとりでに開いた。
小箱の中、暗い色のビロードの上に、小さな徽章が並んでいた。
どれも、鮮やかな青の宝石をまるごと一つ削り出したもので、その奥に、冷たい火花がひとつずつ宿っていた。
リーゼルは書類を広げ、ペンをインクに浸して、顔を上げた。
「パーティーのお名前は、なんですか? 『所属』の欄に、なんて書きましょう?」
リックは考え込んだ。
そんなこと、思いつきもしなかった。
仲間たちを振り返る。健一は肩をすくめた。カグツチは黙っていた。マトゥンはあくびをした。
「リーゼル、君が決めてくれ。俺たちは、それでいい」
彼女の目に、ぱっと何かがひらめいた。
彼女は一人ひとりの服に、最上位の徽章を留めていった。
リックの胸に留めながら、リーゼルの視線が、ふと彼の小指で止まった。袋の横に座る犬の指輪に。
素早くマイヤーを見て、ごく小さく頷く。何かが、彼女の中で腑に落ちたように。
マトゥンは、自分の徽章を口にくわえさせてもらい、どうやらご満悦のようだった。
それからリーゼルは、冒険者カードを配った。
そのどれにも、金のインクで、流れるような飾り文字が記されていた。
『大蛇墜つ』
第十九章をお読みいただき、ありがとうございます。
盗賊だと思った相手は、子どもを探す父親たちでした。
そして、目立たずに旅をするはずが――気づけば、王国でただひと組の最上位パーティーに。
「目立つな」という父の言葉は、早くも守れそうにありません。
ヒンメルという不思議な硬貨。
袋の横に座る犬の指輪。
そして、リーゼルが探していた「もう一頭の竜」。
それぞれの意味は、これから少しずつ明らかになっていきます。
面白いと感じていただけたら、ブックマークや☆での評価をいただけると、とても励みになります。
感想も、ひと言でも大歓迎です。
ニック・オッカム




