第十五話:暴風前夜
旅館の庭へ、一人の中年の男が軽い足取りで駆け込んできた。彼は頑丈で引き締まった体躯をしており、無駄な脂肪は一切なく、ただ原始的で濃縮された力を宿していた。男の身なりは驚くほど簡素で、悪く言えば貧相ですらあった。
古びて擦り切れた白いランニングシャツに、年月を経て黒ずんだズボン。そして、裸足のまま庭の鋭い砂利を踏みしめている。薄っすらと髭を蓄えたその顔には悪意など欠片もなく、穏やかで、どこか家庭的な雰囲気すら漂わせていた。
その傍らには、旅館の屋根付き回廊に肩をかすめんばかりの巨体を揺らし、一頭の巨大な熊が重々しい足取りで歩んでいた。漆黒の毛並みと、圧倒的な破壊力を秘めた動く山のごとき姿である。
男は入り口のすぐ手前で足を止め、軽く首を巡らせて静かに獣へ語りかけた。
「姿を消したままじゃ行儀が悪いし、そんな格好じゃ……友よ、中へ入れてはもらえないだろう。姿を変えられるか?」
熊は洞窟を吹き抜ける風のような、低く落ち着いた唸り声を上げ、大きな頭を静かに縦に振った。その瞬間、彼の周囲の空間が揺らぎ始める。獣の輪郭が溶け合い、次の瞬間には熊に勝るとも劣らない巨漢の男が立っていた。
頭には濃い栗色の髪が豊かに波打ち、立派な髭が胸元まで伸びている。姿を変えた守護者は、ゆったりとした緑のシャツに、くすんだ緑のズボン、そして仕立ての良い茶色の靴を履いていた。
大女将は息をのんで彼らを見つめていた。目の前にいるのが何者なのか、彼女の人間としての知識ではその名を導き出すことができない。だが、目撃している光景は、彼女を、足がすくむほどの眩暈へと引きずり込んだ。
二人の客の周囲では、光を屈折させながら空間が目に見えて歪んでいた。にもかかわらず、彼らからは微かな威圧感すら感じられず、まるでごく普通の人間のように振る舞っている。
そのあり得ない矛盾——穏やかな雑談と、入り口へ向かう落ち着いた歩みが、カグツチの狂暴な怒り以上に大女将を恐怖させていた。
二人の登場に、天候は瞬時に、そして背筋が凍るような変化を見せた。さっきまで旅館を震わせていた耳をつんざく雷鳴が、ピタリと止んだ。
狂ったような稲妻の閃光は鎮まり、代わりに心地よい冷たい雨が降り始める。温泉の周囲の自然全体が安堵の息を漏らし、狂気じみた動揺から解放されたかのようだった。
しかし、この静けさは大女将に安らぎを与えはしなかった。背筋を猛烈な寒気が駆け抜け、耳の奥で虚無の音が響く。二人の周囲だけ、時間が遅くなり、停止してしまったかのような錯覚。
超人や物の怪たちに囲まれて生きてきた大女将は、直感で悟った。この静かで礼儀正しい訪れは、炎をもたらした最初の客よりもはるかに恐ろしく、古き存在なのだと。
二人は静かに玄関へ近づくと、丁寧にあいさつをし、同時に大女将へ一礼した。気取りも気負いもなく、まるで長旅に疲れた普通の旅人のように。
大女将は声一つ発することができなかった。喉は干からび、舌は畏怖のあまり痺れていた。長年の職業的本能だけに突き動かされ、彼女は無言で手を差し伸べると、二人を建物の奥、残された西館へと案内した。
長い木造の廊下を進みながら、大女将は先祖から伝わる古い言い伝えや神話、古文書の記憶を必死に手繰り寄せた。彼らの正体をつかむ手がかりを一つでも見つけようと足掻く。
ボロボロのシャツを着て鋭い砂利を裸足で歩く驚異的な男、神社のごとき雰囲気を纏う巨漢……だが、記憶は焼き払われたように空白のままだった。何一つ思い出せない。恐怖で、大女将の胸はきつく締めつけられた。
万が一にも失礼を働き、その真の力を測ることすら恐ろしい者たちの怒りを買ってしまうことを、彼女は死ぬほど恐れていた。
リックと彼の友人は、彼女の苦悩と身の内の震えを克明に感じ取っていた。男はこの地の厳格な作法など知らず、関心もなかった。彼は大女将を、ただの疲れ果てた年老いた女性として見つめていた。年齢的には自分の祖母でもおかしくない。
「どうぞ、落ち着いてください」リックは柔らかく温かな声で話し、軽く微笑んだ。「私たちはただの旅人です。目立つような真似は毛頭望んでいません。一番簡素な部屋で結構です。普通の浴場があれば、それで十分に満足ですから」
そのあまりにも控えめな言葉に、大女将の膝は崩れ落ちそうになった。下級の悪鬼すら血の生贄を要求し、火の神が焼け野原を残していくこの世界で、これほど強大な存在がささやかな望みしか口にしないのだ。
精神的な重圧に耐えかね、彼女は突如振り返ると、畳にひざまずき、額を擦り付けた。
「お願いでございます、どうかお許しください!」彼女の声は心からの深い敬意と恐怖で震えていた。「御名を知らぬ無知をお許しください! この老骨には……お二方が推し量れぬほどの力を秘めていらっしゃることが分かります。
どうか、私めや罪もなき仲居たちに罰を下さないでくださいませ!」
リックはひどく気まずくなった。彼は慌てて老女の元へかがみ込むと、肘を優しく支え、一刻も早く畳から引き上げようとした。
「いいですか、そんなに心配しないでください」リックは彼女の震えを鎮めるように、きわめて穏やかに言った。「罰など下すつもりはありません。ただ、一番普通の、ありふれた浴場へ案内してくれればそれでいいんです」
老女は半ばパニックになりながら、狂ったように首を振り、手を振った。
「いいえ……いいえ、そのような滅相もございません! お二方にはすでに西館をご用意しております。この旅館で最も贅沢で最高の場所でございます! そのような尊いお客様の面目を潰し、我が家の名を永遠に汚すような真似は絶対にできません!」
古くからのしきたりと、大女将の心に根付いた神聖な恐怖を前にしては、説き伏せるのは無理だと悟り、リックは深くため息をつくと、髭面の連れと短い視線を交わした。
「分かりました」彼は諦めて、優しく頷いた。「西館でお受けします。案内してください」
西館の入り組んだ廊下を進む間も、リックは足取りを緩めることなく静かに歩いた。暗闇に目を凝らす必要すらなかった。入り口に立った瞬間から、彼は異質な気配を察知していたのだ。
カグツチが残していった息苦しい焦げ臭さが微かに鼻を突き、背後からはコソコソとした不快な衣擦れの音が追ってくる——人間の密偵が彼らの後を尾行していた。
リックには彼らの企みが、手に取るように分かっていた。隣室の客たちのこの振る舞い——無礼で敬意を欠いた態度は、彼の中に静かな、冷ややかな呆れを生じさせるだけだった。
彼はこの後に何が起き、それがこの建物の壁にどんな災厄をもたらすかを完全に理解していた。彼自身は微かな動揺すら感じていなかったが、この老女と無力な仲居たちには心からの同情を寄せていた。
来たる衝突の衝撃波から彼女たちを守るためには、彼女の神聖な恐怖を上手く利用して、館内から立ち去らせる必要があった。
リックは大女将の方へ少し身をかがめ、廊下の半暗がりの中で尾行者に聞こえないよう、唇の動きだけで囁いた。
「一つだけお願いがあります。私の怒りに触れたくなくば、絶対にこの言いつけを守ってください。ですが、忠実に実行していただければ、破格の報いをお約束しましょう」
老女の顔からはさらに血の気が引いたが、彼女は報いなど即座に辞退し、すがるような目でリックを見つめた。
「報いなど滅相もございません……神々様のお姿をこの目に焼き付けることこそ、当館にとって最高の誉れにございます。名を伏せられた尊きお客様……そのお心安らぐ時間のために尽くせることこそ、私めにとって最大の光栄でございます」
リックは彼女をこれ以上動揺させず、新たなパニックを起こさせないよう、ただ優しく頷きながら彼女の言葉を肯定した。
大女将が重々しい襖を押し開け、特別室へ通すと、リックと友人は一瞬言葉を失って足を止めた。西館の豪華さは想像を遥かに超えていた。
黄金色に輝く美しい畳、高級木材の芳香、洗練された絹の座布団、書籍、そして岩肌をくり抜いて作られた専用の湯船からは、澄み切った湯気が立ち上っている——ただの旅人に過ぎない彼らを少し気恥ずかしくさせるほどの贅沢さだった。
それでも、人の身でありながら示された、この上ない敬意に対しては、それ相応の礼節をもって応えるべきだった。
大女将は手際よく案内を済ませ、清潔な浴衣の場所や湯加減の調整方法を説明した。そして部屋を出る直前、敷居のところで小さく平伏し、震える声で先ほどのお願いについて尋ねた。尊きお客様は何を望んでおられるのか、と。
ごく普通の、世間話でもするような口調でリックは告げた。
「あなたと、すべての従業員は今すぐ数時間どこかへ避難してください。できれば、この建物から完全に離れるのが望ましい」
彼はこの建物の中で間もなくどんな嵐が巻き起こるかを熟知しており、無関係な人々を巻き込むことだけは、どうしても避けたかった。大女将は素直にその言葉に耳を傾けた。
廊下で告げられた厳格な条件を思い出し、反論することなど毛頭できなかった。それは館の存続がかかった絶対の命令だったのだ。
特別室の襖が静かに閉まるやいなや、大女将は優雅な所作などかなぐり捨て、裏方の廊下を脱兎のごとく駆け出した。息も絶え絶えに休憩室へ飛び込むと、そこでは若女将が仲居たちに指示を出している最中だった。
母親の姿を見た娘は、恐怖で思わず後ずさりした。大女将の顔は死人のように蒼白で、髪は乱れ、瞳には原始的な恐怖が渦巻いていた。
若女将は駆け寄り、何があったのか、西館の二人は何者なのかと問いただそうとしたが、母親は彼女の肩を強く掴み、言葉を遮った。
「黙りなさい! 急ぐのよ! 今すぐ全員を外へ逃がしなさい。裏の庭園へ避難して、そこで待機するの。早く!」
娘は母親のこんな姿を見たことがなかった。氷のように冷たいその命令に背くことなどできなかった。怯える仲居たちと共に、彼女たちは盆や手拭いを放り出し、音を立てないよう足早に勝手口から旅館を脱出した。広大な木造の建物は、完全に無人となった。
残されたのは、伏兵を配した初広とその手下たち、熱の繭の中で蠢くカグツチ、そして不可避の衝突を静かに待つ二人の異邦の神々だけであった。
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