嘘のない罠
確かにオジキは「死神」と呼ばれていた。ただそれは、戦った相手が勝てないからであって、それがためにそんな綽名がついたのだとばかりに俺は思っていた。記憶をたどっても、あの人が負けたという場面は記憶にない。俺が生まれる前ならばそういうことはあったかもしれないが、少なくとも、物心ついた頃にはもう、無敗だった。
ただ、今回側で戦ってみて初めてわかった。オジキの強さは、剣の腕はもちろんだが、戦略の立て方が恐ろしく上手いのだ。ありとあらゆる方向から考えて考え抜き、最適解を導き出している。この緻密さが、ノジア流総帥を総帥たらしてめているのだ。
コハタリアと対峙してからずっと彼の油断を誘っているのはわかっていた。あえて構えを解いて、自分の身を危険にさらしたときには、さすがに俺も驚いた。ヤツが俺を狙っているのはわかっていたし、オジキはお前が相手をしろと言いながら。その意識を逸らせたかったのだろう。だが、コハタリアは動かなかった。俺だったら、瞬時に斬りかかるところだが、じっと構えたまま相変わらず俺とオジキに交互に視線を向けていた。この状況にあって平静さを保てるのは、敵ながらさすがなだと妙に感心する。そのとき、オジキが気配を消した。喋りながら、剣で倒れた男を小突きながらだ。ゆっくりとコハタリアの視界から遠ざかろうと歩いていた。彼からは姿が消えているように見えたことだろう。
一瞬だった。一瞬だけ、彼はオジキの姿を追った。俺から視線を逸らせた。その瞬間、体が勝手に動いて、剣を真っすぐに構えてヤツの眉間を突いていた。突きは俺の最も得意とする攻撃だ。これだけは、親父にも何とか体に届かせる自信はある。もっとも、体に届いたところで、躱されてしまえばそれまでなのだが。その最も得意な攻撃が土壇場で出たと言っていい。もちろん、致命傷にはなりえない。俺としては単に彼の態勢を崩せればいいと思っていた。それさえすれば、オジキが何とかしてくれるだろう。俺はそんなことを考えていた。
だが、オジキの行動は俺の想像のはるか上をいっていた。拳をヤツの口の中に叩き込んだのだ。なぜ、そんなことをしたのか、まったく理解できなかったが、ただ、その首筋ががら空きだったので、斬撃を叩き込んだ。俺はヤツを気絶させるつもりで打ち込んだが、悶絶はさせられても、意識まで刈り取ることはできなかった。何という強い体を持っているのだ。
コハタリアは、なおもうごめいている。何とも言えぬ奇声を上げながら、何かをしようとしているが、体が動かないらしい。それに、先ほどから口をカッと開けて苦しそうだ。前歯はすべてなくなっている。それほど、オジキの力が強かったのだ。むしろ、よく生きているなとさえ思う。
「苦しいか。苦しいだろうなぁ。顎を外しちまったからなぁ」
「伯父さん、どうして顎なんかを?」
「ふぅん? お前ぇ、冷てぇ水で面ぁ洗ってこい。何を寝ぼけていやがるんだ」
「いや、別に、寝ぼけては……」
「相変わらず察しの悪い男だぁな。そんなこったぁ、女にモテねぇぞ。……なに? もうフィリアで十分です? 殊勝なことを言うじゃねぇか。だがな、そんなのんびりしてちゃぁ、嬢ちゃんに愛想をつかされちまうぜ。しっかりしねぇとな」
オジキはそう言ってカラカラと笑う。ややあって、彼は冷たい視線をコハタリアに向けた。
「ヤツの顎を外した理由はただ一つ。自決防止さぁ」
「自決防止……」
「そうさぁ。これだけの腕と度胸を持ったやつだ。いざというときには、己の歯で舌を噛み切って死ぬことくらいは造作もなくやってのけるだろう。さらには、顎をつぶしておくことで、自爆も防ぐことができるってぇ寸法さぁ」
「自爆……」
「忘れちゃぁいめぇ。コイツのおっかあが死んだ方法を。少ない魔力を極限まで増幅させて爆発させる……。言ってみりゃ、究極の自爆魔法さぁ。この魔法ってのは、詠唱しなきゃ作動しねぇ。顎をつぶしておくことで、その詠唱も防げるってぇもんだ」
「う……そこまで考えて……」
「あたぼうよぉ。コイツは頭も斬れるし、剣の腕も一級品だ。ただ、極端に憶病だ。その臆病者に勝つためには、失敗のリスクがないと思わせねぇといけねぇ。嘘があっちゃいけねぇ。こういう手合いは、嘘を見抜くのが極端にうまい。天賦の才があると言っていい。だから、嘘を減らすだけ減らして罠を張らなきゃいけねぇんだ」
「嘘のない、罠……」
「そうだ。俺はお前ぇに命じたはずだ。部屋の中で、気配を消して控えていろ、と。俺は気配を消すのは得意だが、お前ぇは苦手だ。どれだけ気配を消そうとも、完全には消せねぇ。ロウロなんざ、気配を消すことすらもできねぇだろう。男と女がまぐわっている音を聞かせておけば、ヤツは勝手に想像するだろう? お前ぇが必死で気配を消しながら、ロウロの尻を抱えていると。むろん、コイツらに、ロウロがお前の寝室で夜を過ごしているという情報を流したのは、俺だがな」
「伯父さん」
「なんでぇ」
「伯父さんが味方にいてくれて、本当によかったと思います」
「よせやい。照れるじゃねぇか」
「で、伯父さん。このコハタリアとその手下たちは、どうするつもりですか」
俺の言葉に、オジキは顎を撫でながらニヤリと笑った。
「決まってらぁな。エルドライを強請る、エサにするのよぉ」




