金言
翌日から俺は普段の生活に戻った。フィリアに握ってもらった手を洗わないと決意したが、家に帰ってきてすぐに洗ってしまった。だってそうしないと、母親がうるさいのだ。
わが道場は、ほかの道場とは少し違っていて、裸足で剣の稽古を行う。たいていの道場は石畳みの上で、靴を履いて稽古をするのだが、ウチは床が木でできているので、裸足というわけだ。冬場はさすがに寒いので靴下を履くことは許されているが、滑るのでほぼ全員、裸足で一年を過ごしている。
俺や親父の場合は、領主をはじめ、貴族や商人らの屋敷に呼ばれることがあるので、いつでも出ていけるように靴下のようなものを履いている。それが、稽古終わりに見ると、穴が開いていた。
ちょうど弟子のマルロが居たので、彼に修繕を頼む。実家が革細工の製品を作っているので、そうした針仕事はお手の物だ。すぐに直しましょうと請け合ってくれた。
「若先生。これはきっと、先生の足が大きくなったせいですよ。もう一回り大きいものを拵えましょう」
ああ、そういうものかと思い、それでは頼む、と言いかけたところで親父の笑い声が聞こえた。
「ハハハ。その必要はありませんよ。そのままでよろしい」
「ですが大先生、これだと窮屈ですよ。ねぇ、若先生」
「バカの大足と言ってね。足が大きくなるというのは、稽古をしていない証拠です。ちゃんと稽古を積んでいれば、足が削れるので大きくはならないのです。これ以上大きな足になるとシェンさん、剣を振るえなくなりますよ」
マルロも肩をすくめてしまったが、俺は親父の言うとおりにしてくれと言って代金を払った。
こんな感じで親父にはちょっと変わったというか、頑固なところがある。特に思い出に残っているのは、これは子供のころから不思議だったのだが、親父は流行っている人を誉めないのだ。王都で名を挙げた剣士などは、まず褒めない。その代わり、全然知らない人のことを誉める。例えば、町で剣舞を披露していた旅芸人を見て、あの人はいいねぇ、と褒める。てっきり俺は、自分が褒められないものだから、その意趣返しで、有名な人を誉めないのだと思っていた。あるとき、俺は親父にそのことを聞いてみた。
「お父さんはどうして流行っている人を誉めないの?」
父はニコリと笑った。
「うん。流行っている段階で、ダメになっちゃっているんだよ」
そのときは、そういうものかと思っていたのだが、今になってその意味がわかりはじめてきた。本物はわかる人にしかわからない、ということだ。これは感覚なのだが、本当に強い剣士は目立たない。強いので、強さを誇示する必要はないのだ。それは、親父にも当てはまる。おそらく国中を探しても親父に勝てる剣士はいないだろう。本来ならば、王都に出て自分の強さを誇示して金儲けの一つでもすればいいのに、それは決してしない。ここでの生活で十分なのだ。強さを吹聴する必要がないのだ。
そうしたことがわかってきたときから、俺は親父の言葉を金言として捉えることにしている。
「さて、稽古するか」
そう言って俺は木刀を持って再び道場に向かった。




