子爵令嬢フィリア
フィリアは俺と同じ十七歳だ。子供のころから顔見知りで、そのときは、俺より彼女の方が背が高かったので、大きな女の子、というのが第一印象だった。いつからか俺の身長が彼女を追い越してしまい、今では相当の身長差になってしまっている。
子爵の屋敷がヤマドの町からそう遠くないところにあるために、年に数回会うような間柄だ。年に二度、町から子爵家へ付け届けを送る際はいつも、親父がその警備にあたっていた。俺もそこに紛れて行っていたのだ。
最初は帯剣して大人の剣士たちと行動を共にするのが格好がよくて同行を志願していたのだが、いつしか、フィリアに会うのが目的になった。とはいえ、こちらは村道場の若旦那。あちらは子爵家のご令嬢ということで、そう気安く話をすることはないのだが、ただ、俺は彼女の姿を見るだけで満足だった。
子供のころから彼女には辺りを払う気品があった。何だろうな。彼女の周りだけ、何やら明るくなっている気がするのだ。大きくなるにつれて、聡明さが顔に出るようになり、ますます気品に磨きがかかっている。最初こそはただ、会釈を交わしあう関係だったのだが、俺が師範代になったころから、親父の名代として屋敷に赴くことが増え、そのときに一言二言言葉を交わすようになった。
いつ見ても彼女の所作は美しく洗練されている。俺もこういう振る舞いを勉強せにゃならんな、と思うが、そうすぐにできるわけではない。やっぱり住む世界が違うのだなということを思い知らされる。
聞いた話では、貴族などというものは、生まれたときから結婚相手が決まっていて、早いと十四歳くらいで他家に嫁いでいくらしい。ただ、フィリアはどうしたことか、なかなかそういう話を聞かない。これだけの美しさがあれば、求婚してくる者は多いだろうにと思うのだが。
ただ、ヤマドの町で秘かに噂されているのは、彼女は国王の妃になるのではないかと言われている。そりゃ、あの美しさだ。国王の耳に届いてもおかしくはない。国王の妃ともなれば、デルビッツ子爵家の家格は大いに上がる。こんな田舎の領主とはおさらばだ。王都に詰めて、王の傍近くでふんぞり返ることも可能だ。ただ、この子爵にそんな野心があるかと言われれば、それはない気がする。この人は、ただ平穏に日々を送れればいいと考えている人だ。
そのフィリアが顔を赤く染めて俺の目の前に来ている。心臓の鼓動が早くなる。やっぱり、キレイだ。
デルビッツ子爵は、何やら親父と話し込んでいる。二人とも笑顔でしゃべっているので、物騒な内容ではなさそうだ。そのとき、フィリアが口を開いた。
「子供の頃に観た踊りも素晴らしかったですけれど、今回はそれ以上でしたわね。相当お稽古をされたのでしょう。本当にご苦労様でした」
「いっ、いえ。そう稽古は……。ハイ。あ、ありがとう、ございます」
うまく言葉が出てこない。思わず左手で頭の後ろを掻く。そのとき、彼女が両手で俺の右手を握った。
「また、ぜひ、あの踊りを、見せてくださいませ」
それだけ言うと、彼女は父親の許に歩いて行った。
……小さくて、柔らかい手だった。そんな手に触れたのは、初めてのことだった。俺はしばらくの間、その場に立ち尽くした。
「……シェンさん、どうした。もうお暇しますよ」
親父の声で我に返る。見るとそこには子爵とフィリアの姿はなかった。俺は慌てて父の背中を追った。歩きながら俺は心の中で、この手はもう洗わないでおこうと、強く決意したのだった。




