一夜明けて――メイルとシェイス視点――
朝起きると、ちょっとした騒動になっていた。フィリア様の部屋に、本人が見当たらないというのだ。兄に仕えている侍女だろう。お休みのところ、大変申し訳ございませんがと言って部屋に入ってきて、彼女がいないことを教えてくれた。どうやら、私の部屋に来たのではないかと思われたらしい。
私も一瞬、ドキリとしたし、旦那のクレストなどは、城から逃げたのではないかと言っていたけれど、さすがにこの城からは出るのは無理がある。きっと、兄の許に行ったのだろうと直感的に思った。だが、私たちの部屋は兵士たちに警備されていて、出れば即座にわかるのだと旦那が呟いていた。彼の顔も蒼白になっていた。
取り敢えず、彼女の部屋に向かうことにした。部屋を出ると、その本人が兄の部屋から出てくるのが見えた。なんだ、やっぱり、お兄ちゃんの部屋に行っていたんじゃない。
彼女は、私たちを見るとフッと笑みを浮かべた。昨日までとは少し、雰囲気が違って見えた。ああ、兄と夫婦になったのだなと察する。
部屋に入って話を聞いて驚いた。何と、バルコニーから隣の、兄の部屋のバルコニーに飛んだのだという。本人は涼しい顔をして笑っていたが、バルコニーの間はそれなりに距離がある。飛ぼうと思って、飛んでいける距離ではない。しかも、その下は崖になっていて、落ちたら命はない。よくもそんなことをしたものだと、皆で呆れかえってしまった。
侍女や旦那のクレストから、そのようなことは二度としないでくださいと懇願されているが、相変わらず彼女はゆったりと笑みを浮かべたまま、大変失礼しましたと鷹揚に頭を下げていた。その様子を見て私は、この人ならお兄ちゃんの助けになってくれると直感した。と同時に、このフィリアという女性を好きになった。
初めてこの女性を見たときは、何だか得体のしれない人だと思った。確かに美しい顔立ちをしているし、ちょっとした振る舞いに気品が感じられたけれど、どこか冷たい印象を持った。もしかしたら、この人はお兄ちゃんには、合わないんじゃないかとさえ思ったほどだ。
お兄ちゃんはああ見えて繊細なところがある。人には言わないが、ひとりで悩んで苦しむところがある。でも、このフィリアという女性は、そんな兄を大らかに包んでくれることだろう。きっと兄を幸せにしてくれると確信した。
正直言うと、お兄ちゃんにはまだ、結婚はしてほしくはなかったけれど、この女性なら、まあ、許せる。私は兄の他にもう一人、お姉ちゃんができたような気持になっていた。
◆ ◆ ◆
……少し早すぎたか、という懸念が消えずにいた。予想通り、フィリア妃は殿下の部屋に召されていた。あの様子では、お手が付いたことは間違いないようだ。これで殿下の御心も少しは晴れるはずだ。ただ、最も心配するのは、これを契機に殿下が堕落していくことだ。
女性を知ったがために堕落していく男の例はこれまでも数多く見てきた。とりわけ殿下は、十八歳になる今日まで童貞を守り通している。そこに、あれだけの美女がいきなり現れれば、そこに入り浸る可能性は低くはない。
そこまで考えて、シェイスは大きくため息をつく。彼の脳裏に、フィリアの隣で一糸まとわぬ姿で抱き着く、青白くやせ細った男の姿が描き出されていた。彼はすぐに考えを切り替える。
……今日は予想していたよりも遅い起床であった。あのお方は朝はきちんと起床される。にもかかわらずそれが遅れたということは、フィリア妃を相当に気に入ったということになる。ということは、これから先は、状況を注視せねばならない。侍女たちの話では、殿下は今夜もフィリア妃を部屋に召すのだという。あのお方が堕落しないように見守り、もし、その兆候がでたならば、すぐさま対策を施すのだ。堕落した王をいただくほど、この国は盤石ではない。
ふと、弟・クレストのことが頭をよぎった。あの男は、フィリア妃にどこまで説明をしてるのだろうか。下手をすると、何も伝えていない可能性がある。そうなると、後々厄介なことになるのは目に見えている。
最も懸念するのは、もし将来、殿下とフィリア妃に子供ができたときのことだ。産まれてきたのが女児ならば問題ないが、男子が生まれたときは、王位継承権を放棄してもらわねばならない。時と場合によっては、城を出て、他国に養子に出てもらう可能性すらあるのだ。
殿下は現在、水面下でいくつかの大国の姫とのお見合いが進められている。それは、今後の王国の将来を占うものであるし、もし、繋がる相手先を間違えれば、国が滅びる可能性すらある。そうなっては、この国に生きとし生きる数万の民が、命の危険に晒されることになる。
……やはり、私の方から殿下とお妃さまにこれからのことをお話し申し上げた方がよさそうだ。
そう考えていた彼に、王太子・シェンから予想もしなかった命令が下るのは、翌日のことだった……。




