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王都帰還

「……ツ」


「兄上……」


クレストの言葉をシェイスは手で制す。斬られた左肩は血に染まっていた。


「……心配するな。離宮につけば、サライ殿がおられる。回復魔法をかけてもらえばいい」


「しかし、兄上……」


「いいのだ。相変わらずお前は心配性だな」


そう言って彼は、窓の外に視線を向けた。


予想以上の剣の使い手だった。反応できない程とは思わなかった。ダンド流家元代行はダテではないなと心の中で呟く。シェイス自身も、ノジア流を極めており、免許皆伝の腕前であったが、その彼をもってしても、王太子の斬撃を躱せたのは奇跡という外はなかった。


本能的に体を反らせたために、首と銅がつながっているにすぎなかった。胸から左肩にかけてきれいに真一文字に斬られているが、これは剣がほとんどブレイてないことを意味している。果たして自分は敵を斬ったときに、これほどまでに見事な傷をつけられるだろうか。答えは否だ。ただ、それだけにその傷は深い。血が止まらずに流れ続けている。ここから離宮までの距離と馬車の速度を考えると失血死で死ぬことはあるまいが、相当の深手を負ったと言えるだろう。ただ、それで済んだのは幸甚と言わねばならない。おそらく怒りに任せて剣を振るったために手許に若干の狂いが出たのだろう。これが平時であったならば、最短距離で首に向かってきていた刃は、躱すことなどできなかったはずだ。


ふと見ると、手が震えていた。弟に悟られないように拳を握る。心を落ち着けるために、大きく深呼吸をする。平静を装っているが、体は正直だ。あの斬撃に恐怖したのだ。


……真剣勝負で、まともにやりあったならば、私は死ぬな。


彼は車窓から見える闇を睨みながら、そんなことを考えていた。彼が出会った中で、最も強い剣客だった。恐ろしいと思った。体が震えるほど怖いと思った相手はこれまでいなかった。ノジア流家元・トラマと仕合った際に震えたことがあるが、それとはまた、違った感覚だった。


師匠であるトラマの言葉を思い出す。兄である剣聖・ジサとは十回戦ったとして、四回は相打ちに持ち込む自信があるが、後の六回は負けることだろう、と。そのジサが手塩にかけて育てた男だ。さもありなんと、妙に納得する自分がいた。


ふと、目の前に座るクレストに視線を向ける。彼は目を閉じて天を仰いでいた。先ほどのことを忘れようとしているのか、これからのことを考えているのか、それはわからない。ただ、この弟も、こういう状況に巻き込まれてしまって、不運な奴だとは思うが、それも運命だと心の中で呟いた。


馬車は順調に離宮に向かっていた。


◆ ◆ ◆


「殿下、お時間です」


「……ああ」


王宮に戻った俺は、まるで人形のようになっていた。ただ、言われたまま、淡々とその日の予定をこなしていく。うれしい、たのしい、しんどい、苦しい……そういった感情は全く湧いてこなかった。ただ、言われたことを言われた通りにやっていく。それだけだった。


もし、あのユアザライ村を、シェイスたちが俺の心を折るために見せたのだとすれば、それは成功だ。見事に俺の心は折れていた。


親父やおふくろたちのことは心配だ。王宮に戻ってきた当初は、行方を探そう、村が消えた理由を探そうとした。だが、俺は完全に籠の鳥と化していて、どうすることもできなかった。周囲の者たちは口をそろえて知らぬ、存ぜぬと言い。命令だと言っても、それは変わらなかった。国王に掛け合って理由を聞いてみようと思ったこともあったが、体が弱っているからと、目通りは叶わなかった。それは俺を遠ざける方便であるかもしれないが、事実会おうとしても会えないので、どうしようもない。


さすがに、喋ると言えば返事をするくらいで、淡々と日々を過ごしている俺を見かねてか、侍従長のヤエノスやシェイスは、興味のある女性がいれば、夜の伽を命じても構わないと言ってきた。希望すれば後宮に赴いて、好みの女性を探すのもよいとも言っていたし、むしろ後宮はそれを望んでいて、俺を歓迎してくれると言っていたが、そんな気分にはなれなかった。後宮も、大上王と大上妃にはあのとき会って以来、足を踏み入れていない。そんな気分になれないというのが正直なところで、夜になればただ、寝たいと思うだけで、それ以上のことは何も望まないのだ。


ただし、夜中に夢にうなされることが増えた。親父やおふくろに会えて、やれ嬉しやと思っていると、武装した兵士たちが踏み込んできて、両親を目の前で殺される……などという夢はもう、四度も見た。そういう夢を見れば見るほど、親父が易々と殺されるわけはないという思いが強くなる。親父の隣には、おふくろもいるのだ。二人が剣を持って戦えば、どんな敵であっても斬り伏せてしまうはずなのだ。


きっと親父やおふくろは生きている。その根拠のない確信が今の俺を支えていると言えた。生きていれば、生きてさえいれば、会うことはできるだろう。その一縷の望みだけを抱きながら、俺は日々を送っていた……。

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