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後宮へ

彼はフッとため息をつくと、ゆっくりと顔を上げた。


「殿下、そういう場合は、私をお呼びくださればよろしいのです」


「いやですよ。あなたに見られながら……するのでしょう? いやだよ」


「殿下。この際ですから申し上げておきます」


シェイスはちょっと衣服を整える仕草をした。雰囲気が一変している。俺も少し緊張する。


「あなた様は、わが国の王太子殿下なのです。王太子殿下でございますので、それ相応のお振舞いをいただきますようにお願いを申し上げます。誠に恐れ入りますが、ユアザライ村でのお振舞いは、自重いただきますよう、重ねてお願い申し上げます」


「いや、そんなことを言われても……」


「ま、そうしたことは、追々お話し申し上げますが……。一つ、言い忘れておりました。恐れながら殿下、先ほど、身支度を整えました際、女官どもがお世話を申しましたが、まさか、とは存じますが、その者たちに名前などお尋ねになりましたでしょうか」


「名前? いや……名前は、聞いていなかったな……」


「であれば、よろしゅうございます」


シェイスは心からホッとした表情を浮かべた。


「名前を聞いては、いけないのですか?」


「いけないことはございませんが、後々のことがございますので……」


「後々のこと?」


「はい。殿下が女官に名前をお聞き遊ばしますと、その夜、その者は殿下の伽に侍ることになります。お好みの者がいらっしゃればそれもよろしいのですが、そうした者がいる場合はまずは、私めにお尋ねいただきますと、幸甚に存じます」


「ええと、名前を聞くと、夜に伽に……? それは、つまり?」


「左様です。女官の中には、殿下に取り入ろうと、邪な考えを持つ者もおります。また、その者の出自も考慮せねばなりません。そうしたことがございますので、お好みの者がいらっしゃれば、まずは私めにお尋ねいただきたいのでございます」


「ええ……そう、なん、だ」


「では、時間もございませんので、大上王陛下の許に参りましょう。お待たせしますと、勅勘を被ることになりますので、急ぎましょう」


そう言って彼は再び歩き出した。


いわゆる、後宮への入り口という場所には、そこからすぐのところにあった。何だか、申し訳ない気持ちになったが、それは俺の力でどうにかなるものではないので、許してもらうしかない。


後宮の入り口は、バカでかい扉だった。城門か、と思うような大きさだった。その隣には、沢山の金色の鈴がぶら下がっており、一本の紐でつながっていた。シェイスはその紐を取ると、ゆっくりと上下させた。シャン、シャンときれいな音がする。


城門のすぐ脇にある小さな扉が開いた。そこから黒い服を身に纏った老女が出てきた。一見して厳しそうな、怖そうな女性だ。


「大変遅くなりまして、お詫び申し上げます。王太子殿下を、お連れ申しました」


シェイスはそう言って、優雅に頭を下げる。女性はフン、と彼を一瞥したかと思うと、


「立太子の儀式を済ませたとは、私は聞いておりませぬが?」


「……いえ、それは」


「立太子の儀式は、お済み遊ばしたのですか?」


「近日中に執り行う予定でございます」


「では、こちらのお方は、まだ、王太子殿下では、ございませんね?」


「……左様でございます。大変失礼いたしました」


……俺のことが気に入らないのであれば、帰りましょうか? と言いたかったが、そんなことを言える雰囲気ではない。それにしても何だよこのババア。いけ好かねぇな。


俺の心の声を聴いたのか、女性はジロリと俺に視線を向けてきた。怖ぇ……。怖いよ。


だが彼女は、鋭い視線のままスッと一礼し、スカートをつまみながら軽く膝を折った。


「ただいまは大変ご無礼なところをお見せ申しました。お許しくださいませ。私は、後宮総取締役を勤めます、ロースマイと申します。以後お見知りおきを願い上げ奉ります」


そこまで言うと彼女は再び姿勢を正して、鋭い視線を俺に向けてきた。


「誠に僭越ではございますが、あなた様は未だ、立太子の儀式を終えていらっしゃらぬお方。即ち、王族のお一人でございます。従いまして、この後宮の門を開くことはできませぬ。この門から入室できますのは、国王陛下、大上王陛下、王太子殿下のみでございますので、なにとぞ、ご容赦くださいませ」


そう言って彼女は深々と頭を下げた。


……なんだ、ということは、このまま帰れということか。だったら帰ろうじゃないの。よかった。こんな意地の悪いバアさんとこれから先は絡む必要はないと思うと、嬉しさがこみあげてくる。だが彼女は、何故か両手を俺の前に差し出してきた。


「恐れ入りますが、お腰のものをお預かりいたします」


「え? お腰のもの?」


「お腰のものを、お預かり、いたします。後宮には寸鉄すら、帯びては入ることは敵いませぬ」


「失礼します」


シェイスが俺の前で片膝をつき、ベルトに付けられている皮の入れ物を取り出して女性に渡す。彼女はそれを開いて中に入っているものを手に取る。そこには、小さなナイフが収められていた。


ロースマイはナイフを元に戻すと、それを掌で握った。そうしておいて、先ほど自分が出てきた、紋の脇に設えられた小さな扉の前に立った。


「それでは、こちらから、お入りくださいませ」


……やっぱり、後宮に入るのかよ。

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