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もよおす

俺が目の前の女性に見とれていたそのとき、もう一人の女性が後ろに回り込んできた。


「殿下、御髪(おぐし)を失礼いたします」


「おぐし?」


俺の言葉に女性は反応せずに、髪の毛をいじり始めた。ああ、髪形を整えるのだなというのはわかるが、目の前の女性が気になって仕方がない。相変わらずペタペタと手で俺の顔を触っている。何だ、一体何なんだ。


「失礼いたします」


彼女はそう言うと、傍に置いてあった白い塊を手に取ると、それを俺の顔に沿ってなぞった。さらに小さなナイフを取り出すと、それで俺の髭を剃り始めた。


俺の髭はそう濃くはないのだが、とは思うが、ナイフが顔に当たっているので、喋ることができない。特に殺気はないので、このまま任せることにする。


あっという間に、髭は剃りあがった。同時に、髪の毛のセットもできたようだ。三人目の女性が、恭しくタオルを持ってきて、俺に捧げる。受け取ると、温かい湯で湿らせていた。これはいいなと思いつつ、それで顔を拭き上げる。


三人の女性はペコリと一礼して、俺の前から去っていった。それと入れ替わるようにシェイスが入ってきた。


「準備ができましたか。ささ、急ぎましょう。大上王陛下がお待ちでございます」


「あ、ああ」


俺は促されるままに、シェイスの後ろをついていく。部屋を出るとき、壁に大きな鏡があった。そこに映った自分の姿を見て、俺は驚愕した。


……見慣れた俺ではなかった。別に、ハンサムとか、男前になったとか、そういうことではない。雰囲気が一変していた。何と言うか……ちょっと位の高い貴族のように見えた。着る物が変わるとこうも違うものか。


「……殿下、お早く」


シェイスが抑揚のない声で促してきた。やっぱり、この男は怒っているなと思いつつ、俺は彼の後についていく。


彼は迷路のような廊下を何の迷いもなく進む。進めども進めども、終わりは見えてこない。どれほど歩いたのか。十分? 十五分? いずれにせよ、かなりの時間を歩いている。


「あ、あのっ、ちょっと」


思わず声が出た。シェイスが足を止め、こちらを振り向いた。


「ちょっと、お手洗いに、行かせてもらえませんか」


長く歩いたので、もよおしてしまったのだ。シェイスは、仕方がないという雰囲気を纏いながら、俺の傍まで近づいてきた。


「どうぞ」


彼は俺のすぐ隣にあった部屋の扉を開けた。え? なんだ? ここ?


入ってみると、どこからどう見ても普通の部屋だ。床には絨毯が敷かれている。まさか、ここでやらかせと言うのか。いやそれはそれで、いろんな意味で大惨事になると思うのだが。


そんな俺の動揺をよそに、シェイスは奥の扉を開けて、どうぞと促してきた。行ってみると、広い部屋があり、その奥にいわゆるお手洗いがあった。丸い、木製の便器だ。これは知っている。デルビッツ子爵の屋敷で見たヤツと同じだ。俺は用を足すために、そこに向かう。


「……」


ズボンを下ろそうとしたそのとき、シェイスと目が合った。彼はじっと俺を眺め続けている。


「すみませんが、外してもらえませんか」


「いえ、こちらで控えさせていただきます」


……冗談だろう? どうして男に見られながら用を足さねばならないんだ。


「いや、やりにくいので、出ててください」


「いいえ。殿下の御身を守るのが私の使命でございます。どうぞこのままで、お気遣いなく」


「出て行ってくれ。命令だ!」


思わずそんな言葉が口をついて出た。シェイスは一瞬たじろいだ様子を見せたが、やがて、不承不承ながら、何かあればお呼びくださいと言って部屋を出て行った。


◆ ◆ ◆


「……なんだよこれ。バカじゃないのか」


俺は尻を丸出しにした状態で立ち尽くしていた。もちろん、用は足せた。出すものを出してスッキリはしている。だが、猛烈な不快感が今の俺を包んでいた。


……紙が、ないのだ。どうするのだ、これは?


外にはシェイスが控えているから、持って来いと言えば持ってくるのだろう。だが、俺はこんな格好をヤツに見られたくはなかった。それに、この便器もなんだかなぁ、である。底が見えないくらいに、深いのだ。確かにこれでは臭いの類は上がってこないだろうが、これはこれで危険な気がする。さらに言えば、たかが手洗いにこんな広い部屋は必要ないだろう。一体何をどうさせたいのだ? 俺にはわからない。


ただ、このままでいけないのは確かだ。何とかせねばならない。紙の類を、探さねばならない。


そう言えば、俺が着替えているときに、あの女性の一人が、内ポケットの中にハンカチの類を入れていたのを思い出した。ポケットを探っていると、あった。確かにあった。これは……。見るからに高級そうで、ちょっといい香りがついていて、確実にこんなことに使うべきものではないのは明らかだが、背に腹は替えられない。俺は断腸の思いで、それを使って処置をした。


「お待たせしました」


そう言って手洗いから出た俺を見て、シェイスは目を見開いた。何か失敗をしたのかと動揺する俺に、彼は静かに口を開いた。


「で……殿下。その……お座りに、なって、おられたように記憶していますが」


「そ、そうですよ」


「そ、その……紙の類は、どうなされたのです?」


「ポケットにハンカチのようなものが入っていたので……それを使いました。……ダメかな?」


「ああ……」


俺の言葉を聞いてシェイスは頭を抱えた。

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