トリデリアからの使者
大帝が予想した通り、敵側からの攻撃はなく、夜が明けても王都は静かなままだった。ただ、煙は相変わらず周囲を包み、まるで霧が出たような有様となっていた。昼近くになると再びエルドライから使者がやって来て、火攻めの第二波を行う予定であるために、各隊は準備をせよと言ってきた。明らかにわが軍の兵士たちは落胆していた。無理もない。攻撃を行えば、昨夜よりもひどい煙と臭気に苛まれることになる。彼らが落ち込むのは、無理もなかった。
しかも、兵士の中には体調不良を訴える者も多かった。席が止まらずに呼吸困難になるのだ。そういう兵士に戦えということはできないために後方に移すのだが、この数が結構なものになっていて、百人を超えていた。わが軍の兵士がこれなので、他の隊も同じような状況になっているだろう。これでまたもう一度攻撃となれば、さらに兵士たちの体調は悪化するのではないかと心配した。ただ、裏を返せば敵も同じ状況であり、わが軍よりもさらに状況は悪い。もしかして、王都の中では相当数の人々が苦しんでいるのではないか。下手をすれば死んだ者もいるかもしれない。
「……正気の沙汰じゃねぇな」
オジキが誰に言うともなく呟く。親父も無言のまま頷いている。
「それだけ、大帝陛下は、何としてもここで戦いを終わらせたいのでしょう。多少の自軍の被害や損失は覚悟のうえで」
親父の言葉を聞いている中で、もしかして大帝は、近いうちに自分の寿命が尽きると思っているのではないかという考えが浮かんできた。頻繁に俺を側に呼ぶのも、息子の皇帝に辛辣な言葉を投げかけるのも、時間がないと焦っているからではないか。その一方で、自分がこれまでしのぎを削ってきた相手が死んだことで、言いようのない寂しさに苛まれている。それを埋めるために、俺を呼んだのではないか。そうであれば、すべての説明がつく。
エルドライにとっては、この戦いが終わり、トリデリアの領地を併呑してしまえば、対抗する勢力はなくなる。大帝は、自分が生きている間に、何としてもそれを成し遂げねばならないと考えている。そのためであれば、手段は択ばない。今回の作戦も、これから先の作戦も、おそらくその考えによっているからではないのか。そう考えると、大帝の気迫というか、執念は凄まじいものがあるなと思ってしまう。
昼が過ぎ、夕刻になろうとすると、ようやく周囲が見えるようになってきた。これは夕日の光がそうさせているのかどうかはわからないが、ともあれ、周囲が見えるようになるのは、何とも言えぬ安心感がある。心なしか、臭気が無くなってきているようにも思える。俺の鼻が慣れてしまったという可能性も否定できないが。
そのとき、エルドライから使者がやって来て、トリデリアの使者がやってくるので、決して攻撃を仕掛けてはならない。道を開けろと言う命令が伝えられた。すぐに全軍にその旨を通達する。軍人たちは、まだまだ戦えると強がりを言っているが、心の中ではホッとしているのは明らかだ。
約一時間後、日が落ちて周囲が暗くなったときに、使者は現れた。王都の城門が開き、三名の騎士がゆっくりと松明を掲げてこちらにやって来た。前衛の部隊も俺たちの部隊も彼らの道を開けて待機する。三人は堂々と俺たちの前を通っていった。
当然彼らは城に戻るだろう。ということは、この態勢は維持した方がいい。だが、一時間たっても彼らは王都に戻る気配はなかった。すでに夕食の時間は過ぎている。このまま緊張していつ帰るともわからない使者を待つべきなのか。相談をしようにもサウズの姿はない。そんな俺の心境を察してか、オジキが突然口を開く。
「ぼち公、一旦、休憩と行かねぇかい」
「そうしたいのはやまやまですが……」
「別にいいんじゃねぇかい? 兵士たちも疲れちまわぁ」
「そう、です、ね」
「俺たちゃいいぜ? ずっとこうして座っているんだからよ。ただ、兵士たちを見ねぇ。もう二時間以上立ちっぱなしだぁな。戦闘中ならまだしも、コイツは疲れるぜぇ。こういう疲れたときに敵から奇襲を受けちまえば、すぐに陣は崩れる。ぼち公、ここは思案のしどころだぜ?」
「とりあえず、今の陣形のまま、食事なり休息するなりがいいのではないですか?」
親父も口を開く。仕方がないので、シェイスに視線を向けると、彼は、
「剣聖様の仰ることは、いちいちごもっともです」
などと言った。じゃあ、休息させるべきだと言う考えなのだなと聞いてみたが、彼は応とも否とも言わなかった。焦れてしまった俺は、周囲の兵士たちに向かって、まずは食事を摂って休息せよ。ただし、すぐに今の状態に戻れるようにしておけ、などと、自分でも何を言っているのかわからないような命令を出した。きっと、先ほどの命令は何ですかというような問い合わせが来るだろうと予想していたが、意外にそれはなく、俺は、兵士たちは休みたかったのだなと解釈したのだった……。




