静かなる戦いの幕開け
戦いは突然に、しかも、静かに開始された。
それは、大帝の許から帰ってきて一週間後のことだった。
すでに、城内の水は尽きているという情報がまことしやかに流れてはいた。だが、中からはそうした様子は一切見られなかったし、相同らしい雰囲気も感じなかった。いつもの通りの粛々とした様子だったのだ。
コトが始まったのは、早朝だった。まだ、夜が明けきらぬ薄暗い中、俺は前日の晩からあまり寝付けずに、たまたま起きだしていた。
なぜか、空気がざわめいている感じがしていた。音は聞こえないのだが、そんな感覚を覚えていて、もしや、何かが起こるのではないかと宿舎の外に出てみたが、特に大きな動きらしきものはなかった。立哨している兵士たちが驚いて俺に一礼するが、その必要はないと手で合図をする。幕僚たちに報告されても面倒くさいので、そのままにしておいてくれと言って、すぐ近くに設えられている物見やぐらに上った。そこにはなんと、親父がいた。
「お父さん……どうしたのです?」
「うん……なんだか、寝付けなくてね」
そう言って彼は王都の方向を見た。もうすぐ冬になるためか、空気が冷たい。
「俺も、なんだか昨夜から空気がざわついているような気がして、眠れなかったのです」
「シェンさん、あなたもですか……。やっぱり、親子ですねぇ……」
そう言って親父はため息をついた。俺にとってその一言は、とてもうれしいものだった。
二人でぼんやりと王都の方角を見る。東の水平線から朝日が昇ってきているのが見える。ここが戦場とは思えない、実におだやかな朝だった。
そのときだった。南側の門の橋がゆっくりと、静かに下りていくのが見えた。敵の侵入を防ぐための措置だが、堀の上にそれは降りた。直後に南側の門が開く。一瞬の間をおいて、ぞろぞろと人が出てくるのが見えた。鎧を装備していない。どうやら、民衆のようだ。
と、その人々が突然走り出して、目の前に控えている舞台に突撃を開始した。戦闘というにはあまりにもお粗末な攻撃だった。ただ単に、やみくもに攻撃を仕掛けているだけだ。
だが、全く想定していなかった攻撃を受けた部隊は、大混乱に陥った。その様が、俺のいる場所からはよく見えた。
「シェンさん、これは、危ないね」
親父の言葉に無言で頷いた俺は、慌てて櫓から降りる。そこには、シェイスとオジキがすでに控えていた。
「国王様、ここにおいででしたか」
シェイスはそう言うが、知っていたのだろう。言葉が白々しい。
「全軍に戦闘態勢を取れと命令しろ」
「はっ」
シェイスが脱兎のごとく駆け出していく。その後姿を見送りながらオジキは、
「さあ、いよいよだぁな。腕が鳴るってもんだぜ」
などと言っている。そんな彼に声をかける。
「伯父さん」
「なんでぇ」
「伯父さんの弟子を全員、ここに集めてください」
「何をしようってんでぇ」
「この本陣の前面を守ってもらいたいです。お父さん」
櫓から降りてきた親父にも声をかける。彼は静かに佇んでいる。
「お父さんも、すみませんが、弟子を全員集めてください。叔父さんの隊は左手、お父さんは右手を守ってください」
「読めたぜ、ぼち公。お前ぇの身を、俺たちで守れってんだな」
「そのとおりです」
「よぉし、わかった。かわいい甥っ子の頼みとあっちゃぁ仕方がねぇ。やってやるぜ」
オジキはそう言って走り出した。親父も歩き出す。
「……我々が、戦闘に参加しないことを、願うのみですけれどね」
親父はそんなことを呟いていた。
◆ ◆ ◆
すぐに幕僚たちが集まって、軍議が開かれた。ただ、彼らも情報が錯綜しているらしい。俺と入れ替わるように櫓に上った兵士が、前衛部隊が突破されつつありますと絶叫した。
「国王様、エルドライの本陣までお下がりください」
幕僚の一人が俺の前で片膝をついて頭を下げる。当然、それはできない相談だ。王が逃げてしまっては、兵士たちは戦う気力を失うだろう。それに、そんなことをすれば、何を言われるのかわかったものではない。
ふと、傍に控えるシェイスに視線を向ける。彼はゆっくりと頷いた。
「馬を引け!」
気づけば俺はそう叫んでいた。幕僚たちはそれだけは、とか、なりません、とか言って宥めてくるが、それはできない相談だ。シェイスが馬を曳いてきた。それに跨ると、周囲にいる幕僚に、
「全軍戦闘配置につけ! 決して油断するな!」
と叫んだ。彼らは一瞬、ためらいの表情を浮かべたが、やがてすぐに持ち場に戻っていった。
シェイスが轡を取って馬を移動させる。すぐ近くで止まった。そこには、親父とオジキの弟子たち数百名が控えていた。
「テメェらぁ! 若旦那を死ぬ気で守るぞぁ!」
オジキが大声を張り上げる。その直後、選ばれし剣士たちの咆哮が響き渡った。
馬上からは戦いの趨勢がよく見て取れた。一体どのくらいの人間が出てくるのかと思われるほどの数が次々に王都から出てきていた。水を求めているのだろう。目の前の装備をした兵士たちにも臆せずに突っ込んでいっている。前衛の部隊は相当に押されている。ここが破られればいよいよ、我がブライアルの陣になる。
……これは、マズいな。
俺は心の中で、秘かにそう呟いた。




