出陣準備
結果的にコハタリアは、エルドライには帰らないという選択をした。かと言って、俺たちの話を聞き入れるのかと言えばそうではなく、少し休ませてくれと言って、王宮内に与えられた部屋で相変わらず軟禁されている。俺はどっちなんだと思ったが、取り敢えずヤツは、オジキの言うようにエルドライに手紙を書き、ここにしばらくとどまって、諜報活動を行うという書状を送っていた。
「上々吉だぁ」
オジキは嬉しそうだ。何がそんなにうれしいのか。聞けば、ヤツが帰国を拒否した段階で、彼はこの王都、下手をすれば王宮を出た瞬間に命を狙われる可能性が高まるのだそうだ。大帝はあきらめたと言ったが、あとで宰相がわざわざやって来たことから、やはり未練はあるのだろう。そこに来て彼の帰国拒否は、大帝への裏切りと捉えられても仕方のない行為だとみなされる可能性がある。ヤツはそれを極端に恐れている。もしかして、彼よりも腕の立つ斥候がいるのかと思ったが、エルドライはどちらかというと人海戦術しか取れないのだそうだ。つまり、二十四時間三百六十五日監視して命を狙う……。そこまで暇じゃないだろうとは思うが、そういうこともあの国は平気でやってのけるのだそうだ。
ただ、王宮には親父がいて、俺もいて、メイルもいる。何せ、オジキが泊まり込みでいるのだ。まあ、暗殺者の類は入り込むことは難しいだろう。コハタリアは、それが十分にわかっているようだ。
その一方で、ブライアル王国は出兵の準備に追われていた。使者はまだ来ていないが、内々に出陣の日程を連絡してきた。宰相曰く、エルドライは本気でトリデリアを潰すつもりらしく、ざっと見積もって、兵の総数は十万を超えてくるようで、相当の大戦を覚悟せねばならないと言っていた。ブライアルは一万の軍勢を引き連れて出陣する。その食料に関しては、現地に着くまでは我が国もちだが、戦場に着けば、あとはエルドライがすべての食料を用意するのだそうだ。これは相当に珍しいことらしく、要は、こういう場面でもエルドライは各国に恩を売ろうとしているのだと宰相は言っていた。ただ、十万以上の兵に与える食料を運び込んでくるというのは、並大抵のことではない。相当にしっかりとした補給路を確保しておかねばならないのは、俺でもわかることだ。軍人たち曰くは、エルドライは相当の時間をかけて今回の戦いの準備をしてきた、とのことで、ほぼ負けることはないだろうなどと言っていた。
ただ、俺は勝負に絶対はないと思っている。これは、親父から徹底的に叩き込まれたことだが、完全に勝負がつくまでは、絶対に油断をしてはならない。人間はときとして、信じられない力を出したり、行動をしたりすることがある。
忘れられない思い出がある。十四歳の頃、他流試合が開催されて、そこに出場したことがある。俺の前に出た組み合わせは、長身で筋骨隆々ととした剣士と、小柄で体の細い剣士だった。通常であれば、前者が圧倒的に有利だ。まあ、作戦がないことはなく、相手が斬りかかってきた剣を躱して懐に入り込めば勝機はあるのだが、細い剣士はそんなことはしなかった。
二人が揃い、審判に一礼したそのとき、その剣士は大きい剣士を木刀で滅多打ちにした。男は成す術もなく床に倒れて動かなくなった。もちろん反則で、男は両腕を抱えられてどこかに連れていかれたが、殴られた男はその後、命を落としたのだと聞いた。親父に話をすると、だから、絶対に、油断をしてはいけないのですよ、と静かに言っていた。それ以降俺は、その言葉を肝に銘じている。
翻って、今のブライアル王国は、どちらかと言うと、兵の規模もあって、楽勝気分に浮かれている。そんなにうまくコトが運ぶのに越したことはないが、どうもそうはいかないような気がしてならなかった。部屋に戻って親父に相談してみると、大将であるあなたがその心構えを持っていれば大丈夫でしょうと言ってくれた。
ただ、その翌日から、俺の鎧合わせが始まった。一応、国王専用の鎧があり、何とも美々しい鎧を俺の体に合わせて調整していくのだが、久しぶりに使うのか、何とも言えぬイヤな臭いがして困った。係りの者は、出陣までには何とかしますとは言っていたが……。それを着たまま二時間も立ちっぱなしというのは、何とも疲れるものだった。
やはりここでも、戦場に赴くという緊張感は全くなく、何かパーティーの衣装合わせのような雰囲気に満ちていた。しかもこの鎧は、出陣式用のものであり、通常はもっと軽い鎧を着用するとのことだった。それはそれで危険ではないかと思ったが、それは大上王の頃からの名残なのだそうで、大上王曰く、鎧は軽いものに限る。さもないと怪我をする。戦場ではいかに俊敏に動くかが重要であるという格言を残していた。
城の者たちはそんな話を笑顔でしてくれた。そこには、これから命のやり取りに向かうという緊張感は全くなかった。俺はその光景を見ながら、不安がどんどんと大きくなっていった。




