9. 人形の瞳孔
会場でシャンデリアの落下という騒動が持ち上がった時刻よりも少し前、ラカンは華やかな夜会の場から一人離れていた。
人気のない廊下を大股で歩いていると、時折、背中に視線を感じた。すぐさま振り返ってみるものの、背後には誰もいない。それでもラカンは静まり返った廊下に薄気味悪さを隠せなかった。
とある部屋の前に差し掛かると、ラカンは立ち止まった。もう一度、用心深く廊下の左右を窺う。やはり、いるのはラカン一人だけだ。
入念な確認を済ませてから、ラカンは素早く、その大柄な体躯を室内に滑り込ませる。
ラカンが入ったのは小さな応接室だった。誰も使っていないのに照明は灯されたままになっている。
広大な屋敷だけのことはあり、働く使用人を含めても空き部屋が多い。にも拘らず、いつでも使えるよう日頃から準備を欠かしていないようだ。
どんなにグスカが金持ちであろうと、ラカンには無駄な浪費としか思えず、気に食わなかった。
室内には一人がけのソファが四つあり、小さなテーブルを挟むようにして配置されている。足下には毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。
右側の壁には大人が三人で両手を広げても余るような大きさのサイドボードが据えられていた。その上にこの屋敷の主人であるグスカの蒐集物なのか、幼い子供が好んで抱くような人形たちが所狭しと置かれている。ほとんどは少女を模した人形だが、中には赤ん坊や薄気味悪い道化師なども混ざっていた。
それらは入って来た者を出迎えるように、微妙な角度で扉の方を向いていた。そのせいで一瞬、待ち伏せでも食ったような錯覚に陥ったラカンは肝を冷やす。
けれど、よく見れば、それは単なる人形に過ぎなかった。
「チッ! 脅かしやがって……ただの人形かよ……!」
罪のない人形たちに罵りの言葉を浴びせると、ラカンは早足で部屋を横切った。
ラカンは乱暴な手つきで錠を外し、窓を開け放った。即座に凍てつくような風と共に雪が吹き込んで来る。
「ベネシスト!」
夜の暗闇に向かってラカンは呼びかけた。誰かに気づかれるといけないので声は押さえ気味だったが、外の静寂の中、それはよく通った。
直に、積もった雪によって倍ぐらいに膨れ上がった茂みの陰から、一人の男が飛び出してきた。発見されるのを警戒し、身を低くしながらラカンの方へ真っ直ぐ走って来る。
ベネシストだ。
誰かに目撃されていないか、サッと周囲を確かめてから、ベネシストはラカンが侵入路として確保した窓の縁へ足をかけた。
中にいるラカンも冷え切ったベネシストの手を掴んで、引っ張り上げるのを手伝った。本職の泥棒も顔負けの連携だ。
ベネシストが絨毯の上に着地すると、ラカンは素早く窓とカーテンを閉じた。元々、カーテンは開いていたのだが、潜伏する自分たちの姿を隠すためには仕方がない。
しばらく息を殺しながら、周囲の反応を窺った。何かに気づかれた気配はない。
どうやら屋敷の者たちに勘づかれた様子はなさそうだ分かると。ベネシストは身体についた雪を払い除けた。
「よく来てくれた、ベネシスト。やはり、お前の力を借りることになりそうだ」
「………」
ベネシストは黙ってラカンの顔を見た。
ルッツ王国の中核を成す 竜騎士団 は、騎馬の代わりに小型の 飛竜 を駆り、その高い移動力と上空から強襲できる戦闘での優位さから、ネフロン大陸でも最強の騎士団だと謳われている。
その 飛竜 の乗り手である 竜騎士 に、かつてベネシストは自ら志願した。
竜騎士 になるためには様々な審査が行われる。
戦闘訓練において、ベネシストは常に上位の成績を収めていた。特に剣の扱いが巧みで、師範役とも互角に渡り合える実力者だと仲間たちから一目置かれていたほどだ。
ほとんどの者たちは、十中八九、ベネシストが 竜騎士 の叙勲を受けことになるだろうと噂し合っていた。
だが、竜騎士 に任じられるのは、必ずしも戦闘の技量に長けた者だとは限らない。
数々の審査を通過した上、最終選抜である『竜の試練』を合格しなければならなかった。これこそが最大の難関であり、竜騎士 が最強として名高い理由だ。
多くの者たちが落伍する『竜の試練』とは、飛竜 の生息地として知られる険しい山岳地帯 《ドラゴン・ファイア》 へ単身赴き、どれか一体の 飛竜 に自分が乗り手だと認めさせることだ。
言うまでもなく、野生の 飛竜 は普通の人間の手に負えるものではなく、最悪の場合は鋭い爪と牙の犠牲になり、落命しかねない。
残念ながらベネシストは『竜の試練』で失敗を犯した。
飛竜 から乗り手として認められるどころか、むしろ取り返しのつかない怒りを買ってしまい、命からがら逃げ出す羽目になったのだ。
それは騎士としてあるまじき、あまりにも無様な敗走だった、と以前から彼をやっかんでいた者たちから揶揄された。
一般には生命があっただけでも幸運だったと喜ぶべきだろう。
だが、この失格はベネシストの自尊心をズタズタに引き裂いた。いっそのこと死を選んでいれば、ベネシストの名誉は守れたかもしれない。
ルッツ王国では 竜騎士 を英傑として遇する一方、『竜の試練』から逃げ出した者を騎士の名を汚す臆病者と見なす。
ベネシストも例外ではなかった。
いや、むしろ『竜の試練』を受けるまで、その優秀さを周囲から認められていただけに、天と地ほどの差がある無情な結果はベネシストの矜持を完膚なきまでに打ち砕いた。
このことは国中に知れ渡り、ベネシストは完全に身の置き場を失った。挙句の果てには親族や友人知人からも冷めた目を向けられる始末だ。
居た堪れなくなったベネシストは自分のことを誰も知らない土地へ移るほかなくなり、行く当てのない流浪の旅に出た。
およそ一年に及ぶ放浪の末、ベネシストが行き着いた先こそ、このドールの町だった。
あと一歩というところで名声を得られず、世捨て人同然に成れ果てたベネシストは、たまたま入った酒場でラカンと知り合った。
これが運命の出会いだった――ラカンもベネシストも、そう述懐する。
かつてラカンの父はドールでも名の通った商人だった。そのため、ラカンは裕福な家庭で何不自由なく育ったが、不幸は突然訪れる。
成人する前に父が急逝。すると生前はいい顔をして擦り寄っていた町の人々が手の平を返し、それまでの羨むような暮らしぶりも反感を買う一因となってか、風当たりが強くなった。
このときラカンは悔しさに奥歯を食いしばりながら悟ったおのだ。金や権力に群がる人間が如何に酷薄で、上辺だけを取り繕う、信用の置けない存在であるかを。
没落した商家をもう一度盛り返すため、ラカンは若くして苦労に苦労を重ねた。文字通り、一からの出直しだ。
もちろん綺麗事だけでは海千山千の同業者と渡り合えない。何が何でも連中を見返してやろうと、金に汚いこともしたし、時には拳に物を言わせて相手を屈服させたこともあった。
結果、ラカンに対する町の者たちの見る目が変わったのは、ここ数年くらいの間だ。再び町で幅を利かせるようになったラカンの顔色をほとんどの者が窺うようになった。
もちろん、腹の中では快く思っていないことなどラカンも承知の上だ。それでも歯向かえない関係を作り、彼らの上に立つことは特別な優越感を味わえた。
ドールの町へ流れて来た頃のベネシストは、まさしくかつての自分を見るようだった。
人生の歯車がほんの少し狂った人間は、どん底にまで叩き落とされなくてはならないのか──調子よく近づいて来る人間は信用に値しない。けれども、同じ苦渋を味わってきた者なら信頼できる。
ラカンは行き場のないベネシストを用心棒として雇うことにした。手掛けている商売では、たまに荒事が必要になる場面があるので、前々から腕の立つ人間を探していたのだ。
しかし、それよりもベネシストという男に共感を覚えた、というのがラカンにとって雇用を決めた大きな理由だった。
捨てる神あらば、拾う神あり。
そんな救いの手を差し伸べてくれたラカンにベネシストは心から恩義を感じた。
それ以降、ベネシストはラカンの右腕として働いた。
他を圧倒する剣技は商売敵にとって脅威として伝わり、今や面と向かってラカンたちに逆らう者はいない。二人の関係性を知る者は、口を揃えて言う。
――まるで義兄弟のようだ、と。
最早、敵なしに思えたラカンたちであった。
が、まさか、ここに来て、これまで築き上げてきた権勢が揺らごうとは。
最初は愛人サリナの反抗であり、続いて余所者である旅の商人とのいざこざだ。
特に後者は町の者たちの耳目がある中でラカンが赤っ恥を搔かされたため、沽券に関わる問題だった。どんな陰口が叩かれることやら。
汚名返上のためにも、このまま放っておくわけにいかない。ラカンには復讐心しかなかった
下っ端に命じ、サリナの行動を見張らせていたところ、どうやら彼女が人形屋敷で催される夜会に招待されたと知り、ラカンは即座に行動を起こした。
まずはサリナを自分の手に取り戻す。旅商人だというロムや吟遊詩人に仕返しするのは、その後でもいい。もし下心丸出しでサリナを救おうというつもりなら、彼女の目の前で痛めつけるのも一興だ。
ラカンは招待客の中に紛れ込み、人形屋敷への侵入をまんまと成功させた。その後、こっそり会場から抜け出し、手頃な一室を利用してベネシストと合流するのが大まかな手筈だ。
ここまでは上手く行った。
「屋敷の人間に見つかったら、お前に陽動をかけてもらおうと一緒に来てもらったが、それよりも厄介なことになった」
「厄介なことだと?」
「ああ。あの男まで会場にいやがったのさ」
「あの男とは……吟遊詩人か?」
ベネシストの声に緊張が混じった。表情も硬くなる。
ラカンは唇を舐り、首を横に振った。
「違う、オレが不覚を取った旅商人の方だ。吟遊詩人なら──ほら、ここからでも聴こえるだろ? ヤツの演奏が。今頃ここの主から頼まれた仕事で手一杯だろうから、邪魔に入る暇なんてねえはずだ」
「そ、そうか」
それを聞いてホッとしている己に、ベネシストは苦々しさを覚えずにいられなかった。
この屋敷の前で漆黒の吟遊詩人に斬りかかったときを回想する。
相手は武器を取らず、《刀》を抜いたベネシストに斬り殺されるのは必定であったはず。なのに、あの謎多き吟遊詩人は傷ひとつ負うことなく平然と立ち続けた。
あのとき、何が起きたのか。
いくら考えてもベネシストには理解できなかった。
もし向こうに反撃の意思があったら今頃どうなっていたか。
ひょっとして──
そんな不吉な考えに捉われると、ベネシストは呼吸困難と心臓発作に襲われそうになった。あの『竜の試練』で 飛竜 と対峙したときと同じ恐怖が甦る。
実際、ベネシストの顔からは血の気が引き、こめかみを冷や汗が伝った。
もう一度、美しき吟遊詩人を襲うようラカンから命じられたら実行に移せるか、ベネシストには自信がなかった。
だから己を恥じたのだ。もう一人の旅商人の方が相手だと聞いて安堵した、臆病で情けない自分に。
ラカンはそのようなベネシストの葛藤になど気づきもしなかった。
「サリナをここから連れ出そうとすれば、きっとあいつが邪魔をするだろう。そこで手間取れば屋敷の人間も駆けつけて、さらに面倒なことになるかもしれない。ベネシスト、サリナとあいつを引き離すよう手伝ってくれ」
「承知した」
ベネシストは平静を装って応じた。その程度の仕事ならば造作ない。
「では、会場の近くで待機しよう。ヤツらが会場を出たときに仕掛ける」
二人は密談した応接室を後にしようとした。
そのとき、何らかの気配を察したベネシストが《刀》に手をかけ、素早く抜刀の構えを見せた。
「ど、どうした?」
いきなり攻撃態勢に入ったベネシストを見て、ラカンは何事かと焦った。不法侵入がバレたか。
もしそうならサリナに拘っている場合ではない。ここから逃げることに専念するつもりだった。
ベネシストは怪しい気配の正体について気づいた。サイドボードの上に乗った人形だ。
並べ方によるものだろう、身構えたベネシストの方を人形たちが揃って向いていた。まるで屋敷に入り込んだ異物を見つめるかのように。もちろん偶然の産物に過ぎまい。
ここへ入ったとき、自分も人形にギョッと驚かされたのをラカンは思い出した。同じ反応を示したベネシストに苦笑しつつ、気を張り詰め過ぎだ、と肩をポンポンと軽く叩く。
「気味の悪い人形どもだよな、まったく。この屋敷のグスカって野郎は国内で一番の大富豪かも知れねえが、寄りにも寄って趣味が悪すぎるぜ」
このときラカンは気づかなかった。最初に部屋へ入った時と、出て行こうとする今とでは人形の向いている角度が変わっていることに。
ベネシストはジッと人形を見つめた。もちろん、語りかけてくるようなことはない。けれども、一度抱いた違和感は気持ち悪いくらいまとわりつく。
「行こうぜ」
ラカンは人形のことなど無視し、まだ警戒を解かない相棒を促した。
「うむ……」
何とも釈然としない気分だったが、たかが人形だ、とベネシストは頭から追いやろうとする。これからの隠密行動を前にして、神経質になり過ぎてはいけない、と自分を戒めながら。
今度こそ二人が部屋から出ようとしたとき──
ガシャァァァン!
遠くでガラスの砕けるような大きな音が響き、それに続いていくつもの悲鳴が聞こえてきた。おそらく舞踏会の会場からだ、とラカンは察する。
耳を澄ますと、それは段々と大きなパニックに発展しているようだった。
予期せず起きたアクシデントに、ラカンとベネシストは思わず顔を見合わせた。示し合わせたわけでもないのに、騒ぎとなった会場へ揃って走り出す。
「………」
応接室に置かれた人形たちは扉が閉まりきるまで、遠ざかる二人の背中を何も言わずに見送っていた。




