8. 宴の幕が上がって
歓談を、とズウから勧められはしたものの、知り合いが夜会に出席しているはずもなく、どうしたものか途方に暮れてしまうサリナであった。
唯一の顔見知りとなると、同じくグスカに招かれているはずのウィルくらいなものだろう。もっとも彼はサリナのような招待客ではなく、今宵の夜会を盛り上げる演奏家として招かれたわけだが。
とは言え、ただ突っ立っていても仕方がない。何処かにウィルがいるかも、とサリナはとりあえず捜してみることにした。
もし、ウィルがすでに到着し、演奏の準備をしているとすれば、おそらく会場の前方にいるのでは、と予想された。サリナは人混みを縫いつつ、会場の入口付近から奥へと進んだ。
会場はとても広く、しかも慣れないドレスとヒールのある靴、それにシャンパンが注がれたグラスを片手に持ちながら混雑の中を歩くのは骨が折れた。うっかり誰かとぶつかって、シャンパンを零してしまっては大変だ。サリナは気を遣いながら移動した。
「サリナ」
不意に自分を呼ぶ声がし、サリナは振り向いた。その途端に表情が凍りつく。
彼女を呼び止めたのはドールの町のならず者、ラカンだった。
この男もまた、普段とはまったく違う着飾った衣裳に身を包んでおり、まるで別人かと見違えるようだった。ただし、卑しさが垣間見える酷薄な笑みだけは隠しようがない。
「ラカン……」
サリナは身を固くし、思わず後退った。けれども履き慣れないヒールのせいで、いつものように機敏には動けない。
「ふーん。こいつは見違えたぜ。鍛冶屋通りの裏に暮らすお前が、そんなきれいなドレスで着飾るとは。やっぱり改めてこうしてみると、お前はいい女だ。オレの目に狂いはなかった。どうだ? お前さえ考え直す気があるなら、オレはやり直してやったっていいんだぜ」
そう言ってラカンは身を寄せて来ようとした。サリナは表情を険しくさせる。
「何を今更、考え直すって言うの!? アンタ、良く効く薬だとか偽って、私の母さんに何を飲ませてたのよ!? 私、アンタがやってきたこと、全部お見通しなんだからね!」
ここが上流社会の社交場だということも忘れ、サリナはきつく言い放った。
ところがラカンは怯まない。それどころか、むしろ笑っているではないか。
告発されても悪びれた態度を見せず、この男は頭がおかしいのか、とサリナは訝った。
「へっ、それが何だって言うんだ? お前を苦しめているのは、あの母親だろ。いなくなってくれれば、お前は解放される。オレはそれを手助けしてやろうとしただけさ」
「……何ですって?」
「サリナ、オレがお前を愛していることに変わりはねえ。さあ、オレと一緒に来るんだ。お前の肉体は、毎晩ベッドの上で、オレがたっぷりと教えてやった女の悦びってヤツを憶えてるんじゃねえか? その証拠に、お前だって、あんなに激しく悦んでいたじゃねえか」
下衆な物言いをするラカンに、サリナは虫唾が走った。
「イヤよ、ふざけないで! 誰がアンタみたいなクズに、二度と抱かれたりするものですかっ!」
サリナはシャンパン・グラスを持っていない方の腕を振るようにして、こちらへ近づこうとするラカンに拒絶の意思を示す。
ところが、その手が傍にいた他の招待客に当たりそうになり、咄嗟に動きが鈍った。その機に乗じて、ラカンがサッと距離を詰める。
「素直になれって、サリナ」
ラカンのごつい手がサリナの細腕に伸びかけた。
「おっと、失礼」
そこへ、ヌッと大きな影が立ち塞がった。何者か、とサリナもラカンも割り込んできた威圧感のある人影を見上げる。
「き、貴様は!?」
「ろ、ロム!?」
「よお」
それは旅の商人であるロムだった。しかも、他の招待客よろしく、正装に身を包んでいるではないか。
「貴様──」
またしても邪魔が入り、ラカンは声を荒げそうになった。が、危ういところを呑み込んで堪える。
ここはグスカの人形屋敷。この場にふさわしくないと見なされれば、追い出される可能性も否めない。
「ど、どうやってここに……? お前なんかが入れるわけねえだろ!?」
不審に思ったラカンは目障りなロムに詰問した。
ところがロムは平然としたもので、
「ああ、んなのは簡単さ。この屋敷の人間に『ウィルの連れだ』と言ったら、あっさり中へ通してくれたぜ。しかも、こんな衣裳まで貸し出してくれて。まったく、この屋敷の主人は懐が深くて、感心、感心。──それより、お前さんこそ、どうやって中に入ったんだ? ちゃんとした手順を踏んだんだろうな?」
と逆に尋ねた。
途端にラカンは気色ばむ。
「ぬうっ……」
その態度ですぐにピンと来た。
「おやおやぁ……まさか、こっそり忍び込んだわけじゃねえだろうな?」
ロムがからかうように視線を投げかけると、ラカンは気まずさを覚えたのか、一歩、後退した。
「くっ……くううっ……」
まるでサリナを守る騎士のように登場したロムを睨みつけるラカンの目には憎悪の炎が灯っていた。
だが、ロムは不法侵入者相手に優位な立場であるため、そんなものはまったく通用しない。
「もう一度、オレと喧嘩をしてえなら、いつでも相手になってやるぜ。どうせ勝つのはオレだけどな」
すでに一度勝っているため、ロムの態度は余裕綽々に見えた。不覚を取ったとはいえ、負けたのは事実である以上、ラカンにとっては屈辱だ。
今すぐにでも取っ組み合いを始めたい衝動に駆られたラカンだが、さすがにここだと町中とは勝手が違い過ぎる。歯を剥き出しにする苦々しい表情を作りはしたものの、必死に自制心を働かせた。
「チッ! 憶えてろよ!」
このままロムとの言い争いを続けて、変に目立つわけにもいかず、ラカンは精一杯の睨みをロムたちに利かせると、逞しい体躯を揺すりながら人混みの中に消えて行った。
「ふう……」
何事もなくラカンが去ってくれて、サリナはようやくホッと気を緩めることが出来た。無意識に息を止めていたらしく、少しばかり深呼吸が必要になる。
「大丈夫か?」
ロムが優しく声をかけてくれた。サリナは動悸がする胸に手を当てる。
「ええ、大丈夫。また助けてもらって、ありがとうございます」
サリナはロムに礼を言った。さっきまで喧嘩上等だった男が照れ笑いを作る。頭を掻いていた。
「いやいや。ウィルに頼まれたんだよ。アンタのことが心配だってな。あいつも演奏があるもんで、ずっと近くにいてやるわけにもいかねえし。だからオレが代わりに用心棒役を買って出たってわけさ。それにここへ来れば、只で旨い酒が飲めるかと思ってよ」
「そうだったんですか。何にせよ、助かりました。──あ、そうだ。良かったら、コレ、飲みません?」
サリナはまだ口をつけていなかったシャンパン・グラスをロムに差し出した。
すると酒に目のないロムは唇を湿らす。
「おっ、すまねえなあ」
ロムは遠慮なくシャンパン・グラスを受け取ると、一気に空にしてしまった。
会場にラッパの音が高らかに鳴り響いたのは、その直後だった。
それぞれに歓談していた招待客は喋るのをやめ、会場の前方に注目した。サリナとロムもそれにならう。
充分に時間を置いてから、壇上に一人の男が上がった。上下よりも横に大きく目立つ中年の男だ。
その登場とともに巻き起こる割れんばかりの拍手。それで肥満体の正体が誰なのか、夜会に初参加のサリナたちにも察しがついた。
「皆さん、今夜はようこそお越しくださいました」
拍手が鳴り止むのを待ってから、球体に近い男は挨拶を始めた。この男こそ、ここ人形屋敷の主グスカに違いあるまい。
「このような大勢の方々に集まっていただき、このグスカ、大変、感謝しております。どうぞ皆さん、今宵は存分に食べ、存分に飲み、そして夜が明けるまで踊り明かしてください。──なお、この日のために特別な演奏者を招きました。ご紹介しましょう! 旅の詩人、ウィル氏であります!」
耳障りの良い弦の音が一同を振り向かせた。
てっきり前方だと思っていたサリナの予想と異なり、会場の中央に彼はポジションを取っていた。
吟遊詩人ウィルは。
「さあ、まずは一曲、ご披露していただきましょう」
グスカの合図で、ウィルは《銀の竪琴》を弾き始めた。テンポの速い、身体が自然に動き出しそうな曲だ。
そのウィルの演奏によるものか、多くの招待客がそれぞれの相方を決め、華麗なる舞踏を踊り始めた。
広大な会場で催される舞踏会。それはサリナが見たこともない夢の世界だった。
「なあ」
ただ立ち尽くして眺めているサリナに、ロムが声をかけてきた。スッと大きな身体を寄せてくる。
「オレたちも踊ってみないか?」
ロムからの意外な提案に、サリナは目を丸くした。
「そんな……私、舞踏なんて……」
束の間の春にだけ行われる町祭りの踊りとはワケが違うのだ。ステップなど踏めるわけがない。
だが──
「オレだって舞踏なんかやったことねえよ。でもよぉ、何だか身体がムズムズして来ねえか? ウィルが奏でる曲を聴いているとよ、こう、どうにも踊り出したくなるって言うか」
ロムの言いたいことはサリナにも分かった。彼女もまた、同じ気持ちだったからだ。
しかし──
「でも、やっぱり私……」
「ほら」
ロムが右手をサリナに差し出した。何も考えず、反射的にサリナは手を重ねる。
するとリズムに触発された身体は自然と動き出し、どちらからともなくペアを組んでいた。
舞踏など未経験──そのはずだった。であるのに身体は流れてくるリズムに勝手に乗っており、互いの呼吸ぴったりに踊り出す。サリナもロムも自分で自分に驚いていた。
これもまた夢なのか。
二人は今夜が初めての舞踏だとは思えぬくらい見事に踊った。両手を繋ぎながら一旦離れ、そしてロムがサリナの身体を引き寄せる。
次は横へのステップ。示し合わせたわけでもないのに、不思議と同じ方向へ足を踏み出す。
五歩行ってから反転し、また五歩で元の位置に戻ってから決めのポーズ。
二人は回転しながらそれを繰り返し、軽やかに会場を移動していく。
周囲にいる招待客の邪魔にもならない。二人の動きは会場で踊る多くの人々の動きと同調している。むしろ、二人による舞踏が会場の人の輪を大きく活発にさせていた。
盛大で見事な舞踏会だった。それをたった一人の吟遊詩人による演奏がもたらしたものだと、果たして何人の者たちが感嘆しただろう。
が――
ただ一人、舞踏の輪から離れるようにして会場全体を眺めている者がいた。この舞踏会の主催者であるグスカだ。
彼のような身体では舞踏が難しいという理由もあろうが、実は他のところにこそ目的があった。
グスカの肉に埋もれた細い目が向けられているのは或る一点にだけ。会場の中央で気品あふれる演奏を続けている美しき吟遊詩人だ。
それは決して招いた吟遊詩人の演奏に満足しているようには見えなかった。むしろ表情は蒼白になりそうなくらい強張っている。奥歯がギリリと鳴り、椅子の肘掛けを掴む芋虫みたいな指がめり込んだ。
グスカはそう遠くないところに控えていた執事のズウに視線を投げかけた。それは何らかの合図であったか。ズウはうなずくと、ひっそりと会場から立ち去った。
いよいよ、ウィルの演奏はクライマックスに差し掛かろうとしていた。
今や舞踏は互いの身体を振り回すかのような激しいものに変わっている。まるで子供同士の他愛のない遊びのように。
いつの間にか最初にあった緊張感も解け、サリナもロムも満面の笑顔になりながら舞踏を楽しんでいた。
──!
演奏と舞踏が一体となってフィニッシュを迎えた刹那、高い天井から吊り下げられていたシャンデリアが、突如、落下した。
サリナは偶然、その瞬間を目撃していた。声を上げる間もない。
それなのにシャンデリアの落下は緩慢に見えた。
そして、その下には──
会場中央で演奏を終えたウィルが、チラリと頭上に目をやった。
そこへ落下した巨大なシャンデリアがのしかかる!
ガシャァァァァァン!
派手に砕け散るガラスの音が次々と響き、続いて会場のあちこちから上がった悲鳴がこだまする。
「ウィルーっ!」
サリナは悲痛な声を上げながらロムの手を振りほどき、シャンデリアの下敷きになったウィルの方へ駆け寄ろうとした。




