6. 夜会への招待
「あの男か」
ウィルとベネシストによる対決のあらましを離れた場所から目撃していた人物が呟いた。人形屋敷の当主であるグスカだ。
屋敷の窓から門前まで、かなりの距離があるというのに、それでも楽々と、すべてを見通していた。きっと《銀の竪琴》による演奏だけでベネシストを翻弄したウィルの技量も目にしたはずだ。恐るべき慧眼であった。
グスカの肉体はよく肥えていた。普通の肥満では済まない。醜悪なまでに肥大している。
全身を包む高級服は悪趣味に見えるくらい多くの宝飾によって飾られているが、一方でひとつの皺もなく生地が突っ張っており、いつ音を立てて破けてもおかしくない。
そんな風船を思わせる腹が揺れていた。笑っているのだ。
「ほほっ、私の町に入り込み、どんなヤツかと思っていたが、なかなかやるではないか」
声音こそ非常に穏やかでありながら、目元はやけに鋭かった。とは言え、ほとんどが分厚い脂肪のたるみに埋もれてしまっているせいで、ペンで描き込んだかのような、ただの線にしか見えない。
手にしたワイングラスを弄びつつ、窓から離れたグスカは重厚な机に腰を落ち着けた。頑丈なはずの椅子が悲鳴のような軋みを上げる。体重が平均的な成人男性の三倍はあるのだから無理もない。
グスカは窓から机までの僅かな距離を移動しただけだというのに、もう口での呼吸が忙しなくなっていた。
「ズウ!」
「はっ、ここに」
ズウと名を呼ばれた執事らしき男が音もなく扉を開けて現れた。あらかじめ部屋の外でジッと待機していたかのようなタイミングの良さだ。主人に対し、恭しく一礼する。
「紙を持て」
「はっ!」
グスカの命に、執事はすぐさま扉の奥に消えると、程なくして一枚の紙を持参した。まるで献上の品であるかのように扱い、厳かな仕種で当主のグスカに手渡す。
「カラシャ製の最上質紙にございます」
「うむ」
ズウの言う通り、表面がつるつるとして手触りの良い高品質な紙であった。
グスカは右手に鋏を、左手に紙を持ち、いきなり刃を入れ始めた。まるで腫れ上がったかのような、ぽってりとした見かけの手からは想像も出来ない器用さで鋏を扱う。しかも、ほんの数回、指を動かしただけなのに、瞬く間にひとつの形に切り抜いていた。
一見したところ、それは人型のようだった。
「さて、早速だが働いてもらおうか」
グスカは芋虫のような指で人型の紙をテーブルの上に立たせると──ただの紙であるはずなのに、何と直立している!──、いやらしい笑みを浮かべた。
サリナの家から《黄色い雌鶏》亭までウィルの肩を借りて戻ったロムは不機嫌だった。ウィルたちに置いて行かれた上、サリナの母を看ていなければならなかったからだ。
二人が戻って来るまでの間、ロムは気が気ではなかった。何か不測の事態が起きたらどうしよう、と流血沙汰にすら怯まない大の男が緊張を覚えていたのだ。
もっとも、全身麻痺の患者が迷惑をかけることなど、ひとつもなかったが。
町の薬屋で買った解毒薬を、早速、サリナは母親に飲ませた。ウィルの話によれば、効果が現れてくるのは翌日くらいだと言う。
また明日になったら様子を見に来る、とウィルは言い残すと、安酒で歓待されたロムを連れ、宿屋へ引き上げて来た。
帰り際、サリナはウィルとロムたちに泊まって行って欲しそうだったが、部屋が狭くて余分なベッドもないのでは無理に引き止めるわけにもいかず、明日の約束を取りつけるくらいしか出来なかった。
そのときの瞳に浮かんだ哀しげな翳り。
それが今日会ったばかりの黒衣の吟遊詩人に対してのものだと、商売柄、人との交流経験が豊富なロムにはピーンと来ていた。
──まあ、あの美形じゃ無理もねえけどな。
ロムが宿泊している常宿まで来ると、「今夜はオレもここへ泊まる」と急にウィルが言い出した。この一言だけで、ロムの機嫌がコロッと直る。
「おっ! ならよ、オレと相部屋ってことにしようじゃねえか」
ロムは宿屋のオヤジを脅しつけ、半ば強引にベッドが二つある部屋へ移り、ウィルとの相部屋にしてしまった。
その夜――
酔いも回っていたロムは豪快に大鼾を掻き、ベッドの上で大の字になりながら眠っていた。
そしてウィルは──ベッドに横たわってはいるものの、熟睡しているかどうかは分からない。ロムの鼾がうるさいのか、旅帽子 で顔を覆うようにしているせいだ。
ほとんどの宿泊客が眠りについた夜半になってから、扉の外から微かな音が聞こえてきた。
部屋の鍵は内側から施錠してある。が、しかし──
ドアノブは微動だにしなかったはずなのに、扉の入口にスッと怪しい人影が立ち上がった。
一体、何処から入室したものか。
扉を開けることなく侵入して来たのは間違いない。それは突然、室内に現れたとしか言いようがなかった。
深夜の訪問者は右手に鈍く光る 短刀 を握っていた。ベッドで横になっているウィルへ音もなく近づく。常夜灯として使用しているランプの頼りない明かりが侵入者の影を長く映し出していた。
ウィルは深い眠りに落ちているのか、まったく動かない。
短刀 が振り上げられた。
──ッ!
突然、室内に黒い突風が巻き起こった。間一髪、寝ていたはずのウィルが凶刃を回避したのだ。
振り下ろされた 短刀 が真下にあった枕とベッドを切り裂くと、中身である白い綿が雪のように部屋中を舞い散った。
標的を討ち洩らして、侵入者は振り返った。
ウィルは部屋の入口を背にして立っている。夜襲を仕掛けられたというのに焦った様子は微塵もない。ゆっくりとした動作で腰のベルトに挟んである短剣の柄に手を伸ばす。
就寝中だったにも関わらず、ウィルが脱いでいたのはマントだけで、あとは昼間とまったく変わらないという用心深さ。
だが、武器を手に取る動きは途中で止まった。
侵入者は体当たりをするようにウィルへ突進した。
ウィルが跳ぶ。が、ここは宿屋の部屋の中。天井は低い。
ぶつかるすれすれにすり抜けるという曲芸のような身のこなしで、吟遊詩人の美影身は再び自分のベッドの上に着地した。
捨て身の体当たりが空振りに終わった侵入者は、そのまま扉にぶち当たると、部屋の鍵を破壊して、派手な音を立てながら廊下に転がり出てしまう。
ここに至って、ようやく爆睡していたロムが騒ぎに気づき、目を覚ました。
「むにゃむにゃ……何だよ、うるせえなぁ」
起き抜けのロムは状況の把握が出来ず、不機嫌そうにブツブツ呟く。眠たい目をこじ開けるのに、かりの苦労を要したが、ウィルと対峙する侵入者の影が見えた途端、睡魔の誘惑は一気に振り払われた。
「てっ、てめえっ! 誰だっ!?」
ロムが唾と一緒に誰何の怒声を飛ばす。
侵入者はそれに構わず、再びウィルに襲いかかろうとした。
バッ――!
そこへ一枚のシーツが被せられたのは次の刹那だった。ロムが利かせた機転だ。
シーツを頭から被せられた侵入者は標的を見失う。それでも、なお闇雲にウィルへ突進して行こうとする。
「あっ、危ねえっ!」
大声で警告を発するロム。
ウィルは左に動きながら、素早く呪文を唱えた。右手が侵入者へ突き出される。
「ディノン!」
三発の光弾が放たれた。いずれも白いシーツを被った侵入者の胸の辺りを貫く。と同時に、シーツがふわりと力なく舞った。
ロムは知らないが、ウィルが使った魔法は精霊を使役する 白魔術 で、攻撃魔法に分類される 魔導光弾 だった。一度狙いをつければ標的に命中するまで自動的に追尾する。
舞い上がったシーツは音もなく床の上に拡がった。一方、魔導光弾 に射抜かれた侵入者の姿は忽然と消えてしまっている。
ロムは不審そうな目で周囲を見回しながら、ウィルの 魔導光弾 によって穴が開いたシーツを撥ね退けた。もちろん、誰もいない。
「一体、何がどうなってやがるんだ? ひょっとして、ラカンのヤツが仕返しに来たのか?」
ベネシストとの一件についてはロムも伝え聞いていた。そう結びつけたのも当然かも知れない。
だが、肝心の侵入者は何処へ行ってしまったのか。相手も同様に魔法が使え、姿を消せるなら話は別だが。
ウィルは床に視線を落とした。シーツが落ちた場所だ。
そこには小さな紙片が落ちていた。人型に切り抜かれている。
襲撃を受けた吟遊詩人はそれを拾った。
「そもそも何処から入って来やがったんだ? 入口か? それとも窓? いいや、鍵はオレがちゃんと掛けたんだ。酔っちゃあいたが、あれくらいで忘れるようなことはねえ。これでも旅商人として用心は怠ってねえつもりだ。──ウィル、アンタはどう思う?」
「扉と床の間だろう」
「あぁん? 扉の下の隙間ってことか? 冗談を言っている場合じゃねえって。そんなとっから、どうやって――」
有り得ねえ、と笑い飛ばそうとしたロムは、視線をウィルの手元に向けた途端、出かかっていた言葉を呑み込んだ。
ウィルが見せてくれた人型に切り抜かれた紙に、針で開けたかのような小さな穴が三つ残されていたせいで。
翌日、ウィルはロムを伴ってサリナの家を訪れた。
知り合ったのは昨日だと言うのに、入口で出迎えた途端、サリナの表情がパッと輝き出す。
「ウィル、見てよ! 母が元気になったのよ!」
ベッドの方を見ると、サリナの言う通り、寝たきりだったはずのサリナの母が上半身を起こして、娘が作ったスープを口に運んでいた。まだ動きにぎこちなさはあるが、昨日から比べれば見違えるような回復ぶりだ。
これにはロムも奇跡を目にしたように驚く。
「おお、信じられねえ! もう起き上がれるまでになったのか!」
「そうなの! まだ声を出すのは無理だけど。――ありがとうございます。あなた方お二人のおかげで、このように良くなりました」
サリナは涙を流さんばかりに感極まり、心から感謝した。
「もう一度、診てみよう」
ウィルはそう言って、昨日と同じようにサリナの母を診察した。
やがて診察を終えたウィルがうなずく。
「解毒剤の効果で、毒の影響はほとんど抜けている。だが、長いこと寝たきりだったから、これから徐々に体力をつけていく必要があるだろう。食と歩行の練習が必要だな」
ウィルの言葉に、サリナはホッと胸を撫で下ろした。とりあえず明るい見通しが立ったのだ。
「やれやれ、元気になって良かったぜ。これでオレも心置きなく、次の町へ行けるってもんだ」
大きく息を吐くように言うロムを見て、サリナはハッとし、強い風に当たったロウソクのように笑顔が消えた。
そうなのだ。ロムが旅の商人であるように、ウィルもまた、諸国を流れる吟遊詩人。いつまでもこの町に留まりはしない。
サリナとしては、出来ればウィルにこのまま側にいて欲しかった。
昔であれば、苦しくとも母と二人だけの暮らしに不安は覚えなかったはずだ。ところが、ラカンとの爛れた長い生活のせいで、どうやらサリナの心の中に、簡単には埋めることの出来ない隙間が出来てしまったように感じる。
「失礼いたします」
不意に戸口から声がかかり、一同は振り向いた。聞き覚えのない慇懃な声だ。
サリナが首を傾げながら応対に出た。
戸口の外にいたのは痩せぎすの見知らぬ男だった。貧相な顔つきの割に仕立てのいい服を身に着けている。一見したところ、貴族に仕える使用人らしい。
「あの……どちら様ですか?」
「私はズウ。グスカ様にお仕えする者でございます」
「え、ええっ!? グスカ様って、あの人形屋敷の……?」
「本日は当屋敷で行われる夜会に華を添えるため、そちらの吟遊詩人のお方に演奏のご依頼をすべく参りました。突然のご依頼となり申し訳ございませんが、日時は今夜、当屋敷にて。ダンスの伴奏や何曲か歌唱の披露をしていただきたい。もちろん、謝礼はたっぷりとご用意させていただくつもりです。いかがでしょう?」
ズウと名乗る男は直立不動の姿勢でウィルに依頼した。
それにいち早く反応を示したのはサリナだ。高揚した顔つきで指名を受けた吟遊詩人を見る。
「凄いわ、ウィル! グスカ様に招かれるなんて! 人形屋敷での夜会! きっと素敵でしょうね!」
夢見るようにうっとりと呟くサリナに、ウィルは表情を動かさない。その目は真っ直ぐに人形屋敷から差し向けられた使用人を見据えていた。
しかし、ズウはウィルの視線を受けても、まったくたじろがなかった。さすがは万事を手抜かりなく行う執事といったところか。普通の人間ならば、ウィルから向けられた怜悧な視線に耐えられはしない。
「その夜会とやらで演奏を披露すればいいのか?」
ウィルは尋ねた。
左様でございます、とズウがうなずく。
「町の方々を魅了したという演奏と美声、そのお噂は我が主人の耳にも届いております。是非とも直に聴いてみたい、と申しておりました」
「………」
「ねえ、ウィル。グスカ様に認められるなんて、これはとても栄誉なことよ。どうか引き受けてあげて」
まるで自分のことのようにサリナが興奮気味に言い添える。
すると、初めてズウの表情が和らいだ。本当に微々たる変化だが。
「どうでしょう。もし、よろしければ、そちらのお嬢さんも当家の夜会に参加してみませんか」
「えっ!? わ、私が!?」
ズウから思いもよらない提案がなされ、サリナは慌てた。
貧しい環境で生まれ育ってきたサリナに上流社会との関わりなど一切ない。自分がグスカの夜会に参加するなど考えたこともなかった。
「で、でも、私はそのような所に着て行けるような物などありませんし……」
サリナは恥ずかしさで、顔から火が吹き出しそうだった。
しかし、ズウは安心させるようにうなずいた。
「その点はご心配いりません。こちらでお嬢さんに似合いそうなドレスをご用意致します。それにグスカ様は貧富や身分の違いなど気になさらないお方ですから。どうぞ気を楽にして、ご参加ください」
「では、そうさせてもらおう」
ウィルはサリナの答えを待たずに承諾した。出し抜けだったので、サリナはびっくりしてしまう。
ズウは承諾を得られ、また深々と会釈した。
「ありがとうございます。これで我が主も喜びましょう。では時間になりましたら迎えの馬車をこちらにお回ししますので」
用件を終えたズウはくるりと背を向けると、徒歩で悠然と立ち去った。
ズウの後ろ姿が見えなくなってから、サリナは真っ赤な顔をさせ、自分の意思を聞くことなく勝手に返事をしたウィルに抗議する。
「ちょっと、ウィル! 何であんなこと言ったのよ!? もう、どうするの!? 私、ダンスなんて踊れないわよ!」
「そんなものは相手のリードに身を任せていればいい。それよりも滅多にない経験だろう。楽しめ」
「楽しめって、ねえ……」
冗談で言っているのか、それとも気休めなのか、ウィルはいつも通り真面目腐った顔をしているので、サリナはどう反応を返していいのやら分からなくなった。と同時に、心臓の鼓動が自分の耳で聞こえるくらい緊張で気がおかしくなりそうだ。
「では、また今夜。オレは直接、屋敷に向かう」
ウィルはそう言うと、さっさとサリナの家から出て行ってしまった。それを慌ててロムが追いかける。サリナが引き止める間もなかった。
「お、おい、ウィル! いきなり屋敷へ招待だなんて、いくら何でも変だとは思わねえのかよ!?」
前を歩くウィルに、ロムは胸の中にある不信感を露骨にぶつけた。
「何がだ?」
振り向きもせず、ウィルは問い返す。
ロムは早足で追いつくと、何を考えて承諾したのかさっぱり分からない吟遊詩人の隣に並んだ。
「あのズウってヤツ、どうしてお前があの家にいると知っていやがったんだ? 宿屋のオヤジには、オレたちの行き先なんか教えてなかったはずだぜ」
「ここはヤツらの町だ。オレたちの動きなど、手に取るように分かるのだろう」
「そいつはつまり……まさかオレたちを見張っているってことか!? 一体、何のために──」
薄気味悪そうにロムは周囲を窺った。ウィルには何か思い当たることがあるのか尋ねようとしたが、厳しい横顔を見た途端、口を噤んでしまう。
そのときに見た美しき吟遊詩人の表情が、まるで死地へ赴こうとする戦士のそれに似ていたからだ。




