5. 嘘と毒と殺意
「そ、そんな……」
サリナは絶句した。一緒に聞いていたロムも同様の表情だ。
治療薬だと思っていたものが、まさかの毒物だとは。
「う、嘘だろ……?」
「間違いない。致死性は低いが神経毒だな。こんなものを毎日飲まされていれば、寝たきりの生活になって当然だ。目が見えず、喋ることが出来ないのもそのせいだろう」
ウィルは確たる口調で判断を下す。
「えっ……でも……だ、だって、それは――!」
「……どうやら、あのラカンっていう男に騙されたみてえだな、アンタ」
横からロムが口を挟んだ。ウィルの指摘が真実なら、それしか考えられない。
サリナの表情が強張ると同時に蒼白になった。
「なっ、何てことなの……!」
「きっとお袋さんは、最初は大したことのない病気だったんだろ。そこにあの男がつけ込み、薬と偽って毒を渡した。お袋さんが寝たきりの生活になれば、一人娘のアンタは困る。そこに救いの手を差し伸べるってのが、あのラカンって野郎の筋書きだったわけだ。実際のところ、アンタはあいつに頼らざるを得なくなったわけだし。――ったくよおっ! 反吐が出そうな三文脚本だな!」
吐き捨てるように言うロムを、サリナは唇を震わせながら見つめていた。あまりにも両拳が固く握られているせいで、これまでにないくらい白くなっている。
「ラカンのヤツ――!」
サリナの目に、これまでにない殺意が宿った。もし、この場にラカンがいれば、きっと八つ裂きにしても飽き足りなかっただろう。
この場で冷静なのはウィル一人だけのようだ。
「しかし、幸いだったのは毒の効果が弱かったことだ。今なら服用をやめ、きちんと栄養を摂取すれば、自然回復が期待できるだろう」
「ほっ、本当っ!? 本当に治るの!?」
思いもかけないウィルの言葉に、サリナは表情を豹変させた。すがるような思いで母親を診察してくれた黒衣の吟遊詩人を見る。
ウィルはうなずいた。
「保障しよう。付け加えるなら、ちゃんとした解毒薬を飲ませた方がいい。もっと早い回復が見込めるだろう。解毒薬も特別なものではなく、この町で売っているもので充分だ。早速、オレが入手して来ようか?」
ウィルからの申し出はとても有り難かった。けれども、サリナには気がかりなことがあって、すぐには素直に喜べない。
「でも、解毒薬を買うにはお金が……」
薬を買えるなら、最初からラカンなどという男に付け込まれることもなかった。
すると、黒衣の吟遊詩人はかぶりを振った。
「その心配なら無用だ。支払いはオレがすしよう。こうして連れが世話になった礼として受け取ってくれればいい。──そうだろう?」
不意に会話を自分に振られ、ロムは慌ててぎこちなく笑みを作った。
「おっ、おう!」
サリナは思わず涙が出そうになった。
他人の親切がこんなにも有り難いと思ったことなどほとんどない。
ウィルもロムも、自分が厄介な騒動に巻き込んだようなものだ。それなのに彼らは今、泥沼のような日常から抜け出せないサリナに救いの手を差し伸べようとしてくれている。
一生寝たきりの生活になるだろうと諦めていた母が元通りになると言われ、サリナは目の前がパッと明るくなったような気がした。
「じゃあ、私が薬屋まで案内するわ」
サリナは零れそうになる涙をグッと堪えた。気丈な娘なのだ。
二人が出掛けようとするのを見て、焦ったのはロムだ。座っていた椅子から腰を浮かす。
「お、おい! オレはどうすんだ?」
するとウィルは被った 旅帽子 の鍔を直しながら、
「患者に付き添う人間は必要だろう。というわけで、頼むぞ」
美しき吟遊詩人は表情ひとつ動かすことなく、外を出歩くのが難しそうな怪我人に重要な役目を押しつける。
当然のことながらロムはうろたえた。無骨な旅の商人が病床にいる人間を看護した経験などないだろう。もし万が一のことがあったらどうしたらいいか、そんな想像をするだけで頭が真っ白になりそうだ。
「いや、頼むぞって、お前……そんなことを言われてもだな……!」
「ごめんなさい。帰ったら、お酌してあげる約束を果たしますから」
申し訳なさそうにサリナまで詫びるので、ロムもこれ以上はイヤだと言えなくなってしまった。
「わ、分かったよっ! 二人で行って、さっさと帰って来やがれ!」
むくれるロムを一人残し、ウィルとサリナは町の薬屋へと出掛けた。
ドールの町は極寒の地に位置しており、数ある辺境の町の中でも小規模なものに含まれる。
人口およそ千人弱。一年の大半を雪に覆われていること以外でドールの町を特徴づけているのは、大富豪グスカが住む人形屋敷だろう。
グスカがいつからこの町に居を構えたかについて、町の人々もなぜか記憶していない。広大な敷地に建つ豪奢な屋敷には大陸各地より集められた様々な人形が所狭しと並べられているという。町の名が “ドール” と付けられたのは、この “人形” が由来であるらしい。
ウィルとサリナは薬屋で解毒剤を買った帰り、少し寄り道をすることにし、その人形屋敷の前に来ていた。折角なので町を案内する、とサリナが提案したのだ。
このことを留守番のロムが聞いたら、きっとヘソを曲げたに違いない。
「どう? 凄いお屋敷でしょ? こんなの城塞都市や “氷の都” にでも行かなきゃ見られないわよ、きっと。グスカ様は大富豪だけど、何か商売をしているわけじゃなさそうだから、莫大な遺産を受け継いだ貴族の跡取りが世捨て人になったんじゃないかって言われているわ」
「貴族……」
「あっ、もちろん表の方よ。裏だったら大変だわ」
裏──それは闇の貴族を指す。つまり 吸血鬼 だ。
吸血鬼 は不死族の頂点に立つ者で、伝説通り人間の生き血をすすり、陽光、十字架、ニンニクを嫌う。
彼らは闇夜の支配者で、暗黒魔法 や失われし 古代魔法 といった先史魔法王国が繁栄していた頃の力を操ることが出来た。もちろん昼間、屋外で活動することは出来ないが、魔法を扱えない大半の人間にとって 竜 などと並んで恐れられる 怪物 だ。
ウィルは珍しく探るように、偉容を誇る屋敷を眺めた。
グスカが住まう人形屋敷は檻のような巨大な鉄柵によって四方をぐるりと囲われている。その柵の隙間から敷地内を覗くことが出来た。
広大な庭には南の蛮族たちが作ったトーテムポールや人面像が所々に配置されている。きっと、これらも人形の一種という扱いなのだろう。
その奥に白塗りの大きな屋敷が見えた。確かに地方貴族も目を見張るような大きく立派な邸宅だ。
これまで数々の国を見聞して回ったウィルですら、サリナが自慢したくなるのがうなずけた。すでに屋敷というよりも宮殿と呼んだ方がふさわしそうだ。
サリナはグスカという人物の出自について、何処かの滅んだ王家の末裔だとか、一代で財を成した大商人だとか、他に考えられる説をあれこれと喋ったが、そのほとんどが推測の域を出ず、ただドールでは一目置かれる有力者ということだけは確かだった。サリナも直に会ったことはないが敬意は払っていると明かす。
「そのグスカという男は、この屋敷に独りで住んでいるのか?」
ウィルが尋ねた。人形屋敷の主について些か興味を覚えたようだ。ロムからも話を聞いているが、この町の住民であるサリナの方が詳しいだろう。
「まさか。こんな立派なお屋敷よ。使用人なんて一杯いるんじゃないかしら」
「そうか。その割にはひっそりとしている気がするが」
「そりゃあ、お屋敷はあんな奥にあるんだもの、ここまで何か聞こえてくるはずがないでしょ? この寒さじゃ窓だって開けていないだろうし。でも、ああして、全部の窓に明かりが灯っているのを見れば、多くの使用人たちが働いているのは間違いないと思うけど」
「なるほどな。――ところで」
ウィルはそう呟くと、突然、後ろを振り返った。
黒い影が慌てて物陰に潜んだが、隠れるにしては少しタイミングが遅れたか。サリナでさえも気がついた。
「誰? ラカン?」
「いや。──先程の薬屋からずっと後を尾けているのは分かっている。もう姿を隠す必要はないだろう」
ウィルの言葉に相手は観念したのだろう。二人を尾行していた謎の人物はゆっくりと姿を現した。
「……なるほど。拙者の気配に勘づくとは。どうやら貴様だな、ラカン殿をあんな目に遭わせたのは?」
「ベネシスト!」
現れた男の顔にサリナハ見覚えがあった。ギョッとしたように一歩後退する。
その男の風体は町の者たちとは異なっていた。ウィルのような全身を覆うマントを羽織り、その下には金属製の胴当て、手甲、脛当てを装着し、左の腰から細長い得物が顔を覗かせている。完全武装だ。
どうやら男は戦士のようだった。灰色の長い髪をバンダナでまとめ、後ろに流しているせいで、額が広く見える。全体的にシャープな顔立ちで、瞬きの少ない目にはいくつもの修羅場を潜り抜けて来た鋭さが窺えた。
「あの男の仲間か」
ウィルは断じた。戦士の双眸がスッと細くなる。
「拙者は流れ者の傭兵だが、ラカン殿には数々の恩義がある。貴様がラカン殿に仇なすと言うのならば、拙者は斬らねばならぬ。それが恩に報いるということだからだ。悪く思うなよ、吟遊詩人」
「待ってよ、ベネシスト!」
男の前にサリナが立ちはだかった。ラカンのところに出入りしていたので、ベネシストとは知らない仲ではない。ウィルを守る意思表示に自らを盾とし、遮るように両腕を拡げる。
「こんなところでウィルを斬る気!? 理由がどうあれ、人を殺せば、あなただって只では済まないのよ!」
「それがどうした? 拙者のような者がラカン殿に恩を返すには、これくらいのことしか出来ぬからな。──さあ、サリナ殿、そこを退いてもらおうか。そなたまで傷をつける気はない」
「イヤよ! 死んでも退かないわ!」
反抗するサリナに、ベネシストの目が殺気を帯びた。
先に動いたのはウィルだ。二人が会話をしている隙に、ベネシストの左手へ回り込もうとする。
「ウィル!」
身を挺して守ろうとしている自分の後ろからウィルが移動してしまったことに、サリナは悲鳴のような声を上げた。
ベネシストは武器を所持しており、それを振るうことも厭わない。それこそ狙われたらウィルの生命はない、とサリナは極度の緊張と焦燥に駆られる。
刺客として登場したベネシストは躊躇なく得物に手を掛けた。そのままウィルへと疾走する。
対するウィルは護身用として携帯している腰の 短剣 を抜くかと思いきや、
「何だと――!?」
手にしたのは、あろうことか武器ではなく、演奏時に相棒として欠かせない《銀の竪琴》だった。
ウィルは血迷ったのか。
「ええい、拙者を愚弄する気か!」
正々堂々と立ち向かうのでも、逃げるのでもない吟遊詩人の不可解な行動にベネシストが激高するのも構わず、これから一曲奏でようと銀色の弦が爪弾かれた。
対するは鞘走るベネシストの必殺剣。それは普通の 長剣 とは明らかに異なっていた。
刃は片刃で、刀身は緩やかな弧を描いていた。それこそが東方の異剣士たちが扱う《刀》と呼ばれる武器だとウィルが気づいたかどうか。
抜刀を目にしても演奏をやめる素振りは見せず、戦いには似つかわしくない、いい音色の曲が奏でられる。
ベネシストによる無情の一刀が美麗なる吟遊詩人へ襲いかかった。
次の刹那、交錯する両者――
「ウィル!」
サリナは悲痛な声を上げた。呆気ない幕切れ。こうも簡単に人間は生涯の終わりを迎えてしまうのか、と愕然としてしまう。
降り積もった雪の上に一太刀を浴びたウィルが倒れた。白かったはずの雪はアッという間に流れた血を吸って朱に染まる。
白と黒と赤によるコントラストは、立ち尽くすサリナになぜか現実味を持たせなかった。
一撃でウィルを殺害してのけたベネシストは《刀》をひと振りし、ゆっくりとした動作で鞘に収めた。
「フッ、結局はただの吟遊詩人だったか」
「ひっ……人殺しッ!」
目の前でウィルを斬り殺され、サリナは怒りに震えた。燃えるような目でベネシストをねめつける。
「アンタを町の審問会で裁判にかけてやる!」
「それは無理だ。殺された余所者の生命など、町の連中が斟酌するわけがない」
「あなただって余所者だったくせに!」
「何を言う。拙者はもう何年もこの町に──!?」
そう言いかけて、ベネシストは突然うろたえた。
(──この町に!? 待て。拙者がこの町へ来てから、一体、何年経ったのだ!?)
明らかに記憶の欠落があった。
生まれてから、このドールの町へ流れ着くまでのことはしっかりと憶えている。ところが、ドールの町で暮らすようになり、現在へ至るまでの間は、まるで靄でもかかっているかのようにぼやけていた。
内心、ベネシストは動揺したが、それをサリナには見抜かれぬよう隠す。
「と、とにかく、拙者はすでに、この町の人間も同然。変な脅しはやめてもらいたいものだな」
ベネシストは平静を装いながら、そう言い除けた。
サリナは悔しさと悲しみに涙が溢れそうになる。
──と。
不意に鳴るはずのない竪琴の音を聴いたような気がして、サリナは反射的にウィルの死体を見た。
「――ッ!?」
ところが、倒れたはずの場所に遺体はなく、代わりに聴こえてくる竪琴の旋律がより鮮明になった。
この音色は何処から、と聴こえてくる方向に目を向けると、
「ウィル!」
屋敷の鉄柵にもたれるようにして、吟遊詩人ウィルが飄然と立っていた。
演奏をしながら、優雅に、そして悠然と。
さらに付け加えるなら、どういうわけか身体には斬られたはずの痕跡がまるで見受けられない。無傷だ。
驚愕したのはサリナばかりではなかった。自ら手を汚したはずの刺客も同じだ。
「ば、バカな!? 拙者は確かに貴様を斬ったはず! 手応えだって──」
「お前がオレの歌──魔奏曲 を聴いたからだ。“幻影” をな」
ウィルは事もなげに言った。
標的を仕留め損ねたベネシストは、まるで実体のない幽霊と相対しているような気分だった。
ウィルを斬ったはずなのに、まったくの無傷とは。自分は常識の通用しない世界にでも迷い込んだのか、と混乱する。
吟遊詩人ウィル――この異邦より訪れし美しき旅人に今まで味わったことのない戦慄を覚え、ベネシストは言葉を失った。
「行こう」
まるで襲撃などなかったかのように、ウィルは茫然と佇むサリナを促すと、そのまま彼女の母親が待つ家への帰途に就いた。
その場で硬直したように動けなくなったベネシストを一人残して。




