15. 冬夜の終止符
ウィルは床に転がった敵──つまり、もう一人の自分を見下ろした。
もちろん、勝者は本物のウィルだ。
これぞ、黒衣の魔人。よもや自分をも凌駕することが可能だとは。
この事実にグスカは戦慄いた。驚愕に目を見開いている。
「そ、そんなはずは……ど、どうして、相討ちにならんのだ……?」
死屍となった瓜二つの自分を見下ろしながら、ウィルは静かに口を開く。
「確かに武器は本物とまったく同じ物だった。だが、人形の方はオレに似せたつもりらしいが、やや異なっている点があった。その差が結果に出た、ということだ。失敗作と言っただろう」
その言葉に、グスカは愕然とした表情でウィルの顔を見た。そして、己が犯した致命的なミスを悟る。
目の前に立つ吟遊詩人の複製を作るのは到底、不可能なことだったのだ。
なぜなら、この男の形容し難い魔性の如き美しさを模倣しようにも、僅かな過ちを犯すだけで台無しになってしまう。万物の創造主たる神であろうとも、それを再現してみせるのは困難を極めたはずだ。
ましてや神ならざるグスカに、それが出来ようはずもない。
ウィルに似せた複製を一応は製作できても、寸分狂わず、忠実に再現するまでには至らなかった。神の造形すらも超越した美しさがゆえに。
吟遊詩人ウィル。
この男ほど、敵に回して恐ろしい者はいなかった。
「くっ! おのれ!」
最早、勝ち目はないとグスカは悟ったか。せめて一矢を報いるべく、手にしていたサリナの人形を握り潰そうとする。こうなれば死なば諸共だ。
その刹那、グスカに向かって小さな黒い影が飛びかかった。
「――っ!?」
グスカの手の甲にサッと痛みが走り、その弾みでサリナの人形を取り落としてしまった。さらに小さな黒い影は、落とした人形を空中で身を捻りながらキャッチすると、ウィルのすぐ足下に着地する。
「にゃーん」
何処に潜んでいたものか、その黒い影の正体は一匹の黒猫だった。
ウィルは口に咥えていたサリナの人形を黒猫から受け取る。すると黒猫はウィルの黒いマントに同化するかのように、その姿を消してしまった。まるで手品のようだ。
その正体について、グスカは看破していた。
「ぬう……使い魔か」
引っかかれた手の甲を押さえながら、人形屋敷の当主は苦々しげに呟いた。
グスカの言う通り、黒猫はウィルが魔法で呼び出した使い魔であった。
使い魔には二つの種類が存在する。儀式契約を交わすことによって動物を使役するものと、魔法によって一時的に創造する高レベルのものだ。
ウィルが用いたのは後者のタイプで、グスカが舞踏会の会場から逃亡を図ったときから、その追跡用として放っていたものだった。術者は使い魔と視覚や聴覚などの感覚を共有することが可能であり、だからこそウィルは初めて訪れた屋敷内で迷うことなく、グスカが逃げ込んだ場所を特定できたのである。
「茶番は終わりだ」
ウィルは冷たく言い放った。グスカは逃げようと身を翻す。
しかし、今度はウィルによる呪文の詠唱の方が早く完成する。
「ヴィド・ブライム!」
爆裂火球 がグスカの肉体を直撃した。
「うぎゃあああああっ!」
爆発の威力によってグスカの丸い肉体は弾き飛ばされた。弾んだボールのように執務机の上へ背中から激突する。その衝撃と重過ぎる体重の影響で、ガッチリとした重厚感を持っていたはずの机は、まるで積み木崩しのように音を立てて壊れた。
人形屋敷の当主グスカは全身を炎に包まれた。それでも執念が上回るのか、起き上がろうともがく。人肉の焼け焦げる不快な異臭が蒐集展示室の中に立ちこめた。
「わ、私は……私は……」
火だるまとなったグスカは、よろよろとした足取りでウィルに縋りつこうと進んだ。しかし、残念ながら動きは鈍く、最後の力は尽きようとしている。
ウィルが道を譲るように脇へ避けると、グスカはそのまま転ぶように倒れ込み、ドールの町の模型の上に覆い被さった。
「わ、私は……私こそが……か……み……だっ……」
町の模型はたちまち燃え上がるかに見えた。グスカの創造物は実在する人間に同様の影響を与えるはず。このままでは町の住民全員が道連れになる恐れがあった。
しかし、それを事前に見越していたウィルは呪文を用い、模型を魔法障壁で覆っていた。グスカがいくら手を伸ばしても触れられない。人形屋敷の当主は怨嗟の唸り声を上げることしか出来なかった。
床に倒れ込んだグスカはそのまま窓側へ転がった。炎が窓際で束ねられていたカーテンに燃え移る。それは舐めるように広がると、瞬く間に蒐集展示室を火の海に変えた。
燃え盛る炎の中、ウィルはただ冷然とグスカの焼死体を眺めた。
「だ、旦那様ッ! おお、旦那様……! お労しや……!」
隣室の異変を察知してか、奥の扉から執事のズウが飛び込んで来た。一目で主人の末路を見て取り、その場で滂沱の涙を流す。このままだと自分も巻き添えになるかも知れないというのに、ガックリと膝を落とした。
そんなズウに、ウィルは《光の短剣》を手にしたまま近づいた。
まさか主を亡くし、路頭に迷うことになる憐れな男まで殺めようと言うのか。そこまで、この魔人は非情なのか。
それでもズウは主であるグスカの死を前にして号泣し続けた。
「茶番は終わりだと言ったはずだ」
ウィルは冷たく言い放った。
一瞬、ズウの嗚咽が途絶える。背中がビクッと動いた。
「な、何のことでございましょうか……?」
ズウは視線を伏せたまま尋ねた。憐れみを隠れ蓑にして。
だが、ウィルは容赦するつもりがないらしい。
「主と執事……その関係性を見せられれば誰もが騙されるだろう。しかし、木の葉を隠すなら森の中、ということわざがある。あくまでも執事は仮初めの生命を与えられた人形だと思わせるため、何人もの複製を作ってオレを襲わせた。だが、操り人形であるならば、どうして主の死後もそうやって動ける?」
「………」
「すべては、執事であるお前が主人を操っていたのを隠すため。この屋敷の主は、そして、この町を本当に支配していたのは、お前だろう。オレを騙すつもりだったらしいが、些か芝居が過ぎたようだな」
「――ぬうっ!」
正体を見破られた執事は身を翻す。
ウィルは《光の短剣》を一閃させた。
すると、ズウはこれまでにない身の軽さとスピードで、その攻撃を紙一重で回避してのける。
「ベルクカザーン!」
ウィルもまた、ズウの動きを読んでいた。回避予測地点に向けて放たれたのは高出力の電撃魔法だ。
青白い閃光が走り、枯れ木のようなズウの身体を貫いた。
「ギャアアアアアッ!」
青白い炎がズウの全身を包み込む。
そのままズウは頭からガラス窓へ向かって突進し、まだ雪の降り止まぬ外の庭に脱出した。積もった雪の中へ身を突っ込ませるようにして着火した炎を消す。
ウィルもまた、破壊されたガラスの隙間から身を潜らせ、一面の銀世界へ音もなく降り立つ。
「ベルクカザーン!」
息の根を止めようと、もう一撃、電撃魔法が叩き込まれた。
だが、ズウは間一髪、飛び上がるようにしてウィルの追撃から逃れた。そのまま蒐集展示室から屋敷全体へ延焼しようとしている屋根へ降り立つ。
焼け焦げた服と肌が黒い紙吹雪みたいに剥がれると、そこに現れたのは異形の姿だった。
「よくゾ、見破ったナ!」
発する言葉は人間の言語そのままであったが、不明瞭に聞こえる部分もあった。
それもそのはず、ズウの姿は痩身の老体ではなく、真っ白な体毛で覆われた大猿になっていた。ただし、腕が四本で、頭から二本の角のような突起を生やし、上下に鋭い牙を持つ猿が実在すればの話だが。
「やはり、魔族か」
すでに正体を看破していたのか、ウィルは驚いた様子もなく呟いた。
――魔族。
それは異界に棲む邪悪なる異種族の総称だ。
数千年前、神々との間で繰り広げられたと言われる《魔界大戦》は、それまで続いていた天地創造の《黄金の時代》を脅かす魔族の大侵攻であった。
その壮絶な戦いは千年にも及び、最後は創造母神アイリスが自らの存在と引き替えに、魔界へ追い返したと伝えられている。
だが、魔族は完全にこの世界から姿を消したわけではなかった。
《黄金の時代》後、《銀黎の時代》で繁栄した先史魔法王国が滅んだ原因とされる《大変動》も、魔族たちの再侵攻が引き金だったと多くの学者たちが説を唱えているし、現在の魔法に頼らず、剣という武力で覇を競う《鋼鉄の時代》でも各地で魔族の目撃例が後を絶たない。
魔族たちは虎視眈々と人間たちが暮らす地上界を狙っていた。
そのため、人々の間では魔族を異界の種族として分類するよりも、より恐怖を抱いて別称で呼ぶ場合が多い。
――“悪魔” と。
今、ウィルの目の前にいる魔族も、世界で騒乱の種になっている一匹に違いなかった。
「貴様ァ、よくも人間の分際で、このタルボック様の楽しみを悉く潰してくれたナァ。このまま黙って見逃してやろうかとも思ったが、どうやらその生命で償ってもらわなくちゃなんねえようだナァ」
魔族は人間が簡単に敵うような相手ではなかった。手練れの戦士と魔術師が数人で組まなければ互角には戦うのは難しい。さらに上位の魔族に至っては、一国をも滅ぼすと恐れられる 竜 さえも凌駕するのだ。
だが今、タルボックと名乗った魔族と対峙しているのは普通の人間に非ず。
吟遊詩人ウィル。
人は彼を “魔人” と呼び恐れる。
魔人VS.魔族。
本当の激闘は、今まさにここからだった。
「バリウス!」
御託を聞く耳など持つつもりもないのか、先制攻撃を仕掛けたのはウィルだ。
巻き起こった風は幾重もの刃となり、タルボックへと襲いかかった。聖職者たちが得意とする魔法、聖魔術 だ。
だが、魔族のタルボックはそれを易々と見切り、跳躍して躱す。屋根の上からウィルのすぐ背後に六本の手足で降り立った。
翻るウィルの黒マント。魔法による連続攻撃だ。
「ディノン!」
魔導光弾 の三連射は追尾弾となって、タルボックを逃さない。
だが──
「無駄ダ!」
魔族は総じて人間よりも高い魔力を持つ。よって抵抗する能力も比較にならなかった。魔導光弾 程度の火力では完全に防がれてしまう。
「光の精霊 などで、強靭な我が肉体に傷をつけられるものではナィ!」
タルボックは哄笑した。高位の魔術師が扱う上級魔法でなければ、魔族に魔法は通じない。
今度はこちらの番、とばかりに鋭く伸びたタルボックの爪がウィルを切り裂こうとした。
ウィルは軽業師のように身を捻りながら、《光の短剣》を振るう。
この武器の前では、さしもの魔族も強気には出られない。通常の魔法など比較にならないくらい強大な魔力が秘められているのだ。
腕を切断されては堪らないので、タルボックは攻撃を中断し、爪を引っ込めた。攻撃が届かない距離まで後退する。
初手は両者とも決定打にならず、再び間合いを図った。
ウィルの用いる魔法は効果が薄く、タルボックは《光の短剣》を前に、なかなか手出し出来ない。どうするか。
タルボックは二本の腕に雪を握り締め、ウィルへと投げつけた。
雪の塊は即座にタルボックの複製を作り出す。グスカと同じ能力だ。
二体のタルボックが美しき吟遊詩人へ飛びかかる。
「ディノン!」
ウィルは 魔導光弾 で応戦した。
複製されたタルボックは本物と違い、呆気ないほど簡単に消滅する。入念に作られたウィルの複製とは異なり、即席の分身に過ぎないので、本体のような魔法への抵抗力が皆無なせいだ。
その間に本物のタルボックはウィルに接近戦を仕掛けていた。鋭く尖った爪が長く伸び、ウィルの胸元を掠める。
タルボックは、その大猿に似た容姿同様、動きが機敏で、おまけに変則的であった。ウィルの《光の短剣》を巧みに躱しつつ、その懐へ飛び込もうとする。
ビュッ!
タルボックの切れ味鋭い爪が僅かにウィルのマントの端を捉えた。身体にまで届いたわけではない。とは言え、それはタルボックの間合いに引き込まれた証拠だった。
いくら強力な武器と多彩な魔法を扱えると言っても、生身の人間である以上はたったの一撃が命取りになり得る。危険な間合いだ。
「ガッツァ!」
ウィルは近接戦闘を仕掛けてきたタルボックから間合いを取りつつ、新たなる呪文を唱えた。魔族に魔法攻撃の効果が薄いのは、すでに承知しているはずだが。
もちろん、ウィルの狙いは別のところにあった。
「ナヌゥゥゥ!?」
ドォォォン!
ウィルとタルボックを隔てるように、いきなり地面から雪を被った岩石の塊がせり上がった。天然の障壁──岩盤防壁 だ。この出現によって両者は物理的に隔てられる。
突如、眼前に現れた 岩盤防壁 に攻撃を阻まれたタルボックは一瞬、ウィルの姿を見失って戸惑った。
「ヴィド・ブライム!」
再び発動するウィルの魔法。グスカを葬った 爆裂火球 の呪文だ。魔導光弾 よりも威力はあるが、魔族であるタルボックにはたかが知れている。
しかし、その標的となったのはタルボック本体ではなかった。
ドォォォォォン!
爆裂火球 は、ウィル自ら作り出したはずの 岩盤防壁 に叩きつけられた。凄まじい爆炎が上がり、瞬時にして 岩盤防壁 を粉砕する。
その余波は、そのまま反対側にいたタルボックにまで及んだ。大きな岩の塊がタルボックに激突し、爆発の威力を転嫁して吹き飛ばす。
「ぐあああああっ!」
魔法攻撃ならまだしも、爆風と飛び散った岩の塊までは防ぎようがない。タルボックは用いられた奇策にしてやられた。
しかし、それに怯んでいる暇などなかった。その隙に乗じたウィルが爆風の中を掻い潜りながらタルボックへ肉迫する。
光の一閃が走った。
「シャアアアアアッ!」
タルボックは威嚇するように声を上げた。その胸元を《光の短剣》が斬り裂く。
ズバッ!
真っ白な雪の上に斬られたタルボックの身体が転がった。手応えは十分で、致命傷のはずだ。
ところが、その姿は瞬時にして掻き消えてしまった。
それを目撃したウィルが無意識に呟く。
「分身だったか」
タルボックが消えた地点よりもさらに離れたところに、もう一体のタルボックがいた。受けたダメージは飛び散った岩の塊によるものだけで、《光の短剣》に斬られた傷痕は何処にもない。
「小癪な真似ヲ……」
岩盤防壁 が木端微塵になる寸前、タルボックはひと掴みしておいた雪で身代わりを作り、ウィルに斬らせたのだった。でなければ今頃、ウィルによって斃されていたかもしれない。
「ぬうううっ……」
それにしても、たった一人の人間に魔族であるタルボックがここまで押され気味になるとは。今、起きている現実をタルボックは受け止めきれなかった。
「き、貴様……本当に人間か……?」
魔族であるはずのタルボックが疑うのも無理はあるまい。この吟遊詩人の強さはタルボックよりも上位に属する魔族にさえ比肩し得る。
「まさか──」
激しい戦闘の最中だというのに、少しの息の乱れも見せないウィルをタルボックは戦慄を覚えながら凝視した。自分の中にふと芽生えた考えが恐ろしくなる。
「た、太古の大戦の折り……悪魔王様の末子が地上界に取り残されたと聞いいたことがある……しかも、ソノ王子は人間との混血であったと……よ、よもや、アナタ様は──」
王子の名を口に出しかけたタルボックをウィルは遮った。
「興味深い話だが、そのような者は知らんな」
ウィルは否定した。冷酷なまでに。
「オレはウィル。ただの吟遊詩人だ」
まだ動揺する魔族に向かってウィルは駆け出した。手にする《光の短剣》が破邪の輝きを増す。
「こうなったら──ヴァイツァー!」
タルボックは呪文を唱えた。
術者を中心として突風が渦巻き、周囲の雪を舞い上げる。まるで小さな竜巻にでも変じたかのようだ。
ウィルはそのまま吹雪のベールに守られたタルボックに突進した。《光の短剣》を突き立てようとする。
が、しかし──
「――っ!?」
その寸前でウィルの身体は吹き飛ばされた。あまりの強風に近づけないのだ。
木の葉のように吹き飛ばされたウィルは、空中で巧みにバランスを取り戻すと、雪の上にふわりと着地した。
そこへ息をつかせる間もなく、猛烈な豪雪が黒衣の吟遊詩人を襲った。タルボックの作り出した雪嵐がより猛威を振るう。
「ヴィド・ブライム!」
対するウィルは 爆裂火球 を投じた。
だが、タルボックが作り出す雪嵐を前にして、爆裂火球 は着弾する途中で規模が小さくなり、ロウソクの頼りない明かりだったかのように霧散してしまう。どうやら爆炎系の攻撃魔法とは相性が悪いらしい。
ならば、とウィルは電撃系の攻撃魔法に切り替え、閃光雷撃 を発動した。
青白い電光が迸り、風雪の冬夜を眩く照らす。
ところが、これもまた雪嵐の表面で電撃は偏向してしまい、火の手が回った人形屋敷に直撃する結果に終わった。
「ハッハッハッ、どうやら打つ手なしのようダナ」
雪嵐の向こうでタルボックの哄笑だけが聞こえた。竜巻は大蛇のように踊りながら、今にもひと呑みにしようとしているようだ。
「今度はこちらから行くゾ!」
タルボックはそう宣言し、竜巻をウィルへと向けた。ウィルの正面から猛烈な雪が飛礫となって浴びせられる。暴風を受けたマントが千切れそうにたなびいた。
ビュォォォォォッ!
《光の短剣》を構えて待ち受けるウィルに竜巻が襲いかかった。突風の内側よりタルボックの爪が斬撃となって繰り出される。
ズババババッ!
タルボックの攻撃は、見る間にウィルのマントをズタズタにした。
「どうした、黙って殺られるだけか?」
魔法を跳ね返し、物理的攻撃も寄せ付けず、タルボックは勝ち誇った。
しかし、マントは切り刻まれても、ウィル自身が傷を負ったわけではなかった。ギリギリのところで、ウィルはタルボックの攻撃を見切っていたのだ。
とは言え、こちら側からの攻撃が届かないのも事実だ。
一旦、ウィルは後ろに飛び退くと、ズタボロにされたマントを外す。手を離すとマントはそのまま吹雪によって飛ばされ、夜の暗闇の中に消え去ってしまった。
「攻防一体とは、まさにこのことだな」
ウィルは茫洋と呟いた。よもや、本当に手も足も出ず、諦めたのか。
否──
この美しき吟遊詩人の目は、まだ鋭さを失ってはいなかった。むしろ、強い意志の光は増したかに見える。
吟遊詩人ウィルは無敵の魔人だ。
「ヴィム!」
ウィルは空中浮遊の呪文を唱えると、雪の舞う夜空へと浮かび上がった。炎上する人形屋敷の屋根よりも高い空中で静止する。
タルボックが作り出す雪嵐も、ここまでは効果が及ばなかった。タルボックは不審に思って、空を見上げたはずだ。頭上にいるウィルを。
「まさか、逃げるつもりではあるまいナ」
「ひとつ見落としたな」
そのウィルの言葉が、果たしてタルボックに聞こえたかどうか。
ウィルは身を躍らせるようにして、タルボックの竜巻へと降下した。
竜巻の威力は凄まじいが、一点だけ、それが及ばない箇所がある。それは──目と呼ばれる竜巻の中心部。
竜巻が作り出す雪嵐のトンネルを潜り抜け、ウィルは魔法を行使しているタルボックへ急降下した。
見上げるタルボック。その表情が驚愕に固まる。
「ば、バカなっ……!」
まさかの侵入に気づいたときは、もう遅い。
ズバッ!
《光の短剣》はタルボックを頭頂部から真っ二つにした。
「がはぁっ!」
タルボックの短い苦鳴。
次の瞬間、竜巻は突如として四散した。
左右に分断されたタルボックの身体が雷に打たれた大木のように倒れると、ウィルはすっくと立ち上がった。
これほどの死闘を演じたというのに、強敵の死屍にも短い一瞥を向けただけ。
一撃で魔族を屠った《光の短剣》を鞘に収めると、ウィルは燃え盛る人形屋敷から離れるように歩き出した。
炎に赤く照らされた雪の上には、長く尾を引く黒い美影身。
雪はその姿を掻き消すように、ただひたすら、しんしんと音もなく降り続くだけだった。




