16. 雪 解 け
「………」
人形屋敷を前にして、サリナは立ち尽くしていた。
かつての偉容は跡形もなくなり、燃え残った一部が廃墟となって佇んでいる。あの一夜に発生した大火のことが昨日の出来事のように思い起こされた。
あれから一年。
ドールの町に短い春が訪れ、すぐにまた雪と氷に閉ざされた日々が過ぎた。
火災の夜を境にして人形屋敷の当主グスカがいなくなってから、町は何となく明るさを取り戻した気がした。
サリナの母はすっかり元気になり、昔取った杵柄で、せっせと機織りの仕事に励んでいる。おかげで、二人の生活はかなり良くなった。このままの調子で働き続ければ、今のバラック暮らしからも抜け出せるだろう。
すべてはウィルのおかげだった。
サリナとしては恩人に感謝の言葉を述べたかったが、あの舞踏会の夜以来、美麗の吟遊詩人を見た者はいない。そもそも生死すら不明で、忽然と姿を消してしまった。
背中に傷を負ったロムと共に屋敷の外へ脱出した直後、裏手から突然の火の手が上がり、たちまち建物全体に燃え広がった。折しも、吹雪混じりの突風が敷地内に吹き荒び、煽られた炎が被害を拡大させたのである。
ロムを連れたサリナは安全なところまで逃げ、人形屋敷が炎に吞まれるのを見届けることしか出来なかった。
あのとき、屋敷の中にはウィル、ラカンと一体化したベネシスト、当主のグスカと執事のズウ、そして多くの招待客が残っていたはずだ。
ところが、屋敷から逃げられた人間は他にいなかった。あれだけ広大な規模の建物だったのだから、まだ火の手が回っていない所から逃げることも可能だったはずなのに、二、三百人はいた人たちが屋敷と運命を共にしたのは異常だったとしか言いようがない。
あの招待客たちは一体、何処へ消えてしまったのか。
火災は夜が明けるまで続けた。
人形屋敷の火事に気づいた町の者たちが大勢駆けつけたが、あまりにも激しい火の勢いに、サリナたち同様、呆然と見守ることしか出来なかったのである。バケツリレー程度の消火作業など無意味だった。
結局、燃やすものが尽きたところで、降り続いていた雪が火を消し止める形になった。
火事が鎮火してから、サリナはウィルを捜した。彼を最後に見たのは舞踏会の会場内で、シャンデリアの下敷きになる直前だ。もし、あのまま押し潰されていたのなら、そこにウィルの死体が残されているはず。
ところが、いくら捜してもウィルの死体は出て来なかった。いや、ウィルどころか、巻き添えになったはずの招待客の死体すらも。
どう考えても有り得ないことだった。サリナもロムも、しっかりと目撃したはずなのに。あの夜、上流社会から集まった紳士淑女たちを。
にも拘わらず、あれはまるで夢の中で起きた出来事だったかのように、大量の遺体は発見されなかった。
けれども、あの夜の舞踏会が夢ではない証拠がひとつだけ残されていた。唯一、見つかった遺体――ラカンとベネシストのものだ。
まるで悪夢の産物のように、二人は肉体を一体化させた姿のまま町の者によって発見された。
奇妙な死体は黒焦げになっており、町の者たちにはラカンやベネシストだと判別は出来なかった。
だが、あの夜会に参加したサリナとロムだけは知っている。遺体が彼らのものだと。
ラカンとベネシストは、ただ火事に巻き込まれて死んだのではなかった。ベネシストの腹部には《刀》が突き刺さっており、ラカンにやられたのは明白だ。自身の身体と繋がったのベネシストを殺害することは、ある意味において自殺行為だったとも言えるのに。
ただし、ベネシストも黙って殺られたわけではなさそうだった。ラカンの喉元に投擲用の小さな小刀が突き立てられていたからだ。
その小刀にサリナは見覚えがあった。
元々はラカンが所持していたもので、サリナを助けようとしたとき、ベネシストが弾き飛ばしたものだ。きっと、もつれ合ううちに、床の上に落ちていた小刀をベネシストが拾ったに違いない。そしてラカンに刺される間際、一か八かの反撃をしたのだろう。
結果は相討ち――もし、火事に包まれていなくても、そのような致命傷を負った二人が助かったかどうかは分からない。
見るからに気味の悪い奇妙な死体を発見した町の者たちは怖気づいたが、サリナとロムは一応、その正体について口外せず、丁重に埋葬するよう町長に頼んだ。今は町の共同墓地の片隅に、名を墓碑にも刻まれず、ひっそりと埋められている。
死後も引き剥がすごとが出来ず、一緒に埋葬することになったのを二人はあの世でどう思っているだろう。
そんな前代未聞の出来事は町でもかなりの騒ぎになったが、三月も経てば、やがて人々から忘れられるものだ。ただ、人形屋敷の焼け跡だけが、そのまま手つかずで放置された。
傷の治療のため、滞在が長引いてしまったロムもとっくに行商人という自分の仕事に復帰し、この町から離れていた。まるで幻のように消えてしまった美しき吟遊詩人のことを思い出すのは、今やサリナ一人だけだ。
あれ以来、度々、この人形屋敷の焼け跡へ足が向いてしまうサリナであった。
雪の降る日だろうが関係なく、もう何十回とここを訪れているはずだが、それでもウィルが生き延びた痕跡はないかと探してしまう。一縷の望みを託して。
だが、それはいつも徒労に終わった。死んだという確証はないが、生きているとも断言できない。それだけがサリナの心に、やるせない隙間風を吹かせていた。
今日も新たな痕跡を探して、焼け跡を隈なく調べていると、屋敷の入口の方から馬の嘶きと軋む車輪の音が聞こえ、サリナはハッと顔を上げた。
「さあ、着いたぜ」
それは聞き覚えのある声だった。もしかしたら、とサリナは急いで玄関があった方へ取って返した。
「キャッ!」
かつて玄関ホールだった所を跳び越えたところ、溶け出した雪に着地した足を取られ、サリナは尻餅をついてしまった。雪国育ちの娘が不覚にも雪で滑るなんて、それだけ慌てていた証拠でもあろう。
「ハッハッハッ、大丈夫か?」
こちらは痛みに顔をしかめているというのに、底抜けに陽気な笑い声が響いた。心配している素振りなどまったくない。
サリナはバツの悪い顔で、声をかけてきた男を見上げた。
そこには小さな馬車の御者台に乗って破顔している懐かしい人物がいた。
「よお、久しぶりだな」
ロムはあの頃と変わらず、屈託ない笑みを浮かべて挨拶してきた。ほぼ一年ぶりの再会だ。
馬車から颯爽と降りたロムは、尻餅をついているサリナに手を貸そうと差し伸べた。その手を取るサリナ。
一瞬、一年前の舞踏会の記憶が甦った。あのときも、こうしてロムの手を取りながら踊ったのを。
「お、お久しぶりです」
サリナは急にドギマギしながら立ち上がると、慌てて、その手をパッと離した。
ロムも同様に舞踏会のことを思い出したのだろう。大柄な男には似合わない、やや照れたような様子を見せていた。
「お、おう。また、商売でこっちへな。今日はちょっと頼まれて、客人を連れて来たんだ」
ロムはそう言って、馬車の方を振り返った。
客人、という言葉を聞いて、サリナは緊張した。
まさか──
「ほう、ここが」
幌のかかった荷台から、一人の男が降り立った。その人物にサリナは驚く。
「あ、あなたは──!?」
「ん?」
その人物はサリナの方を振り向いた。
仕立てのいい服を着た紳士だが、その体型は同じ人間とは思えぬくらい贅肉がつき、ほぼ球体と呼んでもいいくらいだった。
「グスカ様?」
思わずサリナがそう呼んでしまったほど、安直に体型で判断すればグスカに似ていた。
けれども顔は全然違う。人形屋敷のグスカよりも、もっと穏和な顔立ちをしていた。別人だ。
「こんにちは、お嬢さん」
「こ、こんにちは」
初対面の人物に挨拶され、サリナはぎこちない笑みを作った。ロムの方を見る。
「紹介しておこうか。こちらはクリピスの町で知り合ったマーティンさん。リルモンド王国の出身で織物業をしている、大変なお金持ちだ。趣味で色々な人形を蒐集しているって聞いたんで、この屋敷のことを話したら、ぜひ行ってみたいって頼まれてな。案内がてら、こうして連れて来たってわけさ。──えーと、こっちのお嬢さんはサリナ。以前、ここで世話になったオレの知り合いだ」
「どうも、初めまして」
ロムからの紹介を受けて、マーティンはサリナに一礼した。
正直、サリナはがっかりした。ロムの声を聞いたとき、ひょっとしたらウィルも一緒なのではないかと期待したからだ。
そんなことなど知らないロムは、唇を尖らせるようにしてそっぽを向くサリナを見て、なぜ不機嫌になるんだ、と眉をひそめた。
一方、マーティンは焼け跡を珍しそうに見渡した。かつての人形屋敷の偉容を想像していたのかも知れない。
だが、今は見る影もない瓦礫の山だ。
「な。だから言ったでしょ、マーティンさん。ここは大火に包まれて、もう何もありゃしないって」
何度も思い直すよう忠告したのだろう。ロムは呆れた表情で説明した。
するとマーティンはかぶりを振った。落胆したどころか、目をキラキラさせている。何事にも簡単には諦めないのが、商売を成功させる秘訣なのかもしれない。
「いえいえ、構いませんとも。ここにグスカさんという方のお屋敷が建っていたのですね。きっと私と同じ人形蒐集家として、色々と珍しい品を集めておられたのでしょうなあ。同じ趣味を持つ者同士、もっと早く知己になっていれば。──ちょっと向こうの方を拝見させてもらってもよろしいかな?」
マーティンにしてみれば、ここは廃墟というより、宝の山にでも見えていたのかもしれない。
「オレはここを管理しているわけでもないから許可なんて出せる立場じゃありませんよ。でも、こんな風にほったらかしになっているわけですし、別に見て回っても構わないと思いますが。――あ。ただし、くれぐれも足下には気をつけてくださいよ。あなたが転んだら、オレでは引っ張っても起き上がらせてあげられないかもしれませんから」
ロムから形だけの許可を得ると、マーティンは危なっかしい足取りで瓦礫の中を進み始めた。
取引相手の嬉々とした様子を見て、ロムは肩をすくめる。金持ちの酔狂には付き合っていられない、といった諦め顔だ。
「お元気そうですね」
ロムの隣に並びながら、サリナが言った。顎に手をやったロムは、相変わらず伸びている無精ヒゲを撫で回す。
「まあ、な。アンタも──と言いたいところだが、どうやら、まだあいつを探しているようだな?」
「………」
サリナは沈黙した。やはり、ロムには見抜かれている。
「オレも町から町へ渡り歩きながら、恐ろしい美貌をした吟遊詩人の噂が聞けねえかと気にはしているんだが、一向にな」
「………」
唇を噛みながらうつむくサリナを見て、ロムは逆に空を見上げた。
灰色の雲が何処までも空を覆い尽くしている。ただ、あれだけしつこかった雪は止んでいた。
「でも、まあ、ここから遺体は発見されなかったんだし、きっと大丈夫さ。オレは信じている。きっと何処かで元気にやっているって。そう思えねえか?」
「でも……」
会いたかった。もう一度。一目でもいいから。
ロムはサリナの方を向いた。
「それか……もし、何だったら、オレと一緒に探しに行くか?」
「えっ……?」
ロムが口にした言葉の意味を測りかねて、サリナは隣に立つ、無骨な旅商人の顔を見つめた。
するとロムはパッと顔を赤らめ、そっぽを向いてしまう。
「い、いや……その、だから……あー、忘れろ」
「えっ?」
「だぁーかぁーらぁーっ、今のは忘れろって! 空耳だよ、空耳!」
照れている大の男を眺めていると、何だか可笑しかった。最初は笑わないよう我慢していたが、とうとう堪え切れなくなり、サリナは吹き出してしまう。
「おっ、おいっ!」
それが余計にロムを狼狽させた。
しばらくしてから、廃墟の探索を終えたマーティンが戻って来た。脚を上げるたびに転がってしまいそうで、危なっかしいのは相変わらずだ。
そのとき、サリナとロムは、ちょっとだけ互いを意識して離れて立っていた。気恥ずかしくて、顔さえまともに見られない。
「すみません、お待たせしました。いやはや、本当に何もかも燃えてしまったんですねえ。でも、運良く見つけましたよ。唯一の収穫です」
マーティンはそう言って、手に持っていた物を二人に見せた。
「これは……!?」
サリナもロムも、それを見て驚いた。
マーティンが持っていた物は、手の平に乗るほどの大きさしかない人形だった。
材料は粘土のようなもので出来ているようだが、細かいところまで着色され、きらびやかな白いドレスの衣装までもが忠実に再現されている。若い貴婦人を象った手作りの人形だ。
二人には共通の既視感があった。
「どうです? 誰の手によるものかは分かりませんが、見事な出来栄えでしょう。しかも、この人形、何となくお嬢さんにそっくりだと思いませんか?」
マーティンの言う通り、それは舞踏会で身につけたドレスであり、それを着たサリナ本人であった。またしても一年前の忘れ得ぬ記憶が二人の脳裏に甦る。
だが、この人形を誰が、どのような目的で作ったのか。それに、これまで何十回とサリナが調べたはずなのに、どうして見つけることが出来なかったのだろう。
この人形こそ、グスカが――いや、魔族タルボックが町の者たちを支配するために用いていたものだとは、さすがのサリナとロムも知らなかった。
「この大きさで、ここまで精巧な人形は見たことがありません。これは私の蒐集物にさせていただきます。いやぁ、これを入手できただけでも、ここまで来た甲斐があったというものです」
人形を手にしながら、心底、嬉しがるマーティンは、幼い子供ならまだしも、いい歳をした大人が見せる姿ではなかろうと思えたが、それよりもサリナそっくりの人形が発見されたことに二人は衝撃を覚えていた。
「時間を取らせてしまいましたね。では、参りましょうか」
そんな二人の様子など素知らぬ顔で、マーティンは鼻歌などを唄いながら、意気揚々とロムの馬車へと引き返す。
そのとき、聴き覚えのある旋律だと気づき、ロムは慌てたように振り返った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ロムは戻ろうとするマーティンを引き止めた。サリナも同じように硬い表情をしている。
ただ一人、マーティンだけが呑気に立ち止まった。
「何か?」
「今の……その歌は?」
勢い込むようにロムが尋ねた。
マーティンは一瞬、怪訝な顔をしたが、すぐに何のことか思い当たる。
「ああ、今の鼻歌ですか? ここへ来る途中、国境の近くで耳にしたんですよ。誰が唄っていたかまでは知りませんが、どうやら通りすがりの吟遊詩人のようでしたねえ。いやぁ、何という歌かまでは存じませんが、あまりにも美しい歌声で唄っていたもので、自分でも繰り返しているうちに憶えてしまったようです」
マーティンからの答えに、サリナとロムは同じタイミングで顔を見合わせた。
彼が鼻歌で唄っていたのは、ウィルがドールの町の広場で、そして夢の中でも唄っていた、あの《夜の詩》であった。
それを町の者ではないマーティンが鼻歌で唄っている理由について、二人はハッとする。次第に表情を崩し、満面の笑顔を弾けさせた。
「生きているんだわ!」
「ハッハッハッ、だからオレが言ったろ? 心配ないって!」
「良かった……」
「まったく、あの野郎! 無事ならオレたちに知らせればいいものを! しれっと旅を続けているとはなぁ!」
勢い余って抱き合いそうになるくらい、全身で喜びを表すサリナとロムら二人の若者を、事情を知らないマーティンは不思議な顔をして眺めていたが、そのうち、こちらまで心が温かくなるような気がしてきた。自然に鼻歌の続きを唄い出す。
すると、今度はそれにサリナとロムが続いた。
やがて雲間から、ほぼ一年ぶりに顔を出した太陽が射し込んできた。
凍てついた心身を解きほぐしてくれる暖かな光。それがドールの町全体を照らし出す。
きっと今頃は町の者たちも、やっと訪れた春の空を見上げているだろう。
ドールの町を覆い尽くしていた冷たい雪と氷は徐々に溶け始め、ずっと閉じ込められていた本来の地表がようやく現れる。
永らく忍従の時を強いられてきた冬の終わり――
それはまるで、美しき吟遊詩人が聴かせてくれた一篇の詩が、この厳しい北限の地へ待ち焦がれていた春を運んで来てくれたかのようだった。
<Fin>




