11. 死を司る狩人
「オレ一人を殺るのに、随分と大仕掛けなことをしたものだな」
ウィルの口調は、その美しい容貌の通り耳に心地良いものであった。と同時に、誰もが震え上がるくらいの殺気が感じられる。
それを前にして震え上がらぬ者はいまい。人形屋敷の主グスカとて例外ではなかった。
「な、何と……何と恐ろしいヤツ……」
グスカは呻くように言葉を洩らした。
最初に大シャンデリアが落下したとき、ウィルは天井へと跳んでいた。その超人的な跳躍を誰も目にしていなかったため、豪奢なシャンデリアの下敷きになったものとばかり思ったはず。仕掛けたグスカですらそうだったのだ。
もっとも、立て続けに他のシャンデリアも墜落したため、その死を確認する余裕さえなかったのも無理からぬことだが。
シャンデリアが連鎖的に落下し始めた中、ウィルは断ち切られた鎖から鎖へと飛び移り、グスカの頭上で息を潜めていたという事実を聞けば、誰もがにわかに信じられなかっただろう。無論、グスカのワイングラスに小さなガラス片を投げ込んだのも美しき吟遊詩人の仕業だ。
「さあ、そろそろ正体を明かしてもらおうか」
ウィルが一歩近づくだけで、身に迫る威圧感は相当なものだった。グスカの顔色が蒼白になる。
「き、貴様……何処までこの町の秘密を知っているのだ……?」
グスカはウィルに問うた。
孤高の吟遊詩人は表情を変えず、もう一歩、前に踏み出した。
「さあな。それはさておき、宿屋への刺客といい、事故に見せかけて始末しようとした今の手口といい、オレを抹殺したがっているのは確かだろう。そうまでしてオレという存在が疎ましいか?」
「ああ、そうだとも」
グスカは顔色を失いながらも、精一杯の抵抗を試みているようだった。床に重たい尻を引き摺りながら、少しでも黒衣の吟遊詩人から距離を置こうと後退る。
「こ、この町は私のモノだ……もちろん、町の人間たちもな……き、貴様のような余所者の吟遊詩人に邪魔されてなるものか」
恐れ慄きながらも反抗の意思を捨てないグスカに対し、ウィルはマントの下から右腕を出した。そのまま手の平をグスカへと向ける。
「誰に選ばれたわけでもないのに支配者気取りか。町の人たちの自由は彼ら自身のもの。独善的な何者かによって束縛されていいはずがない。解放しろ」
「拒否すればどうなると?」
「………」
その回答は呪文の詠唱だった。
「グスカ様ーっ!」
突然、第三者の声が会場内に響いた。グスカの忠実な執事ズウだ。
彼は 矢銃 を手にしており、主人に仇なそうとする吟遊詩人に向けていた。
「今のうちです、グスカ様! どうか、お逃げください!」
ズウは躊躇なく 矢銃 を発射した。鉄製の矢が一直線にウィルへ飛ぶ。
バサッ!
命中する寸前、ウィルは左腕でマントを払った。旅装束のマントは貫かれることなく、飛来した 矢銃 の矢を弾き飛ばす。神業とも呼ぶべき芸当だ。
「ディロ!」
先制攻撃が阻まれた以上、次はウィルによる反撃だった。グスカに向けられていた攻撃魔法がズウに標的を変えて放たれる。
光の精霊 による 白魔術 のひとつ、百発百中の 魔導光弾 が一筋の光跡を引きながらズウを射抜いた。
「ぐあああああっ!」
ズウの胸部を 魔導光弾 が貫通した刹那、その身体は一瞬にして消滅してしまったかに見えた。魔導光弾 一発の効果にしては些か強烈すぎる。
だが、そうではなかった。ズウの身体は攻撃を受けたことにより、一枚の小さな紙切れに姿を変えたのだ。人型に切り抜かれた紙片に。
それは昨夜、宿屋で就寝中のウィルを襲った刺客と同じだった。
ところが、それを目にしても、ウィルは特段、驚いた様子を見せなかった。まるで最初から承知していたかのように。
ウィルは油断なく、再び攻撃目標をグスカに戻した。
「ひっ、ひっ、ひぃ……ひぃぃぃっ!」
だが、ズウによる捨て身の援護は、主人であるグスカにほんの僅かな時間を作り出すことに成功していた。重たげな肉体で立ち上がったグスカは、鈍足ではありながらも出口の方へと走り出す。
もちろん、それを見逃すウィルではない。振り向きざま、再び呪文を唱える構えを取った。
パチン!
ウィルの詠唱よりも早く、グスカの指が鳴らされた。小気味いい音が広い会場内に響く。
すると、周囲に異変が生じた。
シャンデリアの落下で累々たる死屍となった招待客たちが、先程のズウ同様、その身を小さな紙切れに変えたのだ。彼らもまた、グスカがかりそめの生命を与えた紙人形に過ぎなかったらしい。
しかし、それだけで終わらなかった。
小さな紙人形たちは舞い上がると、群を成した小鳥のように一団となって羽ばたき、ウィル目がけて襲いかかって来たのだ。
ウィルは飛び退くようにして紙人形の群を躱した。
ところが一瞬、身体を逸らすのが遅れ、ウィルの横顔を掠めていく。紙自体は決して丈夫な代物ではないが、時として切れ味鋭い刃物にもなり得る。
僅かに掠めたはずの紙人形はウィルの黒髪を数本散らした。
そのとき、鋭く細められた美しき魔人の目を見た者は戦慄を覚えたはずだ。
紙一重の差で攻撃を躱された紙人形は、天井で方向転換するなり、再度、ウィルへ襲い掛かるように飛翔した。
迎え撃つウィルは素早く呪文を唱える。
「ヴィド・ブライム!」
ウィルの両手が大きな火の玉を作り出す。爆裂火球 だ。そのまま紙人形の群に向けて投げつけた。
ゴオオオオオッ!
高熱の塊である 爆裂火球 の前に紙人形たちは呆気なく燃え上がった。火の粉が盛大に飛び散るが、それも一瞬で消し炭になる。痕跡すら残らない。
だが、この隙に乗じ、グスカは何処かに姿を消していた。動きの鈍そうな肥満体をしている割には意外と敏捷な行動だと感心させられる。
人形屋敷の主を取り逃がしたことに、さすがのウィルも焦るかに思えたが、そんなことはなかった。グスカの逃亡先など把握しているかのように落ち着き払っている。
美しき吟遊詩人は背中のマントを翻すと、何の躊躇もなく一番近い出口へと走った。それは黒いつむじ風となって会場を横切り、人形屋敷の謎の主人グスカの追跡に移る。
仕留めるべき獲物と定められた者にとって、これほど恐ろしい狩人はいまい。
グスカが追い詰められるのは時間の問題だった。
「くっ……!」
ベネシストの一刀が振り下ろされた刹那、さすがのロムも観念し、目を閉じた。
だが、いくら待っても斬られる痛みは襲って来なかった。
ひょっとして痛みを感じる暇もなく死んでしまったのか。ロムはそんなことを考え、恐る恐る目を開けてみた。
その瞬間、ロムは息を呑んだ。ベネシストの《刀》はロムの眉間すれすれの位置にあり、微動だにしていない。いわゆる寸止めというヤツだ。
「なっ1?」
鋼の刃を直視して、ロムは反射的に目を瞑ってしまった。けれども、何か様子がおかしいと感じ、もう一度、片目だけをゆっくり開けてみる。
「やめだ」
掃いて捨てるように言ったベネシストは、右手の《刀》を軽々と扱い、腰の鞘に収めた。
どうやら命拾いしたらしい、と分かり、ロムは大きく息を吐き出して脱力する。自分でも気づかないうちに全身で冷や汗を掻いていた。
そんなロムを無視するように、ベネシストは黙って立ち去ろうとした。
「まっ、待てよ!」
ロムは呼び止めた。
ベネシストは立ち止まるが、こちらを振り返ろうとはしない。
「いいのか? オレを斬れって言われたろ?」
ロムは尋ねずにいられなかった。
先程まで感じていたベネシストの殺気は紛れもなく本物だったはず。どうして急に斬り殺す気が失せたのか、その理由を知りたかった。
あくまでも表情を見せないよう顔を背けたまま、ベネシストはかぶりを振った。
「……傷を負って反撃もできない男を斬ったとて、この《刀》が泣くだけだ。すでに目的は達した。もう拙者の前に現れるな。何処へなりとも行くがいい」
「お前……」
ロムは起き上がろうとしながら、武人としての矜持を持ち続けるベネシストの背中を見つめた。
「拙者はこれまで何十人──いや、何百人もの敵をこの手で斬ってきた。ラカン殿に用心棒として拾われたからには、こうして《刀》を振るう以上、そうして恩に報いるしか方法を知らなかったからな」
「………」
「しかしながら──今の拙者にお前を斬る理由はない。その傷の具合では拙者をどうこう出来るはずがないからな。ラカン殿からの指示とは言え、一方的な殺生は好まぬ。拙者は騎士道を重んじる者であって、血に飢えた殺戮者にあらず」
ベネシストは静かに胸中を語った。
この男、根っからの悪人ではないのか――出会いさえ違えば敵同士になることもなかったかもしれない。
ラカンの仲間だと決めつけ、同列に考えていたベネシストへの評価をロムは変えた。
「どうやら、アンタにはまだ剣士としての誇りがあるようだな。だが、そんな立派な志を持っていながら、どうしてラカンなんて野郎に加担する?」
ロムは単純に理由を知りたかった。高潔な剣士と町のならず者との結びつきが不思議でならない。
ベネシストは答えた。
「言ったはずだ。恩義を返すためだと。ラカン殿は何もかも失った拙者を理解してくれた、ただ一人の男だった。落ちぶれた拙者には、もう故郷にさえ身を置く場所はないからな」
重たく聞こえるベネシストの言葉に、ロムは深くうなずいた。
「いや。アンタのそういう考え、オレも分かる気がするぜ。でもよ、これだけは言わせてくれ。ラカンは本当にお前の友としてふさわしい男なのか? 一人の女を執拗につけ回し、力尽くで自分の所有物にしようとする卑劣な野郎が。オレにはアンタとヤツが一緒にいること自体、理解できねえよ」
そう自分の考えを明かすロムに、ベネシストは少し苛立ちを覚えたようだった。一旦は《刀》の柄から離れたはずの右拳が強く握り締められる。
「それは……ラカン殿は心からサリナ殿を愛しておるのだ……その愛し方が多少は歪んでいるのやも知れぬが……男女の仲のことは当人同士のこと……拙者には分からん」
ベネシストの口調からは、この話題を避けたい、やや拒む意思が伝わってきた。
すかさずロムが返す。
「多少だって? オレから言わせてもらえば、かなり歪んでいるとしか思えないけどな。お前は彼女の近くにいたウィルやオレを斬れと言われたんだろ? 普通のヤツが、そこまで過激な行動に出るか?」
「………」
「なあ、お前はただ利用されているだけなんじゃないか? その剣の腕前さえあれば大抵のヤツを黙らせると、お前をひとつの道具と見なして。だからヤツは──」
「それ以上は言うな!」
平静を保っていられなくなったベネシストは再び《刀》の柄に手をかけ、振り向きざまに抜刀しようとした。
だが、そんなベネシストに対し、ロムはまったく動じなかった。迷いを見せる相手の背中から目を背けない。
ベネシストもまた居合の手を止めていた。抜刀していればロムの生命はなかっただろう。
二人の間には呼吸さえはばかられるほどの緊張が走った。まるで、ここだけ時間が止まり、無言の会話が交わされたかのように。
先に全身の緊張を解いたのはベネシストの方だった。腰を低く落とした体勢から普通の姿勢に戻る。
だが、殺気だけは放たれたままだった。
「次にまたラカン殿を愚弄すれば、問答無用でお前を斬る」
「………」
ロムは黙っていた。
別に怖じ気づいたわけではない。直感したからだ。
――自分の言葉ではベネシストの信念を曲げられない、と。
ベネシストはそのまま背を向けて、先程ラカンとサリナが立ち去った方向へ歩き始めた。
背中の負傷のせいで動けないロムには、その姿が廊下の角で消えるまで見送ることしか出来なかった。




