12. 狂気の箱庭
「さあ、とっとと歩くんだ!」
腕を強く引っ張られても、まだ抗うことを諦めないサリナに、堪忍袋の緒が切れたラカンは感情を隠しもせず怒声を浴びせた。
しかし、その程度で怯むサリナではない。ラカンの気性など承知の上だった。
「イヤよ! 離して!」
左腕をガッチリ掴まれたサリナは、ラカンの手の甲に爪を立た。さらに連れて行かれないよう足も踏ん張らせてみるが、荒々しい男の力に敵うはずもなく、廊下を引き摺られてしまう。
「まったく、強情な女だな!」
「ふんっ! アンタだって最低な男じゃない! 負傷して動けない人間を始末しろだなんて、そんな命令を出して! この人でなし!」
「何を!?」
ラカンは我慢ならず、カッとなって頭に血を昇らせた。サリナを掴んでいたのとは逆の方の手で、その頬を容赦なく張り飛ばす。
「キャアッ!」
痛烈な一撃に、サリナの意識は一瞬、飛びそうになった。
だが、またしてもラカンに強く引っ張られたおかげで、腕に抜けるような痛みが走り、気を失わないで済む。
頬が火傷したみたいにヒリヒリするのを感じながら、フラフラになった身体をサリナは立て直す。
「どうやらお前には、もう一度、教え込まにゃならんようだな! オレが甘い顔をしていれば、いい気になりやがって! さあ! この中に入れ!」
ラカンは廊下の途中にあった扉を開けると、その中にサリナを押し込んだ。
「キャッ!」
勢い余ったサリナは部屋の床にうつ伏せで倒れ込んだ。柔らかな絨毯が衝撃を吸収してくれたのは、せめてもの救いか。
ただ、深緑色の絨毯から顔を離すと黒っぽい染みが出来ていた。
何だろう、と絨毯の染みを見つめると、サリナは自分の鼻の下が濡れていることに気づた。指で触ってみて分かる。鼻血だ。さっき強烈な平手打ちをされたせいだろう。
バタン、と部屋の扉が閉められた。
サリナは知らないが、ここはラカンがベネシストの潜入を手引きした応接室だった。サイドボードにいる人形たちが動かぬ瞳孔でサリナを凝視している。
「助けを呼ぼうとしても無駄だぜ。どうせ、あの騒ぎだ。どいつもこいつも逃げ惑ったり、負傷者の手当てだったりで、他に注意を向ける余裕なんかありゃしねえ。何なら試しに大声を出して、助けを求めてみっか?」
頭上から粘つくような声がして、サリナは気丈に振り仰いだ。
口許に笑みを浮かべながら、倒れ込んでいる元恋人を見下ろすラカン。その双眸には血に飢えた野獣の如き凶暴さが宿っていた。
どうにかして逃げようと、サリナは腹這いのまま動こうとした。
しかし、そう簡単に見逃してくれるはずもない。ラカンはサリナの後ろ髪を手で掴んだ。
「あうっ!」
痛みに涙を滲ませるサリナであったが、ラカンは元恋人だろうと容赦しない。
「お前は誰の女だ? えっ、サリナ!? お前は誰の女だ? 答えろ! ちゃんと答えられたら許してやる」
「………」
「サリナ、オレはお前を愛している。この気持ちは分かってくれるだろ? それだけは嘘じゃない。なのに、どうして、お前はオレを嫌う? なぜ、オレの愛を受け入れようとしないんだ?」
相手を責めるように訴えかけるラカン。
そんな自分本位な男にサリナは唾を吐きかけてやりたかった。
「ラカン……あなた、自分で何をしたか分かっているの?」
「何をそんなに怒っている? オレはお前のために何でもしてやったろ?」
「ふざけないで! 私を手に入れるため、母さんに薬だと偽って毒を飲ませたでしょ!? 狂ってるわ、あなた! 私を愛しているって言ったけど、そんなのは口先だけ! あなたが私のために何をしてくれたと言うの!? あなたはただ、自分の欲望を満たしたいだけでしょ! 私を囲って自由を奪い、自分の所有物にしたかっただけよ! そんなの……そんなもの、愛なんかじゃ──キャアッ!」
サリナの言葉を最後まで聞かず、ラカンはサリナの頬を平手打ちしていた。細首がもげそうなくらいの衝撃だ。
殴られた直後、ゴトッと音を立ててサリナの頭が床に落ちる。
それでもまだ飽き足らず、ラカンは再びサリナの髪を掴むと、強引に顔を上げさせた。サリナの顔を涙と鼻血が入り交じって汚した。
「よく分かっているじゃねえか、サリナ! そうだとも! お前はオレ様の所有物さ! 今頃になって、ようやく理解したのかよ? いいか? 所有物って言うのはな、所有者であるご主人様に逆らったり、口答えしたりはしねえもんなんだよ! 今のお前は黙って従いさえすりゃあいいんだ!」
そう言って、今度はサリナの顔を床に押しつけた。上から頭蓋骨が軋みそうなほどの力で圧迫し、ラカンはサリナを痛めつける。
「くっ……!」
せめてもの気骨を見せようと、サリナは出そうになる悲鳴を必死に押し殺す。
すると、それがまたラカンの癇に障ったらしい。
何としてもサリナに悲鳴を上げさせようと、髪の毛を掴んで頭を持ち上げ、すぐさま床へ叩きつける。恋人への仕打ちとは思えない、残忍な行為を何度も繰り返した。
「あうっ!」
強烈に顔面を打ちつけたサリナは鼻出血が酷くなった。もし床に分厚い絨毯が敷かれていなければ、サリナは顔面を潰されて死んでいたかも知れない。
しばらくして、ようやく気の済んだラカンは、ぐったりとしたサリナの身体を仰向けにさせた。ドレスの胸元に手を伸ばし、強引に引き裂く。
「へっへっへっ」
ラカンの目の前に白い乳房がさらされた。何度も揉みしだき、味わい尽くした弾力のある膨らみだ。ラカンは下卑た笑みを洩らした。
「お前があくまでも強情を張るつもりなら、オレはこの肉体に思い出させてやろうじゃないか。お前がオレの所有物だってことをな」
何度も顔面を強打したせいで、サリナは抵抗できなかった。意識が朦朧としつつある。
それをいいことにラカンはサリアの滑らかな肌触りを楽しみつつ、素足に手を這わせた。そのまま抱えるようにして両脚を開かせ、その間に自分の逞しい身体を捩じ込む。
「ここ数日、ご無沙汰だったからな。どれ、たっぷり可愛がってやるとするか」
これからの行為を想像すると、ラカンは興奮を抑えきれず、まるで飢えた獣のように鼻息が荒くなる。
そのとき、ノックもなしに部屋の扉が開け放たれた。
人形屋敷の廊下を駆けるウィルのスピードは疾風と呼ぶべきものだった。
何処かへ姿を晦ましたグスカを追って。
広大な人形屋敷の廊下は果てしなく、何処までも永遠に続いているかに錯覚してしまう。
そんなウィルの行く手を遮るようにグスカの執事であるズウが立ち塞がった。
いや、すでにズウは死亡したはず。主人を守る盾となり、ウィルの攻撃魔法によって斃されたのではなかったか。
しかし、そのような不可思議さなど無意味だった。
今、ウィルの前方に現れたズウは何と五人。先程と同様、手には 矢銃 を所持していた。
きっと、この同じ顔をした執事たちもグスカが作り上げた人形に違いない。
飛び道具を前にしながら、ウィルは無謀にも速度を緩めることなく、迎撃態勢に入っている五人のズウへ正面から突っ込んだ。
チャッ!
一斉に五つの矢銃がウィルへ狙いをつける。それぞれの指が引き金にかかった。
バシュッ!
近距離での発射では狙いなど必要ない。しかも、放たれた矢は五本。隠れる物陰も、逃げ場もない廊下では避けようがない。
五つの矢は真っ直ぐ、美しき吟遊詩人へと飛来した。
対するウィルは──
「バリウス!」
疾走しながらの呪文の詠唱。たちまち魔法は発動され、ウィルから射手であるズウたちへ向かって突風が巻き起こった。
ビュゥゥゥゥゥッ!
開け放たれた窓などひとつもないのに、猛烈な強風が廊下を吹き抜け、五本の矢の軌道を逸らした。必中を期していただけに、五人のズウたちが驚愕の表情を浮かべたのもむべなるかな。
だが、この魔法が及ぼす効果は矢による攻撃を防いだだけではない。
ズバババッ!
召喚された風は目に見えない刃と化し、ズウたち五体の身体を切り刻んだ。首を飛ばし、腕を切断させ、胴を真っ二つにする。
廊下という逃れ難い場所で、五人のズウたちは為す術なくウィルによる魔法攻撃の餌食となった。
バラバラにされたズウの肉片は一滴の血も流さず、いつの間にか紙吹雪に変じ、廊下の床にひらひらと舞い散り落ちる。
その上を漆黒の魔人が駆け抜けた。翻るマントが散乱した紙片を再び舞い上がらせ、戦いの痕跡は跡形もなく四散する。
たった一撃で五人の敵を屠った吟遊詩人。
この美しき魔人の行く手には、障害となるものは何もなかった。どんな敵であろうと。
やがて、ひとつの扉の前にウィルは辿り着いた。
これまで廊下に並んでいた扉とは明らかに違い、大きさも造りも特別なものに見える。ここが主の私室なのか。
扉の向こうで敵が待ち受けているかもしれないというのに、ウィルは無警戒とも思える仕種で把手に手をかけた。
重たそうな扉は施錠されておらず、苦もなく開いた。中は薄暗い照明が灯されており、カーテンが開け放たれた大きな窓からは外の雪景色が浮かび上がるようにして見える。
ウィルは後ろ手に扉を閉め、静かに入室した。
「ようこそ、我が蒐集展示室へ」
部屋の左手奥から声がした。
そこには執務用の大きな机があり、人形屋敷の主がいた。グスカだ。
机は受注生産品で作られているはずなのに、無駄に肥えた身体はそれでも食み出してしまいそうだった。
その傍らには執事のズウも――もう何人目だろうか――直立不動の姿勢で控えている。主人への忠誠を最後まで全うするつもりらしい。
泡を食って逃亡を図った先程とは違い、自分を追い詰めた敵を前にしても、座っているグスカからは余裕すら感じられた。
「………」
ウィルは何も言葉を発さず、黙ってグスカへ近づいた。床に敷かれた分厚い絨毯が黒いブーツの靴音を完全に吸収する。
それを見て、執事のズウが阻止に動こうとした。
すると、それをグスカが手を上げて制する。
「待て。お前が敵うような相手ではない。下がっていろ」
「はっ」
主人の命令は絶対なのだろう。ズウは一礼すると、隣室と繋がっていると思しき背後の扉から静かに退出していった。
これで、この部屋に残されたのはウィルとグスカだけだ。
グスカはおもむろにウィルが入ってきた扉側の壁に視線を向けた。
「どうだね、我が蒐集品は?」
グスカに促され、ウィルは一瞥を向けた。
そこには壁一面を埋め尽くす巨大な棚が置かれていた。ガラス扉がついたショーケースだ。そこに様々な種類の人形が飾られていた。
「ここに飾ってあるのは、特に私が気に入っているものばかりだ。大陸中から苦労して集めてね、どれもその価値は単なる人形の域を超えている。私にとっては高価な芸術品も同然。しかし、些か蒐集品が増えすぎてしまったようでね。ここだけに収まらず、他のは屋敷の色々なところに飾ってある」
「………」
「けど、私にとって一番の自慢の品は、このショーケースに飾られている人形たちではない。しかも自作でね。そっちの窓側にあるヤツがそうだ」
グスカの言葉に従って、ウィルは反対側の窓の方へ首を巡らせた。
そこにはダブルベッドよりもひと回りは大きそうなテーブルがあって、その上に色々な物が乗せられていた。一つ一つが細かい。そのせいで非常に雑然として感じられた。
いや、薄暗がりに目が慣れてくれば、それが何なのか判然としてくる。
ウィルも興味を持ったようで、誘われるように大きなテーブルへと足を向けた。
それはよく出来た町の模型だった。市場や広場、そしてバラックのような住居、果ては木々の一本一本に至るまで、本物そっくりに再現されている。
模型全体には、雪を模した白い粉が万遍なく振り撒かれていた。全体を俯瞰すると程なく気づく。
目の前の箱庭にウィルは見覚えがあった。
「ドール……この町か」
言い当てたウィルに祝福の拍手を送り、グスカは喉の奥で笑った。
「正解だ。どうだね? よく出来ているだろう? すべて私がこの手で一つ一つ作り上げた自信作だ。ドールの町を五十分の一のサイズで再現してある。もちろん、町に住む人間一人一人すべてね」
模型に置かれた家の中を覗くと、同サイズに作られた人形がベッドで寝ていた。
この人形たちは本物そっくりに着色されているが、紙製ではなく、どうやら粘土のようなもので作られているらしい。皆、指一本にすら満たない大きさながらも精巧に作り込まれていた。
「私はこの模型で遊ぶのが大好きだ。この模型の上で起こる出来事は、すべてドールの町でも再現される。一度でもやってみれば、この遊びの魅力に憑りつかれるはずだ」
嬉々として喋るグスカに、ウィルは鋭い視線を投げかけた。
「お前は神にでもなったつもりか?」
その問いこそグスカが望んでいたものだった。
「神? そうとも! 私は神だ! このドールの町の神だよ! 神は世界に生きるものすべてを慈しみ、守ってやらねばならない」
「………」
「この町の外は危険だ。人間は愚かで、いつ争いを起こすか分からない。竜騎士 を擁する大国ルッツとて、いつかは滅亡する運命だ」
「………」
「だが、このドールの町で暮らしている限り、そのような不安を抱く必要はない。なぜなら、この私が神として町の者たちを守ると約束するからだ。きっと彼らも、神である私の庇護に感謝することだろう」
「………」
「しかし、君はあろうことか、この町の平和を破ろうとしている」
「………」
「町の結界を破り、私の力を及ばなくした。何という愚かなことを! 彼らは私なしには生きられぬのだ! このままでは、いずれ滅びてしまう! 私が──この私だけが町の者たちを救うことが出来るというのに!」
グスカは熱弁を振るったが、流浪の吟遊詩人にはまったく響いていないらしく、人形屋敷の主に向ける表情は冷めたままだった。
ウィルは告げる。
「どんな力を持つ神であろうとも、人間を支配すべきではない。神はただ見守り、彼らの運命は彼ら自身に選ばせろ」
――と。
グスカの細かった目がカッと見開かれた。憤怒に顔色が赤く染まる。
「この町は私が作ったものだぞ! 私の好き勝手にして何が悪い!」
自分の造った模型に近づいたグスカは腕を振り上げた。それをドールの町の模型に振り下ろそうとする。
間髪を入れず、ウィルは素早く動き、右拳をグスカの腹部にめり込ませた。
「ぐほぉっ!」
細身の身体と吟遊詩人という職業柄からは想像もつかない威力で、グスカの肥大した肉体が蹴られたボールのように吹き飛ぶ。
重たそうな肉の塊は宙を浮き、執務机の近くに落下した。床にズシンという重々しい振動が響く。
ウィルは何事もなかったかのように、ゆっくりとグスカに近づいた。
「お前にこの町を好きにしていい権限などない」
「な、何だと……!?」
「それに――物語を聴かせる吟遊詩人として言っておこう。同じ毎日ばかり繰り返すなど、神にしては芸がなさ過ぎる。結局、ごっこ遊びの枠から出られていないようでは幼い子供と一緒だ」
グスカはダメージを受けた肉体を必死に起き上がらせようと苦慮していた。執務机に手をかけ、自分の体重を支えるように歯を食い縛らせながら立ち上がる。
「私はこの町の神……私がいなくなったら、この町はどうなる?」
「別にどうもならない。他の町と同様、彼らは自分たちで考え、そして生活する。神の干渉など不用だ」
「い、いいや……そんなことをすれば、いずれ不幸を招く……人間が好き勝手に生きれば、すぐに道を踏み外し、滅んでしまうだろう。現に見ろ! こいつらを!」
グスカは机の上にあった二体の人形を見せた。
いつの間に模型から抜き出していたのか。その二体の人形にウィルも見覚えがあった。
「貴様がこの町の結界を解いたがために、この町の者たちは各々が勝手な行動を取り始めた! この二人もそうだ! 招待状など送ってもいないというのに、私の屋敷に無断で足を踏み入れおって!」
グスカは怒りに任せて、二体の人形を両の手で握り潰すようにした。
いつもは感情に揺れることのないウィルの顔色がサッと変わる。
「よせ!」
「くっくっくっ……私は……私は神だあああああっ!」
グスカの宣言が絶叫となって室内に轟いた。




