3章20 a lull in the grump ⑥
昼休みになって――
「ふぅ……」
希咲は「どうにか午前中を乗り切れた」と安堵の息を吐いた。
といっても、彼女は1~3限はサボっているので、4時間目の授業しかまともに受けていない。
3時間目ももちろん屋上でお空を見ていた。
結構暇だったので、小声で「ふんふ~ん」とお歌を歌ったりもした。
愛苗ちゃんが好きな歌手さんのお歌の練習だ。
そうしてから、「ん? なにか?」という顔で教室に戻ってきて、4時間目の授業だけ真面目に受けたのである。
さて、お昼はどうしようと教室を一回見回すと――
昼休みになって早々に弥堂が席を立って教室の外へ歩いていった。
希咲は「あ……」――と声を出しかけて止める。
その間に弥堂は廊下へ出てしまった。
(ヘンなの……)
別に彼と昼休みを過ごす約束になっていたわけではない。
朝に話していたことの続きは明日にすることになっているのだから、特に取り急ぎ話すこともない。
それなら彼の昼休みの動向など気にする義理もないはずだ。
なのに何故彼が目に付いてしまったのだろうと不思議に思う。
特にその答えを出したいとは思わなかったので、自分の行動の方を決めることを優先する。
久しぶりに登校をするとこれまでの習慣がリセットされてしまったように感じた。
本来のいつもなら――最近は親友の愛苗と昼休みを過ごすことが多かった。
しかしその彼女は今は教室には居ない。
それなら――と、次案を考えると。
もっと以前のいつもどおりに、幼馴染たちと昼食を摂ろうかと思いつく。
席を立って、聖人の席を中心に集まる彼女らに声をかけようとした時――
「あ、希咲さーん!」
「ん?」
――窓際の方から名前を呼ばれる。
声をかけてきたのは野崎さんだ。
それに「少し珍しいな」と希咲は感じる。
こうして大きな声で呼びかけてくるのは、どちらかというと早乙女の役割だったように思っていたからだ。
野崎さんがこんな風に大きな声を出すこと自体も珍しいことだし。
なにより、彼女は何故かやたらとニコニコしながら手を振っている。
「なぁに?」
なにか重大な用事だろうかと、希咲は野崎さんの方に身体を向けた。
「いっしょにどう?」
どうやら昼食のお誘いのようだ。
それにも希咲は「おや?」と思う。
しかし、珍しくはあるが不自然なことではないとすぐに合点がいった。
何故なら――
「いろいろお喋りしない?」
「ん。おっけ」
希咲が長めの連休をとる前に、彼女たちに色々と頼んだりもしていたからだ。
あれから本当に本当に色々あったので、彼女らとはそれっきりになってしまっていた。
「そりゃなにか話すべきよね」と納得し、希咲は自作のサンドイッチの包みを取って彼女たちのグループに合流しようとする。
教室の窓際の列は前から野崎さん、舞鶴の座席が並んでおり。
舞鶴の後ろの席が、弥堂の左隣である元愛苗の席だ。
野崎さんと舞鶴は自分の席の向きを回して、教室の中心部の方を向くようにする。
(愛苗の席借りよっかな……)
そんな風に考えながら希咲は歩いていたが、先に日下部さんが現在空席となっているその席に座ってしまった。
(ありゃ。どしよ)
希咲がそう浮かべるのとほぼ同時に、舞鶴が自身の隣の座席に目線を遣る。
その時――
「――おーい、根本ー。早く行こうよー」
――教室の出口の方から小窪 彗多が声を張り上げた。
小窪が呼んだのは弥堂の席の一つ前。
舞鶴が目線を向けた男子である。
「ちょっと待ってろ。ケータ」
根本は落ち着いた声で小窪に返事をする。
彼は小窪と同じサッカー部の部員で、フィジカルに信仰のある質実剛健なタイプのGKだ。
身体能力を活かしたシュートストップとキック力に定評があるが、背が伸びないことを理由に試合で中々使ってもらえていない。
そのことで顧問に恨みを持ちつつも、矢印を自分に向けてフィジカルを鍛え続けているストイックな男だ。
そんな根本くんは舞鶴と野崎さんの二人に顔の間に目を向ける。
「俺は食堂に行く。この席を使ってもいいぞ」
「あら? それは助かるわ」
「ふん」
舞鶴が少し面白がるような顔で笑うが、根本くんは無愛想に鼻を鳴らした。
彼は舞鶴の視線の意味に気が付いていたが、彼は余計な口を利かない男なので、軽く肩を竦めただけで席を立つ。
「お? じゃあここはののかが借りるな? ネモっちゃん」
「…………」
彼が離れると同時に早乙女がその席に飛びつく。
根本くんは早乙女の軽薄な喋り方と彼女が口にした仇名が気に喰わないようで。
早乙女には何も言葉を返さずに、わずかに眉間に皺を寄せながら小窪の待つ教室の出口へと歩いて行った。
「まだ一ヶ月なのに既にみんなの“ののか”の扱いが雑なんだよ」
彼女のぼやきには仲のいいグループのみんなも何も答えない。
それにも早乙女はブーイングをするが、何も悪いことだけではない。
それは親しみやすさと捉えることも出来る。
ただ、雑なのだ。きっと彼女も雑だから。
その頃には希咲も現場に到着しており。
さて、どこに座ろうと迷う。
すると――
「はい、希咲さん」
「ん?」
――野崎さんが笑顔で椅子を引いた。ここに座れということだろう。
だが――
「…………」
「…………」
希咲はその席をジッと見る。
そんな彼女に野崎さんはニッコニコだ。
「えっと……」
希咲は少し迷う。
だってその席は――
「これ、弥堂のじゃん」
「うん」
とても嬉しそうに野崎さんは肯定する。
希咲はさらに迷う。
「あいつさ。勝手に座ったら怒るタイプだと思うのね?」
「大丈夫」
「えっ?」
またも満面の笑みで言い切る野崎さんに、希咲は少し動揺した。
「で、でも……」
「希咲さんなら大丈夫だよー」
ここでようやく希咲は野崎さんのホクホク顔の意味を理解した。
(そういうことか……)
現在、世間的には希咲と弥堂は付き合っていることになっている。
つまり、彼女たちが希咲を昼食に誘ったのはそのあたりの話が聞きたいから――そういうことだ。
「あちゃー」と目元を覆いたい気分になる。
希咲としては、以前に自分が彼女たちにした頼みごとの続きだと思っていたからだ。
希咲はGW前の旅行に出かける際に『愛苗のことを頼む』と野崎さんたちに頼んだ。
それが、愛苗があんなことになってしまったので、現在は『弥堂のことを頼む』という風に内容がすり替わっているのだろうと――
――そんな風に望莱と予想を立てていた。
だから希咲は、その辺の認識のズレ方の確認と修正をするつもりで誘いにのったのだ。
「失敗したなあ」と素直に認める。
(考えてみれば、そうよね……)
希咲から見れば、今挙げた内容は非常に重大な事件だ。
しかし他の生徒たちは違う。
彼女たちの視点からすれば。
最近ホットな話題である希咲と弥堂の関係。
なんならそこに聖人のことも絡んでくるだろう。
その上で昨日の朝や今朝に弥堂と二人でどこかえ消えて授業に帰ってこないなんて――
これらのことが非常に大きな出来事となる。
そのことを聞きたいと思うのはごく普通のことだろう。
「はぁ……」
希咲が観念したように弥堂の席に座ると、女子たちは「きゃー」と喜ぶ。
彼女たちからすれば、これは『昼休みに彼氏の席を占領する彼女』だ。
「おてやわらかに……」
せめてそれだけを伝えると、彼女たちは顔を見合わせて。
それからクスクスと楽しそうに笑った。
「ま、いっか」と、希咲も笑った。
「――俺だ」
教室を出て、体育館裏の路地を進んでいると弥堂の携帯が鳴った。
周囲へ目線を遣って気配を探りながら電話に出た。
『も、もしもし? ビトーくん?』
「誰だ」
『え、オ、オレは……』
「何故言い淀んだ? 貴様怪しいな」
弥堂は愛想のない声で、電話をかけてきた相手を初手から詰める。
なにやらオドオドとした声がなおさら慌てだした。
『い、いや、オレ……ッ! 馬島だよ……!』
「あ? なんだこの野郎。それがどうした」
『どうしたって……っ。誰だって聞くから……』
「俺はお前など知らん」
『えっ⁉ い、いや、馬島なんだって!』
「マジ? マジなんなんだ?」
『マジで馬島なんだって!』
「そんなにマジ……? つまり喧嘩を売っているってことでいいんだな?」
『なんでそうなるんだよ! マジマ……、ウマヅラだって!』
「あぁ、ウマヅラ君か。久しぶりだな。元気だったか?」
『な、なんなんだよ……』
始まってほんの何秒かで相手は疲れてしまう。
しかし弥堂は本当に相手がわからなかったわけではない。
弥堂には魔眼と“魂の設計図”を利用した記憶能力がある。
だから『馬島』という名前は当然憶えているし、登録していない彼の携帯番号も憶えている。
これは相手の敵意を試す行為だ。
初っ端にとりあえず相手の感情を逆撫でするようなことをして、どういう反応をするかテストしている。
さらに、このウマヅラくんやモっちゃんたちのような相手の場合はこうやって疲れさせることで、逃げたり逆らったりするための気力を削ぎ、物事を冷静に考える余裕を与えないようにするのだ。
「で? 何の用だ」
『あ、あぁ――』
「ちなみに俺は今そこそこ忙しい。もしも用件がなかったら、前に言ったとおりお前の歯を抜く。もう20秒以上経っているが。歯で足りなくなったら替わりに爪を剥ぐぞ」
『せ、せめて先に爪からにしてくんねェかな……』
「うるさい黙れ。俺は必要のない電話が嫌いなんだ」
『電話しただけでそこまでキレんのかよ……』
この人絶対に病気だと、ウマヅラくんは恐怖する。
「で?」
『あ、あぁ、頼まれてたモンが手に入ったんだ』
「あ? 俺がお前に頼んだ? 思い上がるなよ」
『えっ⁉』
「お前が俺に聞いてもらいたいことが出来ただけだろ。俺はお前に何かを頼んだりしない。いいな? 間違うなよ」
『わ、わかったよ……。オレが渡したいものが出来たから。ほ、放課後とかどうだ?』
「いいだろう。前と同じ場所だ。じゃあな」
『あ⁉ せめて時間を――』
相手の言い分など聞かずに弥堂は電話を切った。
ウマヅラくんの言う「頼まれてたモン」とは“WIZ”のことだろう。
最近彼からそれを買おうとしたのだが、流通が止まっていて入手できないと言っていた。
その入手元とは外人街なのだが――
(思っていたよりも早かったな……)
一週間ほど前に弥堂も関わった“アムリタ事件”。
アメリカの研究機関で秘密裏に開発されていた“不老不死”の原料となっているのがアムリタだ。
そのアムリタが、街で出回り始めている新種の麻薬の原料にもなっている可能性がある。
それが先日の事件を通してわかったのだ。
このことに気付いたのは弥堂という個人だけではない。
警察関係者である“清祓課”の佐藤も同じことを知った。というか、弥堂がリークした。
そして、“WIZ”の流通が止まったのはこの美景市でアムリタ事件が起こった直後だ。
因果関係がないわけがない。
ほとぼりが冷めるまで隠れるつもりなのだろうと。
弥堂はそのように考えていたが、しかし彼らは想定よりも早く商売を再開させたようだ。
(連中も金がないのか?)
切羽詰まっているのか、それとも日本の警察をナメているのか。
その判断をつけるのは難しいと感じた。
「ふん」
別にどっちでも構わないと、弥堂は鼻を鳴らす。
金のために犯罪に手を染めるクズどもを心の底から軽蔑しているからだ。
どちらにせよ、弥堂の必要としているモノは今日手に入る。
そこで次の思考へ。
(もしも――)
弥堂は校舎の隙間から屋上を見上げる。
もしも、昨日の段階で“WIZ”が手元にあったら、あのような無様なことにはならなかっただろうかと――
「ふん」
やはり、くだらないと吐き捨てた。
何があろうと、なかろうと。
どんな状態でもどんな時でも。
今この手にあるモノで戦い勝つしかない。
それに負けた者が無様を見るのは当たり前のことだ。
だから意味のない思考だとして。
弥堂は歩き出す。
校舎の路地の深い方へ。
モっちゃんたちを探している。
特に約束していたわけではないが、なんかその辺に居そうだからだ。
彼らから上納金を巻き上げるつもりだ。
もしも彼らが居なくても。
野良の不良が何匹かいるはずだ。
その場合はそいつらに適当なイチャモンをつけて金を巻き上げればいい。
わりと近い内に引っ越しを控えている。
新居の契約に必要な金は皐月組に借りて大体払った。
あとは新居で使う物がいくらか必要になるはずだ。
つい一週間前にテロリストどもをぶっ殺して手に入れたお金は気付いたらなくなっていた。
不思議だなと弥堂は思う。
だが、無いなら無いなりにどうにかしなければならない。
つい今しがた考えたとおりだ。
金を稼がねばならない。
そのための手段は選ばない。
弥堂くんはまたお金がないのだ。




