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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
3章 俺は普通の高校生なので、帰還勇者なんて知らない
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3章20 a lull in the grump ④

 そんなこんなで授業の空気は完全に戻っている。



(あー、恥かいた……)


 希咲はこっそり溜息を吐いた。



(なにやってんのよ、あたし……)



 ここのところ、こういったマヌケな失敗が多い気がする。


 もう少し慎重にならなければと反省したばかりだというのに。


 自分に呆れつつも、再度授業に集中しなおした。



 ボーっとしていた間に黒板の文字が増えている。


 急いで追い付くべく、希咲はそれらを無心でノートに書き写していった。



 カリカリと、ペン先を動かして。


 希咲は「んー?」と黒板を見渡す。


 どうにか板書が追い付くことに成功したようだ。



(ふぅ~、よかった)


 心中で「うんうん」と満足し、手を止めて先生の話に耳を傾ける。


 教科書に目を落とし――



 チラっと、目線が動く。


 左に。


 そこに在るのは弥堂の真っ黒な後頭部だ。


 なんとなくそこに視線を固定して――



「…………」


「――ここ重要なので教科書にチェック入れておいてくださいね~」



――先生の声に反応して、教科書に目線が戻る。


 蛍光ペンのキャップをキュポッと抜いて、教科書にキュッとマーキングをした。


 蓋を付け直して机に転がし、先生の方を見て――


 少しすると、目線がまた動く。



(髪、はねてる……)


 よく見れば弥堂の髪の毛は横髪やてっぺんも所々跳ねていて、長さもどこか区区(まちまち)だ。



(寝ぐせ……よね……?)


 彼が髪をセットしているとは思えない。


 そもそも――



(ドライヤーとかブラシどころか、シャンプーすらないしなぁ。あの部屋)


 先日(勝手に)上がった彼のアパートの惨状を思い出すと、苦笑いするしかなかった。


 呆れ半分、諦め半分な気持ちになる。



(せっかく高校生になったんだから、髪のセットくらいすればいいのに……)


 あの洗面台の鏡の前で、彼が両手にワックスをつけて横髪にボリュームを出しつつ前髪の形を気にしているところを想像して。


 思わず「ぷっ」と笑ってしまう。


 隣からも「ぷっ」と聴こえた気がしたがきっと気のせいだろう。



 希咲はシャープペンを取ってペン先をノートに近づけた。


 カキカキと、首輪ナシのワンちゃんの絵を描いていく。


 全体的にやたらとデフォルメされているが眼つきだけはキリっとしていて、歴戦の風格を漂わせていた。



 頭の上の両耳の間からニョロンっとアホ毛を伸ばし。


 絵の脇に矢印を書いて、『陰キャ』『非モテ』『でもエロい!』と注釈を入れた。


 吹き出しをキャラの口に向け、「そのような事実はない」と台詞をつければ完成だ。



 七海ちゃんは自身の作品を満足げに見下ろして、ニンマリと――


(――って! なに描いてんのよー……ッ⁉)


――しかけてハッとする。



 パッと消しゴムを取って、ガシガシガシと高速でノートを擦った。


 隣から「くくっ……」と声が漏れたが、それどころではない。



(あー、ビックリした。なにしてんのよ……。授業集中しなきゃ……)


 さっきもそう思ったばかりなのに。



 彼女は再び黒板へ目を向け。


 何秒かするとまた余所見をした。



(あんたがだらしないせいで……っ)


 そんな恨み言を視線にこめようとすると――



「――では次のページを開いてください」


――先生の指示にハッとして、ページを送る。


 新しいページの左上から視線を一度滑らせ。


 そして少しするとまた――



――チラっと目線が左に動く。



(いやいやいやっ! 見すぎじゃないっ⁉)


 いい加減自分でも気付いて、七海ちゃんはビックリ仰天した。



 ブンブンっとお顔を振ってお行儀よく前を向く。


 しかし――


 チラッ――


(――だぁーかーらーっ!)



 やはり気のせいなんかじゃなく。


 さっきから何気なく弥堂へ視線を向けてしまう。



(な、なにこれ……っ⁉)



 自分の意思や意図はなく、無意識に目線が動いてしまうのだ。


 経験のない事態に希咲は混乱する。



(こ、これはまさか……っ⁉)



 みらいさんの部屋にあった漫画で読んだことがある。


 授業中も、休み時間も、放課後だって、気になる彼をつい目で追ってしまう――そんな少女漫画を。


 それは――


(――い、意識してるってこと……⁉ あたしが⁉ あいつを⁉)



 現象としては同じもののように思えた。


 しかし――



(は、はは……っ、そんないやだってまさか……。ありえないし。だってそうなる理由ないもん。逆にさー)


 嫌いになる理由だったらいっぱいある。


 数えきれないくらいに。



 なんせあの男は学園イチの嫌われ者だ。


 暴力、暴言、虚言を駆使してやりたい放題の無法者だ。


 セクハラだって当たり前の権利のようにする。



(セクハラ――ッ⁉)


 七海ちゃんはハッとした。



 望莱の部屋には少女漫画だけでなく、少年漫画もあった。


 その中にはこんなものもあった。



 次から次に新しい女が現れては、手当たり次第に主人公の男の子に事故という体でセクハラをされる。


 なのに、女の子たちはセクハラされたことをきっかけに男の子を意識し始めて最終的には好きになってしまうのだ。


 みらいさんはああ見えて結構ラブコメ好きだ。


 しかし希咲はそうでもない。



(そんなバカな……っ!)



 読んだ時にそう思ったし、今でもそう思う。


 なんでセクハラされたのに好きになるんだと。


 そうはならんだろうと。


 そんなバカな女がいるはずがないと。



 だが――


(ち、ちがうからっ! あたしそんなバカでチョロイ女じゃないし……っ!)


 そんなことは乙女として絶対に受け入れることは出来ないと思った。



 七海ちゃんはヘンな風にドキドキしてきた。


 これは恋のトキメキなんかじゃなく、恐怖からくる動悸だ。



(あ、あんのやろう……ッ!)


 キッと、弥堂の後頭部を睨みつける。



(手口ね……⁉ やっぱりそういう手口なのね……っ!)


 非常に許し難いと思った。



(ちっくしょう……、エロいことばっかしやがって……!)


 なんて恐ろしい男なんだと戦慄する。



(でもお生憎さまっ! あたし漫画の女の子とはちがうから! 全然チョロくないし!)


 そう気合いを入れて――



(だいたい、あんなので好きになったりとかあるわけないじゃん)


 自分に言い聞かせるようにしながらも、念のため確認してみる。



 弥堂の後ろ姿を見ながら、今はもう簡単に思い浮かべることの出来る彼の顔を想像した。


「…………」


 すると――


(あ、うん。全然そういうんじゃないわ)


 スンっと真顔になった。



(やっぱりプァナちゃんの言うとおりよね)


 普段の行いって大事だなと思った。


 悪逆非道な彼の振舞いを思い出せば、こんなもん好きになるはずがないと冷静に判断できる。



 一応もう少し気を落ちつけるため、ノートに「正」の字をいくつか清書して心を清らかにしようと思いつく。


 シャーペンを握り直して。


 字を書いてみるが何故か「正」はガタガタだ。



「あれー?」と思いながら続けていると、4つ目の「正」を書いている途中にペンを手から離してしまう。


 机の上でクワンクワンと踊るペンを押さえようと上から手を落とした。


 バンッと、思いの外大きな音が鳴ってしまう。



「あ、あわわ……っ」


 ペンを床に落とすことはなかったが、また教室中の視線を集めてしまう。



「希咲さん……?」


「ごごご、ごめんなさいっ! ペン落としそうになっちゃって……」


「そう、ですか……?」



 先生も他の生徒たちも、特に気にした様子もなく顔を前の方へ戻す。


 その時に希咲は気付いた。


 弥堂の頭だけは動いていない。


 一回目の時もそうだったが、彼だけはこっちに目を向けていないのだ。



 七海ちゃんはムッとした。



(なんなの……?)


 何故だかよくわからないが、とても癇に障る。


 自分はこうなってしまっているのに、と。



 弥堂は通常通り平常心で座っている。


 それに何でか腹が立つ。



(どうせ先生の話聞いてないくせに……っ!)


 希咲は「ぐむむっ」と彼の後頭部を監視し。


 徐にスキルを起動した。



 するとすぐにウトウトとしてくる。


 微睡む目で彼を見つめながら――



(――えいっ。睡眠誘導っ)


 そう念じた瞬間、カクンッと弥堂の首が落ちた。


 すぐにスキルを解除する。



(ぷぷぷっ)


 ほくそ笑みながら観察していると、弥堂は額を指で押さえながら軽く頭を振った。


 そして少し何かを考え、首を回した。



 何やら疑いのような、恨みがましいような目をこちらへ向けてくる。


 希咲は一定の満足感を得た。


 彼に向けて控えめに手をチョキチョキと動かしてやる。


 すると、彼の口が舌打ちをするような動作をして。


 また前を向いてしまった。



(んー……)


 希咲はそのまま弥堂を見つつ――



(――えいっ)


 もう一回ちょっかいをかけてみた。



 またもカクンっとしてから弥堂はこっちを振り向く。


 さっきよりも怒っているようで、口の端が若干引き攣っていた。



(あ、そだ……)


 その顔を見ていたら思い付き、希咲は別のスキルを起動する。


 そして――



<――ごめんて>


 弥堂に思念通話を送った。



 すると、弥堂の肩が少しだけビクっとして――


<――お前、これは何の真似だ?>


 お返事がかえってきた。


 希咲は「ぷぷっ」と笑ってから彼に話しかける。



<や、調子はどうかなって>

<なにが? というか、なんで念話が出来る?>


<念話? あ、思念通話のことね>

<どっちでもいい>


<実はさ、昨日こっちもマーキングしてたこと今思い出したのよ>

<いつのまに……>


<それで今も繋がってんのかなって。チェック? みたいな?>

<お前、これって確か俺の居場所を掴めたり、映像も見れるんだったか?>


<あー、うん。やろうと思えばだけど>

<冗談じゃねえぞ……>



 弥堂は何から何まで彼女に囚われている自分の身の上を改めて思い知った。


 若干恐怖を感じた。



<だーいじょうぶよ。やんないから。これも明日一緒に解除するし>

<で? 何の用だ?>


<用っていうか……。あ、ねぇ、あんたさ。お行儀よく座ってるけど授業聞いてないでしょ?>

<聞いてる>


<ウソ。だってノートとってないじゃん>

<そんなもんなくても、見聞きすれば勝手に記憶される>


<あ、それも“魂の設計図(アニマグラム)のおかげ”?>

<そうだが、“魂の設計図(アニマグラム)”は誰にでもある。だから、「おかげ」と謂うなら、正確には【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】の方だ>


<へー、便利ねー>

<……?>



 弥堂は訝しむ。


 まるで普通の世間話のような会話を。



<お前、なんのつもりだ?>

<え? つかさ? それでもよ? ノートとるフリくらいしなさいよ。態度悪いって風に見られちゃうじゃん>


<知ったことか。というか、今のお前に言われたくない>

<ん? あれ? ってことは、あんたってカンニングし放題ってこと?>


<希咲。先生が一生懸命俺たちに授業をして下さっている。集中して聞かねば礼を失するぞ>

<こ、こいつ……っ! こんなとこまで悪さしてんの……⁉>



 勇者のくせになんてしょうもないんだと、希咲は戦慄しつつ。


 そういえば愛苗が以前に言っていたなと思い出す。


 弥堂の成績は真ん中より上で、決して悪くはないと。


 しかし、それにはこんなカラクリがあったようだ。



<あんたさぁ……>

<うるさい黙れ。用が無いんなら切れ>


<あ、そういえばさっきさ>

<お前俺の話聞いてないだろ>


<桃川さんガン見してる時に魔眼使ってなかった?>

<あ? あぁ、そうだな>


<なんかあったの?>

<いや? 特に?>



 黒板の方を向きながら弥堂が少しだけ首を傾げると、希咲も「ん?」と首を傾げた。



<へ? じゃあ、なんでいきなりあの子睨んでたの?>

<なにか攻撃的意思を感じた気がしてな>


<なにそれ? 桃川さんが? 大人しい子よ?>

<殺気というほどじゃないんだが、なんとなくそんな気がしただけだ>


<気のせいだったってこと?>

<多分な。“魂の設計図(アニマグラム)”も普通のニンゲンの範囲だ>


<フツーの範囲? “魂の設計図(アニマグラム)”に強いとか弱いがあんの?>

<説明が難しいが、存在感や輝きの強弱を感じる。記述を読み解いているわけじゃない>


<めっちゃ輝いてると“魂の強度”がスゴイってこと?>

<まぁ、そうだが。俺の体感だからあまり当てにはならない。水無瀬くらい飛び抜けていれば話は別だが>


<愛苗ってそれもスゴイんだ……>

<そうだな――うん?>



 相槌を打ったところで弥堂が大きく首を傾けた。



<どした?>

<いや。なんでお前とこんな話を授業中に普通にしているんだと疑問を覚えてな>


<ぷ。いまさら?>

<もう終わりだ>


<いーじゃん>

<よくない。それで、結局何の用だ?>


<用? ないけど?>

<は?>



 少々驚いたのか、弥堂は首を振り返らせて希咲の方を見てしまう。


 希咲は顔を逸らして笑いを堪えた。


 隣の小窪くんも笑いを堪えていた。



<お前な……>


 呆れた声を送りつつ、弥堂は黒板の方へ向き直る。



<余計なお世話だが。意味もないのにこんなチカラを使わない方がいいぞ>

<あら。あんたらしくない。使えるものは使えーじゃないの?>


<俺はそうだが、お前もそうなりたいか?>

<えっと?>


<こんなもん気軽に使ってるとタガが緩むぞ>

<それは……、わかってるし>



 希咲は少しムッとする。



<前から日常じゃスキルは使わないようにってしてたから>

<説得力がない>


<今日はたまたまなの!>

<そう願う>


<信じてないでしょ?>

<信じるも疑うもない。関係ないからな>


<なにそれ。つめたい>

<優しくしあう間柄でもないだろ>



 今度はさらにカチンときた。



<そんなことないし>

<あるだろうが>


<同盟みたいなもんじゃん>

<あ? なんだって?>


<愛苗ちゃん同盟……?>

<……なんだそのアホみたいなのは>


<愛苗を一緒に愛でる……的な?>

<あのな……、あぁ、いや。そういうことか>



 言葉尻で弥堂の声が冷たくなる。



<無駄だ>

<え?>


<こんな風に馴れ馴れしくしても無駄だと言ったんだ>

<は?>


<水無瀬のことでどうするかは明日のお前次第だ>

<わかってるけど……。なに? 急に>


<こんなことで俺を篭絡しようとしても無駄だと言っている>

<なによそれ>


<情に流されて俺が判断を誤ったり、甘くしたりすることはない>

<そ、そんなこと考えてない……ッ!>



 思っても見ない誤解を招いてしまい、希咲は思いを強める。


 だが弥堂には響かない。



<どうだかな>

<あんた疑い深すぎだって>


<浅くて得をすることはないからな>

<少しは信じてくれたっていいじゃん!>


<それは明日考える>

<またそれ?>


<そもそも。信じるかどうかを考える段階にすらない>

<そんなの――>


<俺とお前の間には何もないからだ。関係がない>

<は――?>



 弥堂のその言葉に希咲は一瞬頭が真っ白になる。


 そして遅れて。


 怒りが沸々と湧き上がってきた。



<――……くせに>

<あ?>


<――……したくせにっ!>

<なんだって?>


<授業中! もう話しかけてこないで!>

<おま――>



 一方的に思念通話を切られてしまう。


 弥堂は理不尽だなと思いつつも、この方が面倒がなくていいかとすぐに切り替える。


 何事もなかったように授業に戻っていった。



 しかし希咲の方は違う。



(――なんなのっ!)



 弥堂の態度に七海ちゃんはプンプンだ。



(キスしたくせに……っ!)



 なのに『関係がない』とはどういう了見だと彼女は怒っている。


 思わず席を立ってぶっ飛ばしに行きたいくらいに、腹の底の方から怒りがこみあげてきて――



「はぁ……」


 希咲はそれを溜め息で吐き出した。



(まぁ、そうよね……)


 一瞬で頭の中が冷える。



(あたしが、したんだもんね。勝手に……)


 いくらなんでもそれは筋が違うと思い直した。



(でも……)


 無関係とまで言わなくてもいいじゃないかと不満もある。


 キスのことは置いておいても、“龍脈暴走事件”や“アムリタ事件”では協力しあった場面だって少しはあったのだ。


 だったらそれなら――



(――あれっ?)


 そこまで考えたところで、じゃあどんな関係ならあるのだろうと逆に疑問に思ってしまう。



(う~ん……?)


 そう言われると何も思いつかない。


 それなら弥堂の言うとおり“無関係”だということになるのだろうか。



(や。それも言いすぎじゃない?)


 ハッキリとした関係はないものの。


 決して無関係でもないはずだ。



(だってあそこまでしたのに――)


 またそこに思考が戻ってきた瞬間、希咲の顔がまた真っ赤になった。



(――うっ、やば。思いっきり思い出しちゃった……っ!)


 なんであんなことをしてしまったのだろうと今なら思う反面。


 あの時はそうする以外に道はないと考えてもいた。


 ただ、勘違いだとわかった今はやっぱり恥ずかしく思う。



 だからそこにいくらかの後悔はあれど。


 じゃあ、今の現状が悪いのかと聞かれるとこれまた答えに困る。



 勘違いなどではなく、愛苗は彼に殺されていて。


 キスをしたことによって【夢の懸け橋(ドリーミン・ワンダー)】でその事実を確定させ。


 その道の先にある今は、どういったものになっていただろうか。



 それを想像すると、希咲はゾッとする。



 そう考えると、今の方が遥かにマシだと思える。


 弥堂には悪いことをしてしまったが。


 引き返す術のない戦いになるよりはお互いによかったはずだ。



 それなら、逆にあれをしたことで得られたものは何かあるのだろうか。



(不幸中の幸いというか……)


 事件の真実にはグンっと近づけた。弥堂にもだ。


 少なくとも彼と直接ちゃんと話せるようにはなった。


 あとは――



(さっき、屋上で……、いつもよりやさしかった……、とか?)


 そんなことを思いついたら、またほっぺたの温度が上がる。



(いやいやいや! 優しくしてもらうためにキスする女とかもっとクソじゃん……!)


 今のナシ!と強く念じる。



(だいたい、そもそも……)


 彼にどう思ってもらいたいのだろうか。


 ようやくそこに辿り着く。



 無関係じゃないとして、どんな関係なのだろう。


 無かったことしてくれと頼んだのに。


 本当に何も無かったと思われるのはムカつく。



(あれ? めっちゃワガママじゃない……?)


 自分のことながらちょっと引いてしまう。


 しかし微妙に納得がいかないのも事実だ。



(あれー? なんでだろう……?)


 何がそんなに腹が立つのか。


 じゃあ、彼の方にあのキスをきっかけに自分を意識して欲しいのかと聞かれると――



(――や。ない。ゼンゼンない)


 それは即答できる。


 責任――というか、好きになって欲しいとか、付き合って欲しいだなんて浮ついた感情はこれっぽっちもない。



(それもそれでどうなの……?)


 決してそうなって欲しいわけではないが。


 そんな初キスはどうなんだと、今度は自分に嫌悪感が向いた。


 ただ、それは昨日散々繰り返したので割かし早めに切り替えも利く。



(だ、だいたい、なによ、キスくらい……っ)


 最初に付き合った人と一生添い遂げるわけでもなし。


 何年後かにはこんなこと思い出しもしなくなるに決まっている。



 というか、その時には自分は誰かと付き合ってるのだろうか――


 今度はそんな方向に思考が向く。


 今の色々を乗り越えて。全部万事解決して。


 平穏な人生に戻れたその時に付き合っている人と――



(あ、でも……、その時はもう、あたし初めてじゃないんだ……)


 そんなことを何気なく考えた。


 そしてまたすぐに顔を真っ赤にする。



(なななな、なんか今のえっちじゃない……⁉)


 とてもよろしくない考えだったような気がした。


 パタパタと手で顔を仰いで熱を冷ます。



(べ、べつに? ぜんぜん? たかがキスくらいなんとも? だってあたしギャルだし?)


 脳内で効いてないアピールをする。



 そして、弥堂をキッと睨みつけた。


 彼は何事もなかったように座っている。



(わかった……、わかっちゃった……!)



 どうして彼のことが鼻につくのか。


 どうしてこんなにも腹が立つのか。



(あたしばっかり……!)


 こんなにもあのことを気に病んだり、恥ずかしがったり、あたふたしたり――


 なのに、彼の方はこれっぽっちも気にしていない。


 それがなにか、不公平なように感じた。



 無かったことにして欲しい。


 意識して欲しいわけじゃない。


 だがあまりにも平然とされるのはムカつく。


 女としてナメられているように感じるのだ。



 自身の変調の原因を突き止め、希咲は「ぐぬぬ」と歯を噛んだ。



(あんたもちょっとは慌てなさいよね!)


 弥堂の後頭部に呪詛を送る。



(さっきの屋上でだって……!)


 昨日の今日でこっちは気まずいというのに、あの男はいつもと何にも変わらなかった。


 あの無表情が憎い。


 七海ちゃんは憤慨した。



(き、昨日はキスして……、今日はああああんな、えっちっぽいこと――って⁉)


 七海ちゃんはハッとする。



(ちがうちがうちがう! あれは医療行為。レスキューなの。ちょっと間違えてえっちっぽくなっちゃっただけで――だからえっちじゃなーい!)


 ガシガシと頭を掻き毟る。


 そしてまたもハッとした。



(ちょっと待って……⁉)


 よくよく考えたら。


 あの男とは出会って間もない。


 ちゃんと喋るようになってからだと一ヶ月も経っていない。


 それなのに――



(ペースやばくない……⁉)


 初っ端からセクハラだったし。


 それから絡む回数を重ねるごとに色々なことがエスカレートして過激になっている。



(き、昨日がキスで……、今日はアレで……っ)


 こんなことなら、来月にはどんなことになっているのだろう。


 どんなことをされちゃっているのだろう。


 きっと“えっちっぽい”では済まなく。


 むしろ“それ”そのものを――



「――ぃにゃあぁぁぁぁッ⁉」



――想像でも現実でも限界突破してしまった七海ちゃんは、奇声をあげて勢いよく席を立った。


 当然先程までの比じゃないくらいにクラス中の視線が一斉に向けられてしまう。


 今度は流石の弥堂も何事かとこちらを向いていた。



 希咲はピシリと固まる。



 我にかえったことで冷静になることはなく。


 むしろ余計にパニックになってしまった。



「あぅあぅあぅ……っ」



 意味のない言葉だけが口から漏れる。



「き、希咲さん? だ、だいじょうぶですか……?」


「だいじょうぶ! ですっ!」



 先生が恐る恐る話しかけてくると、希咲はクイ気味に返事をした。



(だいじょうぶ! ギャルだし! キスくらい!)


 頭の中はちっとも大丈夫じゃなかった。


 もちろん先生も大丈夫だとは思わない。



「そ、その……、顔が真っ赤ですけど具合が――」


「――赤くないっ!」



 恥ずかしくないし、照れてないし、意識なんかしてないので、そんなわけないと否定する。


「赤いよ?」と教室のみんなは思った。



「え、えっと……?」


「…………だし」


「え?」



 木ノ下先生がすっかりと困ってしまうと、希咲は何かをボソリと呟いた。


 聴こえなかったので先生は聞き返し、他の生徒さんたちも静粛にする。


 シーンと静まった中で、希咲はもう一度繰り返す。



「あ、あたし……ギャルだし……っ」


「この子は何を言ってるんだろう?」とみんなはキョトンとした。



 七海ちゃんのお目めはグルグルと回る。


 そして――



「だ、だっるぅ~……」


「は、はい?」


「じゅ、授業とかだるいしぃ……? や、やってらんないっていうかぁ?」


「あの? 希咲さん?」



 先生もみんなも「どうしたんだろう?」と心配になる。


 だって彼女はそんなことを言う子じゃないと知っているからだ。



「ギャ、ギャルだし……」



 すると、彼女はまた同じ台詞を繰り返した。


 みんながキョトンとしてしまう。


 誰も何も言えなくなって、そして希咲はプルプルと震え出し。


 何故か弥堂をキッと睨むと――



「ギャルだもん――ッ!」


「あ――希咲さん⁉」



 捨て台詞のように意味不明なことを叫ぶと、七海ちゃんはダッと駆けだして教室の外へ飛び出して行ってしまった。


 誰もがポカーンと口を開けたまま、開けっ放しの出口を見つめた。



 そのまま何秒かして――


 カラカラと音が鳴る。


 希咲が出ていった教室後方の戸を、すぐ近くの席の小窪くんが「くっくっくっ……」と笑いながら閉めた。



 先生は「うーん」と少し天井を見上げ――



「――では、教科書の次のページを……」


 まぁ大丈夫だよねと、授業を再開させた。


 他の生徒さんたちも特に気にした様子もなく授業に戻っていく。



 そんな中で弥堂――の後ろの席で。


 蛭子くんがパンっと両手でお顔を覆った。



 彼はこの新クラスが始まった初日の自己紹介の時に。


 今の希咲と全く同じようなことを言って教室から逃げたのだ。



 その時の気持ちが蘇り。


 さらに共感性羞恥が尋常がなく。


 誰にも顔向けが出来なくなってしまったのだ。



 その前の席で弥堂は――


(あいつ本当に大丈夫か……?)



 猶予というか、チャンスというか。


 そんなものを彼女に設けてしまったことを若干後悔していた。



 ちなみに七海ちゃんはこの授業の間に戻ってきませんでした。


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― 新着の感想 ―
目つきの鋭いワンちゃん……七海の乙女心が強すぎて、相当可愛いものを描いちゃいましたね この二人、やっぱりまともに授業を受ける気がないでしょ!スキルを使ってカンニング(筆談)するなんて、紙のメモを回す…
この話に関係ないですがユウくんは暇な休日とかって何して過ごしてるんですかね?
こんな時でも刺される蛮くんに黙祷
感想一覧
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