3章20 a lull in the grump ➀
1時間目後の休み時間――
「――でさぁ、マサトくん居なくてウチちょー寂しかったぁー。ね? ジュリ」
「カナずっと言ってたもんな。つか、5人もいっぺんに休むと教室もガランとしちゃうよね」
聖人の席の近くに来た白黒ギャルコンビが、学園イチのイケメンに媚びを売っている。
その隣の席ではマリア=リィーゼ様が、ギャルたちのヨイショに合わせて「うんうん」と鷹揚に頷いていた。
しかし、そのコメカミには何故か青筋が。
この第一王女さまは、みらいさんから『王族の女たる者、“本妻のヨユー”を持たねばならない』と吹き込まれている。
そのためギリギリ嫉妬を抑えているが顔面にはしっかりと感情が表れていた。
そんな彼女の様子を横目にしながら、聖人は曖昧な苦笑いをする。
「あはは……、ゴメンね? 家の用事もあってさ。ホントはよくないと思うんだけど大事なことで……」
「そんなぁー」
「ぜぇんぜーん」
特に何も答えていない聖人の言葉だが、ギャルボイスのトーンはオクターブ上がった。
イケメンさまの気分を害さないように、彼女たちはこなれた手管で応対する。
「でもでもぉ、スゴイよね。まだ高校生なのに」
「だな。家のことで大事な用事って、アタシらじゃちょっと想像つかないし」
「そんな大げさなものじゃないよ」
「えー? カッコイイって思うよー? マジソンケー?」
「家がお金持ちってのもタイヘンだよねー。フツーのヤツとはセキニン?とかが違うっつーか」
「い、いやあ、僕なんて全然。一番大変なのは父さんだから……。でもありがとう」
まるで社交辞令のような聖人の受け答えだが、彼は本気でそう思っている。
お人好しの彼はこのギャルたちの言うことを、「心配してくれていい人たちだなぁ」と受け取っているのだ。
隣のマリア=リィーゼ様の表情も若干和らぐ。
王女なら年中宮中でおべっかを受けて慣れていようものだ。
しかし彼女はアホなので、ギャルたちの露骨な『お金持ちアゲ』に一定の満足感を覚えていた。
聖人は愛想笑いをしてから、少し慎重に彼女たちに訊ねる。
「えっとさ、ちょっと訊いてもいい?」
「えー? なになにー? 放課後ならいつでも空いてるよ?」
「あはは、そうじゃなくって。僕たちが休んでた間のクラスのこととか」
聖人の質問内容にギャルたちは顔を見合わせた。
「いーけど……」
「なんかあったっけかなぁ?」
「どんなことでもいいんだ。なにか変わったこととか……、困ったことでもいいんだ」
「う~ん……」
二人は首を捻って考えてみるが――
「マサトくんがいなくてさみしい?」
「それじゃさっきと一緒だろカナ。つってもアタシも思いつかないけどさ」
特に目ぼしい答えは出てこなかった。
「あはは、そっか……」
聖人は少し目を伏せて考える。
その期間中、クラスメイトが一人――水無瀬 愛苗が居なくなったはずだ。
彼女の席は今も空席のままで置かれている。
多くの人々の記憶から愛苗の存在が消えてしまい、彼女は最初から居なかったものとされている。
その事態は聖人も聞かされているが。
こうして教室に帰ってくると、憶えている側の彼は強く違和感を覚えてしまう。
愛苗の席は一番左端の列。
その縦列に5席あり、その真ん中がぽっかり空いている。
最初から居なかったのなら。
一つ後ろの席の桃川から前にズレればいいのに、空席のままで。
出席番号22番が欠番になっている。
そのことに誰も疑問を持っていない。
聖人は少しゾッとした。
(僕たちが……)
ギャルコンビは先程、『5人いっぺんに居なくなると――』と言っていた。
正確にはそれは愛苗を入れて6人なのだが。
席が満員の状態で一人居なくなれば、その空白に注目が集まりやすい。
だが他にも5席の空きが出来たことで、彼女一人が居なくなったことの印象が薄れてしまったのだろうか。
そんなことをぼんやり思った時――
「――あ、でもでもぉ」
「ん?」
――寝室 香奈がポンっと手を打った。
聖人だけでなく、黒ギャルの結音 樹里も目を丸くする。
「なにかあった? 寝室さん」
「えっとね……」
聖人は期待感をこめて彼女の言葉の続きを待つ。
「ビトーがさぁ――」
「え――」
すると、ここ最近で疑念の集まる人物の名前が出た。
「弥堂が……、なに……?」
「え――」
「ヒ――」
無意識に聖人の表情や声音が硬いものになり、ギャルたちが息を呑んだ。
その反応で聖人は己の失敗に気付く。
「あ、ごめん。ちょっと喉が痛くって。あはは……」
「あ、うん……」
「だいじょぶ、だけど……」
すぐにいつものふにゃっとした愛想笑いに切り替えると、彼女たちも戸惑いつつも調子を戻した。
「んと、ビトーのヤツがさ。チョー勝手で」
「あ、うん」
「なんかここぞとばかりに女子たちとカラみだしてさぁ」
「そう聞くとマジウゼェな」
「えっと?」
「なんかさー。昼休みとか机動かしてあっちの通路通れなくしてんの」
「授業中とかもふざけてるしな」
「あー、うん……」
期待していたものではなかったが、それもそれでよくないことだなと聖人は微妙な気持ちになる。
「野崎さんもさー、あんま言わないしー」
「風紀委員で同じだから言いづれェのかも」
「う~ん……」
「マサトくん今度なんか言ってやってよー。アイツ風紀だからってイバってんの!」
「他クラの男どもも、並のヤツじゃ何も言えねーんだよね」
「そ、それは……」
聖人は少し困ってしまう。
想定していた弥堂の脅威とはあくまで“異能方面”のことである。
あの男はこっちの“普通方面”でも迷惑と脅威があるのかと頭を抱えたくなった。
今は希咲が彼と話をつけることになったから、その結果が出るまで接触するなと――そのように妹の紅月 望莱から昨日言い付けられている。
(七海、大丈夫かな……)
彼女は今まさに弥堂とその話とやらをつけている最中なのだろう。
希咲の戦闘能力は十分以上に知ってはいるものの、それはそれとして普通に心配にもなる。
おまけに相手は相当な危険人物だ。
本来ならこういう時は自分か蛭子 蛮が矢面に立つべきなはずなのに。
しかしながら、現在は非常にデリケートな状況になっていて、何がきっかけで破綻するかわからないから絶対に刺激するなとも望莱から言われていた。
彼女は実の妹ながらとても賢い。
その彼女がそこまで厳重に注意をするのなら、それはきっと正しいのだろう。
――と。そんな事情はあるものの。
だけど、だからといってクラスへの普通の迷惑行為を見過ごしてもいいとは――紅月 聖人はそういう風には考えない。
これは困ったなあと、腕組みをして「う~ん」と唸る。
すると、その仕草を一考の余地ありの好感触ととったのか――
「あ、じゃあさじゃあさ? 放課後作戦会議しよー?」
「え? 会議?」
白ギャルの香奈が果敢に攻め立てる。
「ゲーセンいこ。ウチ一緒にプリ撮りたぁーい」
「それフツーに遊びじゃんカナ。うける」
「い、いや、それは……」
グイグイと制服の袖を掴まれて聖人が困り果てていると――
「――放課後はオマエんチに集合だ」
背後から近づいた蛭子が会話に割って入った。
「…………」
「…………」
白黒ギャルはスッと真顔になると、闖入者をジッと見る。
蛮くんは思わず踵を下げそうになったが、ギリギリ踏みとどまった。
するとギャルたちはまたキャピキャピしだして、聖人に絡む。
「おウチ行っていいのー?」
「ウチらは全然いーよー?」
「えっ⁉ ど、どうなの蛮……?」
女にNOと言えない男が情けない顏で見てくると、蛭子は呆れた顔で溜め息を吐いた。
「ダメだ。今日は内輪の話だ」
キッパリとNOを告げるヤンキー男子にギャルたちはブーイングを浴びせる。
特に寝室の方は不屈のガッツで尚もイケメンにアピった。
「ならさー。ウチらもそのウチワ?ってのに入れてよー」
「えっ⁉」
「だってさー、なんだっけ? ハーレム? 色んな女の子オッケーなんでしょ?」
「そ、それはみらいが……」
「妹ちゃんもオッケーならクラスメイトの女子もよくなーい?」
「そ、そういうんじゃないっていうか……」
「ウチさ、七海ともトモダチだしー? みんなで仲良くした方がよくなーい?」
「そ、そうかも……?」
アホっぽい白ギャルに意図も容易く言い包められている男が居る。
それは自身の親友だ。
蛮くんは恥ずかしくなって目元を手で覆った。
その時――
「――けほっ……」
小さな咳とともに、教室の入り口から一人の女子生徒が入ってきた。
白いマスクを付けた長い黒髪の女子――桃川 由彩だ。
通学バッグを持った彼女は聖人の席の前に差し掛かる直前に、もう一度「コンコン」と空咳をする。
「あ、桃川さんおはよう」
「お、おはよう、紅月くん……」
聖人が挨拶をすると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せたまま控えめな声で返した。
ギャルコンビが不機嫌そうな顔をする。
マリア=リィゼさまは心配そうな顔をした。
「つーかさー。モモカーまた遅刻ゥー?」
「いーよなー、モモカーは。遅刻しても怒られなくって。ウチらなんかよー」
「う、うん……。ごめんね? 今朝、少し具合悪くって……」
1時間目が終わってから登校してきたクラスメイトへ、ギャルコンビは嫌味を言う。桃川は怯えるように身を縮こまらせた。
「謝るならこっち見ればー?」
「そーゆーのなんかズルイよなー」
「ご、ごめ――けほっ、けほ……っ」
顔を向けようとしたら桃川は咳き込んでしまう。
その病弱な姿にギャルコンビは舌打ちをして顔を背けた。
マリア=リィーゼさまはハラハラとした。
「大丈夫? 桃川さん。無理しないで」
「……けほっ。ううん、だいじょうぶ、です。急にしゃべったから出ちゃっただけ……」
心配げに顔を覗き込む聖人に彼女は目元だけで儚げに微笑んだ。
しかしその時――
「――あ……っ」
「桃川さん――っ!」
――貧血でも起こしたかのように、桃川はクラリとバランスを崩す。
それに超反応した聖人は素早く席を立って、彼女の身体を支えた。
「ケガはない? 桃川さん」
「は、はい……」
手を取り腰を支えながら見下ろしてくるスパダリ系男子の顔を、桃川さんはポーっと見上げる。
ギャルたちがまた舌打ちをした。
桃川さんは病弱な生徒さんで、たまに休んだりこうして体調不良で遅刻をしてきたりもする。
今回のように教室などで倒れそうになり、それを聖人がシュバっと助けるシーンは先月から何回もあった。
2年生になってから桃川さんのことを知ったクラスメイトたちの間でも、すっかりとこれが彼女のパブリックイメージとなっていた。
そんな彼女へ王女さまがお声をかける。
「ユ、ユアさん? 大事はなくて? よろしければワタクシが保健室へ付き添いますわ」
「へ、へいきです、マリアさん。こないだも休んじゃったし。授業でないと……」
「そ、そうですの? ならば……、マサト。彼女をエスコートして差し上げなさい」
「うん。わかったよ、リィゼ」
王女さまがご命令をされるとイケメンさまは爽やかに快諾した。
聖人は桃川の左手を自身の左手に乗せたまま、右手を彼女の肩に添え。窓際にある彼女の席まで連れ添おうとする。
リィゼちゃんはアホで高慢ちきだが、弱者には優しいのだ。
しかしー
マリア=リィーゼの前を通り過ぎた時、白いマスクの下の桃川の口が邪悪な弧を描いた。
(王女さまゴチでェェッす! オトコ貸してくれるなんておやさスィーっ!)
その清潔そうな仮面の下では、心の底から見下しきっていた。
桃川さんはマスクを外したくないがために。
またしょっちゅう寝坊をするために病弱キャラを演じている。
朝起きれないのも夜遊びをしているからなだけだ。
こうして幸が薄く気が弱い女子を演じて、心優しいイケメンさまにヨシヨシしてもらうプレイにハマっているのだ。
そんな彼女が見下しているのはマリア=リィーゼ様だけではない。
桃川はこっそりと背中越しに、ギャルコンビに流し目を送る。
(ハッ――ザマァみろブスども! バァァァカ……ッ!)
桃川さんは基本的に全周囲を見下している。
(ブスのくせにいっちょ前に悔しがってんじゃネェヨ! オマエらレベルでこんなレベチのイケメンはムリだろがッ!)
その本性はドブカスだった。
桃川さんは覚束ない足取りを演出してプレイタイムを引き延ばしにかかる。
聖人は甲斐甲斐しく彼女を介助した。
「ゆっくりでいいからね?」
「う、うん。いつもゴメンね?」
「気にしないで。困った時はお互いさまだよ」
「あ、ありが――あっ⁉」
桃川さんは足がもつれた風な感じで身体を倒し、聖人の胸に飛び込んだ。
すかさずスンスンとニオイを嗅ぐ。
(イ、イケメン、いいニオイ……っ! 整う……っ、子宮が……っ!)
思わずトリップしそうになってハッとする。
「ご、ごめんなさい……っ」
「いいんだよ。僕の手ちゃんと握っててね?」
「あれ?」
「え?」
桃川の手を握り直した聖人がクンクンと鼻を動かす。
(も、もしかしてワタシくさい⁉ 朝帰りだったから……っ!)
そんな風に彼女は焦るが――
「桃川さんもしかして香水つけてる?」
「え……? あ、うん……。ちょっとだけ……」
目を逸らして気まずそうに答える裏で――
(ヤッベェェッ! ビッチだってバレるぅ!)
――彼女は心中で頭を抱えていた。
しかし、
「いいニオイだね」
「へ?」
どうもそれは杞憂だったようだ。
地雷系マインドは素早く方向転換をする。
「ま……、紅月くんは好き?」
「え?」
「このニオイ、好き?」
「うん。好きだよ」
「そ、そっかぁ……。ちょっと背伸びしてつけてみたから……。えへへ、よかったぁ……」
「あはは。僕あんまり詳しくないから当てにならないかもだけど」
「ううん。そんなことないっ」
無自覚に笑うイケメンさまに、そんないじらしい反応を返しつつ。
(ヨッシャァッ! アタリ引いたァーーッ!)
試しに買ってみた新作の香水に手応えを感じて心の中ではガッツポーズだ。
「じゃあいこうか」
「は、はい……」
何事もなく促す聖人に、桃川さんも何事もなかった風に返事をしてまた足を動かす。
しかし頭の中はピンク色だ。
(レ、レイプ……、レイプされたい……ッ! 首絞められて顔面ボコボコに殴られながら犯されて妊娠させられたい……ッ!)
決して余人には聞かせられぬ正気を失った妄想が脳内に溢れている。
彼の手に乗せた指をいやらしく蠢かしたくなる衝動とギリギリのところで戦っていた。
(ワ、ワタシの汚い手汗がイケメンの肌に……っ! こんなに濡らしちゃって……)
ハッハッと彼女の息が荒くなってきた。
(こ、これはもうセックスなのでは……⁉ お、お金っ、お金払わなきゃ……っ!)
マスクの下で涎をダラダラ垂らしていると――
「――桃川さん? 息荒いけど大丈夫?」
「えっ⁉」
「もしかして苦しいんじゃない?」
「だ、だいじょうぶです……っ!」
慌てて取り繕って平静を装った。
思わずいつもよりも大きな声が出てしまったのでクラスの注目が集まる。
彼女は素知らぬ風に歩いた。
(ハァ~、優越感ハンパなっ! イケメンエスコート最高ッ!)
露出した目元では申し訳なさを表しつつも、マスクで隠れた唇は邪悪に歪んでいた。
やがて席に着き――
「じゃあ、困ったことがあったらいつでも言ってね? 僕でよかったら手伝うからさ」
「う、うん。本当にありがとう」
爽やかに笑ってから去っていく聖人の背をうっとりと見送る。
視線を机に向けると同時にスンっと目元が一瞬でダウナーに落ちた。
(この香水アタリね。まとめ買いしよ。あ、お金ない。またパパ活すっか……)
頭の中でブツブツ並べながらバッグの中身を机に移していく。
(教団の方の仕事した方が一発デカイのよね……。でもあんまり関わりたくないなぁ)
出来ればこっそりとフェードアウトしたいと思いつつ、目の前の実利と天秤にかけてみた。
(とりあえずヤマトにきいてみよ。あの中坊なら安パイだし)
仲間のようなそうでないような。
そんな中学生男子に簡単なメッセージを送りつけた。
スマホを仕舞うとまた妄想に耽る。
(ハァ~、今日はめっちゃ得した。遅刻してよかったァ)
先程のご褒美イベントをうっとりと思い出す。
(帰るまで手洗えない。でもガマンできなくなったら……、もうトイレでいっか)
過去の先を想像の中で現実から改竄する。それを性欲で塗りたくって。
(聖人キュン……。名前に“聖”が入ってるとか尊すぎる。絶対天使さまよね……)
真ピンクの思念がドロリと濁っていく。
(待っててね、聖人キュン。いつかワタシに沼らせてあげるから……)
マスクの下の桃川の唇が、だらしなく蕩けた。




